2018年01月15日

野山獄と岩倉獄、 高須久子


noyamagoku 01.jpg

  吉田松陰が長州で投獄されたのが野山獄です。野山獄は士分の者を収容する。松陰と一緒に黒船への密航で投獄された金子重輔が収容されたのが、庶民の入る岩倉獄です。両所の待遇には雲泥の差があり、野山獄では3畳余りの独房で生活用品も置け、親族からの差し入れ自由であった。岩倉獄では大部屋の収容で着物も食物も満足に支給されず劣悪な環境に金子は獄死している。


野山獄

 野山獄には12室の独居坊があり11人が捕らわれていた。
1. 吉田松陰
2. 大深寅之允  獄中47年
3. 弘中勝之進 獄中17年 殺人の罪
4. 岡田一迪 獄中14年
5. 吉村善作 獄中5年 俳句を松陰に学ぶ
6. 富永有隣 冤罪で入獄、 松下村塾の講師、私塾・定基塾開く
  鋭武隊を率いて第二次長州戦争に参加、脱退騒動で逃亡生活
  逮捕されて明治17年まで入獄、明治33年八〇歳で死去
7. 河野数馬 獄中八年 三田尻士族 俳諧を好む
8. 志道又三郎
9. 井上喜佐衛
10. 栗屋与七
11. 高須久子 在獄2年
 大河ドラマで高須久子に関しては美人女優さんが演じていたので興味を覚える。
 久子は三三〇石の高禄の跡取り娘である。婿養子の夫が若くして亡くなったので、歌や浄瑠璃に没頭して、芸人と交流するようになり、親族に不義密通を疑われて入獄した。
「借牢」という制度があり松陰が入ったときは二人だけが罪による入獄であとの九人は私的な入獄の「借牢」であった。松陰も形式上は父からの「借牢」である。「借牢」といえども刑期は無期限であった。

 松陰の出獄に際しての久子の一句 「鴨立って あと淋しさの 夜明けかな」
再び松陰が入獄して彼女と再会する。半年後に江戸に松陰は送られて処刑されるのだが、送られるときに手縫いの布を久子は松陰に送る。 お返しの松陰の句 「箱根山 越すとき汗の い出やせん 君を思いて 拭き清めてん」
 出立の当日に久子が 「手のとはぬ 雲の樗(おうち)の 咲く日かな」
松陰は久子に封書を手渡しそのなかに 「一声を いかで忘れん ほととぎす」
 松陰と久子の交情が知られています。

 野山獄では高杉晋作や楫取素彦ばかりでなく、保守派の椋梨藤太などが処刑されている。

    2018-1-15

  維新英傑まとめ




posted by 速魚 at 07:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記