2020年01月22日

(東)松山城  (武蔵国)

 
 愛媛の松山城、備中松山城に続き武蔵の松山城をここに取り上げます。
戦国時代に扇谷上杉(おうぎやがつ)氏と古河公方上杉氏、山内上杉氏、北条氏とのこの城をめぐって争奪戦があった。上杉謙信がここを奪取し、これを武田信玄と北条氏康の連合軍が陥落させた。秀吉による小田原攻めの際に前田利家・上杉景勝がここを攻め落とした。これらのように戦国武将の有名人がこの城で戦った。

 5年ほど前にも訪ねましたが、それ以来にこの城の整備保守はすすんでいないようです。学術調査も2度行なわれたようで、それによる違いの有る案内板も2種見受けられる。あまり良く整備されていないので他の曲輪を探すのには苦労する。この城は2500人ほどが籠城して戦った規模であるので空堀に囲まれた曲輪が見ることができる。近世の石垣が取り囲む城ではない。現状の縄張りは後北条氏によるものとされる。1601年に家康により廃城となる。



hmatuyamazyo 01.jpg
 曲輪図



hmatuyamazyo 03.jpg
 旧調査と思われる案内板 曲輪の名前と配置に違いがある?





hmatuyamazyo 04.jpg
 左は市ノ川 右は松山城


 本曲輪、2の曲輪、3の曲輪、4の曲輪と並んでいる。土橋で連結されていたという。




hmatuyamazyo 05.jpg
 本曲輪  45m四方




hmatuyamazyo 06.jpg
 2の曲輪 本曲輪を囲むようにコの字型をしている




hmatuyamazyo 07.jpg
 3の曲輪  東西18m、南北60mの細長い




hmatuyamazyo 02.jpg
曲輪4  東端にある




hmatuyamazyo 08.jpg
兵糧倉  本曲輪の北西、 東西20m 南北45m




 岩屋堂観音堂があり四国巡礼めぐりがここだけで出来るという。この奥に搦手道があったと伝わるが崖が急峻で上から眺めてみたが、とても下り降りて行くことは出来なかった。





hmatuyamazyo 09.jpg
 岩屋堂観音  奥に搦手道がある


   2020-1-22


船中発策  城廻り
 http://hayame.net/custom27.html


posted by 速魚 at 05:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年01月19日

下津井瀬戸と水島航路の横断

 瀬戸内海をヨットにて通航をする場合は、東航・西航するには備讃瀬戸や下津井瀬戸のいずれかを航海することになる。 バブル華やかしころに本船乗りをしていて、夜の宇高連絡船との行き会いは今思えば、美しくもあり緊張を伴う悩ましいものでありました。 宇高連絡フェリ−は昨年廃止されたので宇高東・西航路を航行する船は今では少ないでしょう。 当時はひっきりなしに連絡船が行き来していて、おまけに備讃瀬戸航路上にも同行・反航の内航船がゴマンとジュジュつなぎに航行しており大型船にとっては大いに注意を要した。



mizusima 03.jpg
 備讃瀬戸東 宇高東・西航路


 ヨットマンの聖地と呼ばれる弓削海の駅に立ち寄るヨットは多いでしょう。そこへ瀬戸内を西航する場合には、下津井瀬戸を利用できます。備讃瀬戸航路航路経由で行くときには大型外航船が多いので、それを避けたいと思うときに小型内航船の多い下津井を利用する。 下津井瀬戸は潮流が最大10ノットにのぼる時があるので流速には留意する。そのことよりも大きな問題は水島航路を横断通航することになるので、大きな注意が必要です。ここさえ抜ければあとは比較的容易に弓削に行けるでしょう。


mizusima 04.jpg
 下津井瀬戸と下津井瀬戸大橋


  航行・横断注意点

1. 水島航路には巨大船が航行する。進路警戒船が先導している。
2. 水島航路を横断した後でも六口島北東方向から倉敷港を出港して水島航路を通航しない本船がある。
3. 荷役待ちの錨泊船が多い。
4. 土地柄か引き船やプッシャ-が多い
5. 水島航路上船舶は優先される。こちらは航路横断船になる。行き会う船をすべてを避けるつもりで航行し、速度を調整するなどして特に航路中央での行き会い状態を避ける。
6. 70m以上の本船は行き先信号をマストに掲げている。信号所で出港・入港信号が点滅表示される。VHFでこちらに管制センタ−より指示があるときもある。VHFを備えている場合には聴取のこと。
7. 追い越される船になることが多いので追い越し船の追い越し信号に注意。後方は要注意。
8.衝突を回避するために相手船と左舷対左舷、右舷対右舷で航行する意思を早めにこちらが変針して伝えることが重要である。


 一時的にここを通航するヨットにとっては、この海域の海上交通法による法規を習熟するのは難しいでしょう。 ヨットにとって通航する際には空いたタイミングを計り通航する。また、多数の船が見えている場合でも衝突の恐れがある船は1隻であることから、それを避けていくことにより危険度の大きい船より順次対処することになる。 

 ヨットが優先権を主張してもしょうがない。何かあれば、小さいこちらに被害が及ぶだけです。


mizusima 01.jpg
 赤線は下津井瀬戸より水島航路横断


mizusima 02.jpg
行き先信号旗 汽笛を鳴らす地点 詳細は海上交通法による


  2020-1-19

posted by 速魚 at 06:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年01月18日

いよいよ資産課税か


 10%の消費税値上げに伴い、キャシュレス決済・ペイペイ等の支払いにナンバ−を関連付けるとお得になる制度を宣伝している。 個人のお金の流れがすべて把握されたり、貯まったデ−タによりランクつけされたりする。それに中国に情報を抜かれるのではと安全保障上問題もある。 

 今回は財務省が隠れて総務省にアドバル−ンを上げさせている。マイナンバ−と預金口座の連結義務化により紐付けさせたいのでしょう。 国民のお金をすべてつかんで最後は「資産課税」へ進みたい、これがマイナンバ−の本意か。



  預貯金口座とマイナンバー連結義務化検討を要請…高市総務相

  https://news.yahoo.co.jp/pickup/6348486


   2020-1-18

  船中発策  税制改革
  http://hayame.net/custom4.html



posted by 速魚 at 02:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年01月15日

海上 橋高情報


hasitaka 01.jpg
 カタナ70  隣の我がヨットのマストと比べて倍の高さのマストですね


 「ヨットマンの聖地」と呼び声の高い弓削海の駅で70f余りのカタマランが隣に係留していました。マストの長さだけでも80f以上はあると思われる、このカタマランの米国人の青年キャプテインに、弓削島近辺の橋を通航できるのかと尋ねたところ、ほとんど不可能とのことでした。橋の架かっていない水路を航送するしかないようです。このクラスだと本船航路しか走れないのでしょう。

 チャ−トには橋の高さは記載されています。GPSの普及した今ではその一部しかヨットは持ち合わせていないので、事前にその橋の高さを知るのは難しい。 保安庁に電話して聞くのも厄介です。 橋に接近すれば橋桁の中央部分には海面からの高さの数字が書かれているのでそれをを知ることができます。 それゆえに速度を落として進み、ブリッジクリアランスより橋が高くなければUタ−ンするしかありません。

 最近では本船が大島大橋に衝突した事故がありました。
 大畠瀬戸 貨物船と橋の衝突
 http://hayame.net/custom14.html#spb-bookmark-535

 日本1周を何度もされた超ベテランヨットマンの伊藤さんが役に立つ橋高をまとめてくれました。
 
 橋の高さ グ−グルマップ
 https://blog.goo.ne.jp/oni2134/e/ceb5a7c6d4efddeb76d9c9a1cfe4fa11

   2020-1-15


posted by 速魚 at 12:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年01月11日

最新の米国・イラン情勢

 

horumuzu 01.jpg
 国華産業(三菱ガス化学関連会社)の運航するパナマ船籍タンカ−「コクカ・カレイジャス(Kokuka Courageous)」全員フィリピン人船員

 最新のイラン情勢は、米国が空爆により革命防衛隊のソレイマニ司令官を暗殺した報復として、イラクにある米軍基地へのイランのミサイル報復攻撃が行われた。トランプはこれに対して軍事報復は行わないと声明した。このような情勢です。

 さあ、第3次世界大戦だと騒ぐ動きが有りましたが、その声も今は小さくなってきました。
安倍首相は一時は中東訪問の中止を表明したが、トランプの声明を受けて予定どうりに中東訪問へ行くことになりそうです。

 下記のユ−チュ−ブを見てこれまでの不可解なことが氷解しました。ご覧ください。

 安倍首相が滅多に会うことが出来ないイランの最高宗教指導者ハメネイ師と会談した後に、ホルムス海峡で日本の油を積んだ便宜置籍船が攻撃された。攻撃したのは今では革命防衛隊とされている。それは革命防衛隊が米イの何らかの動きへの阻止を目的とした攻撃であった。今回のソレイマニ司令官の暗殺とイランによる軽微な反撃は米イの出来レ−スではないのか。 大いにこれまでの動きを説明する現状報告であった。

  https://www.youtube.com/watch?v=BYM5vEuoFgE&feature=youtu.be

 最後に上で納得がいかないのは、安部さんに期待していることである。日本で何も出来ない首相に、もっと複雑な外交問題の魑魅魍魎に貢献できるとはとても思えません。国内の小さな問題でもゴマカシ逃げ回っているのですから。きな臭くなったら訪問を中止し気力も胆力も無い。しかし日本の立場は大きく貢献できる位置にはいるのでしょう。いでよ英傑。


    2020-1-11








posted by 速魚 at 09:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年01月07日

ノーベル賞はとったけれども



yosino 01.jpg
 吉野彰さん 1948誕生 2019年受賞


 2020年の新春番組でノ−ベル化学賞を取られた吉野彰さんご夫妻が登場されて微笑ましいエピソ−ドを見ることが出来ました。
 マスコミはその栄誉を称える記事は多くあります。しかし、なぜ、リチウムイオン電池が手持ちのスマホやパソコンに、最新の自衛隊潜水艦にまで使用されているのに、GAFAのAが味の素のAになっていないのでしょうか。 いっこうにその疑問・事実を伝える報道はありません。

 シャ−プと東芝が海外に身売りされ、こんどはパナソニックまでが本社を中国に移す動きが見られます。電気産業が移った事実だけならまだ良いのですが、覇権を求めている中国の電化製品に囲まれて、その機器から日常の行動・デ−タを中国に集められ監視される社会がやってくるのかもしれません。

 下記の記事をみつけました。以下はITビジネスオンラインより転載しました。

 「フラッシュメモリー産みの親」東芝が敗北した真の理由

https://www.msn.com/ja-jp/news/money/「フラッシュメモリー産みの親」東芝が敗北した真の理由/ar-BBYG64u?ocid=spartanntp

