2019年07月26日

九州東岸 豊後水道 日向灘 ヨット泊地

 
  杵築

 杵築漁港は漁船の数の割には広い漁港である。中央の泊地の堤防の内側に着岸した。 始めはアンカ−を打って槍付けのつもりであったが、アンカ−が効かない、とうとう舵に引っかける始末。スペ−スがあったので最初から横付けにすれば良かった。潜ってロ−プを外した。 錨の効かない原因は底質が海藻であったようだ。 着けた防波堤の外側にもスペ−スがあるが、海を覗いてみると背の高い昆布のような海藻が水面近くに見える。干潮でも着岸が難しいと思われる。 漁船は1隻も利用していない訳だ。東風の強風が吹いたけれど港内は平穏であった。避難港には良いと思われる。

 買い物もスタンドも不自由です、橋のある道路まで20−30分歩くことになる。 杵築城まで歩いたが、帰りはタクシ−を利用した。

 

kituki 10.jpg
 杵築漁港



kituki 11.jpg
  赤印に着岸





   日出港


 日出港には停泊していません。杵築でアンカ−が海藻の底質で効かずに潜るハメになったので、ここを忌避して別府に入りました。どっこいその入り口付近でホンダワラがペラにからみ別府でも潜らねばならなかった。

 JRで別府から陽谷駅で降り。日出城跡に行く。城下カレイで有名な漁港が麓にある。ヨット停泊にはスペ−スの問題があるようだ。その対岸に岸壁があり、ここならヨットを着けられそうです。 

 

hizi  20.jpg
 日出港  赤印は予想停泊地

 

hizi  21.jpg
 日出漁港と対岸の商業岸壁




   臼杵



  臼杵港の下図赤地点に着桟したが、管理している臼杵港運で尋ねたところ、その岸壁を利用する商船があるということで対岸の青地点へシフトした。 この岸壁は商業港によくある下の部分が凹んでいて、干潮時にはヨットのハルがそこへ入ってしまうマズイ岸壁であった。 おまけにウネリも入ってくる。 徹夜でのワッチを覚悟したが、地元のヨットマンが隣の漁港板知屋を勧めてくれてそこへ移動した。 まったく静かでぐっすり眠ることができた。 買い物など不便であるがオススメです。


usuki 11.jpg
 青は岸壁シフトした位置



usuki 20.jpg
 青色地点へシフトした岸壁   サイドアンカ-を入れる必要あり



usuki 21.jpg
 板知屋漁港に舫う



   土々呂


   蒲江


     2019-7-26

  ヨットのペ−ジへ


posted by 速魚 at 05:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月24日

因島散歩

 


innosima 20.jpg
  因島マップ


 因島は本四連絡橋・しまなみ海道のなかにある向島と生口島につながる島です。造船業が盛んな島でもある。 以前に因島水軍城へ行きました。今回は注文したヨットの部品の受け取りに弓削海の駅より因島へ行く。

 往きは弓削より因島土生まで今治発の連絡船に乗る。土生で下船して、弓削にはホ-ムセンタ−がないので因島モ−ルまでタクシ−で行く。そこで工具等を購入した。 ここより土生発三原行の別会社の船便があり、乗船して途中の重井で下船した。 ここから因島マリ−ナへは徒歩になる。途中の民家は独特な作りで左官のワザなのか土蔵風の塗りこめの窓が珍しくこの土地だけのものなのかと思われる。



innosima 01.jpg
 重井の民家その1


innosima 02.jpg
 重井の民家その2

 
 丘を越えて次の入り江まで歩くのだが、途中の丘上には除虫菊畑があるようで、その入り口の看板があった。因島ではキンチョ−の島なのであろうか。 丘を下ったところにコ−プの店があり、弁当と水を購入。島の中でこの種の店をみつけるのは珍しいので、それなりの人口があるのでしょう。 ほどなく青木城跡の案内板を見つけた。 すぐ近くに因島マリ−ナがあり部品を引き取り一刻も早くそれをエンジンに取りつけて出港したいので城跡へ行くのは断念した。


innosima 04.jpg



innosima 03.jpg
 青木城跡 海抜50.6m


 重井まで来た道を帰り、土生までの乗船時間が長いので、バス便にして土生まで帰った。 島の常だが交通の乗り換え待ち時間が長く、今度は弓削の船便を待つ間に、船具屋に立ち寄りバルブ関連の用品を買う。 その向えにホテルがあり、そこは村上水軍の長崎城跡です。 ちょうど昼時でランチをやっていて2800円也とのこと。 部品代にお金が掛かったおり、分不相応と辞退しました。


innosima 12.jpg


innosima 10.jpg
長崎城  海から眺める


innosima 11.jpg
 長崎城

  海賊城は見張りが重要で、船舶の動静を常に監視する必要がある。従い、水道・水路の脇には城跡があることになる、今回は見ることができなかったが、荒神山城、島前城、山伏山城、天神山城など因島には多く城・砦があるようです。弓削に立ち寄った際には自転車で見て歩きたいと思っております。



