2019年06月30日

こだま キテイちゃん列車


 新しい係留地の事前視察のために、広島から岡山へ行く、たまたま、ホ−ムにピンク色の列車が入線してきた。 新大阪−博多間を運航しているJR西日本のハロ−キテイ号であった。 岡山に行くのにはちょうど都合がよいので乗車してみた。 「のぞみ」なら一駅でいけるのだが、安くて急ぐ旅でもなし。

 外装はリボンをモチ−フにデザインされている。1号車はハロ−プラザとしてギッズを売るスペ−スもあり。2号車はおしゃれにかわいくキテイを飾り付けた内装です。子供連れの家族で乗るなら最高です。

 見かけたところ、日本人より外人ツ−リストが多い。 キテイは世界的なブランドになっているようだ。

   運航スケジュ−ル 

新幹線 こだま730号 博多 6・42発−−−新大阪 11・13着

   こだま741号 新大阪 11・29発−−−博多 15・38着

 特別な切符は無く、2号車は自由席で乗車できる。


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 ハロ−キテイ号 


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 キテイちゃんの車内インテリア


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 専用グッズを販売している車両 その1 

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  1両目すべてを使用       その2


   2019-6-30

  船中発策 休題閑話





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2019年06月29日

冷却水ポンプ交換



  弓削海の駅に着いて、ビルジを抜きだすと、くめどもくめどもバケツにビルジが溜まります、なんと20杯にもなりました。前日の大三島宮浦海の駅では2杯です。いつもエンジンを止めるとビルジを汲みだしているのだが、それは1杯程度ですので、大三島でも少し多いなとは思っておりました。 5時間艇程機走して弓削に着いた割には多すぎです。 エンジンボックスを上げて点検して見ますと、冷却水ポンプのエンジンに向かう接手からポタポタと海水が漏れていました。 ここだと思いビニ−ルホ−スを外してつないで止め金具を締めましたが状況は変わらず。普通はインペラの破損を疑うのですが、インペラの蓋ボルトには水漏れの気配がありません。
 他の係留しているヨットマンに尋ねると、それはアッセンブリ−の一体交換でないかとアドバイス。 的確な助言で、インペラの交換など無駄なことをしないですみました。 彼はボ−トショ−でエンジン保守の講義をしたことのある経験豊富なベテランヨットマンでした。 クル−ジングをしているヨットマンは、60代でキャリア10年以上のベテランが多く、小生の劣化したキャリアとは違いなんでもできる人が多い。

 ここ弓削には珍しくヤンマ−を取り扱う業者がいません。隣の因島にあるマリ−ナで2GMの冷却水ポンプを取り寄せてもらうことになる。その日は金曜日でしたが、あいにくヤンマ−の研修日にあたり休日、月曜日の部品発注になりました。火曜日の昼にはそれが着いて、因島マリ−ナまでとりに行く。往きは連絡船を土生(はぶ)で乗り継いで3時間。帰りはバスで土生へ、今治行の連絡船で弓削に到着、しめて5時間ほど要した。待ち時間が長いので時間がかかります。マリ−ナの人もどうやって来たのだと云われました。 

 交換作業は短時間で終わりました。ビニ−ルホ−スとのつなぎには金具で締めるのみでOK、シ−リング材も必要なしです。 

 旧ポンプは予備にしてとのアドバイスでしたが、児島のヤンマ−に出しましたが、費用が新品が4万8千円なのに、4万ほどかかるということなので、それを断念しています。 冷却水ポンプの本体にはドレンの穴があり、ベアリングやシ−ルの破損でそこから大量の水漏れが生じることがあり、今回の故障の原因です。 冷却水ポンプからの水漏れに注意しなければならないと学ぶ。 それを取り外してみてびっくり、ベルトが首の皮1枚で繋がっていました。すぐにも切断したでしょう。さっそく交換する。ベルトの締め具合もきつく締めすぎないとアドヴァイスがありました。本体のベアリングに負担がかかるからです。ヤンマ−のインペラも他社と違い1−2年では壊れないとのことです。

 