2020/01/07 07:00


●編集部からのお知らせ:
本記事は、書籍『誰が科学を殺すのか 科学技術立国「崩壊」の衝撃』(著・毎日新聞「幻の科学技術立国」取材班 、毎日新聞出版)の中から一部抜粋し、転載したものです。毎日新聞の取材班が綿密な調査で迫った、日本の科学技術凋落(ちょうらく)の実態。大学の研究現場や、科学技術政策に携わってきた政治家、そして企業にも切り込んだ本書。企業の取材先は、電機メーカーのほか、バイオベンチャー、自動車業界にも渡りますが、今回は東芝の事例に迫ります。
 「ものづくり」で高度経済成長を牽引(けんいん)した日本企業だが、グーグルなど巨大IT企業の出現や経済のグローバル化、新興国の台頭といった社会変革の中で、急速に存在感を低下させつつある。日本の企業はなぜかつての勢いを失ったのだろうか。国内の研究開発投資の8割近くを担う企業の現状と課題を考える。
●「産みの親」、しかしシェアでサムスンに敗北
「君はジョギングしながら音楽を聴きたくないか。フラッシュメモリー(記憶媒体の一種)を使えばそれができる」
 1990年ごろ、東芝の総合研究所(川崎市、現・研究開発センター)で、入社志望の学生に熱心に語りかける技術者がいた。半導体メモリーの研究開発を率いていた舛岡(ますおか)富士雄氏だ。
 重くてかさばる上、揺れると音が飛びやすいCDを使った携帯用音楽プレーヤーがやっと普及し始めた時代。舛岡さんの部下だった作井康司氏は「学生さんは目が点になっていた」と懐かしそうに振り返る。
 今やフラッシュメモリーは、多くの電子機器に不可欠だ。作井氏は言う。
 「舛岡さんはアップル創業者のスティーブ・ジョブズ氏のように、30年先を見据えることのできるビジョナリー(先見の明がある人)だ」
 フラッシュメモリーは80年代に舛岡氏が発明した。半導体で作り、電子の出し入れによってデータの書き込みや読み出しをする記憶媒体だ。磁性を使う磁気テープやハードディスク、光を使うCDやDVDに比べ、データの入出力が格段に速く、小型化・省電力化できるメリットがある。自動車や家電、スマートフォン、デジタルカメラ、ノートパソコンなど多種多様な製品に搭載されている。
 70年代に登場した半導体メモリー「DRAM(デ ィーラム)」は電源を切るとデータが消えるが、フラッシュメモリーはこの弱点を克服した。その可能性に目を付けた米国の半導体メーカー「インテル」は、舛岡氏の最初の発表から三年後にフラッシュメモリー事業部を設置している。
 一方、東芝社内では当時、DRAMの売り上げが全盛期だったこともあり、フラッシュメモリーの評判は芳(かんば)しくなかった。舛岡氏はDRAMの高性能化に取り組みつつ、安価での製造が可能な「NAND(ナ ンド)型」というフラッシュメモリーの開発を継続。91年に世界初の製品化にこぎつけたが、販売では不振が続き、「約10年間、日の当たらない坂道を歩き続けた」(作井氏)。舛岡氏は94年、「フラッシュの先の技術を開発したい」と、東北大教授に転身した。
 NAND型フラッシュメモリーは90年代中ごろからデジタルカメラ用の需要が拡大したのをきっかけに、2000年代には東芝の主力製品に成長した。
 しかし、このとき世界のトップシェアを握ったのは、生みの親の東芝ではなく、韓国のサムスン電子だった。
●投資判断スピードで後れ
 部品業界では供給が滞るリスクを避けるため、必ず複数のメーカーが必要とされる。新たな市場を開拓する手段として東芝が92年にサムスンにNAND型の技術供与をすると、サムスンはすぐに巨額の投資に踏み切り、それが奏功した。
 80年代に東芝の半導体事業を率い、94年に退任した元副社長の川西剛氏は「投資するかしないか、東芝が役員会でもたもた議論しているうちに、サムスンはこれが伸びると信じて投資した。スピード感に差があった」と話す。関係者によると、技術供与の後も社内には「本当にもうかるのか」という懐疑論があったという。
 東芝はフラッシュメモリーを立体的に積層するなど記憶容量を高める技術を次々と生み出した。だが、需要に柔軟に対応しきれなかったため先行者利益を生かせず、サムスンの後塵(こうじん)を拝し続けた。90年ごろにはトップシェアを誇ったDRAMでもサムスンに抜かれ、2001年に撤退を決めた。
 判断が遅れた要因には、東芝が家電から原子力まで多種多様な部門を抱える総合電機メーカーだったことが挙げられる。投資のバランスをとる必要があり、他部門の不振で思い切った意思決定は難しかった。
 長内厚・早稲田大教授(技術経営論)はそれに加え、経営戦略の不在を指摘する。
 「東芝に限らず日本の大手企業の多くは、技術的な優位性があればビジネスでも優位に立てるという思い込みから、同じ失敗を繰り返している。自ら開発した技術がそのまま製品の価値になった70〜80年代の成功体験が忘れられないからだろう。経営の課題を全て技術の問題として解決しようとしてきたところに問題があった」
 パナソニックのプラズマテレビやシャープの液晶パネルなど、日本メーカーの場合、技術は優れているのに世界的な競争に勝てないケースが目に付く。長内氏によれば、一方のサムスンは安く大量に作って売るという戦略の下で、収益を次の事業に投資するサイクルを繰り返して成長してきたという。
●「短絡的な利益ばかり重視されモチベ低下」
 東芝の経営悪化は、大事にしてきたはずの研究開発にも影を落とした。研究開発センターで半導体関連の研究をしていた30代の男性エンジニアは「装置は古く、高額の装置を買う予算もない。短期的な利益ばかりが重視され、職場のモチベーションは下がる一方だった」と明かす。このエンジニアは数年前に他企業に移籍した。
 東芝は18年、半導体事業の子会社「東芝メモリ」を米ファンドが主導する日米韓連合に約2兆円で売却し、「稼ぎ頭」を失った。時代の先を読む発明やアイデアを具現化できる優秀な技術者集団に恵まれながら、ビジネスで勝てなかった東芝。その姿は、日本の産業界全体に重なる。
                                  以上転載させていただきました。

 半世紀も前の昭和の時代に繊維産業の衰退が問題になりました。戦前・戦後から産業構造の転換の初めであった。 繊維産業は令和になってもその変換・展望を見事にやりとげ繊維産業の会社名を残して頑張っております。日本には成功例があります。 金融崩壊の時に銀行を救って存続させましたが、現在は銀行はいらない世の中になってすぐにも大淘汰が近いでしょう。変われなかった銀行のせいです。 電器産業も変革できる救いの手が必要かもしれません。銀行の2の舞にならぬ手段で、また、安全保障上の問題も考慮して。


    2020年 1月7日 今年もよろしくお願いします。


  船中発策  国政改革






posted by 速魚 at 09:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年12月27日

sv117-204 モンテヴェルデイ全集


  速魚のモンテヴェルデイ全集
  http://www.hayame.sakura.ne.jp/99_blank047.html  作成中


  SV117-204 ができました。

https://blog.sakura.ne.jp/cms/article/edit/input?id=186965590

    2019-12-27



posted by 速魚 at 20:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年12月26日

映画 ハイドリッヒを撃て!

 


heydrich.jpg
ラインハルト・ハイドリッヒ Reinhard Tristan Eugen Heydrich
ナチス親衛隊大将、1904-42


 アマゾンプライムでこの映画を見ました。先の大戦中にチェコで起きたナチス親衛隊NO.2のラインハルト・ハイドリッヒを暗殺した事件を描いたチェコ・英仏合作映画です。 大義があるとはいえ殺しの映画は胸の晴れるものではない。ナチスはこの報復として5千人とも1万人ともいわれるチェコ人を殺した。
この映画の背景はナチドイツにチェコが滅ぼされた状況下に起こったものである。 その状況とは……. ミュウヘン会談においてチェコの問題を関係の無い大国・英仏独伊によるミュウヘン協定によりチェコの運命が決定された。

 ミュウヘン協定

1. (ズデーテン地方からのチェコスロバキア軍・官吏の)退去は1938年10月1日から開始される。
2. イギリス・フランス・イタリアは、チェコスロバキア政府が(ズデーテン地方からのチェコスロバキア軍・官吏の)退去について1938年10月10日までに域内の動産の破壊を伴わず完了させる責任を負うことに同意する。
3. 退去の詳細はイギリス・フランス・イタリア・チェコスロバキア・ドイツの代表で構成される国際委員会の裁定により定める。
4. ドイツ軍の占領は1938年10月1日より開始される。占領地域は4つの地域に分けられ、次の順序で占領される。(1)の地域は10月1日〜2日に、(2)の地域は10月2日〜3日に、(3)の地域は10月3日〜5日に、(4)の地域は10月6日〜7日に占領され、その他のドイツ人が多数居住する地域は前述の国際委員会の承認のうえで、10月10日に占領される。(掲載図と、この地域を指す数字との関連性はない)
5. 国際委員会は、人民投票を行う地域を決定する。投票の完了までは国際機関に統治される。人民投票の方法は、ザールでの方法を修正して行う。国際委員会は、投票日を11月末までの間において設定する。
6. 国境の最終的な画定は、国際委員会によってなされる。同委員会は4つの列強、ドイツ・イギリス・フランス・イタリアに勧告する権利を持つが、些細な民族誌学的な判断については人民投票無しに国境を確定することができる。
7. 住民の譲渡地域内外への移転選択権は、本協定成立の日から6ヶ月以内に行使されるものとする。ドイツ系住民の委員会は、この際に起こる問題の詳細を検討し、解決する。
8. 本協定成立4週間以内に、チェコスロバキア軍と警察は、退役したいと望むズデーテン・ドイツ人を退役させねばならない。また、チェコスロバキア政府は、政治犯として収監されているすべてのズデーテン・ドイツ人を釈放しなければならない。

 チェコスロヴァキアはフランス、ソ連と相互援助条約とを交わしていた。それがチェコの防衛に機能せずチェコスロヴァキアはミュウヘン協定を追認することを余儀なくされた。 大国が戦争を望まないとなれば、例え条約を結んでいても小国には役に立たないと分かる。 

当時のチェコはドイツ国境地帯に要塞を築き、軍装備も1935年からの再軍備途中のドイツに劣るものではなかった。 防衛戦争をドイツと戦ってもその勝敗は分からないだろう。 チェコスロバキアは翌年・1939年には完全に消滅しドイツ統治下になる。 自国で独立を守る意思に欠けたことによるこの結果というべきである。

ドイツは後には戦車が活躍して有名になるが、この当時はチェコの戦車のほうが強力であった。チェコを見放したフランスは電撃戦で自国に押し寄せたドイツが、チェコより押収した戦車により大いに苦しめられ敗戦することになるのは歴史の皮肉である。

 北朝鮮のクリスマスプレゼントの内容は26日の今日でもまだ不明である。トランプは余裕を見せた発言をしているが、被害の多くを受け持つわが身・日本には不安です。トランプと中国は第一次の貿易協定がまとまりそうである。調印が近いとトランプは発言している。 この年末になっても老生の懸念は、トランプが中国との覇権争いに疲れて米国の限界を感じた時に、痛み分けで覇権を二分する協定を中国と結ぶのではないかということです。その時の日本は中国の勢力下に入ってしまう。自国を自分で守れない日本はどうなってしまうのでしょう。

    2019-12-26

  船中発策 軍事・安全保障
  http://hayame.net/custom6.html




posted by 速魚 at 12:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年12月24日

モンテベルデイ全集 マドリガーレ集 第1巻から第9巻


  マドリガーレ(madrigale)は、イタリア発祥の歌曲形式の名称。マドリガーレには、時代も形式も異なる2種類の物がある。
1.中世マドリガーレ(14世紀マドリガーレ)
2.ルネサンス・マドリガーレ
中世マドリガーレはすぐに廃れてしまったため、一般にはマドリガーレというと後者を指す。どちらもペトラルカやボッカチオの詩から題材を得ることが多かったために、ルネサンス期の楽譜出版者が同じ名前を付けたという説がある。 

 中世マドリガーレ
14世紀初頭のトレチェント音楽初期に、北イタリアのロンバルディア地方の宮廷で演奏された、イタリア最初の多声歌曲。3つの詩句でできた詩節が、間にリフレインされる詩句(リトルネッロ)を挟んで幾つか連なる。堅苦しい形式で感情表現が難しいために、この流行はすぐにバッラータに取って代わられ、以来この形式が復活することはなかった。
代表的な作曲家にヤコポ・ダ・ボローニャが挙げられる。

ルネサンス・マドリガーレ
16世紀初頭、フロットラの流行の中から突如現れた形式。詩節がなくリフレインもない自由詩を用い、テキストの抑揚に合わせてメロディーが作られた。感情表現を豊かにするためにポリフォニーやモテットの様式、模倣対位法、半音階法、二重合唱法などあらゆる音楽形式が採られ、多くの作曲家が作品を作った。
17世紀に入ってカンタータに取って代わられたが、その後も幾人かの作曲家がこの形式の作品を残している。
代表的な作曲家としては、初期のアドリアン・ヴィラールト、中期のチプリアーノ・デ・ローレ、後期のカルロ・ジェズアルド、ルーカ・マレンツィオ、クラウディオ・モンテヴェルディが挙げられる。
マドリガーレはイタリアの無伴奏ポリフォニ−形式の歌曲

              以上はウイキペデイアによる

madrigal.jpg



 マドリガ−レ集 1巻  SV23-39

 マドリガ−レ集 2巻  SV40-59

 マドリガ−レ集 3巻  SV60-74

 マドリガ−レ集 4巻  SV75-93

 マドリガ−レ集 5巻  SV94-106

 マドリガ−レ集 6巻  SV107-116

 マドリガ−レ集 7巻  SV117-145

 マドリガ−レ集 8巻  SV146-167

 マドリガ−レ集 9巻  SV168-178



   速魚のモンテベルデイ全集  作成中


   http://www.hayame.sakura.ne.jp/99_blank047.html


     2019-12-24


posted by 速魚 at 05:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年12月22日

再日英同盟

  

nitieidoumei 01.jpg

 英国の保守党が選挙に勝ち、いよいよ来年にも英国はEUを離脱するこになりそうです。
英国は歴史的に伝統的とも言える政策において、大陸とは一線を画してきました。今まで英国がEUに加盟していたのが小生には不思議な位でした。今でも通貨はユーロではなくポンドのまま維持しています。

 国の法律よりもEU法が上位にあるという。国で制定した法律とEU法とは齟齬があり、英国民にとっては納得がいかないこともあると思われます。 実際にEUで得しているのはドイツだけか。

 英国海軍の空母が日本に来て自衛隊と訓練をするという。また、次期戦闘機の共同開発をするのではとも言われています。 仏空母も日本近海に来るようです。 そのことは、それだけ我々が現状で中国とは共同で対処しなければならない事態にあると云えましょう。

 英国は離脱した後にはTPPに加入するのではとの観測もあります。 どうでしょうか? いっそ日本との過去に同盟を結んだことがあり、日英同盟の締結を結んではいかがか。 昔の同盟は対露のためのものであったが、今度は対支になります。 日本は英国と結んで滅亡を免れ、同盟破棄と伴に国破れた過去があります。 同じ島国とは言え日英は文化的には違いがあり、日本は同盟によりアングロ的なものを補強すれば日本にとってより良いものになるはずです。  英国の諜報や戦略的な思考を日本に取り入れる必要を小生は大いに感じています。 ワイロをもらわない日英の官僚は世界史的には珍しい、英国はそれゆえに世界帝国になった。 そこと再び組もうではありませんか。 トランプがどこへいくのかは不安があり。中国と世界を二分しようと妥協が成り立った後に、日本は現状ままでは滅亡です。 英国とこのチャンスに組んでおきましょう。


有る記事が日本と英国の関係を結論ずけた? イギリス国民の反応は?
https://www.youtube.com/watch?v=-OkTrpsWiBU  7分

日本に住むイギリス人が驚くほど変わった5つの事「もうイギリスには帰れない!」
https://www.youtube.com/watch?v=_a2h5rtux9o  6分


