2019年07月21日

高梁散歩


 新幹線を岡山で途中下車してでも、寄りたいところ山田方谷と備中松山城の高梁(たかはし)へ行きました。 広島県から岡山県へヨット本拠地を移す。 さっそく、そこを訪ねた。 岡山駅から伯備線に乗り、JR高梁駅まで行く、東京から鎌倉へ行くような距離と感覚です。伯備線は1時間のうちで鈍行と特急それぞれ1本位の運行をしています。 帰りは特急を利用しました。

  お城への乗合タクシ−出発まで少し時間があり、駅より高梁川の方向へ行く。郵便局で用を済ませて、橋のほうへ歩いた。 城下町らしく弓之町、鉄砲町の地名があった。名残を求めて探してみたが、落ち着いた街並みがあったのみ。 時間も無くなってきたので、駅に戻る。 タクシ−で城へいく途中に山田方谷の塾跡の看板を見つけた。帰りはそこで降ろしてもらい高梁のまちを散策する。

 方谷塾跡は藩主からこの地を受領したもの。隣家の主人が死亡したので、寡婦の娘とあなどられないように残った娘の教育を方谷は頼まれた。その娘は藩士の男たちに交じって方谷から教育を受け、長じて福西志計子として明治の女子教育にの草分けになる。 ここから坂道を少し下ると、平時は藩政をしたという御根小屋跡に着く。現在は県立高梁高校になっている。しかしここには福西女史が創立した女学校が転じたものである
という。

 ほどなく武家屋敷群が見られる。旧新井家と旧植原家が見学できる。 籠入れの土間が珍しかった。山田方谷の資料も豊富である。1本下った道には商家屋敷群が通りに沿って見られる。 現在も魚屋で営業している店があった。

 紺屋川に沿って登っていくと、河井継之助が宿した花屋跡があるが現在は郵便局で案内碑があるのみである。塵壺(平凡社刊)という河井継之助日記の本にはここの滞在の様子が書かれている。 すぐ近くの幼稚園は旧藩校有終館跡があり、今は子供たちのにぎやかな声で包まれている。ここでは方谷が40近くまで教えていたという。

 また、すぐ近くの角に高梁基督教会堂がある、木造による教会では日本で2番目に古い建物である。中を見せてもらうが、昨年の五島の教会群を見た身としては内部は質素な雰囲気である。五島の人々はここよりは貧しかったのであろうが、ステンドグラスや装飾には信仰の熱意が感じられた。

 頼久寺の庭園を見て、郷土資料館に入ったが、ここは個人的に興味が薄かった。隣に山田方谷記念館があり500円の割には大いなる期待に応えてくれませんでした。 最近に出来たものらしい、方谷の資料はあちこちに散逸しているようで、他の見学場所でも見られます。集中してここへ持ってくる努力を期待いたします。

 駅に向かう途中に松連寺・薬師院があり、まるでお城の土塀のような風貌です。いざという時の防御拠点として機能したのでしょう。 ほどなく駅に到着して、特急「やくも」にて帰路につく。

 コンパクトにまとまった地域で散策しやすい。さくらの春や紅葉の秋にはさぞかし良いのではと思われます。下記地図・写真参照。





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  高梁散歩図  青線を歩行




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  弓之町




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 山田方谷像 至誠惻怛(しせいそくだつ)真心と慈愛の精神を説く、




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  山田方谷家塾跡  牛甍舎跡 隣家の寡婦になった娘(福西志計子)に学問を教えた




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 元御根小屋・県立高梁高等学校 福西志計子の順正高等女学校の伝統を受け継ぐ




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 武家屋敷の町並み




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 商家の町並み



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 魚屋で営業中

 


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  花屋宿 案内板 河井継之助の滞在宿



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 武家宿 花屋跡 現在郵便局

 

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藩校 有終館跡 現在幼稚園  山田方谷が教えていた

 

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 高梁基督教会堂  福西志計子が通う



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 頼久寺 庭園 小堀遠州の作庭という



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  薬師院・松連寺  応急の時には砦として使うつもりであったのか



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  特急やくも



      2019-7-21


 
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2019年07月19日

備中松山城


 天守の残る唯一の山城、日本の現存10天守の一つである備中松山城に行く。JR高梁駅にある観光案内所で情報を得て、乗り合いタクシ−の手配をしてもらいました。 麓からも行けるでしょうが、健脚に自信のある方のみです。 時期によりますが、ふいご峠(8合目)までのバスもあります。 そこでタクシ−を下りて天守に向かう。 登りは思ったよりキツク休み休みで時間がかかった。2時間ぐらいの見学時間だったが、登り降りの帰りの時間も含むことから思いを残す状況になった。待ち合わせ時間が迫り急ぎ降りることになる。 じっくり見たいのなら車が便利ですが、利用できる時期があるようなので下調べが必要です。

 雲海に浮かぶ城でも有名ですが、城を望む隣の山から見ることになり、時期と行程は観光案内所で尋ねてください。また、案内所のある駅と一体にになった図書館は、洒落た建物で同じ設計者なのか宮崎県延岡駅でも似たものがあった。

 この城は鎌倉時代からの歴史があり、北から、「大松山」「天神の丸」「小松山」「前山」の四つの峰からなり、南から見た山容が、草の上に伏 した老牛の姿に似ているとして、「老牛伏草山」とか「臥牛山」などと呼ばれており、備中松山城はその 頂を中心に全域に及んでいます。

 現在、一般に「備中松山城」と呼ばれるのは、この内の小松山の山頂(標高約430M)を中心に築かれた近世城郭を指しており、天守の現存する山城としては随一の高さを誇ります。城内には天守、二 重櫓、土塀の一部が現存している。

 江戸期の備中松山藩時代は山城で不便なため、山麓の城下町に「御根小屋」と呼ばれる藩主の御殿と家来の武家屋敷群を構え、そこで藩の政務を行った。現在、御根小屋の跡地は岡山県立高梁高等学校となっている。

  この藩には山田方谷が有名です。彼の行った藩政改革は幕末までのモデルと言われている。司馬遼太郎「峠」の河井継之助は方谷から学ぶためにこの地を訪ね花屋に泊まった。 方谷は後に明治政府が行った殖産興業と軍制改革を先立って行う。 藩主は譜代の老中筆頭を勤めた板倉勝静であった。最後の将軍と共に大阪城より江戸へ船で逃げ帰ったほどである。 しかし、方谷は体面を保つ形で恭順をして、備中松山城を無血開城した。 また、函館にいた藩主を撤収させて謹慎させる。藩の存続を許された。



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 天主



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 本丸入り口



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 天守から見た本丸





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 重要文化財 2重櫓



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 復古図





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 新しい守将 本丸にいる 先の豪雨でここへ迷い込んだという



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 2の丸





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 野面積 城内で一番古い






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 御膳棚跡



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 4の平櫓跡





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 厩門跡





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 黒門跡



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 3の平櫓跡



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 足軽箱番所跡



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 重要文化財 3の平櫓土塀



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 NHK 真田丸で使用された風情



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 上太鼓丸





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 御根小屋復元図





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 御茶屋橋と高梁高校



   2019-7-19



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2019年07月17日

西国街道 草津まち散歩


 草津城を見て川沿いを南に下ると、西国街道沿いの町並み保存地区に至る。 草津湊は埋め立てられたせいか、痕跡は見られなかった。草津は古くは軍津(いくさつ)呼ばれていたようで、水軍の地として栄えた。

 明治天皇が休憩したという小泉酒造の小泉家、幸福稲荷、大釣井、西楽寺、福溝稲荷、西氏功徳碑などを見て回ることができます。



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 西国街道  草津まち地図  赤マ−クは写真あり

 

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 西氏功徳碑 広島藩の支藩三次藩の飛び地であったので西氏は三次藩医の家系であった。



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小泉家と記念碑 明治天皇と皇后が小泉家で休憩された記念碑



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小泉家 酒造



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 福溝稲荷と地蔵



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 大釣井 塩分少なく共同井戸



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 西楽寺



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 幸福稲荷大明神


2019-7-17



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2019年07月15日

タンカ−防衛有志連合に参加すべき

 


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 トランプが日本は米国を守ってくれないと、日米安保条約の不平等性をツイッタ−にあげています。 首相のイラン訪問中にも日本運航のタンカ−がホルムス海峡で攻撃を受けた。

 ここでも現在に至るまでの政府が船舶の船員・財産を守る気の無いことを小生は述べています。 自分はイライラ戦争中に船員としてペルシャ湾へ行った経験があるので、なおさら強く有志連合に参加すべきと述べたい。

 海賊特措法でジブチに自衛隊の基地を設け、隊員を海外派遣して対処しています。ここまでは来ました。 今回は湾岸戦争の有志連合ではないけれど、タンカ−防衛の有志連合の呼びかけが、日本へあれば、是非とも参加してもらいたい。 その件で集団的自衛権の問題があるのなら、自国商船隊の護衛ということで、日本単独でも護衛措置をとってください。8割の石油をホルムズ海峡経由で日本が依存していることは知られてきています。 といっても自国商船隊は便宜置籍船の世の中では、絶滅して極めて稀かもしれませんが。 湾岸諸国・オマ−ン、ドバイ、アラブ首長国連邦などにに基地を設けることも必要かもしれない、必ずしも艦艇護衛ではなく、対潜哨戒機が有効かもしれないので。

 下記に 北野さんの記事を転載いたしました。

   
  なぜ日本は「タンカー防衛有志連合」に参加すべきなのか?   北野幸伯 「ロシア政治経済ジャ−ナル」 2019-7-14


どうやら日本、大きな岐路に立たされているようです。何の話でしょうか?
米、イラン沖で有志連合結成へ タンカー攻撃受け
7/10(水)11:49配信

【ワシントン共同】米軍制服組トップのダンフォード統合参謀本部議長は9日、イラン沖のホルムズ海峡近くなどで民間船舶の安全を確保するため、同盟国の軍と有志連合を結成する考えを示した。数週間以内に参加国を募る。
ホルムズ海峡近くなどで民間船舶の安全を確保するため、有志連合をつくるそうです。なぜ、こんなことを決めたのでしょうか?
日本などのタンカーが攻撃を受けたことに伴う措置。ロイター通信が伝えた。
(同上)
「日本などのタンカーが攻撃を受けた」からだと。6月13日に、二隻のタンカーが攻撃されました。

米国が艦船を派遣して監視活動を指揮。参加国は米艦船の警備や、自国の商船の護衛に当たる。
(同上)
ここまで聞いて、「おお、真によいことでありますな」とほとんどの人が思うでしょう。タンカーが攻撃されたら困りますから。しかし、次を読んだら、心穏やかではいられないと思います。そして、国論真っ二つになることでしょう。
トランプ米大統領は、各国がホルムズ海峡を通るタンカーを自国で守るべきだと主張しており、日本も何らかの対応を求められる可能性がある。
(同上)
トランプさんは6月24日、「日本は、自分のタンカーは自分で守れ!」という旨のツイートをしています。どうですか、皆さん。日本は、どうするべきでしょうか?私は、「日本はアメリカ主導の『タンカー防衛有志連合』に参加すべきだと思います。なぜ?トランプさんのいってることが正論だからです。
この話、きっとたくさんの人が反対することでしょう。最大の理由は、「攻撃を受けて自衛隊員が死ぬかもしれない」。わかります。私だって、自衛隊員が亡くなってほしくありません。しかし、考えてみてほしいのです。そう考えている私たちは、「自衛隊員のかわりにアメリカ軍の人が死んだ方がいい」と考えているのですよね?いえいえ、そんな風には考えません。しかし、アメリカから見たら、そういうロジックになります。
トランプさん、「日本が攻撃されたら、アメリカは第三次世界大戦を起こしても日本を守る。しかし、アメリカが攻撃されても、日本は自宅でソニーのテレビを見ていればいい」と発言をしています。もちろん、戦後日本をこういう状態にしたのは、アメリカ。「日本が二度と強くならないように」そうしたのですが。
時代はかわって、アメリカが弱くなってきた。だから、「日本も少しは手を貸してくれ」となってきた。ここで日本はどう動くかということなのです。
これ、「憲法改正しなければ何もできない」という話ではないと思います。今の憲法でも、「個別的自衛権」は認められている。だから、タンカーを防衛している自衛隊艦が攻撃されたら反撃できる。それに安保法改正で「集団的自衛権」も一部認められるようになった。だからタンカーを防衛している米軍が攻撃されたら、日本が反撃することもできるのではないでしょうか(いろいろ解釈がでるでしょうから、追加の法律が必要な可能性はありますが)?
いずれにしても、日本のタンカーを米軍が守っている。アメリカは、「全部日本が守れ」とはいいません。「日本も、自分の国のタンカーを守る『手伝い』をしてくれ」と。これから要請が来る可能性が高い。これ、「当然参加すべき」だと思います。なんといっても、「日本企業が運営するタンカーを守る」のですから。
ここで、「嫌です。日本の自衛隊員は、一人たりとも殺させません(意味=かわりに、アメリカ兵が死んでください!)」となれば、日米同盟の亀裂は、めちゃくちゃ深くなるでしょう。そうなると、尖閣、沖縄は、将来中国領になる可能性が高いです。なんといっても中国は、「日本には尖閣だけでなく、沖縄の領有権もない!」と宣言しているのですから。


 ● 反日統一共同戦線を呼びかける中国

逆に、有志連合に参加すれば、「日本は、金だけだす狡猾な国だ!」と批判はでなくなるでしょう。日本とアメリカの同盟関係は、ますます強固になり、中国が尖閣を奪うことは難しくなります。
 


 日本が自立国家になるために必要な通過点


 私がメルマガを創刊して、20年と3か月が過ぎました。28歳だった私は、普通のおっさんになった。しかし、当時から私の中には、一つの夢がありました。それはなんでしょうか?
「日本を自立国家にしたい」


今は自立国家じゃないの?違いますね。今の日本は、「アメリカ幕府の天領」なのです。「でも、自立国家ってなんですか?」と聞かれます。それで、もっと抽象度を下げ、具体的に、

精神の自立
経済の自立
エネルギーの自立
食糧の自立
軍事の自立

が必要だと。この話、10年以上前からしていますが、誰も反対しません。皆さん、「いいですね!」といいます。

で、今回の話に関連して「軍事の自立」。「自分の国は、自分で守れるようにしたいですね」というと、皆さん「そうですね!」といいます。でも、いきなりはできません。なんといっても中国の軍事費は、日本の5倍です。核もある。日本だけでまともに戦ったら勝てるはずがないのです。


 さらに大きな問題があります。もし日本が、「軍事の自立を目指します!」と宣言したらどうでしょうか?反対するのは中国、韓国だと思いますか?もちろん彼らも反対するでしょう。しかし、一番反対するのはアメリカです。
皆さん、「自虐史観」「東京裁判史観」をつくったのは、中国、韓国じゃありません。アメリカです。アメリカが、「日本が再び強くならないようにしよう」と決めたのです。だから、日本が「軍事の自立をします!」と宣言すれば、アメリカは、いわゆる戦勝国である、イギリス、フランス、ロシア、中国を誘って、日本を叩きつぶすでしょう。では、どうすればいいのか?