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 新旧の冷却水ポンプ



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 切れかかったベルト

   2019-6-29

  船中発策 ヨット















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2019年06月28日

イビサ物語〜ロスモリーノスの夕陽カフェにて第74回 連載中  佐野による

 
 友人の佐野のイビザ物語は連載19回までは ここで読めます。  今回ヨットのことが出ていますのでブログに転載しました。


イビサ物語〜ロスモリーノスの夕陽カフェにて
第74回:コーベルさんのこと その1
更新日2019/06/27
 
『カサ・デ・バンブー』で一体どれだけの人、何人と知り合いになっただろうか。所詮はレストランのオヤジとお客の極々表面的な付き合いだ、と言ってしまえばそれまでなのだが、何千人のお客さんの中から、奇妙に近親感が生まれ、私の小さなカフェテリアのアルジ職を離れて、付き合いたくなる人も極少数だが出てくる。他の仕事では考えられないほど広く、バラエティーに富んだ人たちを知る機会を持ったのは事実だ。
コーベルさんは、潰した柿のような顔、頭の持ち主で、おまけにお椀を被せたように白髪交じりの頭髪を童顔に載せている。いつも潤んだ目をパチクリと長い睫毛のマブタで開け閉めする。白人のスイス人なのに、両頬が赤茶に染まっており、よほど野外活動、外にいることが好きな様子が伺えるのだった。
実にゆったりとした性格で、歩き方そのものもユラユラと漂うように、急がず、何事にも決してせっつかず、食事の時のナイフ、フォークの使い方、ワインの飲み方なども実に鷹揚なのだ。すべてがそんな調子だから、南米の木の上に住むナマケモノ(sloth;スペイン語でperezoso)が、地上に降りてきたようにさえ見えるのだった。

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ワインの名産地リオハのヴィーニャ・ポマール(VIÑA POMAL)

コーベルさんは、たいてい奥さんと二人でやって来たが、サン・ホセのカンポ(森)に持っている家の手入れに1、2週間だけ一人で来ることもあった。奥さんの方は、小さく細長い顔の美人で、服装、化粧、そして性格も全く飾らない人だった。
コーベルさん夫妻はイビサに着くなり、自分の小屋と彼らは呼んでいた別荘に行く前に『カサ・デ・バンブー』に直行することが重なった。食事を摂ることもあったが、“ヤレヤレ、またイビサに来たぞ”という顔見世のためと、彼が好きなワイン“ヴィーニャ・ポマール(VIÑA POMAL) ”数本と瓶詰めのミネラル・ウォーターを1ケースを持ち帰るためだ。
私は彼が好きな“ヴィーニャ・ポマール”を切らさないよう、彼のためだけに数箱仕入れるのが習慣になった。“ヴィーニャ・ポマール”は普通のレストランで買い置きするワインの中では高級な方に属し、『カサ・デ・バンブー』ではコーベルさん以外では、年に12、3本出るか出ないかだった。
コーベルさんのラフな服装、彼はいつも胸アテの付いたツナギのジーンズを洗いざらしのゆったりしたコットンシャツの上に着ていた。にも拘わらず、相当な資産家であることが伺えた。ある時、私の夢は小さなヨットで世界を回ることだと語った時、「俺の船を見に来るか?」と彼がヨットをイビサのマリーナに係留していることを初めて知った。
時間を決め、私は“ヴィーニャ・ポマール”を2本とツマミのチーズ、オリーブ、チョリソ(chorizo;豚の腸詰のソーセージ)を持ってマリーナに出向いた。彼のヨットはスウェーデンの銘艇“マーロウ”だった。サイズは40フィートほどで大型艇ではなかったが、デッキはチーク張り、コーチルーフもチーク、内装もマホガニーをふんだんに使ったもので、クラッシク調の高級感が漂っていた。

