2019年03月08日

菅野覚兵衛・千屋寅之助



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1842-1893

 司馬遼太郎「竜馬がゆく」を100回余を愛読したという武田鉄矢さんは、菅野覚兵衛が留学から帰国して一般水兵として海軍に入ったと話していました。 奇妙に思えたので、調べてみても、そのことは分からず。入隊後に、2年ほどで少佐になる。そのことは修正されて相応な待遇になり、不思議なことではありません。
 菅野覚兵衛は第2次長州征討時に、高杉晋作と伴にユニオン号艦長として小倉攻撃に参戦している維新の功有る海援隊士です。

 龍馬の妻お龍の妹・君江と結婚する。お龍は出刃包丁を持つて、騙されて遊郭に行きそうになった妹2人を救出した妹のひとりが君江です。 土佐人であり神戸海軍操練所で学び亀山社中を龍馬と作った菅野であるから海援隊の主力の人材となります。

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お龍と君江像

 西南戦争での弾薬庫襲撃事件で、彼は弾薬を水没させて使用できなくする処置をしていますので、その責を負うことはないと思いますが、政府には不興をかったようです。

 龍馬が持っていた北海道開発の夢をついて福島の原野の開拓をする。 52歳で往生を遂げた。


  年表
1842 天保13 10/21  土佐藩の庄屋・千屋民五郎の3男として誕生
             土佐勤皇党に入る
1862 文久2 山内容堂を警護で上京
1864     龍馬とともに神戸操練所に参加
1865     龍馬や陸奥峰光と共に亀山社中に結成参加
1866     四境戦争で龍馬と共に社中の船ユニオン号艦長として参戦
1868 慶応4 お龍の妹・起美と結婚、 戊辰戦争で奥州に参戦
1869 明治2 いろは丸賠償分配金を持ち、海援隊士の白峰駿馬と共に米国ラドガ−ス大学に留学
1877 明治7 帰国して海軍省に入る
       西南戦争直前に鹿児島の造船所次長に赴任して、弾薬強奪事件を処理する
1884 明治17 海軍省辞職、 福島県郡山氏安積原野開拓に従事
1893 明治26 52歳で死去 


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 菅野覚兵衛夫妻

2019-3-8

 船中発策  坂本龍馬まとめ



posted by 速魚 at 08:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記