今回の件はどうでしょうか?まもなくアメリカから、「自衛隊をもっと活躍させろ」という要請がくる。日本は、アメリカのお墨つきを得て、自衛隊の活動範囲を拡大することができる。要するに、「アメリカの手伝いをします」といいつつ、日本は一歩「軍事の自立」に近づくのです。

繰り返しますが、このミッションで、自衛隊から犠牲者がでるような事件が起こるかもしれません。しかし、「日本のタンカーをアメリカ軍が守るのが当然」というのは、どう考えても異常です。日本は、アメリカ主導の「タンカー防衛有志連合」に参加することで、「自立国家」への大きな一歩を踏み出すべきです。


2019-7-15




    




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草津城 安芸

 
   
 スマホのグ−グルマップを利用していると、城跡がよくのっています。それで草津城へ行ってみました。 瀬戸内海沿岸の地形は海岸近くまで200-300mの山がせり出していて、平地の部分は限られている。 そこで近代化が進むと、その土地は鉄道や道路用地が土地を寸断されてしまう。 この草津城も山陽線、広島電鉄、道路で分断された。すぐ高層のマンションも隣接している。

 草津城は麓にある草津湊(現在は埋め立て)を水軍の拠点として重きをなしていた。 城主は厳島神社、安芸武田、大内・陶、毛利と変遷した。毛利氏になって、水軍の将である児玉氏が治めた。大阪の本願寺に米を届けたのもこの児玉氏である。明治の児玉源太郎は子孫にあたる。 関ケ原以降は福島正則が受領して、ここに大門を作り、城を廃した。



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 草津城跡、 道路が迫る



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 山頂本丸跡にある城跡石碑と案内板



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 草津城登山口


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隣接するマンション



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南海側から草津城を望む

  2019-7-15


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2019年07月13日

おもろいニュース


 新聞購読を止めています。もっぱらウエブかテレビのニュ−スを見ています。 新聞の見出しを時々目にしますが、やはりムダだと納得しています。

 何か出来事が起こると、数日はこれでもかこれでもかと同じニュ−スが頻出して、ウンザリしているのは小生ばかりではないでしょう。 そうかと思うと、このことは何で報道しないのかと思うこともあります。

 ニュ−ヨ−クタイムズで日本のマスコミの現状は独裁国なみではないかと、報じられました。マスコミの劣化は、もうどうしようもないレベルまで達しているのではないでしょうか? 記者クラブの悪しき現状も改善される気配はありません。 また、いつか来た道を歩くのでしょうか。

  最近のネットで見つけたおもしろい記事です。

1. https://kyoko-np.net/2019071201.html?fbclid=IwAR0o29K4bLIpYFZ5UOGBA6uGMYSB0gN7qgDkHnZ7SXhhgQTJUPYjHctOk4E
  記事名だけみると、ほんとかしらと、思わずグ−グルマップで場所を探してみる。 虚構新聞の発信だとは気がつきませんでした。

2. https://www.excite.co.jp/news/article/Bunshun_12736/
  納得の記事です。 野球選手がサッカ−の試合に出ていても、負けるばかりです。 早く知れよ。

3. https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_4830/
 最高裁までいって刑が確定しているのですね。愛にはどんな形があってもいいが、お互いが承知の上のこと。パワハラがらみは犯罪です。それを報じないのも罪ありかも。

    2019-7-13



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西郷陣屋


  延岡の北に西郷隆盛宿陣跡資料館があります。延岡の観光案内所にそれをを尋ねると、電車やバスで行くには不便なところであった。それでタクシ−で訪れることになる。 帰りのために、タクシ−を30分待ってもらい、取り急ぎ資料館を見ました。

 大河ドラマ「西郷どん」で妻イトがここを訪ねる場面がある。それはドラマを盛るためのフィクションであるという。 ここで西郷は軍の解散をして、少数の従う人間と伴に鹿児島をめざした。 大将服をこの近くで焼いたというが、その地には碑がある、今回はそこを訪ねていない。

 資料館は2つの建物に渡って展示されている。最後の軍議の場面を人形を使って再現している。無料の割には充実している展示である。

 西郷を見る人の器量次第で、彼のことが大きくも小さくも見えるというが。 今だに、小生は彼のことが分からない、納得がいかない。 大人情の人であるが、目的を遂げるためには大非情の人でもあった。 小人には考えが及ばずと言ったところでしょう。




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 資料館


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 軍議の場面


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 陸軍大将服


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 展示物


    2019-7-13


  西郷隆盛  磯田道史による




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2019年07月12日

更新 アヴェマリア

 
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テイツイアーノ 聖母被昇天


人生に自分で後始末を考えなければならない歳です。未だに信仰に頼る気持ちにはなれません。このままだと葬式も今やっているようなら、やりたくないので、やってくれるなと連れ合いに言っています。お墓も拒否です。海に散骨でしょう。


 幼稚園がカソリックでイタリア人と思われる神父さんを目にするところに通いました。わずか1年の通園でしたが、幼少の気持ちに影響があったせいでしょうか、小学校の低学年のころまで、マリア様のプロマイドみたいな印刷物を貼っていました。小さなマリア信仰ですね。 親は熱心な浄土真宗の信者なのに、子供をこだわりもなくキリスト教の幼稚園に入れるところが日本の宗教事情ですね。


 三つ子の魂百までもではないですが、心の深層に残るものがあるのでしょう。音楽は古楽が好きになり、宗教音楽のポリフォニーのミサ曲が大好きです。
 テレビで佐和子の朝という番組で、たけしさんが出ていて、俺はママゴンなんだよなあと話されていました。ちょっとこちらも安心した気持ちになれました。ママゴンだと公言してもいいのだと。でも母親は35年も前に亡くなりましたが。ママゴンの究極形態がマリア信仰であり、仏教の観音信仰なんでしょう。


 アヴェマリアという曲は有名なものは3つあり、 バッハ/グノー、シューベルト、ジュリオ カッチーニのものです。その中でカッチーニの曲が一番好きです。でもこれはカチーニを名乗った偽作の疑いが濃厚です。カッチーニの他の曲や当時の音楽から比べると様式が違うように思います。でもこの曲はそんなこと関係なくすばらしい。

    カッチーニのアヴェマリア

 前奏の違いと最初の歌詞・アヴェ マリアの歌声で決まる。余りビブラ−トを聞かせるのなら、少年少女の声の方がよいかもいれません。



  森麻季 さんのアヴェマリア 3分  一番好きです
  https://www.youtube.com/watch?v=NtDZcTFdeRo

  ヘイリーウエンステラと岡本知高 3分 ソプラノとソプラニスタの音色の違いが見事に融合
   https://www.youtube.com/watch?v=blo5jFULCxA


  イネッサ・ガランテ ソプラノ  6分

  https://www.youtube.com/watch?v=Ru8Yah-CMv0

  カ−ラ・マフィオレッテ ソプラノ  4分
  https://www.youtube.com/watch?v=C83Hk8wAcBY



 Libera - Ave Maria(Caccini) - Tom Cully 4分  いいね  ボ−イソプラノが美しい

  https://www.youtube.com/watch?v=bAULcisUEGw

  Amira Willighagen 少女の歌声  5分

  https://www.youtube.com/watch?v=JyQcZgcT5xA


  加羽沢美濃さんのピアノ演奏  4分  いいね
  NHKの平清盛テーマ曲なんですか?知りませんでした。見る気がしませんでしたので。
    http://www.youtube.com/watch?v=3DtCp0Mwe_s

 Ciulio Caccini ジュリオ・カッチーニ(1545ごろ-1618) ルネッサンス音楽末期、バロック初期の作曲家
メデイチ家の歌手でルネッサンスの大パトロンであるコジモ・デ・メデイチの庇護を受け作曲家になる。バロック音楽の礎となった。アマッリリ麗しはあのメデイチ家のサロンで歌われていたと思われます。

   

   他のアヴェマリア

  映画 Passion of the Christ から Oiga Szyrowaが歌う これもすごく良いです。
  作曲 Michael Lorenc  7分
 https://www.youtube.com/watch?v=4Ug5vJiIzBI

 バッハ・グノーのアヴェマリア  ソプラニスタ 岡本知高さん   2分
 http://www.youtube.com/watch?v=upV4p3FJP0c

 サラ ブライトマン 3分  これも大好きです
  https://www.youtube.com/watch?v=roljxa0-8yU

   アヴェマリア   Sissel Kyrkjebo  4.4分  
  http://www.youtube.com/watch?v=4DfHCa4O_4E
                   
   マスカーニ    歌   Sissel Kyrkjebo   3分
  http://www.youtube.com/watch?v=selrkcvErG8&list=RDuK3_Kr2nLtA

 ドニゼッティ  Luccia Di Lammermoorより  歌 Mulla Tchako  3分
  http://www.youtube.com/watch?v=vll74EYlTCs&list=RDr-tVuL_6TQ0
                                  
   ジョスカン・デ・プレ タリス・スコラ−ズ  5分

  https://www.youtube.com/watch?v=yxz8rjcuK9U

  トマス・ルイス・デ・ビクトリア  4声と8声のための  7分

  https://www.youtube.com/watch?v=ZUF5hY3UuWw




                            2013-10-11

                         更新 2019-7-12
  

    アヴェ・マリア・ステラ(ステルラ)Ave, Maris stella  めでたし海の星







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2019年07月11日

ホンダワラのプロペラへの絡み

   
 温暖化の影響か?、今年のホンダワラの繁殖が異常に多く、他のヨットマンも同じ考えのようだ。 瀬戸内海では、まだそうでもなかった。別府に入るころより、プロペラに絡み始めて、1日おきの頻度で潜りそれを取り除く事態に陥る。

 今年のクル−ズプランでは、昨年は九州一周を西回りで計画し、台風の影響で長崎で断念したところから、東回りをすることにした。 別府から佐賀関を回って豊後水道を日向灘へむかった。 もし、昨年と同じ航路を取ったとしても、玄界灘でスクリュ−大量に絡みつき、洋上で潜って取り除いたというヨットマンの体験を聞かされたので、同様に難儀したであろう。

 シングルハンドであると、なかなか前方をワッチするのは完璧にはいかず、舷側にそれが流れていくのを見てハットすることも多い。また、それを取り除くにも、洋上で潜ることはシングルハンドでは、はなはな危険な行為である。体をロ−プで縛って流されないようにヤルとしても、波で船体に頭部をブツけたり、潜って浮き上がった時には船体から離れていることがある。 ヨットの事故で意外と多いのは、泳ぎと飛び込みに自信があるの人なのでしょう、かっこよくヨットから飛び込んで泳ごうとして、船上に上がることができずに遭難することです。 というのは、舷側がクル−ザ−では予想以上に高く、デインギ−と違いハシゴなしでは上がれませんから。 小生は港に着岸して潜ることにしています。若い頃にはオホ−ツクの海でロ−プがからみ、震えながら潜った経験がありますが、それ一度キリです。

 大分佐伯・大入島から宮崎細島を目指して航行中、豊後大島と鶴御崎の間の元ノ間海峡通過までは順調でした。前日に海の駅桟橋で潜って取り除いていたので、ペラの絡みは無しで出港した。速度が4ノット3ノットに下がっていき、深島をなかなか交わせない。日向市沖のやっと枇榔島近くまでやっと来たら、エンジン音が変わり止まりそうになる。 4-5mの大きなウネリの中でした。 また、藻が絡んだなと考えました、入港して潜らねばなるまいと。 エンジンが止まるとなると、メインセ−ルを揚げていないので、ジブだけではセ−リングが満足でない。おまけに二馬力の船外機は取り付けておらず、それにそれの始動が気ままです。大きな揺れのなかで船尾に船外機を取り付けるのは難しい。 毎日のように海藻取で潜るため、船尾ハシゴを使うことを想定して、船外機を取り付けてなかったのです。どちらかしか使えない装備です。  メ−ンセ−ルは下記写真のようにガンジガラメに縛ってあり、すぐには揚げられない。夕方になり日も暮れそうです。 絶対絶命ではなくても大いにコマッタなと思っていたところ、そこへ「どうかしましたか?」と漁船が近寄ってきて声をかけてくれました。 九死に一生を得る、絶体絶命の危機に「救世主」が間髪を入れずに現れるとは、まさにこのことです。日頃の行いが悪いにもかかわらずに。 地元の元ヨットマンが漁船の廻航業務をしていて、ジブ縁が赤い色の知り合いのヨットだと思い寄ってきたものでした、すぐに異変に気が付いてお声がけしてくれて、助かった次第です。

 今回は事故にならずに済みましたが、起きる時には二三重にミスが重なるのでしょう。 と云うより、今まで、おざなりにしてきたもの、怠けてやっていないもの、不完全や欠けた知識によるもの、こういったものがヨットでは何かのときにキッチリと詰めてくるように思います、思い知らされます。 なにせ、自然相手ですから。

 写真のように延岡・トトロまでえい航してもらい無事着岸しました。土々呂のヨットマンの人々がその後数日にわたって門川にある温泉の送迎をわざわざしていただきました。ありがとうございます。

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 えい航される


 土々呂漁港で翌日に潜り、午前中いっぱいかかって写真のように大量のホンダワラを取り除きました。 潜ったらスクリュウ−の形をとどめないほどまん丸く絡みついていた。 エンジンは12時間ほど回した関係で燃料消費が多くなり、タンクの底の燃料を使った関係で燃料供給が悪くなったのが原因と思われます。えい航中にはニュ−トラルにしていてエンジンは止まらずに回ってました。 ヤンマ−1GMがが新造時の規格で前オ−ナ−が2GMに換装しています。燃料タンクは1GM仕様で30リットルであるので、連続12時間は燃費を考えるとを廻しすぎであった。手持ちの燃料用予備ポリタンクが8リットル容量なので、5時間程度のエンジンを使用して、このポリタンクで補給すれば丁度よいと思われる。以後航海途中でも、5時間で補給することに決めた。

 他のベテランヨットマンに対策を聞きました。いずれも航海中に作業可能なもの。

1. 一番よさそうなものは写真のようにペラの上に穴を空けて、デッキから取り除く方法、ハルの形状により出来ないものもありそう。工事代金が50−60万円ほどかかるといいます。

2. 潜望鏡のような底を覗ける器具を作成して、船尾からそれで覗いて長い鎌を利用して取り除く。 これもスタ−ンの形状ヤヨットの大きさにもよる。

3. 船側からハシゴを固定して、そこに腰かけて水中のスクリュウ−を見ながら、長い鎌で取り除く。

 ご老体にムチ打って潜ることは、季節に限りもあるし、できることではない。 クル−ジングの大きな問題となっています。いろいろ自分のヨットにふさわしい方法を見つけることが必要です。

 釣り客を乗せて営業している釣船の船長さんに尋ねたところ、馬力が大きく、スクリュ−も大きい自分の船では問題になっていないとのことでした。海藻などブチ切っているのでしょう。 30年近くの間隔があるけれど、今までの2隻はロングキ−ルの船体であったのか、ロ−プの絡みいがいで潜る経験は無かった。ハルの形状も関係していそうです。

   

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 絡みついたホンダワラ 少し乾いてカサが減る


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 少量のホンダワラの時 この程度は問題なし


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  コックピットに空けたペラ穴



    2019-7-11




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2019年07月09日

ペルゴレ−ジ 1710-1736


 ジョバンニ・バッテイスタ・ペルゴレ−ジ  Giovanni Battista Pergolesi

   

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 1710-1736


 友人からメ−ルがあり、バッハ音楽祭から帰ったばかりの興奮なのか、スタバトマ−テルのバッハ作品をユ−チュ−ブで聞きたいと。バッハのBWV1083を知らせました。

 速魚のバッハ全集

 40年以上前に、彼はペルゴレ−ジのスタバト・マ−テルのレコ−ドを買って来て、小生の下宿に持ってきたのを思い出した。 その当時は珍しい対象のレコ−ドであったといえます。小生もそれでペルゴレ−ジを知った。

 ペルゴレ−ジはナポリで生まれてナポリ音楽院を出て、わずか26歳で死去しました。オペラ作品を作っていたが、オペラ「誇り高き囚人」の幕間劇「奥様女中」で大成功した。 すぐに結核を患い修道院で療養に移る。宗教作品もやるようになり、スタバト・マ−テル 悲しみの聖母を完成させて、ほどなく死去した。