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カパーソと地元では呼ばれるイビセンコ・バッグの専門店

私がワインとおつまみをカパソ(capazo;わらで編んだイビセンコ・バッグ)から取り出すと、彼はニヤリと笑い、コックピットにすでにハム、チーズ、クロワッサンにコーヒーカップなどが綺麗にセットされたテーブルを指差したのだった。
ヨットを一回り見てから、コーバルさんと向かい合い、遅い朝食を摂った。
「オマエ、本当にそんなことをやりたいのか? いつも上下左右だけでなく、あらゆる角度で揺れ動き、潮に濡れ、寒さに震え、そうでなければ強烈な太陽に焼かれ、満足に寝ることも、食べることもできないんだぞ。世界の海に浮かんでいるヨット、ボートの90%以上は外洋に出たことがないんじゃないか、ヨットはそれを持っている、いつでも地球上のどこにでも行けると思わせているだけのものだ。それだけで十分ヨットをもつ価値があるが…」
と、やんわりと私の夢に水を差したのだった。彼の言葉の端々に、そのような体験を彼自身が持っていることを臭わせるのだった。
キャビンの壁に古風なレース用のヨットが、ほとんどオーバーヒール(傾き過ぎている状態)で時化た荒れた海を突き進んでいるドラマチックな白黒写真が額に入れられ、張ってあった。ヨット乗りは自分が持っていたヨット、長い間過ごしたヨットへの郷愁が強く、そんなヨットの写真や絵画を今持っている船のキャビンに飾ったり、ヨットを辞め、陸(オカ)に上がった後でも、家の壁に掛けたりするものだ。
スイス人の外海に対する憧れ、ヨット好きはよく海への出口を持たない山に囲まれた国の人だからこそ持つ水平線への渇望だと説明される。それにしても、海への出口を持たない陸に囲まれた国は世界にゴマンとあるが、山国の小国、スイスの旗を揚げたヨットが圧倒的、群を抜いて多いのには驚かされる。
冗談めかして、額縁の中のヨットは自分のかと訊いたところ、軽くうなずき、あの時は酷かったとポツリと答えたのだ。彼ののんびりした言動からこんな激しいヨットレーサーのイメージは全く湧かなかった。彼は1979年のヨットレースにおける最悪の惨事と言われている『ファーストネットレース(Fastnet Race)』の生き残りだったのだ。
《その最悪のヨットレースは、303艘がスタートを切り608マイルのコースをフィニッシュしたのが86隻、途中棄権したのが194隻、ヨットを捨てたのは24隻、真っ逆さまになったヨットが75隻、死者行方不明19人という惨劇だった。それでいながら、この伝統あるヨットレースを取り止める声が上がらず、官憲からの中止勧告などはなく、引き続き翌年も開催され、海洋国イギリスの真骨頂を示した。これが日本でなら…と思わずにいられない。これは全く別の話になる》
それ以降、ヨットレースを辞め、クルーザーでイビサからフォルメンテーラ、マジョルカ、メルルカのデイクルーズや週末クルーズを夏場の海が静かな時だけ楽しむ引退したレーサーの舟遊びをしている…と知った。
私に無謀な?ヨットの夢を捨てさせようとした理由が分かった。もちろん、経験のない私が、そんな大それた国際規模のヨットレースに出ようにも出られるわけはないし、外洋レースなどは問題外だったのだが…。
コーベルさんはニコニコ顔で、「オマエの道は『カサ・デ・バンブー』を続けていくことじゃないか、そして小さなヨットでも買って夏の季節のいい時に行われるイビサ島一周程度のお遊びレースにでも出ればいいじゃないか…」と諭すように言うのだった。

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イビサのヨットハーバー

-…つづく

 バックナンバ−
 http://norari.net/ibiza/back_Ibiza_02.php

    2019-6-28



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2019年06月27日

佐伯城・さいきじょう


 大分・佐伯・大入島海の駅へヨットで行き、そこからマリンバス200円で佐伯に着く。 佐伯城を訪ねる。 徒歩30分くらい、日豊線JR佐伯駅からは徒歩20分程度で行ける。甍には武家屋敷の雰囲気の残る通りを歩いて登城口・登山口に至る。帰りはタクシ−を利用した。

 天守や櫓、塀は余り残ってはいないけれど、石垣は多く残っているのでお城の雰囲気は大いに感じられてよい。再建したら面白そうである。

 毛利(森)高政が一六〇六年に城を完成させた。2万石の外様であるけれど、城の規模は石高から想定されるより大きく感じた。山上の本丸と2の丸は焼失し、甍に3の丸を増設してそこに居館をつくり藩の運営をした。 高政の親は信長に仕え、高政は秀吉の近習として仕える。秀吉の光秀討伐の大返しの際には、兄弟で毛利に人質になった。その際に毛利輝元に気に入られて毛利姓をもらう。関ケ原では最初は西軍に属したが東軍に投降した。1601年に佐伯2万石に転封になり佐伯城をつくる。




 

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 佐伯城 案内図



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 三層の天守があったが一六一七年焼失した




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 本丸へ登山口



 

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 3の丸櫓門

 


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 本丸入り口

 

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  2の丸 




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 本丸から望む



  2019-6-27


大分・佐伯城跡から4層階段状石垣 専門家「特異な構造」
毎日新聞 2019/07/04 10:36



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コピーライトマーク 毎日新聞 本丸の外曲輪下で見つかった階段状の石垣=大分県佐伯市の佐伯城跡で2019年7月2日、衛藤親撮影