   2019-12-22

船中発策  外交
http://hayame.net/custom7.html





posted by 速魚 at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年12月17日

カルメンマキ  Maki Annette Lovelace

        
maki 01.jpg


 ユ−チュ−ブを見ていて右側に表示されるオススメの蘭にカルメンマキの「時には母のないこのように」がナゼか出てきたので、懐かしく思いそれを聞いてみました。

  https://www.youtube.com/watch?v=Iyf3Qy9Ro5I 2分 1969年

 爺が半世紀も前の若者だった時ですが、それは好きな曲でした。 終活になった今聞いてもなかなか良い。 ヒットした後のことは、小生が海の生活をすることになったので陸の情報には疎く、彼女のことは忘れていました。 薬の事件もあったようだ。

 カルメンマキは後にロックに転向したようです。 今のアイドルのさきがけになります。当今のアイドルのように、大したトレ−ニングも無くデビュ−したように思っていました。 聞いてみて元々才能が有り、うまかったんだと思います。 当時の容姿もカワイイではないか。西洋人とのハ−フでエキゾチックです。それから今まで幾年月なので、現在の事は申すまい。
  
  1978年ごろ? カルメン・マキ   クリエイション
  https://www.youtube.com/watch?v=funsQCddMQQ  5分

  戦争はしらない、時には母のない子のように、  2015年 
  https://www.youtube.com/watch?v=PI1E895tQUY  12分

 2015年の「母のない子のように」を聞いてみて、人生を経て安定をもたらした昨今よりも、17歳の時に先の希望が見えないアンニュイ・けだるい時に歌ったものが良いように爺は思える。 彼女には今の方がシアワセ(勝手な思い込み)なのでしょうが。

    2019-12-17


現在音楽  http://hayame.net/custom28.html


  












posted by 速魚 at 09:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年12月13日

秀吉の備中高松城攻め布陣 


 秀吉の天下取りの始点となる、備中高松城水攻めの布陣図載せました。当時の秀吉は信長の方面軍を指揮する武将で下記のような顔ぶれです。石田三成の名は見えませんが秀吉の本陣に黒田菅兵衛と共にいたのでしょう。弟の秀長は大事な拠点にいることがわかる。

 花房助兵衛を小早川隆景が攻めて、水攻めの堤防を壊せば高松城を救えるように思われます。確か毛利軍4万に対して秀吉軍2万であって人数的には毛利のほうが多かったはずです。 この布陣は明治になって、陸軍大学の参謀実習において、関ケ原の布陣を独のメッケル教官が見て西軍勝利と云ったような同じ状況です。 実際に現地で目にすると山側に陣をひいた秀吉から高松城の距離は想像していたよりも近かった。手に取るように城内が見渡せたと思う。それに比べて毛利軍は一歩退いて布陣した感じである。

 この時の秀吉の戦略がすごくて、村上水軍を味方にして瀬戸内の要所を抑えて毛利の補給の邪魔をしていたといいます。毛利軍が攻勢に出る余裕が無かったと見るべきでしょう。 秀吉はこの戦いの趨勢は押さえたので、勝利の最後のツメを信長の出陣を要請して、自分が勝ちすぎないように配慮したと聞きます。 その時に本能寺で信長は討たれた。秀吉は「中国大返し」をして大阪に急遽戻り、態勢の整わない光秀を破り、天下取りの一歩となった。 


bittyu huzin 01.jpg
 備中高松城の布陣図


 秀吉布陣武将とその後


加藤清正
Kato-Kiyomasa 01.jpg
 1562-1611
 秀吉と遠縁で子飼いの武将。賤ヶ岳の7本槍の功で3000石、肥後半国195000石、
小牧長湫の戦いまでは150名程の動員兵力であったという。財務官僚の役割を期待されていた。朝鮮出兵からの武功がよく知られていて、武辺一本やりのイメ−ジが後世に伝わるが、それでは後世まで熊本の治世が評価され清正公と敬われることが理解できない。関ケ原では東軍に属したが、領地に留め置かれて九州での参戦になった。小西行長の領地を受け継ぎ52万石になる。3男の忠弘が継いだが改易となった。


津田与左衛門(信任) 生没不明
 秀吉に長浜城主時代から使える。家督を継ぎ35000石となる。洛外千人斬りの犯人として逮捕される。所領没収蟄居。家督は弟に13000石に減封。


宇喜多忠家
bittyu huzin 02.jpg
 1533-1609
 宇喜多直家の異母弟、兄の直家を補佐して創業を助けた。時に総大将として参戦した。兄の死後は秀家の後見役として補佐。秀吉の直臣となる。家督を嫡男知家・坂崎直盛に譲る。
秀家とともに文禄の役で朝鮮に渡る。


羽柴秀勝 
bittyuu huzin 01.jpg
1569-1586
 信長の四男として生まれ、秀吉の養子となる。備中攻めで初陣、高松城の水攻め、山崎の戦いに参加。清須会議では三法師が推された。領地分けで丹波亀山城主となる。賤ヶ岳の戦い、小牧長久手の戦いに参加。丹波亀山で病死18歳。



仙石権兵衛(秀久)
bittyu huzin 06.jpg
 1552-1614
 美濃に生まれ、斎藤竜興が敗れると信長に仕える。秀吉の寄騎になる。秀吉の最古参の家来。秀吉と共に戦い、山崎の戦い、賤ヶ岳戦い、四国攻めに加わる。淡路平定の功で5万石、四国攻めの功で讃岐1国を拝領。九州攻めでの敗北により改易。小田原攻めで復帰し57000石になる。秀吉の死後は家康に接近して、秀忠の信頼も得る。譜代並みの待遇を得る。



秀吉本陣・黒田官兵衛
bittyu huzin 10.jpg
1849-1604
 姫路に誕生、小寺政職の近習、信長への臣従を進言。姫路城代になる。秀吉に姫路城を譲り参謀として働く。宇喜多直家を調略。荒木村重に捕らえられる。小寺氏が滅び、秀吉の与力となる。1万石を得る。小牧長久手の戦い後5万石、九州攻めの後12万石。長政に家督を譲る。小田原攻めでは北条氏を説得開城させる。朝鮮の役では秀吉から処罰うける。関ケ原では長政が東軍に属して活躍、、筑前52万石。如水はその間に九州の西軍を平定する。


堀尾茂助(吉春)
bittyu huzin 08.jpg
 1543-1611
 尾張に生まれ、岩倉織田氏に使える。その滅亡により浪人。信長に仕え秀吉に付属された。武功を上げて三五〇〇石になる。水攻めでは清水の検死役をする。秀次付きの二万石の宿老となるが、おとがめはなかった。小田原攻めの後に浜松12万石になる。秀次事件には連座していない。関ケ原では東軍に属し出雲富田に24万国になる。子が無く3代で改易となる。

羽柴秀長
bittyu huzin 11.jpg
 1540-1591
 秀吉の異父弟、秀吉の補佐や名代として活躍。播磨・但馬2国を拝領。藤堂高虎を家来とする。四国攻めの功で大和を加増され100万石になる。



花房助兵衛(職秀・もとひで)
1549-1617
 宇喜多氏に従う、信長・秀吉に従属、誰れ憚ることなく諫言するタイプで身を滅ぼしそうになる。関ケ原で家康について八二二〇石を得る。


山内一豊
bittyu huzin 12.jpg
 1545-1605
 岩倉織田氏の重臣の3男として誕生。岩倉城落城で流浪。秀吉の直臣となる。姉川の戦いの功で400石、2000石を領し秀吉の中国攻めに加わる。1581年馬揃えの美談。四国平定後に秀次の宿老、長浜2万石領主、小田原攻め後に掛川5万1千石。家康の会津攻めの小山評定で豊臣恩顧の家臣衆を家康へまとめる。関ケ原後は土佐20万2600石を拝領。

2019-12-13

   城廻り
  http://hayame.net/custom27.html





posted by 速魚 at 02:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年12月09日

下津井

 
 令和1年12/16より宇高連絡船フェリ−航路がいよいよ長い歴史を閉じて廃止になる。瀬戸大橋の開通より今まで航路が維持されていたのも不思議ではある。ジュジュ繋ぎのように切れ目なく運行されていたこの航路は長い歴史を閉じることになる。

 下津井の町はかっては茶屋駅より下津井まで下津井電鉄が走っていた。下津井電鉄は茶屋駅から坂出までJR瀬戸大橋線の開業に伴い1991年に廃止される。その用地は現在は遊歩道として残る。狭軌の軽便鉄道として、かわいい電車が走っていた。


simotui map2.jpg
 下津井地図

simotui 24.jpg
 下津井電鉄 廃線跡

 元廻船問屋の建物や古い町並みが見られる。タコが有名らしくランチにタコめしを食した。コ−スだと6000円もするので手が出ない。その店主より、たこが不漁だと2か月余りも店を閉じることがある聞いた。
 
 高台に上がると瀬戸大橋を含めた海の景色が絶景である。 遊園地には勢いが見られない。どこもかしこもある昔の遊園地の感じです。


simotui 21.jpg
 廻船問屋跡


simotui 20.jpg
 下津井旧市街 1


simotui 22.jpg
 下津井旧市街 2


simotui 23.jpg
 祇園神社

 漁港には漁船がびっしりで、ゲストでヨットが訪れるには良いスペ−スがないようだ。


  2019-12-9

  下津井城
  http://hayame.net/custom27.html#spb-bookmark-657


posted by 速魚 at 03:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年12月07日

下津井城


 JR児島駅からバスに乗り下津井に行く。 瀬戸大橋が出来た時にその予算で瀬戸大橋架橋記念公園ができる。公園内というか隣接して下津井城跡がある。

 そこは眼下に下津井瀬戸をのぞみ、その瀬戸は10ノットの急流速になるという。近くの島塩飽海賊の根拠地・本島もあり、瀬戸内の海上交通の要衛である。 ここは宇喜多秀家が築城した、関ケ原後に岡山・池田藩の支城として現在のように改修された。 一国一城の令により廃城となる。 西の丸、二の丸、本丸、3の丸、中の丸、東の丸と配置され、天守があった。 石垣が残っていてその規模が知られる。

simotui 01.jpg
 下津井地図 下は下津井瀬戸


simotui 07.jpg
 下津井城図


simotui 04.jpg
  三の丸


simotui 06.jpg
 二の丸


simotui 10.jpg
 天守跡


simotui 09.jpg
 西の丸


simotui 03.jpg
 中出丸


simotui 05.jpg
 二の丸下南面の石垣


下津井は現在は瀬戸大橋の本州側の一端である。城跡からは橋や島々の景色が良い。

 
simotui 08.jpg
 城跡から眼下を望む


  2019-12-7

  下津井
  http://hayame.net/custom21.html#spb-bookmark-658





  
posted by 速魚 at 06:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年12月05日

引田・ひけた


 引田の町は小豆島から目的地の淡路島・都志へ航海するのに選んだ中継地でした。そこは徳島県にあるとカン違いしていたが、行ってみると香川県の東かがわ市にある街であった。

 歴史のある街で古い町並みが残っており、おまけに引田城もあり、満足のいくものでした。


hiketa 50.jpg
 赤丸は係留地 T字桟橋端、 赤線は町並み保存地区


hiketa 01.jpg
 T字桟橋端、 隣に2隻の養殖運搬船スペ−ス必要


 風待ちの湊として利用されたのは旧港地区で隣接した山には引田城がある。船待ちの湊ゆえ御多聞に漏れずに遊郭があったと云うが今は残っていない。 この旧地区には廻船業から戦後に機帆船の船主になった稼業が50もあったという。さすがに老生が船に乗った若いころにはそれを多く目にしたが、今は見ることが無くなった。


hiketa 53.jpg
 旧湊図、  ヨットを係留する適地は見当たらず


 古い町並み保存地区には 廻船問屋やしょうゆ業の屋敷が残る。佐野家では内部を見学できる(300円)。 外人のマニアにも引田は有名らしく、スイスからのひとりの老婦人がいた。


hiketa 54.jpg
 佐野家・讃州井筒屋・醸造業を営む、見学できる


hiketa 55.jpg
 佐野家居室


hiketa 51.jpg
 かめびし屋 醤油や


hiketa 56.jpg
 引田の町並み 


 現在の引田は「はまち」養殖が日本で初めて行われた地で、それが栄えている。港の入り口沖には大きな養殖地があり、入港には注意が必要。 老生は「養殖はまち」を食するのは好まない、それは最近ではエサの改良で「天然もの」より値が高くなっているという。漁師の数はここでは3軒しかないというけれど、養殖業者は多くある。