 彼は新古典派の音楽の端緒を築いたといわれるようだが、小生のように限られた限定した音楽しか好みがないので、その時代の音楽については述べることはありません。



 San Francisco Early Music Ensemble Voices of Music.  いいね

 https://www.youtube.com/watch?v=S-FKk_J91LU  42分

 Nathalie Stutzmann, conductor ・ Philippe Jaroussky, countertenor / Emöke Barath, soprano
  https://www.youtube.com/watch?v=qzOmPUu-F_M 39分


 ≪LA SALUSTIA≫  La Capella della Pietа de'Turchini Antonio Florio  

 https://www.youtube.com/watch?v=GChfMjGtMvI 167分



 Concerto for Violin, Strings & Continuo in B flat major 

 https://www.youtube.com/watch?v=r7Fn6iSReds  14分


  マニフィカト St John's College Cambridge

 https://www.youtube.com/watch?v=jtzgCTTvV14  12分

 Salve Regina in c minor Silvia Frigato, soprano L'Arco Magico Chamber Orchestra

 https://www.youtube.com/watch?v=Rlro4tkQ82Q15

 La serva padrona 奥様女中 - Stizzoso mio stizzoso

 https://www.youtube.com/watch?v=ZUa3AN-_hM0  3分

 奥様女中 intermezzo in two parts | Diego Fasolis & Barocchisti

 https://www.youtube.com/watch?v=NsUeywPFEgQ  46分

 Livietta e Tracollo DutchSubs  プテイ・バンド クイケン他

 https://www.youtube.com/watch?v=ebNb2lS-mJA  42分

    2019-7-9







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2019年07月07日

野崎家旧宅・児島


 岡山県倉敷市児島にある野崎家旧宅・旧野崎家住宅を見てきました。 児島市がいつのまにか合併して倉敷市になっている。 児島は瀬戸大橋の本土側ですが、架橋熱のほとぼりも覚めたので、今では児島ボ−ト位しか認知されていませんのでしょうか? ここをさほど期待していなかったのですが、500円の入場料以上のものがあります。近くに行った方は是非ご覧になるのをオススメいたします。

 児島半島(かっては名のとうり島であった)の南側を中心とした広大な塩田開発を野崎武佐衛門が行い塩田王となり大きな資産を築いた。瀬戸内の塩田はどこもそうだが、おもかげはない。ここ跡地を埋め立てて広大な敷地が生じたせいか、今は広々としたJR児島駅になったり、ス−パ−マ−ケットが量販店やたらと多く、さぞかし激戦区になっていることでしょう。

 明治になり納税額の多さによ貴族院の議員に選ばれている。 その彼が3000坪に及ぶ敷地に長屋門や蔵、枯山水庭園、茶室、42mの奥行のある居宅などがみられます。 台所も、浴室、便所なども当時のままに残っております。 また調度品や豪華な漆器など貴重なものも見られます。


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  野崎武佐衛門 1789-1864



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  国指定重要文化財 



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  豪華な調度品



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 庭  珍しい石がある 


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 茶室 


  2019-7-7


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2019年07月05日

スタンチュ−ブ交換


 2019年春のクル−ズを終え、新ホ−ムポ−トへ入った後で、ビルジの点検をしてみるとバケツ2杯で多い。 前日の弓削で冷却水ポンプを交換したばかりです。 そこからの水漏れはなし。 スタンチュ−ブからの水漏れであった。 新しい係留地・岡山に来たばかりなので、修理するところののアテはない。 近くにマリ−ナがあったので、そこで聞いてみると、ここでは修理作業はしていないとのこと。 そのマリ−ナで紹介されたヤンマ−の代理店に行く、状況を見てもらえることになった。 しかし、様子を見た後で、スタンチュ−ブの修理はできないと断られる。どうも、その業者はヨットは得意でないらしい。

 地元のヨットマンの紹介で神戸の業者に修理をしてもらうことになる。 ヤマハ31フェスタのスタンチュ−ブの資料を前のオ−ナ−からは受け取っていない。製品名も分からず。 その部品はヤマハには無いようなので、新しい他社の製品を取付ることになった。 シャフト径とスタンチュ−ブ径が部品注文には必要でした、25mmと2インチと判明して、注文することになる。あいにく土日で今回も冷却水ポンプ交換の時と同じく日数を要した。

 作業はヨットの常で狭いところに頭を突っ込んでの作業。 ハンマ−を振るのにもスペ−スが狭く大変のようだった。小生は見ているだけでしたが。とても根気のいる作業です。それでも、朝から始めて4時ごろには修理を終えて、マリ−ナから係留地に戻ることができました。 費用は部品6万,作業代10万を要し年金ヨットマンには大きな負担であった。



 作業手順

1. 旧シャフトシ−ルを取り外す

2. プロベラシャフトとエンジンとの接合をはずす

3. 旧をシャフトから抜き, 新をスタンチュ−ブに取りつける。

4. 新をシャフトへ通して、シャフトをエンジンに接合する。

 旧シャフトシ−ルを外すことと、プロペラシャフトをエンジンから抜くことが大変だったようです。シャフトを抜いて30cmほどのスキ間がないと離脱取付ができない。 プロペラと舵は同一直線状に普通はあるので、その距離が短い時は、今回の工事はどうするのだろう。舵も抜かねばならないのであろうか?



 

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 交換前に使用していたもの 取り外す   製品名不明

 


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 スタンチュ−ブ 2インチ(約51.5mm)、  シャフト25mm



 

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 新シャフトシ−ルを取り付けて、これよりシャフトをエンジンに取りつける





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  新しいPSSシャフトシ−ル( 02-25M-200)


 

 製品説明サイト

 http://www.samtech-japan.com/product/item03.html



   2019-7-5


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2019年07月03日

延岡城・縣城


 JR延岡駅は素敵な図書館が付属したモダンな駅舎があります。あとで備中松山城を訪ねたときにJR高梁駅も同じ作りであったので、改装パタ−ンのひとつかと気が付きましたが。 そこからバスで10分くらいで延岡城へ到着します。

 延岡城は五ヶ瀬川と大瀬川の合流地点にある城です。1601年に高橋元種によって築かれた。本丸には3層の天守があったが1683年に焼けて現存しない。天守台跡に鐘付き堂があり、決まった時刻に鳴らすことから、市民に親しまれている。そのことをテレビで見て知っていた。

 高橋元種は秋月種実の次男として生まれ、高橋鐘種の養子となる。秀吉の九州征伐で降伏して、延岡に53000石を与えられ、延岡城・縣城を築城した。 関ケ原では大垣城に籠城し西軍が敗れると内応して、家康に所領を安堵された。1613年改易となる。その後は有馬氏、三浦氏、牧野氏と続き、内藤氏で維新を迎える。

 高橋家  高橋元種1587-1613 | 改易

 有馬家  有馬直純1614-1641 | 有馬康純1641-1679 | 有馬清純1679-1692 | 越後糸魚川藩に転封

 三浦家  三浦明敬1692-1712 | 三河刈谷藩に転封

 牧野家 牧野成央1712-1719 | 牧野貞通1719-1747 | 常陸笠間藩に転封

 内藤家  内藤政樹1747-1756 | 内藤政陽1756-1770 | 内藤政脩1770-1790 | 内藤政韶1790-1802 | 内藤政和1802-1806 | 内藤政順  1806-1834 | 内藤政義1834-1862 | 内藤政挙1862-1871 | 廃藩置県

 西南戦争の時には内藤家旧藩士は西郷軍に加わった。熊本で敗れたので本営を延岡に移す。延岡付近で激戦が行われたが、延岡の街は良き交渉により戦火をのがれたという。



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 延岡城と城下町図


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  千人殺しの石垣  ひとつを外すと崩れるという


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 天守台にある 鐘とその管理人の家


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  北大手門

 
   2019-7-3

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2019年07月01日

臼杵城・丹生島城

 
 ヨットで臼杵に入ったので海岸方面から城に入った。 案内が不十分で天守跡も最初は分からず、反対側の大手から戻って天守跡にたどりついたほどです。 あとで公務員風の通行人に家内が苦情を述べたが、人違いでとんだご迷惑をおかけした。その彼は市に申しておきますと良い対応をしてくれたのだが。 大手方面から見学をすれば印象が違ったのかもしれない。 城下町の雰囲気を残した地域もあります。

 大友宗麟が1556年に府内の館・大分から臼杵丹生島城へ居を移した。 キリシタン大名として栄え多くのキリスト教施設があったというが、往時の面影は見あたりませんでした。 三浦按針がめざしたのもここで半ば漂着みたいに、臼杵湾の一角の黒島に上陸した。今回はそこへは訪ねることはできなかった。

 大友氏は九州探題と云われるほど6か国を支配する大国であった。しかし朝鮮の役で敵前逃亡の罪により、秀吉に改易され滅んだ。

 稲葉貞道が5万石で入国した、幕末まで外様として続く。 稲葉氏は美濃で斎藤氏仕え、信長、秀吉に従う。関ヶ原では当初西軍に属し犬山城を守備する。その後に東軍へ寝返る。

 城は丹生島に築かれたので4方を海に囲まれた要害であった。現在は埋め立てられている。大友氏の時に島津から攻められてポルトガルから輸入したフランキ砲を利用して撃退した。本丸に配備されていたという。レプリカが城跡にある。

 


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 三浦按針が上陸した黒島 ヨットから撮影



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  本丸付近図


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  大手付近


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 卯寅口門脇櫓


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  島津軍を追い返したフランキ砲


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武家屋敷



   2019-7-1


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2019年06月30日

こだま キテイちゃん列車


 新しい係留地の事前視察のために、広島から岡山へ行く、たまたま、ホ−ムにピンク色の列車が入線してきた。 新大阪−博多間を運航しているJR西日本のハロ−キテイ号であった。 岡山に行くのにはちょうど都合がよいので乗車してみた。 「のぞみ」なら一駅でいけるのだが、安くて急ぐ旅でもなし。

 外装はリボンをモチ−フにデザインされている。1号車はハロ−プラザとしてギッズを売るスペ−スもあり。2号車はおしゃれにかわいくキテイを飾り付けた内装です。子供連れの家族で乗るなら最高です。

 見かけたところ、日本人より外人ツ−リストが多い。 キテイは世界的なブランドになっているようだ。

   運航スケジュ−ル 

新幹線 こだま730号 博多 6・42発−−−新大阪 11・13着

   こだま741号 新大阪 11・29発−−−博多 15・38着

 特別な切符は無く、2号車は自由席で乗車できる。


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 ハロ−キテイ号 


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 キテイちゃんの車内インテリア


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 専用グッズを販売している車両 その1 

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  1両目すべてを使用       その2


   2019-6-30





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2019年06月29日

冷却水ポンプ交換



  弓削海の駅に着いて、ビルジを抜きだすと、くめどもくめどもバケツにビルジが溜まります、なんと20杯にもなりました。前日の大三島宮浦海の駅では2杯です。いつもエンジンを止めるとビルジを汲みだしているのだが、それは1杯程度ですので、大三島でも少し多いなとは思っておりました。 5時間艇程機走して弓削に着いた割には多すぎです。 エンジンボックスを上げて点検して見ますと、冷却水ポンプのエンジンに向かう接手からポタポタと海水が漏れていました。 ここだと思いビニ−ルホ−スを外してつないで止め金具を締めましたが状況は変わらず。普通はインペラの破損を疑うのですが、インペラの蓋ボルトには水漏れの気配がありません。
 他の係留しているヨットマンに尋ねると、それはアッセンブリ−の一体交換でないかとアドバイス。 的確な助言で、インペラの交換など無駄なことをしないですみました。 彼はボ−トショ−でエンジン保守の講義をしたことのある経験豊富なベテランヨットマンでした。 クル−ジングをしているヨットマンは、60代でキャリア10年以上のベテランが多く、小生の劣化したキャリアとは違いなんでもできる人が多い。

 ここ弓削には珍しくヤンマ−を取り扱う業者がいません。隣の因島にあるマリ−ナで2GMの冷却水ポンプを取り寄せてもらうことになる。その日は金曜日でしたが、あいにくヤンマ−の研修日にあたり休日、月曜日の部品発注になりました。火曜日の昼にはそれが着いて、因島マリ−ナまでとりに行く。往きは連絡船を土生(はぶ)で乗り継いで3時間。帰りはバスで土生へ、今治行の連絡船で弓削に到着、しめて5時間ほど要した。待ち時間が長いので時間がかかります。マリ−ナの人もどうやって来たのだと云われました。 

 交換作業は短時間で終わりました。ビニ−ルホ−スとのつなぎには金具で締めるのみでOK、シ−リング材も必要なしです。 

 旧ポンプは予備にしてとのアドバイスでしたが、児島のヤンマ−に出しましたが、費用が新品が4万8千円なのに、4万ほどかかるということなので、それを断念しています。 冷却水ポンプの本体にはドレンの穴があり、ベアリングやシ−ルの破損でそこから大量の水漏れが生じることがあり、今回の故障の原因です。 冷却水ポンプからの水漏れに注意しなければならないと学ぶ。 それを取り外してみてびっくり、ベルトが首の皮1枚で繋がっていました。すぐにも切断したでしょう。さっそく交換する。ベルトの締め具合もきつく締めすぎないとアドヴァイスがありました。本体のベアリングに負担がかかるからです。ヤンマ−のインペラも他社と違い1−2年では壊れないとのことです。

 

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 新旧の冷却水ポンプ



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 切れかかったベルト

   2019-6-29















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2019年06月28日

イビサ物語〜ロスモリーノスの夕陽カフェにて第74回 連載中  佐野による

 
 友人の佐野のイビザ物語は連載19回までは ここで読めます。  今回ヨットのことが出ていますのでブログに転載しました。


イビサ物語〜ロスモリーノスの夕陽カフェにて
第74回:コーベルさんのこと その1
更新日2019/06/27
 
『カサ・デ・バンブー』で一体どれだけの人、何人と知り合いになっただろうか。所詮はレストランのオヤジとお客の極々表面的な付き合いだ、と言ってしまえばそれまでなのだが、何千人のお客さんの中から、奇妙に近親感が生まれ、私の小さなカフェテリアのアルジ職を離れて、付き合いたくなる人も極少数だが出てくる。他の仕事では考えられないほど広く、バラエティーに富んだ人たちを知る機会を持ったのは事実だ。
コーベルさんは、潰した柿のような顔、頭の持ち主で、おまけにお椀を被せたように白髪交じりの頭髪を童顔に載せている。いつも潤んだ目をパチクリと長い睫毛のマブタで開け閉めする。白人のスイス人なのに、両頬が赤茶に染まっており、よほど野外活動、外にいることが好きな様子が伺えるのだった。
実にゆったりとした性格で、歩き方そのものもユラユラと漂うように、急がず、何事にも決してせっつかず、食事の時のナイフ、フォークの使い方、ワインの飲み方なども実に鷹揚なのだ。すべてがそんな調子だから、南米の木の上に住むナマケモノ(sloth;スペイン語でperezoso)が、地上に降りてきたようにさえ見えるのだった。

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ワインの名産地リオハのヴィーニャ・ポマール(VIÑA POMAL)