 大分県佐伯市の佐伯城跡から4層の階段状をした石垣が見つかった。佐伯市教育委員会によると、18世紀前半に大雨のために崩落した斜面を補修した際に築かれたもので、自然石を使う穴太(あのう)積みの技と、堤防などの石組みに似た技術が合わさった特異な構造という。専門家は全国的にみてもきわめて珍しいと指摘する。【衛藤親】
 石垣は、本丸下の外曲輪北側斜面で見つかった。土や雑草を取り除いたところ、高さ13メートル、幅約30メートルにわたる大規模な石垣が現れた。石垣を補強する際に築く縢巾(はばき)石垣が4層の階段状になっている。また、各段の上は水平ではなく斜めにせり上がっていて石で覆われている。石垣の隅が斜面の地形に沿うようにカーブを描いているのも特徴だ。
 市教委によると、1734年(享保19年)の「御城修理絵図」に、大雨で外曲輪東側の塀や石垣、斜面が大きく崩れたと記載されている。今回4層の石垣が見つかった場所と一致するため、独特な石垣は復旧のために築かれたとみられる。
 城郭に詳しい佐賀大学の宮武正登教授は「縢巾石垣が4層にもなっている例は全国にない。保存状態も良く、極めて貴重だ。河川の堤防など治水事業に使われる技を城郭の補強工事に取り入れたと考えられ、これも例がない。高度な技術で本丸を守るために工夫されたのだろう」と語る。
 佐伯城は1601年に佐伯藩に封じられた毛利高政によって1606年、八幡山(現在の城山)に築かれた山城で、「鶴屋城」と呼ばれた。


   船中発策 城廻めぐり






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2019年06月25日

蒲江




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   赤丸 今回停泊位置 、 下の赤丸はウネリの入る時の避難位置・漁船のいないとき



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 係留位置  2−3隻は可能


 蒲江・大分県は、台風で避難したヨットもあると地元の人の話です。 しかし東よりの風が強いときはウネリが入り、今回の停泊位置では動揺する。その時はこの場所ではサイドアンカ−が必要でしょう。大きなフェンダ−を持っており助かったが、岸壁との間に浮かせていたフェンダ−が岸壁のハシゴにひっかかりライフラインを切断した。 船具屋でワイヤ−クリップを購入できて修理できた。

 東風が続いて5日ほど出られませんでしたが、ここは買い物、洗濯が便利です。おふろは近くのレストランを利用すると入浴できるという。利用しませんでした。

 佐伯にバスで行けるようですが、午後の便が見つからず行くことはなかった。

   2019-6-25

  船中発策  ヨット





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2019年06月24日

日出城


 「関サバ」や「城下かれい」の地域ブランドは知られてきています。 小生はさっぱり食した覚えはないのですが。 さて、その「城下かれい」のお城はどこでしょうか?

 ヨットで日出城へ訪ねるつもりだったのが、杵築の漁港でアンカ−トラブルに巻き込まれて、巻き込まれたロ−プを除くために潜るハメになり、ここ日出の港への寄港を取りやめ別府に変更した。 そう、城下(しろした)とは日出城のことです。 現地を訪ねて分かった”にわか知識”ですが。

 お城近くに的山荘という格式の高そうな料理屋があり、お昼には城下御膳が5400円で食べられるといいますが、小生はその身分でないので「城下カレイ」はもちろん食べてはいません。

 別府から日出へはJR日豊線で320円20分ほどの近距離にあります。日出城跡のほとんどが小学校の敷地と化しています。 天主部もまたその敷地内です。 取り囲む石垣は残っています。

 初代藩主木下延俊が義兄の細川忠興の協力で築城した。 北政所に続がる関係で家康につき3万石の小藩として維新まで続く。

 

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 日出城下町図



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 日出城(陽谷城)図

 

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  外大手にある時鐘

 

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 鬼門櫓  鬼門・北東の隅がわざと角が切ってある珍しいもの

 

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 天守石垣 三層の天守があった


 明治初期まで城は存在し取り壊される前に実測が行われたという。規模も小さいことから復元されたら、良いものになるのではないかと思う。小学校は移転してもよいのでは? お城ファンの願望にすぎないのだけれども。