 大きな漁港の割にはふさわしいヨット係留地が少ない。


     2019-12-5

引田城  http://hayame.net/custom27.html#spb-bookmark-650




posted by 速魚 at 03:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年12月03日

姫路城


 姫路城は先代ヨット「速魚」を造っているとき、46年も前に2週間会社を休み高砂にあるヨットメ−カ−に通ってその製作過程を見ていた時にそこへ行きました。 当時は今のように造船所に頼んで出来上がりを待つことも出来たのですが、ヨット建造にオーナ−が立ち会う古い慣習があった。
 造船所の休日に高砂から山陽電鉄に乗り姫路に行き、姫路城を見て来ました。当時は昭和の大改修とかで、姫路城はすっぽりと足場で覆われていました。 それから半世紀、速魚Uで木場ヨットハーバーに係留して、カミさんとそこを見に行くことができました。姫路城は個人的にヨットとの縁と感じています。


himezi zyo 01.jpg
  姫路城


 平成の大改修がほとんど終わりシ−トで覆われているところも少なく、予想していた漆喰がまぶしく白っぽい印象ではなく、程よい白さであった。


himezi zyo 02.jpg
 総構の姫路城モデル


 駅前から大通りをまっすぐ歩くと姫路城である。駅近くまで外曲輪があったようだがビルが立ち並んでいて面影はない。
 西国街道が城内を通っていてそこに中濠があり石垣が残っている。


himezi zyo 03.jpg
 車が通っているのが西国街道 中濠の石垣  本陣があった。


 大手門前には「い・ろ・は・に」と名称をつけた土産物店が並ぶ。ここから橋を渡って大手門を抜け、いよいよ姫路城だ。

himezi zyo 04.jpg
  大手門


 1000円を支払い、菱の門をくぐる、皆は天守方面に向かったが、左へ折れて西の丸へ向かう。


himezi zyo 05.jpg
 菱の門


himezi zyo  06.jpg
 西の丸図


 西の丸見学入り口でビニ−ルを借りて靴を入れて、長い渡り廊下を歩き化粧櫓の出口まで歩く、ここは秀頼の妻であった2代将軍秀忠の娘千姫が池田家へ再婚して、ここに暮らしたところであるという。この廊下の一室に暮らしたのではなく庭の中に御殿が建っていたのであろう。 天守よりもこの一角のほうが個人的には昔の城らしく感じた。
 ここから天守に向かう。


himezi zyo 07.jpg


 菱の門からは「い・ろ・は・に・ほ」の防御に趣向をこらした門をくぐり天守に出る。
姫路城は一回では堪能できず、搦手方向からも行ってみたいものです。


himezi zyo 08.jpg
 備前丸からみた天守


 天守内は他によくある展示物が少なく現存をそのまま良く見ることができる。老人には階段がどこの城も急こう配なので苦労するが、ここは中央にも手摺があり助かった。

 余談だが名古屋城ではエスカレ−タ−が有り建て替える際に問題になっているが、オリジナル重視が大事なことなので昔無かったものは再現できない。 バリアフリ−の問題は特別な日を設定してボランテイアに援助してもらい見学をしてもらう工夫が必要でしょう。

 現在の姫路城は池田輝政が主な形をつくったのだが秀吉や黒田が城主の時代があった。古い黒田官兵衛の石垣も残る。


himezi zyo 09.jpg
 黒田菅兵衛の石垣

   2019-12-3

  城廻り
  http://hayame.net/custom27.html


  

posted by 速魚 at 02:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年12月02日

速魚のモンテヴェルデイ全集 作成開始


 monteverdi.jpg
 1567-1632

  モンテヴェルデイ全集を作成開始しました。 聞きながらの作成ですので、大分時間がかかると思います。  順次更新していきます。

  モンテヴェルデイ全集 その1

  SV1-93 
   3声のカンツオネッタ
   5声のマドリガ−レ集 1巻‐4巻

  http://www.hayame.sakura.ne.jp/99_blank047.html

   2019-12-02


posted by 速魚 at 07:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年12月01日

牛窓

 

 牛窓へは今回の秋のクル−ジングでは2回寄港する。 徒歩20分位で牛窓旧市街を訪れた。 岡山藩の海の玄関口で岡山までの街道があったという。


usimado  01.jpg
 牛窓ヨットハーバー  ゲストバ−ス  中央奥のビルがホテルリマ−ニ

 リゾ−トホテルのリマ−ニ近くから旧市街に入る。 町並み保全が遅かったのか旧町屋が続いてあるわけではない。灯台や醸造業、造船街などが残る。


usimado 02.jpg
 牛窓旧灯台


usimado 03.jpg
 醸造業跡



usimado 04.jpg
 牛窓旧市街


 牛窓も小豆島のオリ−ブのようにエ−ゲ海を売り物にしたいようだが、小豆島のように知られて広まってはいないように見えた。。


   2019-12-1

 船中発策HP
 http://hayame.net/index.html







posted by 速魚 at 05:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年11月29日

備中高松城



 高松城や松山城というと香川県や愛媛県にある四国の城だと思っていました。最近に岡山にあるそれぞれ備中の付く城を訪ねました。 秀吉の水攻めで有名な高松城は備中にある。

 そこは岡山からJRももたろう線(吉備線)に乗り備中高松駅にて下車、徒歩10分あまりです。


bittyuutakamatu zyo 01.jpg
 備中高松城図


 備中高松城は今では田んぼの中にある場所で案内板が無ければ通り過ぎてしまうようなところです。 蔵造りの資料館があり、館内には城主の清水公の像があった。


bittyuutakamatuzyo 06.jpg
 資料館にある城主清水宗治像


bittyutakamatu zyo 02.jpg
  案内板  蔵は資料館

bittyuutakamatu zyo 03.jpg
 本丸跡


bittyuutakamatu zyo 04.jpg
 2の丸跡


bittyuutakamatu zyo 05.jpg
  3の丸跡


 ここの城は土塁によって構成されていた関係で石垣の残った城跡ではない。秀吉は黒田孝高の進言で堤防を築いて水攻めをしたのだが、公園になった堰き止め跡が残る。


bittyutakamatu zyo 08.jpg
 高松城水攻め築堤跡


 付近に切腹した城主清水氏の殉死した家臣の「ごうやぶ遺跡」がある。


bittyuutakamatu zyo 06.jpg
 ごうやぶ遺跡

ヨットで行く城巡り


   2019-11-29

  城廻り
  http://hayame.net/custom27.html




posted by 速魚 at 06:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年11月27日

小豆島バス一周


 小豆島池田港にヨットで立ち寄りました。 自転車で小豆島一周を考えましたが、カミさんとの同行でしたのでそれを断念する。 路線バスで一周することにしました。

 小豆島の中心は土庄(とのしょう)のようなので、まず池田港フェリ−乗り場(池田−高松便あり)よりそこへバスで向かいました。一日乗り放題券を購入。バスにリュックを忘れる失態を演じたが、終点ゆえにほどなく見つかりました。事務の方が親切な対応のおかげです。小豆島は離島のバスとは違うようで、バス代が安い。1時間乗っても300円です。一周しても二回で600円ですので、乗り放題券1000円は有難味が少ない気がする。ここではバス便しかないので料金が抑えられているのでしょう。

 土庄には岡山−土庄フェリ−便などがあり、にぎわいのある町です。観光案内所で小豆島のバス便情報を手に入れる。近くで世界一狭い海峡や大阪城築城の残石を見る。

shoudosima 02.jpg
 小豆島路線バス一周


 福田へ行くバス便には南北の二系統がある。はじめに南周りにのって福田へ着く。ここは姫路よりのフェリ−が就航している。関西からは福田、中国地方からは岡山から土庄、四国からは高松より池田へと各地方より船便は振り分けて就航している。

 福田からの北回り便は二時間に一本位のバス便ゆえ近くを散策した。終点の小豆島中央病院で乗り換えてオリ-ブ園公園に行く。ここには温泉施設があり、ゆっくりとお湯を堪能した。ヨット旅行にはお風呂施設はありがたいものだ。この公園下から二四瞳で有名な映画村行の船便があるが、今回はそこへは行けなかった。

 バスで一周してみて自転車で行かなくて良かった。実際に若いサイクリストを車窓から目にしたが、きっちりスタイルを決めた人々で、本格的に自転車を愛好している人だと思われる。急な登り坂が多く、老人のチャリンコ乗りでは途中で投げ出すことになったであろう。


shoudosima 03.jpg
 池田港近く、 これは城の石垣ではないがこの上に池田城があったという


shoudosima 04.jpg
 土庄近く、 ギネスに認定された世界一狭い海峡


shoudosima 06.jpg
 大阪城築城の折に石が切り出された。 採石場や残石が島内に多くある


shoudosima 05.jpg
 福田港  姫路へのフェリ−がある


shoudosima 11.jpg
 福田港近くの箕田八幡神社 応神天皇・神功皇后などが祀られている



shoudosima 10.jpg
 オリ−ブ公園にある温泉施設

   2019-11-27



posted by 速魚 at 05:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年11月25日

都志 (つし)


 高田屋嘉兵衛の生誕地を訪ねる


 淡路島の西岸にある都志にヨットで訪ねました。 そこは、ここらあたりの海岸にひとつだけと云う大型風力発電機があるところで、最初からそれを知っていたなら,遥か沖合から見られたので、都志へのナビゲ−ションは容易であったろう。

 今回のクル−ジングの目的地であり、そこは司馬遼太郎「菜の花の沖」の主人公・高田屋嘉兵衛の誕生育った土地であった。 ああ、火曜日で資料館と記念館2つとも休館日で見ることはできなかった。働き方改革の今休みは大切だが、図書館と違い司書の専門職の人間が必要なわけではないこれらの施設はシルバ−の人でも配置して開館できないものでしょうか。それとも全国で統一してこれらの施設の休みを決めてほしいものです。月・火・水曜日あたりに散らばっていて要注意です。

 公園内にある温泉施設は休みでなかったので、ヨットの旅の汚れを洗い流すことができたのは幸いでした。

tusi 02.jpg
 風力発電機


tusi 03.jpg
 ゴロ−ニン提督と高田屋嘉兵衛の像


tusi 04.jpg
 休館中の菜の花ホ−ルにあったポスタ−


tusi  05.jpg
 高田屋嘉兵衛旧宅  洲本市五色町支所に隣接


tusi  06.jpg
 貨幣が10年間築いた築港防波堤の跡


  2019-11-25

  塩野七生
  http://hayame.net/custom26.html



  


posted by 速魚 at 04:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年11月24日

更新 ヨットマンのための海の駅と泊地


  ヨットマンのための海の駅と泊地 を更新しました。

  http://hayame.net/custom11.html#spb-bookmark-41

      2019-11-24
posted by 速魚 at 07:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年11月23日

引田城(ひけた)



 ヨットを引田港に係留したので、引田城を訪れた。登山口も二か所整備されているが、港より遠いオ−トキャンプ場方面の登山口が登りやすいようだ。

 高松城の支城であった引田城と丸亀城である。引田城は1615年・元和元年に一国一城令で廃城となる。 室町時代より城はあったが、秀吉の四国征伐の功で仙石秀久がこの城主となる。仙谷は九州征伐の戸次川の戦いで敗れ改易される。その後に生駒親正がここへ入城して織豊系の城として現存する引田城をつくる。

 引田は風待ちの港として利用されて、その守りとして引田城は港と隣接する80mの山に存した。 丸亀城は天守も現存して威容を誇るが、引田城は一部に石垣が残るが忘れ去られた城となった。


hiketa 02.jpg
 引田城図


hiketazyo 01.jpg
 引田旧港・風待ちの港より引田城を望む


hikita zyo 02.jpg
 旧港近くの引田港側登山口


hikita zyo 03.jpg
 本丸


hikita 05.jpg
 天守付近 案内板がない


hikita 04.jpg
 北二ノ丸にある石垣 補修中で青いシ−トが掛かっている


 天守の案内板が見つからないなどもう少し見せる工夫が必要でしょう。 旧市街に比べて訪れる人は少ない。 天守を再興したり、大手口の整備をすればもっと観光資源のひとつになれそうな気がします。


   2019-11-23

  引田
  http://hayame.net/custom21.html#spb-bookmark-656





posted by 速魚 at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年11月21日

2019年 秋のクル−ズ


 東瀬戸内海をクル−ズしました。

 10/19  倉敷着
 10/20 より 整備 バッテリ−交換等
 10/24  雨のため 備中高松城 見学
 10/25-28 道板製作
 10/29  プロペラにカキ多し判明、 潜って一部取り除く
 10/30  上架してペラクリン塗装
 10/31  倉敷−北木島 メンセ−ルをロフトに持っていく
 11/1   北木島−倉敷
 11/2  整備
 11/3  ジブセ−ル補修
 11/4  カミさん到着
 11/5  下津井旧街、下津井城 見学
 11/6  メンセ−ルリペア到着設置
 11/7  倉敷発-牛窓ヨットハーバー  旧市街 見学
 11/8  牛窓-小豆島池田泊
 11/9  小豆島 見学
 11/10  小豆島−引田着
 11/11  引田旧市街、引田城 見学
 11/12  引田発−都志着「淡路島」 高田屋嘉兵衛記念館休館中
 11/13  都志発―木場ヨットハーバー「姫路」着
 11/14  姫路城 見学  カミさん帰る
 11/15  木場発−牛窓ヨットハーバー着
 11/16  牛窓発−倉敷着
 11/17  旧オ−ナ−と坂出で会う
 11/18  整備
 11/19  帰着