コーベルさんは、たいてい奥さんと二人でやって来たが、サン・ホセのカンポ(森)に持っている家の手入れに1、2週間だけ一人で来ることもあった。奥さんの方は、小さく細長い顔の美人で、服装、化粧、そして性格も全く飾らない人だった。
コーベルさん夫妻はイビサに着くなり、自分の小屋と彼らは呼んでいた別荘に行く前に『カサ・デ・バンブー』に直行することが重なった。食事を摂ることもあったが、“ヤレヤレ、またイビサに来たぞ”という顔見世のためと、彼が好きなワイン“ヴィーニャ・ポマール(VIÑA POMAL) ”数本と瓶詰めのミネラル・ウォーターを1ケースを持ち帰るためだ。
私は彼が好きな“ヴィーニャ・ポマール”を切らさないよう、彼のためだけに数箱仕入れるのが習慣になった。“ヴィーニャ・ポマール”は普通のレストランで買い置きするワインの中では高級な方に属し、『カサ・デ・バンブー』ではコーベルさん以外では、年に12、3本出るか出ないかだった。
コーベルさんのラフな服装、彼はいつも胸アテの付いたツナギのジーンズを洗いざらしのゆったりしたコットンシャツの上に着ていた。にも拘わらず、相当な資産家であることが伺えた。ある時、私の夢は小さなヨットで世界を回ることだと語った時、「俺の船を見に来るか?」と彼がヨットをイビサのマリーナに係留していることを初めて知った。
時間を決め、私は“ヴィーニャ・ポマール”を2本とツマミのチーズ、オリーブ、チョリソ(chorizo;豚の腸詰のソーセージ)を持ってマリーナに出向いた。彼のヨットはスウェーデンの銘艇“マーロウ”だった。サイズは40フィートほどで大型艇ではなかったが、デッキはチーク張り、コーチルーフもチーク、内装もマホガニーをふんだんに使ったもので、クラッシク調の高級感が漂っていた。

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カパーソと地元では呼ばれるイビセンコ・バッグの専門店

私がワインとおつまみをカパソ(capazo;わらで編んだイビセンコ・バッグ)から取り出すと、彼はニヤリと笑い、コックピットにすでにハム、チーズ、クロワッサンにコーヒーカップなどが綺麗にセットされたテーブルを指差したのだった。
ヨットを一回り見てから、コーバルさんと向かい合い、遅い朝食を摂った。
「オマエ、本当にそんなことをやりたいのか? いつも上下左右だけでなく、あらゆる角度で揺れ動き、潮に濡れ、寒さに震え、そうでなければ強烈な太陽に焼かれ、満足に寝ることも、食べることもできないんだぞ。世界の海に浮かんでいるヨット、ボートの90%以上は外洋に出たことがないんじゃないか、ヨットはそれを持っている、いつでも地球上のどこにでも行けると思わせているだけのものだ。それだけで十分ヨットをもつ価値があるが…」
と、やんわりと私の夢に水を差したのだった。彼の言葉の端々に、そのような体験を彼自身が持っていることを臭わせるのだった。
キャビンの壁に古風なレース用のヨットが、ほとんどオーバーヒール(傾き過ぎている状態)で時化た荒れた海を突き進んでいるドラマチックな白黒写真が額に入れられ、張ってあった。ヨット乗りは自分が持っていたヨット、長い間過ごしたヨットへの郷愁が強く、そんなヨットの写真や絵画を今持っている船のキャビンに飾ったり、ヨットを辞め、陸(オカ)に上がった後でも、家の壁に掛けたりするものだ。
スイス人の外海に対する憧れ、ヨット好きはよく海への出口を持たない山に囲まれた国の人だからこそ持つ水平線への渇望だと説明される。それにしても、海への出口を持たない陸に囲まれた国は世界にゴマンとあるが、山国の小国、スイスの旗を揚げたヨットが圧倒的、群を抜いて多いのには驚かされる。
冗談めかして、額縁の中のヨットは自分のかと訊いたところ、軽くうなずき、あの時は酷かったとポツリと答えたのだ。彼ののんびりした言動からこんな激しいヨットレーサーのイメージは全く湧かなかった。彼は1979年のヨットレースにおける最悪の惨事と言われている『ファーストネットレース(Fastnet Race)』の生き残りだったのだ。
《その最悪のヨットレースは、303艘がスタートを切り608マイルのコースをフィニッシュしたのが86隻、途中棄権したのが194隻、ヨットを捨てたのは24隻、真っ逆さまになったヨットが75隻、死者行方不明19人という惨劇だった。それでいながら、この伝統あるヨットレースを取り止める声が上がらず、官憲からの中止勧告などはなく、引き続き翌年も開催され、海洋国イギリスの真骨頂を示した。これが日本でなら…と思わずにいられない。これは全く別の話になる》
それ以降、ヨットレースを辞め、クルーザーでイビサからフォルメンテーラ、マジョルカ、メルルカのデイクルーズや週末クルーズを夏場の海が静かな時だけ楽しむ引退したレーサーの舟遊びをしている…と知った。
私に無謀な?ヨットの夢を捨てさせようとした理由が分かった。もちろん、経験のない私が、そんな大それた国際規模のヨットレースに出ようにも出られるわけはないし、外洋レースなどは問題外だったのだが…。
コーベルさんはニコニコ顔で、「オマエの道は『カサ・デ・バンブー』を続けていくことじゃないか、そして小さなヨットでも買って夏の季節のいい時に行われるイビサ島一周程度のお遊びレースにでも出ればいいじゃないか…」と諭すように言うのだった。

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イビサのヨットハーバー

-…つづく

 バックナンバ−
 http://norari.net/ibiza/back_Ibiza_02.php

    2019-6-28



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2019年06月27日

佐伯城・さいきじょう


 大分・佐伯・大入島海の駅へヨットで行き、そこからマリンバス200円で佐伯に着く。 佐伯城を訪ねる。 徒歩30分くらい、日豊線JR佐伯駅からは徒歩20分程度で行ける。甍には武家屋敷の雰囲気の残る通りを歩いて登城口・登山口に至る。帰りはタクシ−を利用した。

 天守や櫓、塀は余り残ってはいないけれど、石垣は多く残っているのでお城の雰囲気は大いに感じられてよい。再建したら面白そうである。

 毛利(森)高政が一六〇六年に城を完成させた。2万石の外様であるけれど、城の規模は石高から想定されるより大きく感じた。山上の本丸と2の丸は焼失し、甍に3の丸を増設してそこに居館をつくり藩の運営をした。 高政の親は信長に仕え、高政は秀吉の近習として仕える。秀吉の光秀討伐の大返しの際には、兄弟で毛利に人質になった。その際に毛利輝元に気に入られて毛利姓をもらう。関ケ原では最初は西軍に属したが東軍に投降した。1601年に佐伯2万石に転封になり佐伯城をつくる。




 

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 佐伯城 案内図



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 三層の天守があったが一六一七年焼失した




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 本丸へ登山口



 

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 3の丸櫓門

 


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 本丸入り口

 

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  2の丸 




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 本丸から望む



  2019-6-27


大分・佐伯城跡から4層階段状石垣 専門家「特異な構造」
毎日新聞 2019/07/04 10:36



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コピーライトマーク 毎日新聞 本丸の外曲輪下で見つかった階段状の石垣=大分県佐伯市の佐伯城跡で2019年7月2日、衛藤親撮影


 大分県佐伯市の佐伯城跡から4層の階段状をした石垣が見つかった。佐伯市教育委員会によると、18世紀前半に大雨のために崩落した斜面を補修した際に築かれたもので、自然石を使う穴太(あのう)積みの技と、堤防などの石組みに似た技術が合わさった特異な構造という。専門家は全国的にみてもきわめて珍しいと指摘する。【衛藤親】
 石垣は、本丸下の外曲輪北側斜面で見つかった。土や雑草を取り除いたところ、高さ13メートル、幅約30メートルにわたる大規模な石垣が現れた。石垣を補強する際に築く縢巾(はばき)石垣が4層の階段状になっている。また、各段の上は水平ではなく斜めにせり上がっていて石で覆われている。石垣の隅が斜面の地形に沿うようにカーブを描いているのも特徴だ。
 市教委によると、1734年(享保19年)の「御城修理絵図」に、大雨で外曲輪東側の塀や石垣、斜面が大きく崩れたと記載されている。今回4層の石垣が見つかった場所と一致するため、独特な石垣は復旧のために築かれたとみられる。
 城郭に詳しい佐賀大学の宮武正登教授は「縢巾石垣が4層にもなっている例は全国にない。保存状態も良く、極めて貴重だ。河川の堤防など治水事業に使われる技を城郭の補強工事に取り入れたと考えられ、これも例がない。高度な技術で本丸を守るために工夫されたのだろう」と語る。
 佐伯城は1601年に佐伯藩に封じられた毛利高政によって1606年、八幡山(現在の城山)に築かれた山城で、「鶴屋城」と呼ばれた。






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2019年06月25日

蒲江




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   赤丸 今回停泊位置 、 下の赤丸はウネリの入る時の避難位置・漁船のいないとき



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 係留位置  2−3隻は可能


 蒲江・大分県は、台風で避難したヨットもあると地元の人の話です。 しかし東よりの風が強いときはウネリが入り、今回の停泊位置では動揺する。その時はこの場所ではサイドアンカ−が必要でしょう。大きなフェンダ−を持っており助かったが、岸壁との間に浮かせていたフェンダ−が岸壁のハシゴにひっかかりライフラインを切断した。 船具屋でワイヤ−クリップを購入できて修理できた。

 東風が続いて5日ほど出られませんでしたが、ここは買い物、洗濯が便利です。おふろは近くのレストランを利用すると入浴できるという。利用しませんでした。

 佐伯にバスで行けるようですが、午後の便が見つからず行くことはなかった。

   2019-6-25


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2019年06月24日

日出城


 「関サバ」や「城下かれい」の地域ブランドは知られてきています。 小生はさっぱり食した覚えはないのですが。 さて、その「城下かれい」のお城はどこでしょうか?

 ヨットで日出城へ訪ねるつもりだったのが、杵築の漁港でアンカ−トラブルに巻き込まれて、巻き込まれたロ−プを除くために潜るハメになり、ここ日出の港への寄港を取りやめ別府に変更した。 そう、城下(しろした)とは日出城のことです。 現地を訪ねて分かった”にわか知識”ですが。

 お城近くに的山荘という格式の高そうな料理屋があり、お昼には城下御膳が5400円で食べられるといいますが、小生はその身分でないので「城下カレイ」はもちろん食べてはいません。

 別府から日出へはJR日豊線で320円20分ほどの近距離にあります。日出城跡のほとんどが小学校の敷地と化しています。 天主部もまたその敷地内です。 取り囲む石垣は残っています。

 初代藩主木下延俊が義兄の細川忠興の協力で築城した。 北政所に続がる関係で家康につき3万石の小藩として維新まで続く。

 

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 日出城下町図



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 日出城(陽谷城)図

 

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  外大手にある時鐘

 

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 鬼門櫓  鬼門・北東の隅がわざと角が切ってある珍しいもの

 

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 天守石垣 三層の天守があった


 明治初期まで城は存在し取り壊される前に実測が行われたという。規模も小さいことから復元されたら、良いものになるのではないかと思う。小学校は移転してもよいのでは? お城ファンの願望にすぎないのだけれども。



    2019-6-24

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2019年06月22日

「やどかり」号の九州一周


 老生が南下を断念して宮崎・延岡・土々呂から蒲江に入港した翌日に「やどかり」が入ってきました。大きなウネリに悩まされて避難してきたよし。それから悪天候が続き、彼らと4日に渡って宴会を愉しみました。やどかりは青島へ南下、小生は北上して臼杵へと別れる。 彼らは私と違い、無事九州一周を成功させました。

 昨日に、我が家へキャンピンングカ−で「やどかり」オ−ナ−が訪れてくれる。 楽しいお酒を再びかわすことができた。その際に、彼らの寄港地を聞きましたので、ここに報告します。 GPSやWindyを手にした今のヨットマンには寄港地の情報が一番知りたいところです。

 やどかり  ヤマハ31Ex

 係留地は地図で赤星印で示しますが、飲みながらでしたので
間違いがあるかもしれません。

1. 大村湾ホ−ムポ−ト発
2. 佐世保 高島泊
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3. 福岡・能古島泊
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4. 福岡・門司泊
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5. 大分・豊後高田武田津泊
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6. 大分・臼杵泊
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7. 大分・蒲江泊
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8. 宮崎・門川泊
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9. 宮崎・青島泊
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10. 鹿児島・大泊泊
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11. 鹿児島・笠沙恵比寿泊
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12. 長崎・天草大江泊
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13 長崎・横瀬浦泊
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14. 長崎・大村着

   2019-6-22

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2019年06月19日

杵築城





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 守江湾・八坂川より見た都筑城・模擬天守



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 三方を川と海で囲まれた要害の都筑城



 北は高山川、東は守江湾。南は八坂川に囲まれた2つの台地に築かれた杵築城。 大友氏に属する木村頼直により築かれた。大友氏が秀吉により改易され木村続直も自刃し滅びた。 その後、前田玄以、秀吉の腹心だった宮部継潤、杉原長房、続いて慶長4年(1599年)には細川忠興の所領となり、重臣の松井康之・有吉立行を城代として置いた。寛永9年(1632年)、忠興の子・忠利が熊本藩に移封となると、替わって小笠原忠知が入った。その後、正保2年には松平英親(能見氏)が豊後高田藩より3万2千石で封じられ、その後明治維新まで居を構えた。

 譜代の能見松平家は、松平家の庶流を祖として三河の時代から徳川に仕える。長篠の戦いや大阪夏の陣で戦功を挙げた。家康6男の松平忠輝の付け家老となり改易になったが連座することなく、独立大名として取り立てられた。横須賀、出羽、摂津、豊後高田と転封を続け杵築に定着した。



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 都筑の漁港にヨットを係留し、そこから天守が望まれるので、目標として30分ほど歩いて城へ到着した。 天守(模擬)と上下台地にある武家屋敷がみることができる。こじんまりまとまっているが、それなりに風情がある町並みがある。5月の連休にお城祭りがあったようだが、当日は終わって後かたずけをしていた。


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  天守



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 北台武家屋敷



  2019-6-19
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2019年06月16日

2019年 九州周航



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救世主にえい航される


  昨日に家に2か月ぶりに帰りました。 昨年は長崎止まりで終えたため、今度は東回りでプランしました。
別府に入る時から、海藻ホンダワラがスクリュ−にからみつくことが多くなり。他のセ−ラ−に尋ねてみても、今年は異常にそれが多いとの意見です。1日おきに潜ってそれを取り除く作業を余儀なくされた。 最後はそれでエンジン出力が低下して港へ、えい航される事態に陥いる。そのため気力も失せ、おまけに悪天候で港に待機することも多くなり、延岡・土々呂で南下を断念して引き返した。

 廿日市に帰港して、次のホ−ムポ−ト岡山児島に向かう。そこへは3日で行けるところをあと1日の弓削でバケツ二〇杯のビルジがたまりました。冷却水ポンプの交換、児島に着いて、スタ−ンチュ−ブの交換と悪い事態が続き日数的にも費用的にも膨大な消費を被る。

 今年のクル−ズは失敗です。 しかし、九州や岡山の地元のヨットマンの方々に親切なお世話を受けたり、クル−ジング中のベテランヨットマンの貴重なアドヴァイスなどで無事に乗り切ることができました。

   皆様大変ありがとうございました。

 他のヨットマンへ今度はあなたがお返しをしてやってくださいと云われましたが、69歳で復帰した初心者みたいな終活セ−ラ−の老生には、何か持っているものがあるのかと自問するばかりです。
 日本にはヨットの世界ではこんな貴重な人間関係の世界が存在しています。60歳以下の人はほとんどヨットをやっていないので、この世界も絶滅していくのでしょう。
 クル−ジングの楽しみは景色・文化・人間と有りますが、今回はヨットマンのふれあいに堪能したクル−ズでした。これはありがたい体験でした。 日頃の行いの良いとは思われない小生にも救世主が現れましたし。