    2019-6-24

  船中発策 城廻めぐり




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2019年06月22日

「やどかり」号の九州一周


 老生が南下を断念して宮崎・延岡・土々呂から蒲江に入港した翌日に「やどかり」が入ってきました。大きなウネリに悩まされて避難してきたよし。それから悪天候が続き、彼らと4日に渡って宴会を愉しみました。やどかりは青島へ南下、小生は北上して臼杵へと別れる。 彼らは私と違い、無事九州一周を成功させました。

 昨日に、我が家へキャンピンングカ−で「やどかり」オ−ナ−が訪れてくれる。 楽しいお酒を再びかわすことができた。その際に、彼らの寄港地を聞きましたので、ここに報告します。 GPSやWindyを手にした今のヨットマンには寄港地の情報が一番知りたいところです。

 やどかり  ヤマハ31Ex

 係留地は地図で赤星印で示しますが、飲みながらでしたので
間違いがあるかもしれません。

1. 大村湾ホ−ムポ−ト発
2. 佐世保 高島泊
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3. 福岡・能古島泊
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4. 福岡・門司泊
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5. 大分・豊後高田武田津泊
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6. 大分・臼杵泊
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7. 大分・蒲江泊
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8. 宮崎・門川泊
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9. 宮崎・青島泊
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10. 鹿児島・大泊泊
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11. 鹿児島・笠沙恵比寿泊
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12. 長崎・天草大江泊
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13 長崎・横瀬浦泊
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14. 長崎・大村着

   2019-6-22

  ヨットマンのための泊地



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2019年06月19日

杵築城





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 守江湾・八坂川より見た都筑城・模擬天守



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 三方を川と海で囲まれた要害の都筑城



 北は高山川、東は守江湾。南は八坂川に囲まれた2つの台地に築かれた杵築城。 大友氏に属する木村頼直により築かれた。大友氏が秀吉により改易され木村続直も自刃し滅びた。 その後、前田玄以、秀吉の腹心だった宮部継潤、杉原長房、続いて慶長4年(1599年)には細川忠興の所領となり、重臣の松井康之・有吉立行を城代として置いた。寛永9年(1632年)、忠興の子・忠利が熊本藩に移封となると、替わって小笠原忠知が入った。その後、正保2年には松平英親(能見氏)が豊後高田藩より3万2千石で封じられ、その後明治維新まで居を構えた。

 譜代の能見松平家は、松平家の庶流を祖として三河の時代から徳川に仕える。長篠の戦いや大阪夏の陣で戦功を挙げた。家康6男の松平忠輝の付け家老となり改易になったが連座することなく、独立大名として取り立てられた。横須賀、出羽、摂津、豊後高田と転封を続け杵築に定着した。



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 都筑の漁港にヨットを係留し、そこから天守が望まれるので、目標として30分ほど歩いて城へ到着した。 天守(模擬)と上下台地にある武家屋敷がみることができる。こじんまりまとまっているが、それなりに風情がある町並みがある。5月の連休にお城祭りがあったようだが、当日は終わって後かたずけをしていた。


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  天守



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 北台武家屋敷

  2019-6-19

  船中発策 城廻めぐり


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2019年06月16日

2019年 九州周航



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救世主にえい航される


  昨日に家に2か月ぶりに帰りました。 昨年は長崎止まりで終えたため、今度は東回りでプランしました。
別府に入る時から、海藻ホンダワラがスクリュ−にからみつくことが多くなり。他のセ−ラ−に尋ねてみても、今年は異常にそれが多いとの意見です。1日おきに潜ってそれを取り除く作業を余儀なくされた。 最後はそれでエンジン出力が低下して港へ、えい航される事態に陥いる。そのため気力も失せ、おまけに悪天候で港に待機することも多くなり、延岡・土々呂で南下を断念して引き返した。

 廿日市に帰港して、次のホ−ムポ−ト岡山児島に向かう。そこへは3日で行けるところをあと1日の弓削でバケツ二〇杯のビルジがたまりました。冷却水ポンプの交換、児島に着いて、スタ−ンチュ−ブの交換と悪い事態が続き日数的にも費用的にも膨大な消費を被る。

 今年のクル−ズは失敗です。 しかし、九州や岡山の地元のヨットマンの方々に親切なお世話を受けたり、クル−ジング中のベテランヨットマンの貴重なアドヴァイスなどで無事に乗り切ることができました。

