2019年02月20日

三島通庸・彌太郎・弥彦


 大河ドラマの「西郷どん」や放映中の「韋駄天」ではブログにアップするために個人的に調べてみようとする人物が少ないように思っている。

 ここで「精忠組」を取り上げています。その後の彼らのたどった人生には興味があります。資料の見つからない人も多い。 三島通庸は「韋駄天」で登場している三島弥彦の父親です。弥彦は3歳で父親を亡くしている。 

 三島通庸は薩摩藩の50石取りで精忠組に属し、寺田屋事件では謹慎の処置を受けた。
幕末にどのような活躍をしたかはわからない。鳥羽伏見の戦いでは小荷駄隊を率いた。賞典禄にも名前がないので維新には大きな活躍が見えません。明治になり県令になり最後は警視総監になる。薩摩閥の内務官僚であった。

 実際はどうであったか分かりませんが、大河では三島家は多くの雇い人に囲まれた富豪の家として描かれている。弥彦と金栗四三との対比で強調されているのかもしれません。

 県令あがりの家で、あんなに豪勢な暮らしができるとは思えません。明治21年に通庸が死亡しているので、長男の彌太郎がそれからさらに大きく育てたのでしょう。

 ドラマを見ていてその生活ぶりに興味を持ち調べてみました。



 三島通庸・みしまみちつね
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1835-1888


三島彌太郎
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1867-1919


三島弥彦
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1886-1954


三島通庸・彌太郎・弥彦の年表

1835    三島通庸は薩摩藩士(50石)三島通純の長男として誕生
1862    寺田屋事件で謹慎
1867    彌太郎は長男として誕生、母和歌子
1868    鳥羽伏見の戦いで小荷駄隊を率いる
1871 明治5 東京府参事 銀座レンガ街建設に関与
1874 明治7 酒田県令 ワッハ騒動を終息させる
1876 明治9 山形県令 土木県令といわれる この後東北のインフラ整備を行う
1882 明治15 福島県令 福島事件で河野広中を逮捕
1884 明治17 栃木県令 加波山事件
1885 明治18 警視総監として武術を振興
        彌太郎マサチュ−セッツ農科大学入学、
1886 明治19 弥彦は誕生
1887 明治20 警視総監として保安条例を推進施行、子爵
1888 明治21 通庸死去
1897 明治30 彌太郎は貴族院議員になる
1911 明治44 彌太郎は横浜正金銀行頭取に就任
        弥彦は金栗四三と共に羽田運動場のオリンピック選考予選に参加
1912 明治45 弥彦はストックホルムオリンピックに参加
1913 大正2  彌太郎は日本銀行総裁就任
        弥彦は帝大卒業、横浜正金銀行入社
1919 大正8  彌太郎死去
1954 昭和29 弥彦死去

プレバト俳句の「夏井いつき」さんではありませんが、 三島通庸氏は「維新の英傑」のなかにははいりません。 キッパリ。


     2019-2-20

精忠組
 http://hayame.net/custom8.html#spb-bookmark-427

  維新英傑まとめ
 

posted by 速魚 at 11:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記