 2019年 所在・ 県・ 訪問など

4月16日 火 北本発 廿日市・ 広島
4月17日 水 整備 廿日市・ 広島
4月18日 木 岡山 児島視察 廿日市・ 広島・ ハロ−キテイ号
4月19日 金 マリ−ナ退出届け 廿日市・ 広島
4月20日 土 整備 廿日市・ 広島
4月21日 日 整備 廿日市・ 広島
4月22日 月  五日市メ−プルマリ−ナ ドック 五日市・ 広島
4月23日 火 ドック休み 五日市・ 広島・ 草津城
4月24日 水 ドック 五日市・ 広島
4月25日 木 ドック 五日市・ 広島
4月26日 金 ドック 五日市・ 広島
4月27日 土 ドック 五日市・ 広島
4月28日 日 整備 廿日市・ 広島
4月29日 月 整備 廿日市・ 広島
4月30日 火 整備 廿日市・ 広島
5月1日 水 廿日市発 上関・ 山口
5月2日 木 上関発 三机・ 愛媛
5月3日 金 三机発 マリンピアむさし・ 大分
5月4日 土 マリンピアむさし・ 大分
5月5日 日 むさし発 杵築・ 大分・ 杵築城
5月6日 月 杵築発 別府・ 大分
5月7日 火 別府・ 大分・ 日出城
5月8日 水 妻着 別府・ 大分
5月9日 木 別府・ 大分・ 鉄輪温泉
5月10日 金 別府発 臼杵・ 大分・ 臼杵城
5月11日 土 臼杵発 大入島・ 大分・ 佐伯城
5月12日 日 大入島発 土々呂・ 宮崎
5月13日 月 延岡 土々呂・ 宮崎
5月14日 火 延岡 土々呂・ 宮崎・ 延岡城、西郷陣屋
5月15日 水 延岡 土々呂・ 宮崎・ 高千穂
5月16日 木 妻帰着 土々呂発 蒲江・ 大分
5月17日 金 蒲江・ 大分
5月18日 土 蒲江・ 大分
5月19日 日 蒲江・ 大分
5月20日 月 蒲江・ 大分
5月21日 火 蒲江・ 大分
5月22日 水 蒲江発 臼杵・ 大分・ 臼杵城
5月23日 木 臼杵発 三机・ 愛媛
5月24日 金 三机発 上関・ 山口
5月25日 土 上関発 廿日市・ 広島
5月26日 日 廿日市・ 広島
5月27日 月 児島行 廿日市・ 広島
5月28日 火 廿日市・ 広島
5月29日 水 廿日市発 大三島・ 愛媛
5月30日 木 大三島発 弓削・ 愛媛
5月31日 金 部品待ち 弓削・ 愛媛
6月1日 土 部品待ち 弓削・ 愛媛
6月2日 日 部品待ち 弓削・ 愛媛
6月3日 月 部品注文 弓削・ 愛媛
6月4日 火 因島部品到着 冷却水ポンプ取換え 弓削・ 愛媛・ 因島
6月5日 水 弓削発 児島・ 岡山
6月6日 木 児島・ 岡山
6月7日 金 UW-1 マリ−ナ 児島・ 岡山
6月8日 土 マリ−ナ 児島・ 岡山
6月9日 日 マリ−ナ 児島・ 岡山
6月10日 月 マリ−ナ 部品注文 児島・ 岡山
6月11日 火 マリ−ナ 児島・ 岡山・ 備中松山城
6月12日 水 マリ−ナ 部品到着 児島・ 岡山
6月13日 木 マリ−ナ スタンチュ−ブ修理完了 児島・ 岡山
6月14日 金 児島・ 岡山
6月15日 土 児島発 自宅・ 埼玉

   2019年 6-16
 

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2019年04月16日

アンドレア&ジョバンニ・ガブリエ−リ

  

 

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サンマルコ大聖堂 ヴェネツイア

 ここでヴェネツイアの音楽1と2で取り上げています。 1000年続いた通商国家ヴェネツイアでは交易の必要性から自由な空気と合理性が求められた。ヴェネツイア派の絵画でもそうだが音楽でも独自の文化を育むことになった。


 「16世紀イタリア、ベネチア楽派の頂点を築いた作曲家、オルガン演奏家。アンドレア・ガブリエリの甥(おい)。若いころの記録はほとんどないが、伯父のアンドレアに師事したと考えられている。1575〜79年ミュンヘン宮廷で活躍したが、ふたたびベネチアに戻り、86年にはサン・マルコ大聖堂の第一オルガニストとなり、終生その地位にとどまった。宗教団体「スコラ・グランデ・ディ・サン・ロコ」のオルガニストも兼務している。伯父アンドレアの死(1586)後、ベネチアを代表する作曲家として活躍、97年に出版された曲集『サクレ・シンフォニエ』は、ドイツやオーストリアにおいて彼の音楽が流行するきっかけをつくった。シュッツをはじめとする多くの音楽家が、彼に学ぶためにアルプスを越えてベネチアにきたのはそのためである。しかし1606年以来、腎臓(じんぞう)結石に苦しみ、それが原因で12年8月12日、生地ベネチアで世を去った。

 ベネチア楽派の特徴である多合唱様式(コーリ・スペッツァティ)は、彼によって頂点を極め、二重、三重合唱にとどまらず、四重合唱を要する大規模な作品も現れ、伝統的なモテット様式の究極の姿を示している。『ピアノとフォルテのソナタ』に代表される器楽合奏曲も多合唱様式を基盤とし、バロックのソナタや協奏曲の様式が形成される萌芽(ほうが)としても重要な意味をもっている。」  [樋口隆一さんによる]



   ヴェネツイア派の絵画
   http://hayame.net/custom19.html#spb-bookmark-578 



 彼らの曲はブラスバンドでもよく演奏されている。楽器が金管楽器ゆえに中学生でも軍楽隊でもとりあげられるテ−マのようです。 古楽器による響きはモダンな楽器とは違う。好みですが、ここではオリジナル楽器の当時使用されたものに近いものをとりあげました。



 アンドレア・ガブリエ−リ  1510-1856

  甥のジョバンニが彼の作品を出版した。


Andrea Gabrieli (c.1533-1585) - Toccata del nono tono (M. Raschietti - Organ)
 https://www.youtube.com/watch?v=FLlQWVwlSjM 6分

Andrea Gabrieli - O, Beltà Rara (1566)
 https://www.youtube.com/watch?v=TmZ7VS8XC78 3分

Andrea Gabrieli - Intonazione del quinto tono, Giovanni Gabrieli - Canzon seconda
 https://www.youtube.com/watch?v=UMF8friKT0s 4分

Andrea Gabrieli (c.1533-1585) - Toccata del nono tono (M. Raschietti - Organ)
 https://www.youtube.com/watch?v=FLlQWVwlSjM 6分

O sacrum convivium - Andrea Gabrieli
 https://www.youtube.com/watch?v=-a9pcQx9anA 4分

Andrea GABRIELI= Battaglia a 8.
 https://www.youtube.com/watch?v=Zr6LjzBtyi4 9分



 ジョバンニ・ガブリエ−リ  1554-1612


“Canzon septimi toni", Giovanni Gabrieli | The Green Mountain Project 2012
 https://www.youtube.com/watch?v=yB96NymHfLQ  3分

Sacrae Symphoniae Vol. 1  ミシェル・コルボ ロ−ザンヌ合奏団・合唱団 (モダン)
 https://www.youtube.com/watch?v=CBobif_00UA 49分

Schütz & Gabrieli - Symphoniae Sacrae - Arp Schnitger Ensemble - Oltremontano - Gesualdo Consort
 https://www.youtube.com/watch?v=Z-NH52EM4X8 40分

John Eliot Gardiner, Orchestra/Ensemble: Monteverdi Choir, Philip Jones Brass Ensemble 
 https://www.youtube.com/watch?v=-XwmtDHXtmw  36分

Suscipe - Choir of King's College Cambridge  
 https://www.youtube.com/watch?v=DP8zh3-4qrU  5分

Symphoniae sacrae II (1615): In ecclesiis a 14  
 https://www.youtube.com/watch?v=v5VoKAoj8AE  8分

“Magnificat a 14", Giovanni Gabrieli | The Green Mountain Project 2012 
 https://www.youtube.com/watch?v=45udZI2KKao 8分

Canzon à 12 in echo (3 choirs) Venice 1608  
 https://www.youtube.com/watch?v=0dihteuej6Q  4分

Beata es virgo' a6 - English Cornett and Sackbut Ensemble 
 https://www.youtube.com/watch?v=H492IwtQmfI  4分

Giovanni Gabrieli - Magnificat a 14 / from the CD Monteverdi - The Other Vespers by I Fagiolini  
 https://www.youtube.com/watch?v=_1bPHViiQGA  8分

Canzon Seconda à quattro  
 https://www.youtube.com/watch?v=OD4rqtWx9h4  3分

合唱 Jugendkonzertchores 
 https://www.youtube.com/watch?v=ZAJXo3lTkSs 3分


  2019-4-16

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2019年04月15日

日本の企業劣化 敗戦前を思い出す  山本一郎


 富士通などのSIerの惨状を見ていると、太平洋戦争で負けた大日本帝国を思い出す


          山本 一郎
                      2019/04/11 06:00  文集オンラインより



   東芝、NEC,パイオニア、富士通、シャ−プとかって一世を風靡した企業が凋落してしまいました。現状維持に甘んじた経営をしていると、それでは劣化していき維持すらできないのでしょう。富士通のように45歳で転換やリストラをを求められるのでは、その企業の未来も無いし、人材は流出していく。  日本の現状は、まだ下げ止まっていないのでしょうか。

 山本一郎さんと云えば、我が好きなゲ−ムの世界では「切り込み隊長」として、ゲ−ムをやりこんだ記事を出されるので有名です。忙しい仕事を為されている中で、いつやっているんだろうかと思います。その彼が現行の企業のありさまをレポ−トしてくれました。
 文集オンラインの記事を転載させていただきましたが、時間がたつとオリジナルな原稿が削除されてリンクが切れてしまうことがあるので、原文を載せることにいたしました。他のものでも今後はそのようにします。 リンクを貼るだけではいけないことに気がつきました。




 注) 「 SIerとは、システムインテグレーション(SI)を行う業者のことである。SIに「〜する人」という接尾辞「-er」を付けてできた造語である。システムインテグレーションとは、システムを構築する際に、ユーザーの業務を把握・分析し、ユーザーの課題を解決するようなシステムの企画、構築、運用サポートなどの業務をすべて請け負うことである。これらを行う業者がSIerである。」


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   お金持ちが住む家、まず例外ない事

 猪瀬直樹さんの往年の名著に『 昭和16年夏の敗戦 』(中公文庫)があります。私も引っ越しのたびに本棚を整理するものの毎回生き残り、半年に一度ぐらいは目を通すぐらいに現代でも通用する非常に興味深い記述の多い内容に涙するわけであります。
 ここまで鮮やかな筆致で戦前の空気感や日本の俊英たちの軌跡を描いておきながら、猪瀬直樹さんご自身はカバンに5,000万円が入らず謎の借用書片手に東京都知事の職を追われてしまい『平成25年冬の敗戦』状態になっておったのが物悲しいです。本書と並び、戦前の日本組織について一般に語られるレベルで大きな影響を与えた『 失敗の本質―日本軍の組織論的研究 』(戸部良一ほか・著、中公文庫)もまた、日本って何でこんなつらくて勝てない組織なの? という話が並んでいるので興味津々であります。
コピーライトマーク 文春オンライン コピーライトマークiStock.com


  日本人が経営の組織はだいたい同じ問題を抱えている


 で、先日、日本の大手SIerであり、官公庁から大手企業、地方の中小企業にいたるまで多くの組織の情報化を支えてきた富士通グループというステキ法人について、5年勤めたとされる人物が増田(はてなアノニマスダイアリー)で実情記事を書いていて話題となりました。


  5年いた富士通を退職した理由
 https://anond.hatelabo.jp/20190326233147


 あまりにも感動的でストレートな内容だったため、この界隈だけでなく私の生息する社会調査やサイバーセキュリティ関連の皆さんのハートを直撃しました。もうね、キュンキュンしますよ。開発系の人たちの集まるコミュニティでは大盛り上がりでした。さすがに富士通で働いている人からは「そこまで酷い環境じゃないよ」という反論もいくつか出ていまして、細かい点では事実と異なるのかもしれません。
 しかし、この記事は富士通という組織についてですが、NEC(日本電気)や沖電気、日立製作所、NTTデータといった純正ジャパニーズ企業だけでなく、IBMや日本ユニシス、オラクルなどでも似たような状況があるようで、つまるところ「日本人が経営幹部の組織はだいたい同じ問題を抱えるのだ」という結論にいたり、無事閉会しました。そして本件記事をみなで内容吟味の末、何となくみんなで「これって太平洋戦争末期の日本軍みたいな状況なんだろうね」ということで一致したわけであります。


  毎年の就職活動でやってくる新入社員は「赤紙」


 笑えない冗談として、開発に従事する、いわば兵隊の役割になっている人たちは、退職は「戦死」扱いされ、鬱などでの離脱は「傷病兵」、大規模失注が空母の沈んだ「ミッドウェー海戦」、質の良い開発装備が揃えられず開発工程が遅れるのは日本軍の「補給・兵站軽視」に、客先常駐は「転戦」、経営陣が日経や東洋経済、ダイヤモンドで何か偉そうなことを言うのは「大本営発表」、毎年の就職活動でやってくる新入社員は「赤紙」、デスマーチになってみんな徹夜してヘロヘロになりながらも何とかテスト環境まで漕ぎ着けようとするも検収してもらえるレベルにまで至らないのを「敗戦間近」、プロジェクトの失敗を「拠点陥落」、そして不採算の事業所閉鎖や本社事業の売却などの連絡を「玉音放送」と呼ぶようです。
 全然、笑い事じゃないんですよね。


  敗戦を重ね続けた日本企業の現状


「なぜいま富士通か?」というと、突然45歳以上は再配置、適応できなければリストラ勧告という、凄いことを発表したのが発端でありまして、これもう駄目でしょって言うか、もう来るべき日が来てしまった、もう玉音放送間近なんじゃないかってみんな思っているわけなんですよね。富士通よ、お前もか。


  [スクープ]独自入手、富士通の4月機構改革と人事異動の骨子
  https://tech.nikkeibp.co.jp/atcl/nxt/column/18/00001/01799/


 高い技術力を必要とする現場という観点では、次世代携帯通信の本丸である「5G」関連で言えば、いまやアメリカ資本になったサムソン電子(Samsung)やインテル、クアルコム(Qualcomm)、中国系ファーウェイ(HUAWEI)、ZTE、フィンランドのNOKIAといった各社に、日本の大手企業がなかなか食い込んでいくことのできない現状があります。端末から基地局まで日本市場で頑張っているのは軒並み海外勢で、日本国内向けの市場にしがみついて大手から中小各社がひしめきあって競争をしていた日本企業はあまり海外では通用しなくなってしまって、敗戦を重ね、むしろ部品や素材メーカーとして部分最適を図っていくのが日本のお家芸になってしまった感はあります。