ほぼ1か月の期間でしたが、整備に時間をとられすぎました。 今までの記憶と違い、最近はこの台風明けのシ*−ズンは良い天候が続きクル−ズには最適な季節と言えます。 かっては11月は季節の変わり目で悪天候であったような気がしていました。

  tusi 01.jpg

  2019-11-21

  2019年九州周航
  http://hayame.net/custom11.html#spb-bookmark-582



  

posted by 速魚 at 09:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年11月20日

ウィンドサーフィンで初めて大西洋を横断した男 その3 〜セルジオとトムの冒険

イビサ物語〜ロスモリーノスの夕陽カフェにて  佐野

 
 マイケルは、セルジオの伴走を終えた後、アゾレス諸島を経由して、自分のヨットでイビサに戻る予定だったから、病身?で気力が失せたセルジオの回復を待ち、ヨットのセールをたたみ、定点で大西洋を漂っているわけにはいかなかった。4月の観光シーズン開幕までに、なんとしてもイビサに帰らなければならなかった。
オランダ人の彼女によれば、セルジオがボードに乗ったのは初めと終わり、途中で天気の良い時だけよ…ということになるのだ。お人好しのマイケルはセルジオの口車にマンマと乗せられたことのようだ。
日曜版新聞“サンデー・タイムズ”が主催した第1回目の単独ノンストップ世界一周ヨットレース(The Sunday Times Golden Globe Race;1968-1969)、当時としては斬新なトリマラン(船体の両側にフロートを付けたヨット)で出場したドナルド・クローハースト(Donald Crowhurst)が、アルゼンチンの湾に船をつけ、いかにも世界一周しているかのようにハム無線で交信し、他のヨットがケープホーンを回り大西洋を北上しイギリスに向かい始めた頃を見計らって、ドナルドがセーリングを開始した事件があった。
誰も観ている人がいない冒険、競技は、冒険を行なう者の厳しい自己規制が求められる。アラン・ボンバール(Alain Bombard)がゴムボートで、全く外からの助けなしに大西洋を横断したように、すべて独自で、外界から切り離して行うのでなければこのような冒険の意味はない。


ibiza wind 30.jpg
 カリブ海の英連邦王国の島、Saint Lucia(セントルシア)

ibiza wind 31.jpg
 オランダ王国の構成国、Aruba(アルバ)

 マイケルはカリブの島、セントルシアでセルジオを降ろし、すぐにアンティグアに向かい、そこのマリーナにヨットを預け、飛行機でイギリス経由、イビサに戻って来たのだった。 
その後、セルジオがどこで何をしているのかは知らない。キュラソー、アルバ(旧オランダ領のカリブの島)で、ウィンドサーフィンで大西洋を渡った男を売りにして、観光客相手のウィンドサーフィン・インストラクターをやっているとも耳にした。
 後年、私が服部と中古のヨットを買い大西洋を横断した時、マイケルは親身になって、どこでどのような食料を仕入れるべきか、大西洋の向こう側では、どこの島の港が入りやすく、手続きも簡単であるか、などなど事細かく教えてくれた。

著者注:その後、ウィンドサーフィンで大西洋を渡った人が続出した。1993年にはTrans-Atlantic Windsurfing Race (TAWR).が発足し、伴走の船で寝、食べ、休息することが認められるようになった。どうにも、私のセルジオに対する評価は厳し過ぎたきらいがある。だが、常にサポートのヘリコプターが頭上を舞い、救援物資の投下を受けながらの極点旅行のような冒険に意味がないように思えるのと同じように、いつも伴走の船で寝て、食べて大洋を渡ることを、ウィンドサーフィンで大西洋を渡ったと呼べるのかどうか、私は認めたくない。》

 十数年後、プエルトリコのマリーナでヨット暮らしをしていた時、大きなピンポンボールに奇妙なセールを揚げた浮遊物が私のヨットに横付けしてきた。

ibiza wind 33.jpg
 大西洋単独横断最小ヨット“BEATLES”とトム

 半球型のドームを開けて、ガリガリに痩せた男が這い出てきて、大西洋を90何日かけて渡ってきたと言うのだ。私たちの重く、遅いクルーザーで23日かかった距離をだ。彼はビートルズと同じリバプールの出身で、ヨットとも呼べない浮遊物も名付けて『ビートルズ』、これぞ本物の海のカブトムシようだった。
その当時、ギネスブックものの“大西洋を渡った一番小さな船”だったが、出迎えの人影すらなかった。数日後、プエルトリコの英字新聞に小さな記事が載っただけだった。
彼、トム・マックニールは、背筋を伸ばして寝ることもできない長さの船でタダひたすら漂うように大西洋を渡ってきたのだ。水は当時出始めていた手動ポンプ式のリバースオスモシス(Reverse Osmosis;RO)浄水器で海水を純水にし、食料はフリーズドドライ、後は釣った魚……。一体、人間はどこまで狭い空間と厳しい条件に耐えられるかの人体実験に挑戦しているようなものだ。
私たちは彼をヨットに呼び、たしか簡単なスパゲッティーをご馳走し、サンミゲール(ビール)とワインで到着を祝った。その間、トムは何かに憑りつかれたように喋りまくり、何を飲み、何を食べているのかさえ分からない様子だった。
 それにしても、これほど聞き取りにくい英語、これが一体英語なのかと思うほど、彼が息せき切って話すことが分からないのには閉口した。そして、それが10時間以上続いたのだった。やっと彼はイギリスの家族に無事到着の旨を電話することを思い出してくれたのだった。
電話を借りるためマリーナオフィスに同行したが、当然オフィスは閉まっており、マリーナから歩いて15分ほどの距離にあるリゾート地区、イスラ・ヴェルデの大きなホテルに連れて行き、そこからやっと電話したのだった。
 トム・マックニールの船は、もしアレを船と呼ぶなら、何度もの試行錯誤の上、自分でデザインし、自分で作ったとても頑丈な浮遊体だった。キールもそれなりに重く深く、転覆、一回転しても起き上がるようにできていた。実際、トムは何度も回転したそうで、まるで洗濯機のドラムの中にいるみたいだったと言っていた。
セルジオの派手な売名行為、スタンドプレイとトムの冒険は比較するのもバカらしい程の差がある。私は偶然から“ウィンドサーフィンで大西洋を渡った初めて?の男”セルジオの出発と“最小?のヨットで大西洋を渡ってきた”トムの到着に居合わせただけだ。
 トムの冒険は、船を作ることに始まり、艤装(装備などの取付)、何から何まで彼自身が作り上げたものだ。こんな小さなヨットとも呼べないモノで大西洋を渡ることにどんな意味があるのだ、何のために…何の価値があるのだ、と問うのはチャレンジ精神や冒険心を持たない者の言うことだ。
トムの航跡はすべて彼独自のものだ。トムが漂った大西洋の1マイル、1マイルは彼の足跡そのものだ。私はそこに貴重なモノを見るのだ。人間は(と大きく出ましたよ)、自然と、そして周囲の他の人間と係わり合いながら自己を築き、歩んでいくものだ。その時に独自性、最低限の自足が基本になるのではなかと思う。独立していない人間には、本当の意味での自由がない理屈だ。さらに、チト理屈っぽくなってしまうのだが、“自由とは自分自身であろうとする意思だ”と思うのだ。

 イビサ物語から離れたエッセーになってしまったが、こんなこともイビサに棲んで多くの人を見て、知り合って学んだことだ…と今にして思う。

    2019-11-20




posted by 速魚 at 17:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年10月18日

ウィンドサーフィンで初めて大西洋を横断した男 その2


イビサ物語〜ロスモリーノスの夕陽カフェにて 佐野


ウィンドサーファーのセルジオ一行と言うべきか、スポンサーの一人になっている『エル・モノ・デスヌード』のオーナー、マイケルのグループと呼んだ方が当たっているような気がするのだが、彼らは数種類のボードやハーネス、リグをテストするため、頻繁にロスモリーノスのビーチを訪れるようになった。

さすがに、私は彼らと一緒に初心者用のボードに小さいセールで海に乗り出すことはしなかったが、野次馬の一人として、セルジオの長く大きな浮力を持たせたラウンドビルジ(底が半円形に丸くなっている)のボードをテストするのを眺め、薄手のウェットスーツや上半身だけ被うドライスーツを、ホウ、そんなものがあるのかと感心し、呆れて見ていた。

セルジオはゴロタ石の海岸など全く問題にせず、クルブシほどの深さから、スイッとボードを押し出し、そのままマストを立て、風を上手くセールに孕ませ、アレヨという間に沖に出るのだった。セルジオがウィンドサーフィンを操るサマはアクロバットのようだった。
まるでボードにジェットエンジンを積んでいるかのようにボードのテイルフィンだけが海面に触れ、飛ぶように走らせるのだ。タックやジャイブもヒラリ、ヒラリと軽々と新体操の選手が棒の先に付いた長いリボンを操るように舞い、即座にスピードに乗るのだった。私はただただアッケにとられて観ていた。

その時、私自身、後年ヨットで大西洋を渡ることになるとは想像もしていなかったので、セルジオとサポート船としてヨットで伴走するマイケルに、そんなことができるんだと、ひたすら感服した。


ibiza 89-1.jpg
へレス産の最高級ブランデー、Sanchez Romate


『カサ・デ・バンブー』で彼らはサンミゲル・ビール(San Miguel)に始まり、赤ワインはマルケス・デ・ムリェタ(Marqués de Murrieta)に突き出しのチーズ、そしてコーヒーにコニャック、ブランデーはカルロス・プリメーロ(CarlosT)かサンチェス・ロマテ(Sanchez Romate)で、いつも高級ワインとコニャックを開けた。今気づいたことだが、支払いはいつもマイケルがしていた。


セルジオが出発する前の夜には、盛大な壮行会がディスコ『パチャ(Pacha)』でやるからとマイケルに誘われた。私は店を閉めるわけにもいかず、パーティーには行けなかった。翌日の新聞“ディアリオ・デ・イビサ(DIARIO DE IBIZA)”が写真入りで報じたのを観ただけだった。


翌朝、セルジオが出港というのだろうか、イビサを離れる時には、見送りに行った。丁度その時、日本から大学時代の朋友、服部が来ていたので、一緒に出発前の記念撮影に収まったのだった。


ibiza 89-2.jpg
左端、ピンクのTシャツがマイケル、ブームに跨っているのがマイケルのガールフレンド、
ウエットスーツ姿がセルジオ


見送りは至って簡素だった。“ディアリオ・デ・イビサ”の記者、カメラマンは昨夜のバカ騒ぎパーティーで充分だと思ったのだろうか、来ていなかった。それどころか、スポンサーのウィンドサーフィン・メーカーもディスコの『パチャ』の関係者もいなかったと思う。


マイケルのヨットが機送で岸壁をゆっくりと離れ、セルジオもウィンドサーフィンの鮮やかなイロドリ、まるで広告塔のようにスポンサーの名前を貼り付けてあるセールを見せながら港を一周し、ヨットの周りをヒラリヒラリと舞いながら、遠ざかって行った。


冷静に考えれば、大西洋を横断するのにイビサを基点にするのはオカシイことに気づいてもよいはずだった。出発は当然、ジブラルタル、もしくはカナリー諸島のどこかになるべきだ。それにセルジオがいくらウィンドサーフィンのエキスパートだったにしろ、水、食料をサーフボードに積むことは不可能だし、それに睡眠はどう取るのだ? 私には冒険の基本、海の常識すら思い浮かばなかったのだ…。


第一に、ウィンドサーフィンとヨットではスピードが違いすぎることさえ気が付かなかった。なんとなく、同じ風で走るのだからセルジオがウィンドサーフィンを滑らせるすぐ脇をマイケルがヨットを走らせる光景を想像していたのだった。これは、ドーバー海峡を泳いで渡る人に合わせた遅いスピードで小さなパワーボートが伴走するのとは全く逆で、ウィンドサーフィンの方は容易に15ノット、20ノットのスピードでセーリングできるが、マイケルのクルーザーは順風満帆でも7、8ノット、最速でも10ノットを超すことはない。ウィンドサーファーは文字通り、アッと言う間に伴走ヨットの視界から消えることになるのだ。


翌年の春、セマナ・サンタ(復活祭;イースター)の前に、イビサに戻り、シーズン幕開けの準備をしている時、マイケルと出会った。セルジオのことを訊ねると、「アイツのことは話したくない…」と言うだけだった。


どうにも名前を思い出せないのだが、見送りの写真に写っている金髪で水色のTシャツを着ているオランダ女性とピーターのテニスコートのオープンパーティーで会い、その後何度かテニスの相手になってくれた。その時、彼女からセルジオのことを訊いたのだ。


彼らはアリカンテ、マルベーヤ、ジブラルタルに寄航し、カナリア諸島のテネリッフェから大西洋横断に乗り出した。契約とも呼べない約束では、食料、水はマイケルのヨットが供給し、夕暮れとともにセルジオはヨットに乗り移りそこで寝る、ヨットはセールを降ろし、定点に留まり(海流と貿易風にかなりの速さで流されるから、こんなこと、定点に止まることなど不可能なのだが…)、翌朝、日の出とともにセルジオはウィンドサーフィンを続ける……ということになっていたそうだ。


果たしてこんなヤリカタで大西洋を渡ることに何の意味があるのか分からないしろ、そんな風に大洋を渡る約束だった。ところが、セルジオは体調が悪い、胃腸の調子が良くない、筋肉がつる、風邪気味だと、何のかんのと言い出し、ヨットを降りてウィンドサーフィン・ボードに乗り移らなくなってしまったと言うのだった。

ibiza 89-3.jpg

ibiza 89-4.jpg
カナリア諸島の島、テネリッフェ
-…つづく


 バックナンバー


2019-10-18



posted by 速魚 at 05:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年10月16日

中小企業基本法が諸悪の根源

 


  日本では法律の改正が行われると、改正前に存在したものは変えられることなく既得権として、以後もそれは存在します。 それはいつまでも改革されることなく存立していくことになります。 このことが一気に変革できなくて変われない日本ということです。 時限を区切ってでもそれを変えようとすることすらありません。

