2018年05月11日

イビザ物語 19   佐野


  ギュンター 6 “引退の現実と無言の別れ”



 ギュンターが待ち焦がれるようにイビサに引っ越し、生活の基盤を私の上の階の隣人として住み始めてから、どこかリズムが狂い始めたと思う。彼はそこそこのスペイン語を話すし、発音はともかくキチンとした英語も話す。イビセンコ(イビサ語)は私同様、挨拶程度だったと思うが、それでもイビセンコの演劇を指導していたし、学芸会レベルから抜きん出た演出をし地元の新聞『ディアリオ・デ・イビサ』にも載り、バレアレス諸島(イビサ、マジョルカ、メノルカの総称)、カタルーニャ、ヴァレンシア地域の演劇コンクールに参加したりしていた。

 しばらくして、どのような事情があったのか内情はよく知らないが、彼が演出をしていたグループが、ギュンターをボイコットしたのだ。『カサ・デ・バンブー』にチョイチョイ顔を出す、その演劇グループのリーダー的な立場のメルチェは、問わず語りにただ、「ギュンターはムイ・ぺサードなのよ」(muy pesado;とても、重い、しつこい)「私たちは演劇活動を楽しむためにやっているのよ。コンクールで優勝したり、ましてやプロの俳優になろうとしているわけではないのよ」とコボシていた。ともかく、ギュンターはメルチェのグループから離れたのだった。

私たち、そしてイビセンコの友達は、ギュンターが“ぺサード”なのは重々承知していた。それが彼の引退で100%近い時間をイビサで過ごすことになり、ますます“ペサード”の度合いが増してきたのだ。

 ギュンターの足は、引退とともに『カサ・デ・バンブー』から遠のいていった。毎朝のように朝食に降りて来なくなった。その代わりかどうか、週に1、2回ほど、閉店間際に相当酔っ払ってカウンター前に陣取るようになってきたのだ。旧市街のバーをハシゴしてきて、その仕上げとして、自分のアパートに引き上げる前に一杯やろうというところだろう。それが、もうすでに出来上がったうえで腰を据えるから、自然と長く居座ることになる。

店は一応夜の12時に閉めることにしていたが、ギュンターはそれを知ってかどうか、12時ギリギリにやってきて、1時、2時まで居座ることが多くなったのだ。私はこんな水商売に手を染めていながら、どうにも酔っ払いが嫌いだった。スペイン、ラテン系の底抜けに明るい“ボラチョ”(boracho;酔っ払う、ヨッパライ)はまだ良いのだ。唄い、笑い、大騒ぎをするのには付き合える。だが、一対一で、しかも相手が出来上がっていてはとても付き合いきれない。こちらの方は下戸で、酒は受け付けない体質なのだ。

 ギュンターが夜、来る前に店を閉めてしまえ…という日が多くなってきた。
一度、すでにゲイトの外に出していあるランプも中に入れ、庭の電気も消し、カウンターの中と台所だけ明かりを点けて後片付けをしている時、ギュンターが庭のゲイトを開けて入ってきたことがあった。「もう、店は閉まったよ」とギュンターに告げたところ、彼はとんでもない侮辱を受けたように表情をサッと変え、震えるようにドモリながら、「それが、お客に、俺に対する態度か、まだ12時の閉店まで15分もあるではないか」と、良く響く声で訴えたのだった。

私ももっと丁寧に、「後片付けで手が塞がっているから一人で飲んでいてくれ」と、コニャックかイエルバス・イビセンコ(Hierbas Ibicenco;リキュールにイビサのハーブを漬けた甘い酒)の一瓶でもカウンターに置けば済むことだったと、今になって思う…。

1年間、365日、ギュンターがイビサに住み始めてから、すべての歯車が狂い出した。夏には、まだ時折、『カサ・デ・バンブー』に顔を出してくれたし、私の友達や知り合いのイビセンコたちのパーティーには彼を必ず呼び、彼自身も喜んでどこにでも来てくれた。そんなパーティーでは、ギュンターは実に座持ちがよく、冗談を飛ばし、ヨーロッパ人の社交性の高さを発揮した。言ってみれば、彼ならどこに、どのようなパーティーに連れて行っても、話題に事欠かない、すばらしい同席者だった。

何がギュンターを蝕んでいったのか分からない。定年退職者がいきなり1日、24時間自由な時間を持つことでリズムを狂わされる典型かとも思う。本人があれほど憧れていたイビサでの引退生活が、自分を充足させてくれるものではないことに徐々に気づき始めたのだろう。イビサで年間を通して暮らすことを待ち焦がれていたのに、イビサの方が彼が期待したほど、彼の日常を満たしてくれなかったと言い換えてもよいかもしれない。

彼が関わってきた演劇の世界は内的な創作ではなく、あくまで俳優に働きかけ作り上げ、人々に観せるための芸術だから、俳優も舞台も観客も持たないイビサで自分を充足させることができなかったのだろうか。彼が蓄積してきた芸術は表現の場を失い、また彼の感性を奮い立たせるようなタイプの芸術はイビサに存在しなかったのだろう。

 ギュンターは深酔い、悪酔いすることが多くなった。“ペサード”のギュンターは“ペサ・ムチシモ”(pesa muchisimo;最高にしつこい)になり、イビサ、スペインへの愚痴が多くなっていった。
「この島には、何の文化もない。ゲイジュツもないし、生まれない。化石の中で暮らしているようなもんだ…」と何度も繰り返すようになったのだ。

 ギュンターの仲間、友達と私が思い込んでいたドイツ人グループも、「ギュンターはロコ(loco;良い意味でのキチガイ)だ」「狂っている」と離れ始めた。ギュンターも自分が期待していた引退生活は、ここイビサにはないと感じ始めていたと思う。

大声で毎朝、挨拶こそ交わしていたが、ギュンターの内部では変化_崩壊と言ってよいだろう_が始まっていたと思う。

 ギュンターが引退してから、2年目の春、私が5ヵ月に及ぶ北米旅行から帰ってきて、初めてギュンターがマジョルカ島に引っ越したことを知ったのだ。それまで、彼の口からマジョルカ島のマの字も聞いたことがなかったのが、いかにも突然という風に、彼が20年以上住んでいたアパートを畳んだということだった。

 マジョルカ島に移ってから、ギュンターとは電信電話線が切れたように、音信不通になり、彼の口から、どうしていきなりマジョルカに移ったのか聞くチャンスはなかった。

 とは言っても、狭いイビサで、しかもカフェテリア商売をやっていると、どこからともなく情報、噂話が入ってくるものだ。イビセンコでの演劇グループに属していた主役格の若者が、まずマジョルカに移り、彼を追うようにギュンターもイビサに別れを告げたことのようだった。 

 ギュンターがマジョルカに越してから、1年も経ずして、彼が悪性の前立腺の癌で死んだことを知らされた。口さがない人は彼が重症のエイズだったとも噂していた。

 私は彼がマジョルカのどこに住み、どこの病院に入り、どのように死んだのか、天涯孤独だったギュンターの葬儀はどうなったのか、墓がどこにあるのかさえ知らない。

私は、ギュンター自身が悪性の癌に冒されていることを、引退しイビサに越す前にすでに知っていたのではないかと思っている。私には、ギュンターが自分に残された日々が少ないことを知りつつ、死地を求めていたような気さえするのだ。


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 在りし日のギュンター、ゴメスアパートのテラスにて

   2018-5-11

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posted by 速魚 at 05:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記