  技術的に海外勢に対抗できない今、すべきこと


 これら通信事業者方面の問題点だけでなく、日本の通信全般やシステム開発関連といった日本の情報化にまつわる大企業に共通した病理にも見えます。富士通やNEC、あるいはNTTグループやKDDIなど単に日本の民間企業がアカンという話だけではなく、『昭和16年夏の敗戦』や『失敗の本質』が指し示すように「組織の風通し」や「資源の調達に見合った作戦立案」、そして何より「組織の明確な目的」が必要で、それらが揃ってはじめて「単年度や中期の事業目標」が策定できるわけです。
 いまや、富士通やNEC単体では技術的に海外勢に対抗することはできず、むしろ技術分野においては過小資本で、事業目的をしっかりと立てて外部資金を大きく導入し、事業と利益とお客様のニーズに資する事業再編や投資を行っていかなければならない局面にあるわけです。
 何といっても、中国ファーウェイは何かと叩かれますが、大学を出て勤務経験10年にも満たない人材がアジア全体の技術戦略を検討するポストに抜擢され、30代そこそこでも決済権限を与えられて1四半期あたり1件10億ドル(1,000億円)の予算を持ち技術投資が行われている時代です。機動的に高い技術力を確保するための作戦を実施するには、優れた人材がまだ若く感度の高いうちに大口の投資を自らの判断でバンバンやっていける環境が本当は必要なのかもしれません。
 もちろんこういう実例は一面においてはバブルの様相を呈しているので、一様に賛美するのはどうかとも思います。ただし、風通しや現場に決裁権限を与えるという面では見習うべき部分は大きいとも感じるんですよ。かたや日本企業では100万円の経費でも稟議の対象となり、開発者1人当たりたかだか月間50万円程度のコストのシンクライアントのVDI(仮想デスクトップ)の導入に3年もの年月がかかる日本企業が組織の意志決定や開発環境の整備で先んじられるはずもないのです。


  日本企業のテーマは「人材流出」


 かたや、データ資本主義と喧伝され、日本国内では安倍晋三総理の指揮の元で内閣官房が中心となりGAFAM対策、つまりは海外のプラットフォーム事業者へ日本がどう対抗するべきかという謎の準備会が立ち上がるようです。気持ちはわかるけどそんなので大丈夫なんですか佐野さん。なんかこう、関東平野にピストン輸送的にB29がお腹にたくさん爆弾抱えて飛来しているところに、みんなで額に鉢巻き絞めて竹槍選手権でも始めるつもりなのかと心配になります。
 何が起きているのかと言うと、先日特徴的な記事が出て少し炎上状態になりました。


  GAFAに人材流出防げ NTTコムの新キャリアパス : NIKKEI STYLE
  https://style.nikkei.com/article/DGXMZO42715110Q9A320C1000000/


 このインタビューに出ているNTTコミュニケーションズの山本恭子さん、名誉のために書くと界隈では悪く言う人の少ないまともな人物で、ややもすると旧弊的な組織をどうにか風通し良くしようと奮闘しているなかでの話だそうです。炎上させるやつって最低ですよね。ただ、開発の現場でラグビーボールが飛び交うようなネタにされてしまい、それを現役NTTコム社員がブログで否定、さらにその人物に対し社内の状況を克明に公表するのは如何なものかと物議を醸しておるわけです。もう少し界隈の皆さんのアナルを拡張工事したほうが良いようにも感じます。
 ここで語られる「GAFAに人材流出」というのは日本企業の大テーマです。人材が逼迫し、良い人を採用するコストを会社がどう負担するのか、いままで組織で頑張ってきた人たちと、外から引っ張ってくる優秀な人たちとの賃金格差を人事体系上、組織としてどう説得力のある形で埋めていくのかというのは重要な問題になっています。


  富士通で起こる「人材流出」のメカニズム


 富士通で言えば、誰もが口を揃えて言いますが若い人の給料はとても安く、優秀でもそうでなくてもたいして給料が変わらない時期が長くあります。しかし、若くても業界でそこそこ名前が売れるほど腕に自信のある人は、社外人脈もできてスカウトもかかり、高給が保証されるようになると、組織の目的もはっきりせず昇給も怪しい富士通には見切りをつけて、よりフレックスで、より明るい環境で、より風通しの良くて、より給料の高い外資系開発会社に簡単に移籍してしまいます。
 富士通が安く新卒を使って開発案件でこき使って有利に経営しようとしているはずが、単なる外資系の優秀な人材選抜システムになっていることになぜ気が付かないのか、不思議でなりません。戦力にならない奴に富士通などの日本企業がイチから社会人として教育し、その金看板でいろんな技術者コミュニティで名前を売る若者が自分からより良い環境を探して飛び立っていく、養分供給場所に成り下がっていることは知っておくべきです。
 逆に、組織にしがみついても今回のように45歳で見切りをつけられる可能性のある富士通にいて展望が拓けるのか? 未来があるのか? と言われれば、組織的にはいくら後から「戦死」と揶揄されようとも他の道を探しておかしくない状況になり得ます。例えば30歳で結婚して、32歳で子どもができて、45歳と言ったら中学生になるタイミングで会社から放り出されるかもしれないという危機感をもっていかなければいけないわけですよ。それなら、富士通ほど安定していないかもしれないけど、デスマーチのない給料の良いところで干されないだけの技術力を磨こう、と考える若者が出てもおかしくありません。
「大手企業に勤めている会社員」という先のない肩書よりも、どこにでも通用する技術を持ち、いろんなところからお声がかかるフリーランスの技術者であるほうが、収入面でも環境面でも有利になってしまう時代が到来しているとも言えます。もちろん、いま景気が良いから大企業よりもベンチャーや外資系のほうが働きやすいというのはあるかもしれません。ただ、この景気の良い状況なのに45歳以上は配置転換を強いる大企業が、次の景気悪化のときにベンチャーや外資系よりも多くの社員を抱えていられるという保証も無くなっているのです。


  敗戦間近ないまの日本企業の悲惨な姿


 そしてそれは、繰り返しになりますが富士通だけの問題ではないのは当然です。このNTTコムでも他の日本企業でも「イケてる人ほど、技術の研鑽のために社外の人たちと交流がある」し、「イケているので、どこの企業でも通用するスキルを持っている(と思われる)」のは共通しています。そこで、世界的な大企業であり、高給が得られるであろうGAFAMの門を叩くのはイケてる人ほど考えるであろうし、何であれば、GAFAMの側からそういう人材をサーチして引き抜きにかかってくることになるのです。
 そこにきて、最近Googleなどでは退職者ブログが流行し、Googleに勤めていた人が、Googleは良い組織で素晴らしい環境だったけどしたいことができたので辞めました、という記事が続々と掲載されることになりました。これを見て、彼我の環境の違いに愕然とする日本企業従業員はたくさんいたことでしょう。
 本当の意味でのフレックス。本当の意味での自由な開発環境。本当の意味での勤務評価に、本当の意味で必要なことは上司に自由にかけあえる企業風土。同じ人間が集まって事業をしているのに、ここまで状況に差ができるというのはどういうことなのか。
 国内で似たような企業が血みどろの競争をする一方、日本にやってくる規模の外資系企業には、世界的な競争に勝ち抜いた錚々たるブランドに強い企業風土を抱えたピカピカの会社が多くあります。国内でどれだけ頑張って官公庁や国内メガバンクの仕事をしていても、海外で通用するプロダクトとはお世辞にも言えないプロジェクトで疲弊しているのが日本企業でもあります。経営者の質の違いだけでなく、資本力、商品・サービスの構成力、利益を生み出す力が、これらプラットフォーム事業者であるGAFAMと日本企業に大きな差として目の前に厳然と突き付けられている、それが敗戦間近ないまの日本企業の悲惨な姿なのですよ。


   繰り返される失敗の本質


 東芝を見ましたか、シャープはどうでしたか、ジャパンディスプレイはいかがでしょう、それと類する事態が企業の崩壊よりも前に優秀な若手人材の大規模な流出、それも取り返しのつかない規模での喪失という現象を起こしているのは、なぜだと思いますか。
 結局は、日本を、社会を、企業をどうしたいのか、どうするのが理想であるのかという具体的なものがまったく見当たらないので、不明瞭な方針しか立てられず、貴重な人材はどんどん戦死してしまい、組織がガタガタになって利益構造が壊滅してからお金が足りなくなって身売り先を探さざるを得なくなる、それが繰り返される失敗の本質なんじゃないかと思うんですよね。


  海外企業が得をする日本の法律の"抜け穴"


 そして、GAFAM対策を日本が急がなければならない理由もはっきりしています。例えば、GoogleやAmazonは日本で合同会社しか設立しておらず、そこで、2,000万円だ、3,000万円だと高額の報酬をもらっている日本人は、その何割かを株式で支払われていたと明言しています。


 Googleの退職エントリーラッシュに見る、多国籍企業のフリーライド感 | プレタポルテ by 夜間飛行
 http://pret.yakan-hiko.com/2019/03/31/yamamoto_190331/


 適法ではあるのですが、確定申告で納税されるのは所得税分だけであって、いまや新たな増税枠とも言える社会保険料はこの株式で支払われた分は支払いの対象になりません。つまり、海外企業で高給取りが増えれば増えるほど、社会保険料という点では払わない人たちが増える、すなわち、日本で真面目に経営をし、またそこで働く人たちががっつりと支払わされる社会保険料によって成立する日本の保険制度は、これらのGAFAMの一部は負担せず、しかし日本の優秀な社員を高給で引き抜き、日本社会で利益を得て、事業をしていることになります。
 また、同様に一部は日本での租税もアイルランド法人などを使って回避していることになりますし、そりゃあB29が飛んでくるのは仕方ないにしても竹槍の一つも手に持っておきたいと考える日本人は少なくないのでしょう。


  日本企業が海外と戦える仕組みをどう作っていくのか


 ただ、よく考えてほしいのは、なぜ私たちは竹槍を持たなければならないところまで追い込まれてしまったのか、ということです。自分の人生を考えて、高い報酬を求めて外資系に転職していく日本人の若者が悪いわけではありません。単に「富士通はほんと駄目な組織だね」とか素朴な感想を持つのは当然としても、私たちや私たちの子どもの世代が竹槍を持たないでも望む仕事がストレスなくできるような日本社会、日本企業を育成し、海外税とも互角に戦えるような仕組みをどう構築するべきかを考えなければならないのではないかと思います。
(著者謝辞:この記事の執筆にあたっては、富士通グループ、NEC、NTTグループほか、多くの技術者の方のご意見を頂戴し、参考にして執筆をしました。すべての文責は山本一郎にあります。お考えを寄せていただいた皆様には、深く感謝を申し上げます)

        (山本 一郎)



  後日談

  先に富士通退職者が書き綴ったブログ記事のエントリー内容に呼応する記事を文春オンラインに書きました。富士通などのSIerの惨状を見ていると、太平洋戦争で負けた大日本帝国を思い出す 日本って何でこんなつらくて勝てない組織なの?


  実のところ、この記事を書くまでに富士通に限らず日本のSIerについて詳しい人たちの集まるFacebookグループで問題意識が高まっていて、スクープがその後誤報とされた「富士通45歳配置換えニュース」もそれなりに事実関係の裏が取れている内容だったようです。
 で、実際にはそういう日本企業の「現場力の高さ」、すなわち使い捨てになりがちな人材でも役目を与えられると最後まで頑張ってくれる、という特質に甘えてしまうマネジメントの問題というのがあります。もちろん、日本企業でもうまく堅実な経営を行い、世界と戦っていける場合も数多くあります。


 キーエンス、コマツ、トヨタ自動車のような、きちんと海外でも戦える系の組織と実績を備えた企業がある一方、ユニクロを運営するファーストリテイリングや日本電産、スズキ自動車のように先陣切って戦う系のトップが牽引するタイプの企業もあります。
 翻って、日本のSIerは特に、世界で戦えるような状況になってない、というのは頭の痛いところでして、細川義洋さんの『システムを「外注」するときに読む本』とかは業界全体で必読にしておいていいんじゃないかと思うぐらい基本が揃っている内容です。

  つまりは、「お前ら頑張れ」という軍隊型組織でSIerやっちゃだめだよ、ってことだと思うんです。きちんとプロジェクトの内容をブレークダウンしたり、具体的に何をやるのか要件定義をし、それに対する作業の見積もりを出し、必要なスキルを持つ人を集めてきて、然るべき期間をかけて、充分な予算を売り上げとして確保する。そういう組織横断、縦断でしっかりと「俺たち何を作るんだっけ」と理解して取り組めるプロジェクトがきちんと稼働して初めて、お客様の求める仕組みが実装出来たり、納期を守って本番環境も上手くいくものだということで。
 逆に、「お前ら頑張れ」の組織だと、この作戦とは何を目指すのか、それに対して何を期待しているのか、どういう完成後のイメージなのかを共有することも怠るようになってしまうわけですよ。富士通に限らず開発プロジェクトを担当する人たちの愚痴は、とにかく営業が安く受注して来てしまうのでやらなければならないプロジェクトを完成までに持っていく工数のコストが利益の出る形で〆られないのだ、と。営業から開発現場、そして保守運営にいたるまで、一定の共通認識を持ち感性のイメージを共有して「安値受注」を安易にしない、案件を取れば後は関係性で利益は後からついてくる的な仕事の仕方を排除する必要があるだろうというのは、みなさん一致した見解なのですよ。
 ところが、そういう知見がなぜかこの手の大企業の経営陣や経営企画にはほとんど活かされることがない。
 で、文春オンラインや先日発表した私の新著『ズレずに生き抜く』で、いくつか仕事でお互い愚痴吐きながらデスマーチを生き抜いた面々の逸話をまとめた小噺が収録されています。概ねの内容は、文春オンラインの記事で無料で読めます。

  ところがですねえ。
 これには後日談があって、念頭に置いている私たちの同志が、先日の人事で開発担当の執行役員になったのですよ。これはめでたい。
 私も企業研修で良く中堅の幹部の方に講演で話すこともあるので、さっそく呼ばれて執行役員になってどんな話をするのか聞く機会があったんですが。
 いきなり、仕事には三本の木が必要だ、とか言い始めるんです。
 それは、現場の「元気、やる気、根気」だと。
 おい。
 みんなでそういう精神論がデスマーチを生み現場に混乱をもたらしたよねって、私ら外注もエース候補も集まってそう結論付けたじゃないですか。一緒に反省会、やりましたよね。適当な思い付きで仕事を始めるのはやめよう、精神論に逃げるのは駄目だって。そういう総括をして、みんなで来期は新しい仕事を納期通りやろう、良い仕事をしてお客様に喜んでもらおうって、そう約束したじゃないですか。
 そのあなたが、昇進した最初の幹部会でそれを言うんですかって、ちょっと言い合いになりました。
 なんとかの法則じゃないけれど、人間というものは昇進した最後のポジションが無能になるという典型にならないよう、嫌がられてコンサル契約を切られるまで現場で働く皆さんのために「お前さあ」と言い続ける役目が私なんだと思っているぐらいです。
 この原稿を書いているところで、驚くべきことに今日ちょうど小学校の父母会があり、そこで体育教諭のご挨拶で体育で必要なものは「まずは何より安全第一」そして「元気、やる気、根気です」ってお話をされていました。体育の授業ですから、無理せず安全に授業をし、楽しく身体いっぱい動かそうねという意味で、元気やる気根気ってのはいいと思うんです。
 ただ、それは頑張って身体を動かしていろんな能力を身に着けようとか、心身の成長に資する授業を怪我せずやり遂げようとかいう話だからこそ意味がある指示だと思うのです。そして、頑張って走って、その頑張りが認められて先生に褒められるのは子どものうちだけです。
 データ資本主義と言われ、知的労働が重要だとされるソフトウェア開発の世界で、頑張ればバグのない綺麗なコードが書けるのだとしたらそれは間違いです。あるいは、経営企画において適切な事業計画を立て、新規事業に投資をし、有望な技術開発にGOをかける、これも頑張ればどうにかなるというものでもありません。
 だからこそ、考える時間が必要だ、落ち着いて取り組める環境が大事だ。そのためには、良い開発機材、優れた環境、最先端の技術や思想を研鑽できる社内・社外の交流の場、リラックスできる時間を自分で管理できる完全フレックスタイム、求められる職能が正しく評価される人事制度、そして、その企業に今後も務めて貢献できる人たちが他に転職していかないよう繋ぎ止められるだけの給料ーー
 しかし、現実には転勤はある、奥さんや子どもとの時間も上手く工面しづらいような勤務体系、硬直化した人事、レベルの低い研修にVDIですらない開発環境といった、どうしようもない職場に満員電車に揺られて通っているのが実態じゃないのでしょうか。これでどうやって知価社会を生き抜き、同業他社に負けない製品やサービスを開発し、世界的な多国籍企業と戦っていくのでしょうか。
 で、そういう話をすると、だいたい経営幹部に上がった皆さんは眉間にしわを寄せて「分かっています、分かっています」と仰います。たぶん、分かって入るのでしょう。でも、それを解決するための方法が見つけられないか、実現できるだけのパワーがないだけで。
 だから、黙ってみているしかないんですよね、現場は。いつまで我慢すれば少しは良い状況になるのか、と苦しい想いを紛らわせながら。