 アトキンソンさんのいうように、競争力の無い企業が賃金を上げないということのみで存続して、いつまでも購買力が上がらず、30年間の停滞を招いたのでしょう。 この間に日本は1割の賃金低下、先進国は1.8倍の上昇。倍近くの差になったわけです。インバウンド盛況のこの頃ですが、かっての欧州におけるEC加入前のスペインと日本は同じ状態ですね。 すなわち、観光客が安くておいしい食べ物がある地スペインとして英国人・フランス・ドイツ人が訪れるわけです。 安くておいしい和食の地ニッポンです。 今では、 欧米のランチの価格を知るとびっくりします。それでは私たちはとても食べられません。 日本はこのような位置まで来てしまいました。


atokinson 02.jpg
  この法律が日本を「生産性が低すぎる国」にした
    デービッド・アトキンソン 2019/10/03 07:30

  https://toyokeizai.net/articles/-/305116  リンクが切れないように下記に転載させていただきました。


 「町のラーメン屋が多すぎるといって10軒を1軒にまとめたところで中国には勝てません」
 私の主張はまったく違います。今は10軒のラーメン店の裏に10社の企業があるので、10軒のラーメン店をそのままにして、それを所有している企業を2、3社にまとめようということです。

 日本の生産性が低いのは「働き方」の問題ではない

 さて、日本の生産性が一向に上がらず、デフレからも脱却できないという厳しい現実に対して、これは日本人に働き方に問題があるからだと主張する方たちが多くいらっしゃいます。
 日本人はすばらしい能力をもっているのに、働き方が悪いのでその実力が引き出されていない。だから働き方を変えれば景気もよくなっていく、というのが彼らの主張です。
 しかし、経済分析の世界では、これは「願望」というか、まったくの見当外れな分析だと言わざるをえません。これだけ大きな国の経済が「働き方」程度の問題によって、20年も停滞することなどありえないからです。
 では、何が日本の生産性を低くさせているのでしょうか。これまで30年にわたって、日本経済を分析してきた私がたどり着いた結論は、「非効率な産業構造」です。高度経済成長期から引きずっている時代錯誤な産業政策、非効率なシステム、科学的ではない考え方などが日本の生産性を著しく低下させているのです。
 ただ、日本国内ではこのような意見を掲げる人はほとんどいらっしゃいません。政治家、エコノミスト、財界のリーダーたちの大多数は経済低迷の要因を、「産業構造」に結びつけず、ひたすら「労働者」へと押し付けています。
 このあまりに”残念な勘違い”を象徴しているのが、「働き方改革」です。
 残業を減らし、有給休暇を増やす。女性にも高齢者にも、働きやすい環境を作る。そうすれば、労働者のモチベーションが上がって、これまで以上によく働く。その結果、会社の業績も上がるので景気がよくなる。
 驚くほど楽観的というか、ご都合主義な考え方です。繰り返しますが、この程度の施策で巨大国家の経済が上向くのなら、日本はとうの昔にデフレから脱却しています。20年も経済成長が滞っているという事実こそが、労働者個人の頑張りでどうにかなる問題ではないことを雄弁に物語っているのです。


 日本に欠けているのは「徹底した要因分析」だ


 そこで次に疑問として浮かぶのは、なぜこうなってしまうのかということでしょう。なぜ表面的な経済議論しか行われないのか。なぜ国の舵取りをするリーダーや専門家から、泥縄的な解決策しか出てこないのか。
 1つには、日本では「徹底的な要因分析」をしないという事情があります。この30年、多くの日本人と議論を交わして気づいたのは、経済の専門家を名乗る人たちでさえ、起きている現象についての知識はすごいものの、その原因を徹底的に追求することはほとんどありません。原因の説明は表面的な事実をなぞるだけで、「なんとなくこういう結論になるだろう」と直感的な分析をしているのです。
 どういうことかわかっていただくため、多くの識者が唱える「女性活躍で生産性向上」という主張を例に出しましょう。
 生産性の高い先進国では女性活躍が進んでいるという事実があります。一方、生産性の低い日本では、女性活躍が諸外国と比較して際立って進んでいないという、これまた動かしがたい事実があります。この2つの事実をもって、専門家たちは、日本も諸外国並に女性に活躍してもらえば、諸外国並に生産性が向上するに違いない、と主張しているのです。
 確かにそういう理屈も成り立つかもしれませんが、実はここには大きな落とし穴があります。「日本の女性活躍が諸外国と比較して際立って進んでいない」ということの要因を分析できておらず、「日本は伝統的に女性が蔑視されている」「働きたくても保育所が不足している」という、なんとも大雑把な話しか語られていないのです。
 このあたりの要因分析を徹底的に行えば、「保育所さえあれば女性が活躍できる」という極論がいかに表面的な分析に基づく主張かということは明白です。
 海外の要因分析では、女性が活躍できていない国は、労働人口の中で、規模が小さくて経済合理性の低い企業で働く労働者の比率が高いという傾向があることがわかっています。
 これは冷静に考えれば当たり前の話です。小さな企業は産休や育休、時短などの環境整備が難しいので、どうしても女性が働き続けることのハードルが高くなるのです。これが一次的な問題です。女性を蔑視する価値観や保育所の数などは、あくまで二次的な問題にすぎません。
 当然ながら、まずは女性が活躍できる産業構造に変革した後で、具体的な環境作りに取り組むべきです。しかし、一次的な問題を解決せずに、二次的な問題を解決するだけでは、根本的な解決にはなりません。つまり、女性活躍というのは、女性蔑視うんぬんや保育所の数という二次的な問題より、その国の産業構造によって決まるというのが世界の常識なのです。
 このような要因分析をロクにしないまま「女性活躍」を叫んで、働くように女性の背中を押しても、生産性向上につながるわけがありません。
 これは同じく生産性向上が期待されている「有給休暇」についてもまったく同様です。
 生産性が高い国では、有給休暇取得率が高い傾向があります。そして、日本は有給休暇取得率が低いということで、これを高めていけば、生産性も上がっていくだろうというわけです。しかしこれを本気で進めるのならば、そもそもなぜ日本の有給休暇取得率が低いのか徹底的に要因分析をしなくてはいけません。
 日本では、「日本人の真面目な国民性が関係している」「日本は集団主義で職場に休みにくい雰囲気がある」と、これまた直感的な理由しか出てこないでしょうが、海外では「有給取得率は企業規模と関係する」という要因分析がなされています。大企業になればなるほど有給取得率が上がり、小さな会社になればなるほど下がることがわかっているのです。この傾向は万国共通で、日本も例外なく当てはまります。
 つまり、アメリカの有給取得率が高いのはアメリカ人の国民性ではなく、単にアメリカの労働者の約50%が大企業で働いているから。日本の有給取得率が低いのも日本人の国民性ではなく、単に日本の労働者の中で大企業に勤めている人が約13%しかいないからなのです。
 長く分析の世界にいた私からすれば、国民性うんぬん、労働文化うんぬんというのは、科学的な分析から目を背けて、自分たちの都合のいい結論へと誘導していく、卑劣な論法だと言わざるをえません。


 日本の低迷の主因は伸びない中小企業


 さて、このように日本の専門家があまりしてこなかった「要因分析」というものを、日本経済を低迷させている諸問題に対して行っていくと、驚くべきことがわかります。
 実は日本経済の低迷も、女性活躍や有給取得率でもそうだったように、最後は必ず「小さな企業が多すぎる」という問題に突き当たるのです。低賃金、少子化、財政破綻、年金不足、最先端技術の普及の低さ、輸出小国、格差問題、貧困問題……さまざまな問題の諸悪の根源を容赦なくたどっていくと、「非効率な産業構造」という結論にいたるのです。
 それはつまり、日本が他の先進国と比べて、経済効率の低い小さな企業で働く人の比率が圧倒的に多く、そのような小さな企業が国からも優遇されるということです。実は日本は、生産性の低い「中小企業天国」と呼べるような産業構造になっているのです。
 このような話をすると、「小さな企業が多いのは日本の伝統で、普遍的な文化だ」とこれまた漠然とした主張をする人たちが多くいらっしゃいますが、実はこれも表面的な分析に基づく”残念な勘違い”なのです。
 歴史を振り返れば、小さい企業が多いのは日本の普遍的な文化だと言えるような客観的事実はどこにも見当たりません。むしろ、ある時期を境にして、現在のような「他の先進国と比べて小さな企業で働く人の割合が多すぎる」という産業構造が出来上がっていったことがよくわかります。
 では、その時期はいつかというと、「1964年」です。
 この年、日本はOECD(経済協力開発機構)に加入しましたが、その条件として突きつけられたのが、かねてより要求されていた「資本の自由化」でした。当時の日本では、資本が自由化されれば外資に乗っ取られるかもしれないという脅威論が唱えられ、護送船団方式など「小さな企業」を守るシステムが続々と整備されました。つまり、1964年というのは、日本を「低生産性・低所得の国」にした「非効率な産業構造」が産声を上げたタイミングなのです。


 日本を「生産性の低い国」にした中小企業基本法


 そして、この「1964年体制」を法律面から支えたのが、前年に制定された中小企業基本法です。
 同法は当時、「中小企業救済法」とも言われたほど、小さい企業に手厚い優遇策を示したものです。同時にその対象となる企業を絞り込むため、製造業は300人未満、小売業は50人未満とはじめて「中小企業」を定義しました。
 しかし、これが逆効果となってしまいます。優遇措置を目当てに、50人未満の企業が爆発的に増えてしまったのです。
 中には、企業規模を拡大できるにもかかわらず、優遇措置を受け続けたいということで、50人未満のラインを意図的に超えない中小企業まで現れてしまったのです。非効率な企業が爆発的に増え、なおかつ成長しないインセンティブまで与えてしまいました。
 中小企業を応援して日本経済を元気にしようという精神からつくられた法律が、優遇に甘えられる「中小企業の壁」を築き、「他の先進国と比べて小さな企業で働く労働者の比率が多い」という非効率な産業構造を生み出してしまったという、なんとも皮肉な話なのです。
 それでも1980年代までは人口が増加し続けたため、経済も成長を続けました。しかし1990年代に入り、人口増加が止まると、この生産性の低い非効率な産業構造の問題が一気に表面化してきました。
 ちなみに、日本の生産性を議論する際に必ず出てくるのが、日本では製造業の生産性が高く、サービス業の生産性が低いという事実です。この現状を説明するためによく言われるのが「日本人はものづくりに向いている」「サービス産業の生産性が低いのは『おもてなし』の精神があるからだ」という”神話”のような話ですが、実はこれも非効率な産業構造ですべて説明ができます。これもまた、単に中小企業基本法の影響なのです。
 この法律で、中小企業が製造業では300人未満、その他は50人未満と定義されて以降、日本ではこれに沿うような形で企業数が増えていきました。その影響もあって、製造業はどうしても他の業種よりも規模が大きくなりました。
 規模が大きければ生産性が高くなるというのは、先ほども申し上げた経済学の鉄則のとおりです。一方、日本のサービス業は圧倒的に規模の小さな事業者が多く乱立しているという事実があるので、当然、生産性は顕著に低くなるというわけです。
「守りに特化」した経営は暴走していく
 「1964年」と聞くと、ほとんどの日本人は東京オリンピックを連想すると思います。そしてここをきっかけに、日本人が自信を取り戻し、焼け野原から世界第2位の経済大国へと成長していく、というのが小学校の授業などでも習う「常識」です。
 しかし、現実はそうではありません。
 オリンピックの前年からすでに景気は減退していました。急速なインフラ投資の反動で、オリンピック後の倒産企業数は3倍にも急増しています。1964年からの「証券不況」も事態をさらに悪化させて、被害拡大防止のために日銀は公定歩合を1%以上下げました。しかしこれも焼け石に水で、1965年5月には山一證券への日銀特融を決定し、同年7月には、戦後初となる赤字国債の発行も行いました。
 この不況が、「資本の自由化」が引き起こす「外資脅威論」にさらに拍車をかけます。「乗っ取り」や「植民地化」という言葉にヒステリックに反応するうち、やがて財閥系や大手銀行系が手を取り合い、買収防止策として企業同士の持ち合いも含めた安定株式比率を高めていきます。1973年度末の法人持株比率はなんと66.9%にも達しました。
 この「守り」に特化した閉鎖的な経済活動が、護送船団方式や、仲間内で根回しして経営に文句を言わせない「しゃんしゃん株主総会」などを定着させて、日本企業のガバナンスを著しく低下させていったことに、異論を挟む方はいらっしゃらないのではないでしょうか。
 このようにとにかく「会社を守る」ことが何をおいても優先されるようになると、経営者に必要なのは調整能力だけになっていきます。数字やサイエンスに基づく合理的な判断をしないので、他人の意見に耳を貸さず、とにかく「直感」で会社を経営するようになっていくのです。その暴走がバブルにつながります。
 そんな「暴走経営」がこの20年、日本経済に与えたダメージは計り知れません。
 ものづくりメーカーは、社会のニーズや消費者の声よりも、企業側の「技術」や「品質」という直感が正しいと考える「product out」にとらわれ衰退しました。そしてバブル崩壊後も、データに基づいた客観的な分析をせず、直感に基づく表面的な分析をして抜本的な改革ができなかった結果が、この「失われた20年」なのです。
 このように日本経済の衰退を要因分析していくと、「1964年体制」に原因があることは明白です。つまり、「1964年は東京オリンピックで日本の飛躍が始まった年」というのは残念ながら間違いで、実は経済の衰退をスタートさせてしまった「国運の分岐点」なのです。
 「1964年体制」がつくった産業構造を元に戻すことは容易なことではありません。その動かぬ証が、1990年代から実行されたさまざまな日本の改革がことごとく失敗してきたという事実です。その結果、国の借金は1200兆円にまで膨らみました。
 人口減少などさまざまな「危機」が迫る日本には、もはや悠長なことを言っている時間はありません。日本経済を立て直すためにも、古い常識や”神話”を捨てて、数字と事実に基づく要因分析を、すべての国民が受け入れる時期にさしかかっているのです。


    2019-10-16




posted by 速魚 at 04:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年10月14日

「最低賃金引き上げ=中小企業倒産」の図式が神話に過ぎない理由


            

 ここで2013年に最賃を1000円に上げるように書いていて、2015年には1500円に改定しました。2019年の昨日あたりに報道では1000円をつける地域が実現したようです。

 韓国ともめていますが、最低賃金の議論をするときに、今度は文大統領が実施した韓国での最賃値上げの効用を日本の議論のなかに持ち込まれることになりそうです。法治国家でもない隣国のことはどうでもよいのですが、最賃に反対する人々は必ずまな板の上にあげるでしょうから、考えておかねばなりません。 イギリスでこれを研究検討されたレポ−トのオリジナルといっても翻訳されたものでしか取り込めない小生ですが、見つかればここに取り上げたいと思います。




  増税後の買い物、お得になる払い方

  最低賃金引き上げの議論で必ず出る「中小企業の倒産誘発論」だが、実はどこにもエビデンスはない 
最低賃金引き上げを巡る論争が本格化し、様々な意見が飛び交っている。相変わらず「中小企業の経営が厳しくなる」と難色を示す人も多いが、実はイギリスでは最低賃金を引き上げても廃業率は上がらず、むしろ労働生産性が上がったとする調査結果が明らかになっている。(ノンフィクションライター 窪田順生)


 最低賃金労働者は「無能」なのか?