   皆様大変ありがとうございました。

 他のヨットマンへ今度はあなたがお返しをしてやってくださいと云われましたが、69歳で復帰した初心者みたいな終活セ−ラ−の老生には、何か持っているものがあるのかと自問するばかりです。
 日本にはヨットの世界ではこんな貴重な人間関係の世界が存在しています。60歳以下の人はほとんどヨットをやっていないので、この世界も絶滅していくのでしょう。
 クル−ジングの楽しみは景色・文化・人間と有りますが、今回はヨットマンのふれあいに堪能したクル−ズでした。これはありがたい体験でした。 日頃の行いの良いとは思われない小生にも救世主が現れましたし。

 2019年 所在・ 県・ 訪問など

4月16日 火 北本発 廿日市・ 広島
4月17日 水 整備 廿日市・ 広島
4月18日 木 岡山 児島視察 廿日市・ 広島・ ハロ−キテイ号
4月19日 金 マリ−ナ退出届け 廿日市・ 広島
4月20日 土 整備 廿日市・ 広島
4月21日 日 整備 廿日市・ 広島
4月22日 月  五日市メ−プルマリ−ナ ドック 五日市・ 広島
4月23日 火 ドック休み 五日市・ 広島・ 草津城
4月24日 水 ドック 五日市・ 広島
4月25日 木 ドック 五日市・ 広島
4月26日 金 ドック 五日市・ 広島
4月27日 土 ドック 五日市・ 広島
4月28日 日 整備 廿日市・ 広島
4月29日 月 整備 廿日市・ 広島
4月30日 火 整備 廿日市・ 広島
5月1日 水 廿日市発 上関・ 山口
5月2日 木 上関発 三机・ 愛媛
5月3日 金 三机発 マリンピアむさし・ 大分
5月4日 土 マリンピアむさし・ 大分
5月5日 日 むさし発 杵築・ 大分・ 杵築城
5月6日 月 杵築発 別府・ 大分
5月7日 火 別府・ 大分・ 日出城
5月8日 水 妻着 別府・ 大分
5月9日 木 別府・ 大分・ 鉄輪温泉
5月10日 金 別府発 臼杵・ 大分・ 臼杵城
5月11日 土 臼杵発 大入島・ 大分・ 佐伯城
5月12日 日 大入島発 土々呂・ 宮崎
5月13日 月 延岡 土々呂・ 宮崎
5月14日 火 延岡 土々呂・ 宮崎・ 延岡城、西郷陣屋
5月15日 水 延岡 土々呂・ 宮崎・ 高千穂
5月16日 木 妻帰着 土々呂発 蒲江・ 大分
5月17日 金 蒲江・ 大分
5月18日 土 蒲江・ 大分
5月19日 日 蒲江・ 大分
5月20日 月 蒲江・ 大分
5月21日 火 蒲江・ 大分
5月22日 水 蒲江発 臼杵・ 大分・ 臼杵城
5月23日 木 臼杵発 三机・ 愛媛
5月24日 金 三机発 上関・ 山口
5月25日 土 上関発 廿日市・ 広島
5月26日 日 廿日市・ 広島
5月27日 月 児島行 廿日市・ 広島
5月28日 火 廿日市・ 広島
5月29日 水 廿日市発 大三島・ 愛媛
5月30日 木 大三島発 弓削・ 愛媛
5月31日 金 部品待ち 弓削・ 愛媛
6月1日 土 部品待ち 弓削・ 愛媛
6月2日 日 部品待ち 弓削・ 愛媛
6月3日 月 部品注文 弓削・ 愛媛
6月4日 火 因島部品到着 冷却水ポンプ取換え 弓削・ 愛媛・ 因島
6月5日 水 弓削発 児島・ 岡山
6月6日 木 児島・ 岡山
6月7日 金 UW-1 マリ−ナ 児島・ 岡山
6月8日 土 マリ−ナ 児島・ 岡山
6月9日 日 マリ−ナ 児島・ 岡山
6月10日 月 マリ−ナ 部品注文 児島・ 岡山
6月11日 火 マリ−ナ 児島・ 岡山・ 備中松山城
6月12日 水 マリ−ナ 部品到着 児島・ 岡山
6月13日 木 マリ−ナ スタンチュ−ブ修理完了 児島・ 岡山
6月14日 金 児島・ 岡山
6月15日 土 児島発 自宅・ 埼玉

   2019年 6-16
 
  終活・克のヨットのペ−ジへ

   2018年 九州周航



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