   2019-4-15



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2019年04月10日

忠勇隊


 8.18 の政変で長州が京の政治の中心から追われたころ。全国から集結して京都でうごめいていた尊皇攘夷の志士は長州への下った。七卿落ちでで随従したものもいる。禁門の変が起こるとそれらの勤皇攘夷の志士は忠勇隊に参加した。敗戦とともに生き延びたものは再び長州へ参集した。禁門の変後には忠勇隊を再編することになる。 薩長同盟や高杉晋作の功山寺挙兵に貢献する。坂本龍馬の海援隊に加入したものもいる。 天誅組挙兵、高野山挙兵、英彦山義挙などにも参加した隊員も多く、エネルギ−だけで先走った人が禁門の変で自決や藩の佐幕派による斬死に追い込まれた。しかし草莽崛起の人であるのは間違いない。幕末の歴史の本流を担った人々により成った忠勇隊である。郷土史家がもっと注目してくれればもっと多くのことが分かるのにと思うばかりだ。

 ●禁門の変の忠勇隊
総督  真木和泉
 隊長  真木外記 
     松山深藏
 副隊長 上岡胆治(兼任)
 伍長   黒岩治部之助 
      那須俊平   
      上岡胆治(兼任)

●禁門の変後の忠勇隊
 隊長    中岡慎太郎(のち総督)  
       真木外記(のち総督)
 軍司    長谷川鉄之進 
 伍長    三瀬深造       
       黒瀬一郎助    
       池内蔵太      
       藤四郎        
       息吹周吉      
       北畠四郎

 忠勇隊士 (出身別)


土佐

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中岡慎太郎  1838-1867  龍馬と共に暗殺される。 陸援隊隊長
松山深蔵  1737-1864 庄屋の次男として誕生、医学を大阪で学ぶ。江戸へ自費で行く。禁門の変で敗退して自刃27歳
黒岩治部之助(黒岩直方)  1834-1900 三条実美と共に下関に、黒岩涙香は甥にあたる。 明治以降は司 法で活躍 
楠本文吉郎   五卿が赤間へ移る際に随従する
 南部興夫    五卿随従者
伊藤甲之助  1844-1864 七卿と西下、禁門の変で重傷を負い自刃21歳
利岡玄兵衛  七卿と西下 中岡慎太郎より依頼で資金を白石正一郎から受け取る


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 那須俊平 1807-1864   天誅組の那須信吾の養父、禁門の変で銃撃で倒れる58歳
 窪田真吉(真田四朗)  魚の行商人だった
 尾崎幸之進   禁門の変で戦死25歳
中平龍之助 1842〜1864 梼原村地下浪人中平佐平、妻登根の長男として産まれる。那須俊平に剣を学び、 同志と気脈を通じ、勤王の志を篤くする。文久3年脱藩、長州忠勇隊に入り禁門の変に参戦した。激闘の末 重傷を負い自決した。22歳
安東真之助  禁門の変で敗退し天王山で自刃22歳
上岡胆治  禁門の変で負傷して自刃42歳
柳井健次  禁門の変で負傷し自決
玉川壮吉  なし
 上田宗児   天誅組には家財を持って応援

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 息吹(伊吹)周吉(石田栄吉)  1839-1901    医師の家に誕生、適塾で学ぶ、天誅組で山と挙兵に 参加、長州へ、禁門の変で負傷、七卿落ちで再び長州へ、海援隊士、下関戦争でユニオン号指揮、維新後県 令を歴任、陸奥宗光が農商務大臣のときの次官。
池内蔵太  海援隊員、ワイルウエフ号遭難で死亡
島並間  天誅組に参加、作州で盗賊と間違えられ最後
安岡金馬  海援隊員
能勢達太郎  禁門の変で敗退し天王山で自刃23歳
大利鼎吉   伊東甲之助の切腹を介錯
井原応輔   なし

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 浜田辰弥(田中光顕) 1843-1939 中岡慎太郎死亡の後陸援隊率いる。宮内大臣などを歴任
  那須盛馬(片岡源馬)   なし
 橋本鉄猪   なし
 池大六(山中敬三)  なし
 三瀬深蔵  なし
 清岡半四郎(公張) 1841-1901  七卿落ちに随従、禁門の変に参加、新政府に出仕
千屋菊次郎  禁門の変で敗退し天王山で自刃28歳
田所壮輔(谷島次郎)  土佐の砲術家
柳井健次  禁門の変で負傷し自刃23歳
細木核太郎   なし



久留米

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 真木和泉・保臣 1813-1864  神職に生まれ、水戸の金沢正志斎に学ぶ、藩政改革を建白して10年の蟄   居、島津久光の上洛で上京、寺田屋事件で幽閉、七卿落ちで長州へ、禁門の変で敗走して自害。
真木外記・鏡五郎  和泉の実弟、
真木菊四郎  和泉の実弟 池内蔵太により暗殺された、
井上善三郎  なし
 佐田剛之助  明治15年に三条実美家文書に建白書「政党者の浮説矯正」を提出
淵上謙蔵  池田屋事件で負傷、 西郷に長州に寛大の処置を依頼
宮田半四郎 禁門の変敗退で長州へ、鳥羽伏見の戦いで重傷
松浦八郎 久留米勤皇党、七卿落ちで長州へ

筑前
 藤四郎  野村望東尼と共に監護された。玄海島に流罪、野村望東尼を姫島より救出
  川辺又四郎  なし
 堀六郎・岡小六 1834-1862  生野挙兵に参加、禁門の変で敗退して長州へ、福岡に戻り玄海島で処刑。
  斎藤要七  1842-1862  七卿落ちに従動、禁門の変で敗退して周防に帰る。福岡に戻り玄海島で処刑。
  大神壹岐  乙丑の獄で斬罪
  小芝三郎兵衛  なし
 小山田三郎  なし
 中村恒次郎  福岡藩士、福岡舛木屋牢獄から兄・中村円太を救出し長州へ、禁門の変で戦死24歳

彦山
 鬼谷嗔  なし
 柏木民部 1838-1871 英彦山の僧徒、7卿落ちで長州へ、維新後司法省に勤める、
安達昇    英彦山僧、 英彦山義挙
安部豪逸 1834-1883  英彦修験僧  英彦山義挙から長州に逃れ、禁門の変に参加、

肥後
黒瀬一郎助  1836-1868  熊本藩足軽、横井小楠暗殺事件の吉田平之助死亡の仇討ちとされて殺される。  禁門の変参加
萱野嘉右衛門・藤村紫郎 1845-1909  7卿落ちで長州へ、禁門の変で敗走、高野山挙兵に参加、北越戦争  参加、県令や知事を務める。兄は黒瀬一郎助。
国友常吉  なし

対州
 青木与一郎  元治元年対馬藩を脱藩して長州へ、禁門の変で戦死29歳
津田愛之助  対馬藩士、禁門の変で戦死18歳
岩谷藤四郎  なし

阿波
 中山八郎  なし
 中山竹次郎  なし
 中山多加二郎  なし

伊予
 飯塚亀太郎  なし
 深尾源次  なし


 沢田震太郎  なし
 沢田真蔵  なし

大和
 林芳太郎  なし
 北畑四郎  なし

越後
 長谷川鉄之進

江戸
 中川児二郎  なし

讃岐
 南長次郎  なし

丹波
 今枝恭蔵  なし

豊後
菊地三郎  なし

出身地不明
三輪繁之助  なし

   2019-4-9






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2019年04月08日

刑事フォイル  最終回シリ−ズ開始




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 海外のテレビ映画の製作手法は日本とは違っていて、時間をゆっくりかけて作っています。シリ−ズに分けて放映している。 ソバカスがかわいらしい若い女優さんが三十路に近いふっくらとした女優として再登場したりします。

 4/6よりこの刑事フォイルシリ-ズがこっそりNHK・BSプレミアムで始まりました。たいした衆知もなかったので知りませんでした。幸い24時間録画機能の器具を持っているので見ることができました。 つまらない韓国ドラマを宣伝するなら、こんな良いものを知らしめてほしいものです。

ナチスドイツの占領国でその国民が軍人として独に協力した国には、ウクライナがあるのは承知でした。ロシアに苦しめられていたウクライナではありそうです。現にいまはウクライナと新生ロシアは対立しています。
 刑事フォイル最終シリ−ズにおいて、英国の捕虜になったソ連人を終戦になって帰国させる問題をとりあげています。 この映画はフィクションゆえに実際にあった事件とはいえないかもしれません。アルマンゾフ号事件としてウイキでいろいろ調べてみても見つかりませんでした。 英国で管理しているドイツ軍・ソ連兵捕虜をオデッサにアルマンゾフ号で帰還させたところ全員が射殺されてしまいます。英国はこれを機密として帰還作業を継続しようとします。これに関して事件が起こり刑事フォイルが捜査していきます…………。

 白系ロシアの人達は反共の立場でドイツに協力した。また、ドイツの捕虜になり反スタ−リンの立場で協力した人も多かったといいます。このような人々を捕虜の返還というな名で返してしまえば、虐殺されてしまうのは明々白々のことです。人道的な難民条約も無かった時代です。 よく脚本にして描いてくれたと思います。 今度のシリ−ズに期待いたいます。
 なお、アマゾンのプライムビデオにてもレンタルでご覧になれます。

   2019-4-8

  追補

 参考までに

Almanzora-1915-02.jpg
 Almanzora号

 秘密の裏切り
 http://www.ihr.org/jhr/v1/v1n4p371_lutton.html  グ−グル翻訳もできます。

  2019-4-12










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2019年04月06日

日本人の 議論は「のんき」すぎてお話にならない 危機感 をもって「本質」を徹底的に追求せよ


 日本の現状を変えるために、例えベイシックインカムをやるにしても現状を固定したままでは、新たな問題の創出に終わるのかもしれません。米国の民主党の大統領候補のひとりに1000ドルを国民に与える主張の人がでてきています。時代は変わってきています。
 アトキンソンさん自身で日本の現状改革のための問題を、まとめたものを出されていますので転載いたします。 彼のことを、小さな古い伝統的な歴史ある企業を再生させたに過ぎない人に大きな日本のことを改革できるわけがないと批判する人もいるようです。 それは形式的なことで述べているだけで、彼の内容について具体的な議論を聞いたことはありません。 考えはいろいろなので良い議論が盛り上がって、さらに向上できるといいです。 福井モデルと関連してアトキンソンさんを読んでみるとおもしろい。



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 デ−ビット・アトキンソン


 経済規模を示すGDPは、「GDP=人間の数(つまり人口)×1人当たりの生産性」という式で表すことができます。これから日本では人口が減るので、生産性を上げないと経済の規模が縮小していきます。これは、かけ算さえ知っていれば誰にでも理解できる簡単な事実です。


 人口が減っても高齢者の数は減らないので、年金や医療費をはじめとした社会保障費の負担は減りません。そのため、日本の場合、経済規模を縮小させてしまうことは絶対に許されないのです。


 生産性を上げるとは、労働者の給料を上げること、そのものです。人件費をGDPで割れば、労働分配率が求められます。つまり、生産性と労働者の給料は表裏一体なのです。
 英国銀行は、労働分配率を下げるとデフレ圧力がかかると分析しているので、デフレを早期に脱却するという意味でも、日本は労働者の給料を上げ、労働分配率を高めるべきです。


 生産性向上にコミットする経済政策を「High road capitalism」と言います。「王道」と訳されることもありますが、見方を変えれば「茨の道」とも言えます。当然、その反対は「Low road capitalism」です。こちらは、ある意味で「邪道」とも言えます。
 経済の「王道」と「邪道」
簡単に言うと「High road capitalism」は高生産性・高所得の経済モデルです。「High road capitalism」の根本的な哲学は「価値の競争」です。市場を細かく分けて、セグメントごとにカスタマイズされた商品やサービスで競い合うのが競争原理になります。そのため、商品とサービスの種類が多く、価格設定も細かく分かれています。

 High road capitalismを志向している企業は、商品をいかに安く作るかよりも、作るものの品質や価値により重きを置く戦略をとります。他社の商品にはない差別化要素であったり、機能面の優位性であったり、とりわけ、いかに効率よく付加価値を創出できるか、これを追求するのが経営の基本になります。
 最も安いものではなく、ベストなものを作る。そのスタンスの裏には、顧客は自分のニーズにより合っているものに、プレミアムな価格を払ってくれるという信条が存在します。
 High road capitalismを追求するには、もちろん最先端技術が不可欠です。そして、それを使いこなすために、労働者と経営者の高度な教育も必須になります。同時に機敏性の向上も絶対条件です。
「Low road capitalism」は1990年代以降、日本が実行してきた戦略です。規制緩和によって労働者の給料を下げ、下がった人件費分を使って強烈な価格競争を繰り広げてきました。
 海外の学会では、Low road capitalismに移行すると、一時的には利益が増えると論じられています。しかし、Low road capitalismによって短期的に利益が増えるのは、技術を普及させるための設備投資が削られ、社員教育も不要になり、研究開発費も削減される、すなわち経費が減っているからにすぎません。Low road capitalismは先行投資を削っているだけなので、当然、明るい将来を迎えるのが難しくなります。まさに今の日本経済そのものです。 実は、「Low road capitalism」でも経済は成長します。しかしそのためには、人口が増加していることが条件になります。人口が減少していると、「Low road capitalism」では経済は成長しません。本来「Low road capitalism」は、他に選択肢のない途上国がとるべき戦略です。先進国である日本は「High road capitalism」を目指すべきだったのです。なぜならば、「High road capitalism」こそが、人口減少・高齢化社会に対応可能な経済モデルだからです。


 日本は「のんきな議論」が多すぎる


 今回の記事にはあえて挑発的なタイトルをつけました。このタイトルは、ある意味、私のフラストレーションの表れかもしれません。 それは、今の日本で交わされている議論は日本経済についての現状検証があまりにも浅く、当然それによって、政策は本質を追求できていない、対症療法的なものになってしまっているという印象を強くもっているからです。


 先週の「日本人の『教育改革論』がいつも的外れなワケ」でも若干触れましたが、人口減少にどう立ち向かうべきかについて、日本で行われている議論の多くは本当に幼稚です。今日本が直面している人口の激減は、誰がどう考えても、明治維新よりはるかに大変な事態で、対処の仕方を間違えれば日本経済に致命的なダメージを与えかねない一大事です。 それほど大変な状況に直面しているというのに、日本での議論はなんとも「のんき」で、危機感を覚えているようにはまったく思えません。こういう議論を聞いていると、正直、どうかしているのではないかとすら思います。
「のんきな議論」は、日本社会のありとあらゆる場面で見ることができます。