 いよいよ「最低賃金引き上げ」を巡る論争が本格化してきた。
 さまざまな専門家の方がそれぞれの立場で意見をぶつけ合うということは、社会にとっても良いことなので、ぜひ侃々諤々でやっていただきたいところだが、頭の上をビュンビュンと飛び交う意見の中には、思わず二度見してしまうようなダイナミックなものも散見される。
 例えば、“最低賃金引き上げ慎重派”の、とある著名な評論家の方。ざっくりまとめると、こんなことをおっしゃっていたのだ。
 最低賃金で働いている人というのは、スキルが低いので一度職を失うと再就職ができない。最低賃金を上げることは結果として、こういう人を苦しめることになる。だから、最低賃金を引き上げて中小企業を倒産させるような愚かなことはするな、生産性向上のためには、低スキル労働者の教育に力を入れるべきだ――。
「ん?」と引っかかった人も多いのではないか。そう、確か日本は「深刻な人手不足」だったはずなのだ。コンビニはバイト確保ができず24時間営業もままならない。物流も深刻なドライバー不足で現場が疲弊している。建築や介護の現場にいたっては、外国人労働者に頼らないと回らない――という話になっていなかったか。
 一方、平成27年の内閣府の資料には「最低賃金程度の時給で働く労働者は300万〜500万人程度」とあり、もっと多いという指摘もある。
 つまり、この専門家の方は、日本人労働者の数%を「人手不足でもう限界だ!」と悲鳴を上げる事業者でさえも採用を見送るほど、「使えない人材」だとおっしゃっているのだ。
 そんな考えをベースにして、最低賃金の引き上げは慎重にすべきと主張するというのは、中小企業はどこにも行くあてのない無能の人を雇ってあげている篤志家なんだから、「時給1000円」なんて無理難題を押し付けず、自分たちのペースでのんびりやらせてやれよ、と言わんばかりなのだ。
 もちろん、立派な専門家センセイなので当然、我々素人には計り知れない深いお考えがあるのかもしれないが、素直に受け取れば「労働者ディスり」にしか聞こえない。なかなかシビれる発言ではある。


 最低賃金引き上げは中小企業倒産につながらない


 その一方で、ダイナミックというよりも、日本人にはなかなか受け入れがたいショッキングな提言をしている御仁もいる。
 元ゴールドマン・サックスのアナリストで、山本七平賞受賞の「新・観光立国論」(東洋経済新報社)などで政府の観光推進政策にも多大な影響を与えてきたデービッド・アトキンソン氏である。
 来日から30年にわたって日本経済を分析し、かつて日本の大手銀行が17もあって群雄割拠していたバブル期に、「日本の主要銀行は2〜4行しか必要ない」というレポートを出したこともある「慧眼」で知られているアトキンソン氏は、今の日本の低成長・低生産性を解決するには、最低賃金を年5%程度引き上げていくべきだとかねてから主張していたのだが、このたび発売された新著「国運の分岐点 中小企業改革で再び輝くか、中国の属国になるか」(講談社+α新書)でさらに驚くべき分析をしているのだ。
 日本の現在の低成長は、国が“成長できない小さな企業”を手厚く保護する政策をスタートさせた「1964年体制」にあるとして、この古い体制を改革しないで放置していると、人口減少と自然災害というリスクの中で、日本経済が弱体化して、中国資本の支配力が強まっていくというのだ。
 このあたりについて興味のある方はぜひ本をお読みいただくとして、実は同書の中には、現在の「最低賃金引き上げ」を巡る議論に一石投じるような記述があるのでご紹介したい。
 それは、冒頭の専門家の方の主張にも通じるが、「最低賃金を引き上げたら倒産が増加して不況になる」という言説に対してものだ。以下に少し長いが、引用しよう。
「この20年間、最低賃金を引き上げ続けてきたイギリスでは、政府が大学に依頼して、賃金引き上げの影響を詳しく分析をしています。具体的には、最低賃金もしくはそれに近い賃金で雇用している割合の高い企業を対象にして、最低賃金を引き上げる前と、後の決算書を継続的に分析しているのです。そこで判明しているのは、もっとも影響を受けた企業群でも廃業率が上昇することはなく、単価を引き上げることもあまりなく、雇用を減らすこともなかったということです。そしてここがきわめて大事なポイントですが、経営の工夫と社員のモチベーション向上によって、労働生産性が上がったことが確認されているのです」(P.193)
 要するに、「最低賃金を引き上げたら倒産が増加して不況になる」というこの手の議論で必ず出てくる言説は、科学的根拠のないデマだというのだ。


 最低賃金引き上げに猛反発する日本の産業界


 と聞くと、「イギリスは日本より格差が開いて、物価高で貧しい人が増えているぞ!そんな英政府の調査など信用できるか!」と噛み付く人もいるが、アトキンソン氏は別にイギリスが素晴らしいから日本も真似しろなどと言っているわけではなく、最低賃金引き上げの影響について国家レベルで調査が行われ、そこでは倒産につながらず、労働生産性が向上するという結果が出ている、と示しているだけにすぎない。「イギリスの貧しい人は日本より貧乏だぞ」みたいな感覚ベースの議論ではなく、科学的な議論をすべきだと言っているのだ。
 また、イギリスにおける格差や貧困が問題だというが、実は貧困率は日本の方がアメリカと並んで先進国で最悪レベルで、イギリスよりもダントツに高い。格差や貧困がある国のエビデンスなんて信用できるか、という話になるのなら、先進国の中で唯一成長しておらず、ダントツに生産性が低く、ダントツに貧困率の高い日本で生まれた経済理論などすべて価値のないゴミになってしまう。国の経済と、そこで得られたエビデンスは切り分けて考えるべきなのだ。
 もちろん、この話も人によって受け取り方はさまざまだが、個人的には腹落ちしている。「最低賃金を引き上げたら倒産が増えて不況になる」という話には以前から胡散臭さがプンプン漂っているからだ。
 例えば、今から12年前の2007年12月、改正最低賃金法が成立した。最低賃金が生活保護の受給額を下回るということが問題となって、さすがに生活保護よりは高くなるように徐々に引き上げていきましょうや、という話になったわけだが、中小企業は「それは我々に死ねということか!」と大ブーイング。当時の日経産業新聞(07年12月3日)には以下のような悲痛な声が紹介された。
「給与水準を人為的に底上げすることになり、雇用維持が難しくなる」
「採用した人材は一人前の戦力になるまでどうしても時間がかかる。最低賃金の引き上げは企業の雇用意欲を低下させる」


 日本でも最低賃金引き上げは倒産に結びつかなかった


 要するに、働く人たちの賃金が生活保護を下回ることよりも、「中小企業が雇用できる」ことの方が大事というのだ。なんとも釈然としないものを感じていた8ヵ月後、今度は中央最低賃金審議会が、時給687円の全国平均額を15円程度引き上げることを決定すると、さらにヒステリックな声が上がった。
 日本経済新聞(08年8月6日)の「中小・零細、雇用に重し」という記事には、中小企業経営者たちの声が紹介されている。
「中小企業の倒産を誘発し、雇用に悪影響が出る可能性が高い」
「賃上げが心理的な経営圧迫につながる」
 だが、事実はまったく逆だった。中小企業の倒産件数は08年の1万5646件から減少が続き、17年は8405件というレベルにまでなった。いや、倒産は減ったが、休廃業が増えているという人もいるが、別に顕著に増えているわけではなく、多くは後継者不足や販売不振が原因である。
 日本においても、「最低賃金を引き上げたら倒産が増加して不況になる」ことを証明する客観的事実はどこにもない。つまり、「神話」や「思い込み」の類である可能性が高いのだ。
 いずれにせよ、このアトキンソン氏が投じた問題提起に対して、「そんな話は日本に当てはまらん!」なんて島国根性丸出しで耳をふさいでいるだけでは、日本はデフレ・低成長からはいつまでも脱却できない気がする。この30年ひたすら続けてきた「日本のやり方」を続けているだけだからだ。
 最低賃金を引き上げたら倒産が続出する。最低賃金で働く人はスキルがないので、一度職を失うと失業したままだ。このような主張をされる専門家の皆さんは是非とも、感覚的な話で我々素人の恐怖心を煽るのではなく、科学的根拠を示して、建設的な議論をお願いしたい。
    窪田順生さんより転載   2019/09/26 06:00



   2019-10-14




  賃上げた韓国崩壊していない

   最低賃金引き上げ「よくある誤解」をぶった斬る アトキンソン氏「徹底的にエビデンスを見よ」
         

 https://www.msn.com/ja-jp/money/news/最低賃金引き上げ%ef%bd%a2よくある誤解%ef%bd%a3をぶった斬る-アトキンソン氏%ef%bd%a2徹底的にエビデンスを見よ%ef%bd%a3/ar-AAIu6OD?ocid=spartanntp





posted by 速魚 at 21:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年10月12日

ウィンドサーフィンで初めて大西洋を横断した男 その1


イビサ物語〜ロスモリーノスの夕陽カフェにて 第88回     佐野
 
イビサで暮らし始めて2、3年経ってからだと思うが、私は中古のウィンドサーフィンを買った。なんせ、目の前に海が広がっているのだ、1時間の暇でもあれば、自分のアパートからボードとセールを担ぎ降ろし、ウィンドサーフィンを楽しめるではないか。 ほとんど理想的な場所に住んでいるのだから、やらない方がどうかしている…と思ったのだ。加えて、トップレスでビキニの下だけ付けた細身の女性たちが身体を反らせ、まるで海の上を滑るように、飛ぶようにセーリングしていたから、ヨシ、俺も! と、気合が入ったのだった。

ibiza 128.jpg
夏には観光客で満杯になる人気の海岸、Playa d'en Bossa

ウィンドサーフィンのボードとセール一式は、『カサ・デ・バンブー』の常連でプラーヤ・デンボッサ(Playa d'en Bossa)の海岸でウィンドサーフィン・スクールをやってるホアンに頼み、初心者用のモノを安く譲ってもらった。
さて勇躍、海に乗り出したまでは良かったのだが…。 
ウィンドサーフィンを始めるには、初めの数時間、人に笑われる覚悟がいる上、思いっきり笑われても良いと尻をまくらなければならないと思い知ったのだ。ボードの上に立つまで何十回と落ち、やっと立ち上がっても、セールを引き上げる時、不安定なボードにヘッピリ腰で立ち、この海にべったり漬かった意外に重いセールを海面から引き離すのは、まるで海底に沈んだ大きな漬物石を引き上げるような作業だと知った。
そしてやっとセールを海面から持ち上げると、セールの下に風が入り、フワリとマストとセールが浮き上がり、スイッとマストが垂直に立つ道理だが、こちらは満身の力を込めて足を踏ん張り、前かがみの姿勢で腰と腕でマスト、セールを持ち上げるのだから、一旦垂直に立ったマスト、セールは反対側、つまりボードの上にいる本人に反動で覆いかぶさるように倒れてくるのだ。結果、派手に落水する。やっと海面に浮かび上がったはいいが、頭の上に濡れたセールが被さっており、満足に息ができないままあがき、セールを払い避けるようにもう一度潜り、セールに覆われていない海面に顔を出すのだ。
私が喜劇を演じている間、いつの間にか、崖の上にギャラリーが集まり、盛んに声援、ひやかしの罵声を送っているのだった。 
落水を際限なく繰り返すうちに、当然のことだが、私は風に流され、2キロほどフォルメンテーラ島の方向の沖に出てしまった。もうそろそろ、セールをマストに縛り付け、ボードに乗せ、腹這いになってボードに乗り、両手で水をかき、陸へ向かおうとした時、一直線にこちらに向かってくるウィンドサーファーに気がついた。フアン・カルロス先生だった(第48回:ドイツ人医師、フアン・カルロス先生)。
彼がウィンドサーフィンのエキスパートだとは全く知らなかった。フアン・カルロス先生、見るに見かねて、自分のボードを出して私を救助しにきてくれたのだった。「もし、フォルメンテーラに行くつもりなら別だけど、私のボードに乗りなよ…」と言ってくれたのだ。私は彼のボードに腹這いになって乗り、私のボードを細いロープで曳き、『カサ・デ・バンブー』の真下の石コロビーチまで不名誉な曳航を甘んじて受けたのだった。当然、野次馬の嘲笑を散々浴びたことだ。