  のんきな「競争力」の議論


 先日あるところで、最低賃金を引き上げる重要性を訴えていたところ、「最低賃金を引き上げると日本の国際競争力が低下するからダメだ」と言われました。ちょっと考えるだけで、この指摘がいかに浅いかわかります。
 日本の対GDP比輸出比率ランキングは世界133位です。輸出小国ですから、限られた分野以外では、別に国際的に激しい競争などしていません。また、他の先進国の最低賃金はすでに日本の1.5倍くらいですから、同程度に引き上げたとして、なぜ国際競争力で負けるかわかりません。さらに、多くの労働者が最低賃金で働いている業種は宿泊や流通などサービス業ですので、輸出とはあまり関係がありません。いかにも議論が軽いのです。


 のんきな「教育」の議論

 教育についての議論も、実にのんきです。教育の対象を子どもから社会人に大胆に変更しなくてはいけないのに、日本の大学はいまだに、毎年数が少なくなる子どもの奪い合いに熱中しています。 教育の無償化に関しても同様の印象を感じます。「子どもを育てるコストが高い。だから子どもを産まない、つまり少子化が進んでしまっている。ならば、教育のコストを無償にすれば、少子化は止められる」。おそらくこんなことを考えて、教育の無償化に突き進んでいるのでしょう。確かに、この理屈はもっともらしく聞こえなくもありません。 しかし、これは小手先の対症療法的な政策にすぎません。教育のコストが高いのが問題だから、無償化するという考え方も可能ではありますが、そもそもなぜ教育のコストを高いと感じる人が多いのか。その原因を考えれば、「収入が足りていない」という根本的な原因を探り出すことができます。


 教育の無償化と、国民の収入アップ。どちらを先に進めるべきか、答えは収入アップに決まっています。要するに、少子化問題の本質は教育費にあるのか、親の収入が足りないのかを、きちんと見極める必要があるのです。 事実、日本人の給料は、同程度の生産性を上げている他の先進国の7割程度です(購買力調整済み)。なおかつ長年、若い人を中心に減少の一途をたどっています。問題の本質は教育費ではなく、給料なのです。


 先進国の中では、少子化と生産性との間にかなり強い相関関係があるという研究があります。生産性が低く少子化が進んでいる複数の国で、教育費の補助を出しても思い通りには出生率が上がらなかったという興味深い事実もあります。 ですから、教育費を無償にしても本質的な対処にはなりませんし、税金か借金でまかなうしかないので、結局経済に悪影響を及ぼすのです。


  のんきな「輸出」の議論


 JETROの輸出促進とクールジャパンも同じです。問題の本質が分析できていないと思います。 私の分析では、日本が輸出小国である最大の理由は、規模が小さい企業が多すぎて、たとえすばらしい商品があったとしても、輸出するためのノウハウや人材が欠けている会社が大半だからです。 すなわち、輸出のためのインフラが弱すぎるのです(「ものづくり大国」日本の輸出が少なすぎる理由)。「日本にはいい商品はあるが、輸出は進んでいない。輸出をすれば国が栄えるから、輸出を応援しよう」。おそらくJETROが設立された背景には、こんな思考回路があったように思います。 しかし、思惑通りには輸出は増えませんでした。なぜかというと、JETROの応援なしに、持続的に輸出ができる規模の企業があまりにも少ないからです。日本の産業構造が輸出できる体制になっていない以上、いくら補助金を出して、輸出できない企業が一時的に輸出できる形を作っても、継続的に輸出が増えるはずもないのです。


 まだまだある日本の「のんき」な議論  のんきな「先端技術」信仰


 最先端技術も同じです。去年、落合陽一さんの本を読みました。最先端技術に関しては、氏の主張に異論を唱えるつもりはありません。
しかし、落合さんの主張を見ていると、日本の産業構造自体に技術普及を阻む問題があることに言及していらっしゃらないことが気になります。
あまりにも規模の小さい企業が多すぎて、技術の普及が進まないだけではありません。残念ながら日本では、せっかくの最先端技術を活用する気も、活用するインセンティブも持たない企業が大半なので、落合さんの英知が幅広く役立てられることもないように思います。


 経済産業省のやっていることも輸出の発想と同じです。最新技術を導入すれば、経済は伸びる。しかし、実際には技術はなかなか普及しない。小さい企業は最先端技術を導入するお金がない。「ならば!」ということで、技術導入のための補助金を出す。 これもまた対症療法です。なぜなら、大半の企業は規模があまりにも小さくて、その技術を活用するための規模もなければ、使える人材も、わかる人材もいません。先週の「日本人の『教育改革論』がいつも的外れなワケ」のように、社員教育が著しく少ないことも影響しています。


 のんきな「生産性」の議論


 先日、厚生労働省と打ち合わせをしたときに、最低賃金を上げるのに備えて、その負担を軽減するために、企業に生産性を向上させるための努力を促す目的で補助金が用意されたという話を聞きました。しかし、せっかくの補助金なのに、申請された金額は用意された金額の半分以下だったそうです。やはり、小さい企業は現状のままでいいという思いが強く、生産性向上など考えていないようです。


 経産省も厚労省もまったく思慮が足りていません。分析が浅すぎるのです。 決して公言はしないでしょうが、経産省は「日本企業は、お金さえあれば最先端技術を導入したいと思っている」という前提に立っているようですが、これは事実と反します。何度も言いますが、そもそも日本企業は規模が小さいので、仮に最先端技術を導入したとしても、十分に活用できるとは思えません。 厚労省は、「最低賃金の引き上げの影響を受ける企業は当然、生産性を向上したがる」と思っているようですが、この仮説も根本的に間違っています。


 最低賃金で働いている人の割合が高い企業は、そもそもまともな経営がされていないか、または根本的に存続意義がないに等しい会社が多いので、自ら生産性を向上させようなどという殊勝な考えなど持ち合わせていません。補助金以前の問題です。 そういった企業は、声高に訴えれば政府が守ってくれるとわかっていますので、生産性向上という「余計」な仕事をするインセンティブはないのです。


 のんきな「財政政策」と「金融政策」 のんきな「財政」の議論


 財政の議論も浅いと思います。消費税の引き上げも対症療法でしかありません。 ご存じのように、日本は人口が多く、人材評価も高い割にGDPが少ないです。一方、社会保障の負担が大変重くなっています。そこで、年金の支給を減らしたり、医療費の自己負担を増やして、国の負担を減らすべきだという議論も交わされています。政府は消費税を上げて、税収を増やそうとしています。 しかし、私に言わせれば、この2つの方法は、夢のない、いかにも日本的な現実論にすぎません。この政策は、将来の負担をまかなうために、現状の日本経済が生み出している所得に何%のどういった税金をかけたら計算が合うか、という形で議論されています。あたかも、税率以外の他の変数は変えることができないという前提が置かれている印象です。


 先述した通り、日本の財政の問題は支出の問題でもなければ、税率の問題でもありません。日本の財政の根本的な問題は、課税所得があまりにも少ないことに尽きます。しかし日本の議論では、「所得は増やすことができる」という事実があまりにも軽視されています。
 消費税は上げるべきかもしれませんが、その前に付加価値を高め、その分だけ給料を上げて、上げた分の一部を税金として徴収すれば、それだけでかなりの規模の税収アップになります。


 のんきな「量的緩和」の議論


 経済学の教科書には、いくつかの「インフレの原因」が列挙されています。モノとサービスの需要が相対的に増えること、通貨供給量の増加、円安、財政出動は典型的なインフレ要因です。賃金が増えることも、大きな要因の1つです。
 経済の状況が通常通りならば、財政出動と円安誘導と金融政策で経済は回復します。いわゆる、「インフレは日本を救う」論理です。 しかし、この議論には大きな盲点があります。それは、日本のように給料が減って、人口も減り、消費意欲が低下する高齢化社会では、需要が構造的に減るということです。もはや「通常」の状態ではありません。


 このような状況で、中小企業問題や給料が少なすぎる問題を無視し、金融緩和や円安政策を進めても、通常の効果は出ません(もちろん、やらないよりはマシでしょうが)。給料を徹底的に上げていかないと、金融政策や財政だけでは通常の効果は期待できないのです。 「インフレは日本を救う」というだけの議論は、問題の本質を見極めていない議論です。企業の規模と給料には強い関係がありますから、企業規模を拡大し、給料を高めて初めて、金融政策・財政政策が生きてくるのです。


 あらゆる問題は「給料が少ない」ことに帰する


 デフレ、輸出小国にとどまっている問題、年金問題、医療費問題、消費税、少子化、国の借金、女性活躍問題、格差の問題、技術の普及が進まない問題、ワーキングプア、子どもの貧困、などなど。これらの問題の根源にあるのは、すべて日本人がもらっている給料が少なすぎることです。


 今の政策は、ほぼすべてがただの対症療法です。問題の本質が見えていない。それでは病気そのものを完治させることはできません。
では、どうするべきか。『日本人の勝算』にも書きましたし、本連載でも述べましたが、やるべきことは明確です。世界第4位と評価されている優秀な人材を使って、先進国最低、世界第28位の生産性を上げればいいのです。それだけです。それには、賃金を継続的に上げる必要があります。
このことを、大半の日本企業の経営者が理解しているとは思えませんし、自ら賃金を上げる気のない経営者が多いのも間違いないので、彼らの奮起を期待してもムダです。だとしたら、「High road capitalism」に移行させるために、最低賃金を毎年5%ずつ上げて、彼らに強制的に生産性を引き上げさせるしか方法は残されていません。 それにあわせて、労働者を集約し、企業の規模拡大を促進するべきです。たとえ給料を上げても、企業の規模拡大を追求しない、もしくは小さな企業を守ろうとする政策を実施してしまえば、政策が矛盾し、「High road capitalism」は夢と終わります。
 生産性の向上ができない経営者は、増える一方の社会保障負担を捻出するだけの才能がないのです。潔く企業経営から撤退してもらいましょう。人手不足は当分続くので、労働者は才能のある経営者のところに行けばいいのです。


 最低賃金の引き上げの話を出すと、必ず昨年の韓国で起きたバカげた失敗事例を引き合いに出す人が現れますが、韓国は一気に16.4%も引き上げたから失敗したのです。このことは、すでに何回も指摘しています。だからこそ、日本は毎年5%でいいのです。
また、最低賃金を引き上げると、中小企業は皆つぶれるという意見も必ず寄せられます。しかし、そういう意見を持つこと自体、頭を使っていない証拠だと思います。 すべての中小企業の労働者が最低賃金で働いているわけでもなければ、すべての企業の経営がギリギリなわけでもないので、最低賃金を引き上げたからといって、中小企業が大量に倒産することはありえません。


 日本人労働者の生産性は、イギリス人などのヨーロッパの人々とそれほど大きく違いません。しかし、最低賃金はたったの7割に抑えられているのです。
 人材評価が大手先進国トップの日本は、それを武器に、大手先進国トップクラスの賃金をもらい、再び経済を成長させる。この挑戦にトライするしか、日本に道は残されていません。 それには、中小企業を集約させること。ここに「日本人の勝算」があります。

   (本文の下線は小生がつけたものです)


   東洋経済オンラインより転載
  https://toyokeizai.net/articles/-/275028?page=6 







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2019年04月05日

日本の財政赤字は社会保障費が原因」という嘘


   大村大次郎(おおむら・おおじろう)10年間の国税局勤務 経営コンサルタントによる


 今年の10月から消費税が増税されます。この消費税の増税については、世間の人はみな観念しているようです。「少子高齢化のためにここまで財政が悪化しているのだから仕方がない」とみなさん思っているようです。これまで政治家や財務省は「高齢化社会を迎え、社会保障関連費が増大したために、赤字国債が増えた」などと喧伝してきました。大手新聞社をはじめとするマスコミも、これを大々的に吹聴してきました。でも、これは実は真っ赤な嘘なのです。それは国の財政データをちゃんと見ていけば、猿でもわかる話です。もう、本当にこの話ほどあきれるものはないのです。
 日本の財政というのは、1990年代初頭までは非常に安定していたのです。1988年には、なんと財政赤字を減らすことに成功しているのです。財政赤字を減らしたということは、収入(歳入)が支出(歳出)を上回ったということです。これは「プライマリーバランスの均衡」と言われており、先進国では最近はあまり見られないような財政の良好さなのです。この「プライマリーバランスの均衡」はしばらく続き、1990年代の初頭には、財政赤字は100兆円を切っていたのです。が、バブル崩壊以降の90年代中盤から財政赤字は急増し、2000年には350兆円を超え、2010年には650兆円を超え、現在は850兆円を超えています。このデータは、政府が発表しているものなので、誰もが確認することができます。 データを見れば、財政赤字はバブル崩壊以降に急増しているものであり、1991年からの10年間で600兆円も増えていることがわかります。この90年代に生じた600兆円の財政赤字が、この20年で利子がついて、現在の850兆円の財政赤字になっているのです。

 ところで、赤字国債が急増した1990年代、社会保障関係費というのは、毎年15兆円前後しかなかったのです。当時の税収は50兆円前後だったので、15兆円程度の社会保障費はまったく問題なく賄えていたのです。だから、90年代に積みあがった600兆円の財政赤字が、「社会保障関連費のため」であるはずは絶対にないのです。
 なぜ1990年代で、財政赤字が増大したのでしょうか?その答えは、公共事業です。1990年代、日本は経済再生のためと称して狂ったように公共事業を行ないました。その額、630兆円です。1年あたり63兆円です。このバカ高い公共事業費630兆円がそのまま赤字財政となって今の日本の重石となっているのです。このデータを見てどうやって「財政赤字の原因は社会保障費」などと言えるのか、筆者は不思議でなりません。「財政赤字の原因は社会保障費」などとさんざん吹聴してきた財務省の官僚たち、大手新聞社には、ぜひこの問いに答えてもらいたいものです。そして、読者のみなさんにも、ぜひ肝に銘じておいてもらいたいのです。財務省や大手マスコミというのは、これほど見え透いた嘘を、これほど堂々とつくものなのだということを。
     (以上 大村さんによる)

 いったい90年代に使われた600兆円の公共事業は何につかわれたのでしょうか。 現在でも給料は上がらずに豊かになった実感がない庶民には納得がいきません。 いかに政策が間違っていたのかの証明でもあり。それならドブに捨てたようなもの。その予算の半分とか1/3を国民に配ってしまったほうが景気が回復して良かったかもしれません。


   2019-4-5



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2019年04月03日

長谷川鉄之進 1821-1871


 草莽崛起を吉田松陰が唱えるが、長谷川鉄之進がまさにそれではないのか。 草莽ゆえによく知られていないのかもしれない。

 彼は越後長岡藩の庄屋の家に生まれ、15歳で長善館に入る。26歳で江戸に遊学し浅川善庵に師事。ペリ−来航後は尊王攘夷を唱えて上京。8.18政変に七卿落ちで長州へ。長州藩の挙兵上洛の折に真木和泉、中岡慎太郎と忠勇隊を結成する。禁門の変で四国へ敗走。讃岐で日柳燕石(くさなぎえんせき)や小橋安蔵と親交を結ぶ。 高杉晋作の功山寺挙兵には忠憤隊を結成して協力。戊辰戦争直前に相楽総三らと薩邸浪士隊で討幕の起爆剤になる。北越戦争では居士隊として活動。

 長岡藩は河井継之助と対立して新政府軍側にいた。こんなに歴史的に重要な場面に顔をだしているにも関わらず、新政府の要職にもつかず明治4年に没した。 酒乱だったとか言い、人望がなかったと言っている人がいる。活動に対するやっかみとはいえないだろうか。、薩長の閥に属しているだけで明治に出世していく小物の人達がいることを思えば残念な気がします。


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高杉晋作と長谷川鉄之進が作った歌が並記された扇子


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長谷川鉄之進の墓 海援隊石田栄吉建立


  2019-4-3



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