ibiza 125.jpg
ロス・モリーノス海岸。ウィンドサーフィンを優雅に楽しむ…

そよ風程度、しかも静かな海面でどうにかセールに風をはらませヘッピリ腰でセーリングできるようになるまで3日はかかったと思う。しかしそれも、風に運ばれているだけで、方向転換、ジャイブかタックになるのだが、それができるようになるにはさらに2、3週間はかかった。とても、海面を軽やかに舞う乙女たちのレベルにはほど遠く、「ハ〜イ!」などと声をかけ、彼女らを追い抜くとかすれ違うのを密かに夢想していたのだが、夢また夢に終わった。それどころか、水中であがいている私に、彼女ら、彼らから「大丈夫か? 助けてあげようか?」と声をかけられる始末だった。
ウィンドサーフィンも実力に天地ほどの差があり、どうにか落ちないで乗れるようになるのが第一歩で、これはママチャリを漕いで、近くのスーパーに買い物に行けるレベルでは、あのアクロバット的なマウンテンバイクの真似事はできないし、ツール・ド・フランスに出場できない道理だ。ウィンドサーフィンもこれでなかなか奥が深いことを知ったのだった。
フアン・カルロス先生と奥さん、『サン・テルモ』のオーナーのイヴォンヌ、イビセンコの朋友ペペら、周りにウィンドサーフィン狂がかなりいたから、彼らに教えを請い、ご教授願った。一番耳が痛かったのは、「お前ね〜、当面ライフジャケットを着るか、ウェットスーツ(浮力があり、体温の流失を防ぐ)を着た方がいいぞ…」というものだった。流されても、いつもフアン・カルロス先生か他の誰かが助けに来てくれるとは限らないから…と言うのだ。
それでも、シーズンの終わり頃、10月にはヨタヨタ、フラフラしながら風を切る感覚を掴み、セーリングを楽しめるようになったのだった。秋が近づくに従って、強い風が吹き始め、新たな挑戦、戦いになった。私のアパート下の石ころビーチはイビサの町から近いこともあって、夏場は車を持たない人たち、主に地元の人が海水浴、日光浴に訪れる。秋口になると、数は少ないが、ウィンドサーファーがここに集うようになる。
イビサには格好のビーチがたくさんあるが、いずれも駐車場から波うち際まで距離がある。そこへ行くと『カサ・デ・バンブー』の眼下にあるロス・モリーノスの海岸は、車からボードとリグ(マスト、ブーム、セールなど)を降ろし、その場でセットし、海に乗り出せる地の利があった。ただ、コブシ大の石ころビーチなので、フィンやセンターボードを痛めずにスイッとばかりセーリングに移ることができる中級、上級者向けの海岸だった。サーファーたちは濡れた身体のまま『カサ・デ・バンブー』に立ち寄り、一杯引っ掛けるのだった。

イビサの港前の一等地に『エル・モノ・デスヌード』(El Mono Desnudo;裸のサル)というファッショナブルなカフェバーを開いているマイケルはガールフレンドや友達を連れ、ここからウィンドサーフィンで海に乗り出していた。そしてチョイチョイ、『カサ・デ・バンブー』に立ち寄ってくれた。
マイケルが海好きで、豪華な40フィートのスループクルーザー(キャビン付きヨット)を持っていることは知っていた。リークロス(ヨットの両舷に張るキャンバス)に目立ちすぎるくらいの大きさで“El Mono Desnudo”と船名を書いていたから、ともかくもマリーナで目立つヨットだった。何も店の名をあんなふうに宣伝しなくても、彼のバーは夜、空いた席を見つけるのが難しいくらいいつも混んでいるのだから…と思ったのだ。
観光シーズンの終わり頃だったと思う。マイケル御一行が賑やかに『カサ・デ・バンブー』に押しかけてきた。その中にセルジオがいた。
セルジオは痩せ型の筋張った体つき、肩まで届くチヂレタ髪、太陽に当たり過ぎで干からびたような深い皺だらけの顔をしたオーストリア人だった。
-…つづく

 
バックナンバー

  2019-10-12



posted by 速魚 at 09:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年10月10日

法人税逃れ大国

 

  消費増税で内部留保463兆円のカラクリ

トヨタが1−2兆円の利益をあげているのに、何年間も税金を納めていないときがあります。 大企業に有利な控除制度があるからと云われ、ここ20年間の日本人の賃上げができていないのは、内部にため込んで賃金にまわすことがないトヨタが元凶だといわれています。トヨタの外地従業員は日本と違い賃金は上がっているのだという。 消費税が10%に上がりましたが、苦しむのは庶民ばかりなり。 大企業の社会的責任をもっと求めてもよいでしょう。ソフトバンクも同様です。



  https://www.msn.com/ja-jp/news/money/法人税逃れ大国ニッポン-消費増税で内部留保463兆円のカラクリ/ar-AAHQHI0?ocid=spartanntp#page=2     リンクが切れることもありますので下記に転載いたしました。



houzinnzei 01.jpg
   Asahi Shimbun Publications Inc.より  東証1部上場で、直近3カ年の連結の財務データがある企業が対象



 10月1日から消費税が上がり、庶民は物価高に苦しむ。一方で、企業の「内部留保」は463兆円と過去最高を更新。法人税が引き下げられ、お得な減税策などもあり、企業はもうかりやすくなっているのだ。庶民には厳しく企業には優しい“法人税逃れ大国ニッポン”の実情に迫った。
*  *  *
「企業の責任が果たせているのか、制度的に疑問なところがある」
 こう言うのは東京商工リサーチ情報本部の原田三寛・情報部長だ。企業は多くの人材や公共設備などを利用して金もうけしている。利益に応じて納税し社会を支える責任がある。ところが、もうかっているのに納税額が少ない大企業が目立つようになっているのだ。
 表を見てほしい。東京商工リサーチのデータをもとに、利益が大きいのに納税額が少ない主な企業をまとめたものだ。
 東証1部上場企業を対象に、直近3カ年の有価証券報告書を分析。課税前の当期純利益(税金等調整前当期純利益)に対し、法人税等が占める割合を、「税負担率」として算出した。利益が大きく負担率が低い主な企業が並んでいる。低いからといって違法な脱税をしているわけではないが、税金をうまく逃れている状況がわかる。


 企業は所得に応じて法人税や地方法人税などを支払わないといけない。実質的な税負担率(法人実効税率)は大企業の場合、29.74%(2018年度)となっている。つまり、基本的にもうけの3割を税金として国に納めるルールだ。
 それなのに表にある企業では、税負担率が2割を下回り、中には数%やマイナスのところもある。
 なぜか? 企業には庶民にはない有利な制度があり、納税額を減らせるためだ。どんなメリットがあるのか、見ていこう。
 表のトップのソフトバンクグループは、税金等調整前当期純利益(直近3カ年分)が約2兆7千億円もあるのに、法人税等はマイナス8236億円。税金を納めているのに巨額の利益が出るのは、「欠損金の繰越控除」といった制度などを利用したためとみられる。
 これは赤字(欠損金)が発生すると、その後10年間にわたり所得から差し引くことができるものだ。同社は16年に約3.3兆円でイギリスの大手半導体会社を買収。その会社の株式の一部をグループ企業に移す際に、取得価格と時価評価額の差にあたる約1兆4千億円の損失を計上した。その分、利益が減るので“節税”できることになる。


 この手法自体は合法だが、国税庁は損失額の計算が不適切だったと判断。一部について損失を認めず約4千億円の申告漏れを指摘した。同社側は、損金算入の時期について国税当局と見解の相違があり修正申告したとしている。庶民からすれば、「見解の相違」で数千億円もの申告漏れが発生するのは驚きだ。
 同社の孫正義会長兼社長は6月の株主総会で、「ルールのなかでいろいろな節税を合法的にやっている。合法的な範囲のなかで、ある程度節税を図っていく」と発言している。


 欠損金の繰越控除のメリットを受けている企業は多い。表にある東京電力ホールディングスは原発事故を起こし多額の損失を抱えているので、納税額は少しだけ。日本航空も経営破綻したことがあり、繰越控除を受けているとみられる。
 ものづくりの大企業に有利な制度もある。
「研究開発減税」は、研究開発費の一部を法人税から控除できる。財務省によると、この制度によって減った大企業の税額は、17年度だけで約6千億円にも上る。自動車メーカーや製薬会社など、製品開発に巨額の投資をする企業は恩恵が大きい。例えば表にある本田技研工業(ホンダ)は18年度に約8千億円、武田薬品工業は約3700億円の研究開発費を使っている。


 企業ごとの減税額は公表されていないが、年間数百億円もの恩恵を受けているところがありそうだ。
 こうした、過去の赤字や研究開発費を理由に納税額を減らす仕組みなど、企業を実質的に優遇している制度はたくさんある。紹介しているのは一部だけだ。法人である企業は個人と税制が異なるとしても、庶民感覚からすれば納得しにくい。会社員は収入がガラス張りで、所得税などは給料から強制的に徴収される。消費増税や社会保障費の負担増で生活はさらに苦しくなるが、節税の手段は限られている。
 そもそも、企業のうち法人税を納めているのは少数派だ。国税庁の17年度の統計によると、普通法人271万社のうち赤字は181万社で、割合は66.6%。中小企業を中心に、6割以上が法人税を払っていないことになる。もうけが少ないのに経営者の報酬を不当に高くするなど、税金逃れの手法はいろいろある。冒頭で登場した原田さんはこう訴える。


「税金を控除する制度について、もう一度考える必要があるのではないでしょうか。企業の責任には税収を守るということもあるはずですが、そこが弱まっている。合理的な経済活動の結果なのかもしれませんが、制度の妥当性を改めて考えたほうがいいと思います」
 税制が全体的に企業やお金持ちに優しく、庶民に厳しくなっている。税収は消費税が右肩上がりなのに、法人税や所得税が下がっている。
 消費税は1989年に3%で始まり、97年に5%、14年に8%になった。これに対し、大企業の法人税率は消費税導入前は42%だったが現在は29.74%。所得税の最高税率も60%から45%に下がっている。


 法人税については日本経済団体連合会(経団連)など財界が、世界的に見て高すぎると主張してきた。引き下げないと、法人税が低い国の企業との競争に負けてしまうという論理だ。確かに日本の法人税率は、数字上は世界的に見て低くなかった。だが、段階的に引き下げられ、有利な制度も充実している。税制に詳しい菅隆徳・税理士は政府や財界の対応を批判する。
「日本の法人税率が高すぎるというのは、大企業の負担を引き下げ、その分を庶民に押し付ける口実です。支払い能力に応じて負担するのが、本来の税のあり方です。法人税率はいくらもうかっていても同じ。法人税も累進税率にして、もうかっている会社はそれなりに負担するべきです」
 こうした主張に説得力があるのが、企業がお金をため込んでいる現状だ。利益の剰余金である「内部留保」は増え続けている。財務省の法人企業統計によると、18年度の金融業・保険業を除く全産業の内部留保は463兆1308億円と過去最高。7年連続の増加で、前年度から3.7%増えた。
 法人税が低いことで、経営者はもうけをため込みやすい。もし法人税が高ければ、国に取られるぐらいなら給料や設備投資を増やそうという経営者も出てくるはず。消費増税で個人消費が落ち込み、景気の失速が見込まれているいまこそ、法人増税すべきだとの意見もある。


 企業にとって有利なケースとして、輸出企業の消費税の還付制度も挙げられる。上の表を見てわかるように、輸出大企業は巨額の還付金を受け取っているようだ。個別の数字は非公表だが、元静岡大教授で税理士の湖東京至(ことうきょうじ)さんが推計した。湖東さんは、還付金は輸出企業への事実上の奨励金になっていると指摘する。
 消費税は、ものやサービスがつくられていく過程で段階的に課税される。最終的に負担するのは最後に買い物をした人だが、納税するのはものやサービスを売った企業だ。


 生産や流通段階で二重三重に税がかからないよう、税が累積しない仕組みになっている。例えばお店で千円の商品を買ったとしよう。千円の10%の100円を店が国に納めるわけではない。お店は客から受け取った消費税から、仕入れなどで払った消費税分を引いた額を納めるのだ。つまり仕入れ額が仮に900円で支払った消費税分が90円だとしたら、納めるのは100円から90円を引いた10円になる。
 輸出する場合は、海外では日本の消費税はかけられない。最終的な輸出企業は、仕入れなどで払った消費税分の還付を受けることができる。本来支払う必要がなかった消費税分が戻ってくるだけで、企業にとって得にも損にもならないはずだが、実は企業にとってうまみがあるとされる。
 なぜなら、消費税分をきちんと下請け業者に支払っていないこともあるためだ。米国のトランプ政権も、この還付制度が事実上の輸出補助だと問題視している。


「下請け企業が消費増税分をきちんと転嫁できない事例はよくあります。輸出企業は消費増税で還付金が増え、ますます潤うことになります」(湖東さん)
 税金の仕組みを知れば、庶民がいかに不利なのかがよくわかる。「企業は天国、庶民は地獄」とも言える制度を黙って受け入れず、公平な税制を求めていきたい。(本誌・吉崎洋夫、浅井秀樹)


    ※週刊朝日  2019年10月4日号



   純利益1兆円のソフトバンク「法人税ゼロ」を許していいのか?

  https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190930-00067498-gendaibiz-bus_all

  消費税アップは大企業が税金を払わないからだ 富岡幸雄 中央大学名誉教授

  https://president.jp/articles/-/30232



   2019-10-10

船中発策  税制改革







posted by 速魚 at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記