    2019-7-24

  船中発策 ヨット




 
posted by 速魚 at 05:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月21日

高梁散歩


 新幹線を岡山で途中下車してでも、寄りたいところ山田方谷と備中松山城の高梁(たかはし)へ行きました。 広島県から岡山県へヨット本拠地を移す。 さっそく、そこを訪ねた。 岡山駅から伯備線に乗り、JR高梁駅まで行く、東京から鎌倉へ行くような距離と感覚です。伯備線は1時間のうちで鈍行と特急それぞれ1本位の運行をしています。 帰りは特急を利用しました。

  お城への乗合タクシ−出発まで少し時間があり、駅より高梁川の方向へ行く。郵便局で用を済ませて、橋のほうへ歩いた。 城下町らしく弓之町、鉄砲町の地名があった。名残を求めて探してみたが、落ち着いた街並みがあったのみ。 時間も無くなってきたので、駅に戻る。 タクシ−で城へいく途中に山田方谷の塾跡の看板を見つけた。帰りはそこで降ろしてもらい高梁のまちを散策する。

 方谷塾跡は藩主からこの地を受領したもの。隣家の主人が死亡したので、寡婦の娘とあなどられないように残った娘の教育を方谷は頼まれた。その娘は藩士の男たちに交じって方谷から教育を受け、長じて福西志計子として明治の女子教育にの草分けになる。 ここから坂道を少し下ると、平時は藩政をしたという御根小屋跡に着く。現在は県立高梁高校になっている。しかしここには福西女史が創立した女学校が転じたものである
という。

 ほどなく武家屋敷群が見られる。旧新井家と旧植原家が見学できる。 籠入れの土間が珍しかった。山田方谷の資料も豊富である。1本下った道には商家屋敷群が通りに沿って見られる。 現在も魚屋で営業している店があった。

 紺屋川に沿って登っていくと、河井継之助が宿した花屋跡があるが現在は郵便局で案内碑があるのみである。塵壺(平凡社刊)という河井継之助日記の本にはここの滞在の様子が書かれている。 すぐ近くの幼稚園は旧藩校有終館跡があり、今は子供たちのにぎやかな声で包まれている。ここでは方谷が40近くまで教えていたという。

 また、すぐ近くの角に高梁基督教会堂がある、木造による教会では日本で2番目に古い建物である。中を見せてもらうが、昨年の五島の教会群を見た身としては内部は質素な雰囲気である。五島の人々はここよりは貧しかったのであろうが、ステンドグラスや装飾には信仰の熱意が感じられた。

 頼久寺の庭園を見て、郷土資料館に入ったが、ここは個人的に興味が薄かった。隣に山田方谷記念館があり500円の割には大いなる期待に応えてくれませんでした。 最近に出来たものらしい、方谷の資料はあちこちに散逸しているようで、他の見学場所でも見られます。集中してここへ持ってくる努力を期待いたします。

 駅に向かう途中に松連寺・薬師院があり、まるでお城の土塀のような風貌です。いざという時の防御拠点として機能したのでしょう。 ほどなく駅に到着して、特急「やくも」にて帰路につく。

 コンパクトにまとまった地域で散策しやすい。さくらの春や紅葉の秋にはさぞかし良いのではと思われます。下記地図・写真参照。





takahasisanpo 20.jpg
  高梁散歩図  青線を歩行




takahasisanpo 13.jpg
  弓之町




takahasisanpo 14.jpg
 山田方谷像 至誠惻怛(しせいそくだつ)真心と慈愛の精神を説く、




takahasisanpo 10.jpg
  山田方谷家塾跡  牛甍舎跡 隣家の寡婦になった娘(福西志計子)に学問を教えた




takahasisanpo 12.jpg
 元御根小屋・県立高梁高等学校 福西志計子の順正高等女学校の伝統を受け継ぐ




takahasisanpo 09.jpg
 武家屋敷の町並み




takahasisanpo 07.jpg
 商家の町並み



takahasisanpo 08.jpg
 魚屋で営業中

 


takahasisanpo 01.jpg
  花屋宿 案内板 河井継之助の滞在宿



takahasisanpo 02.jpg
 武家宿 花屋跡 現在郵便局

 

takahasisanpo 06.jpg
藩校 有終館跡 現在幼稚園  山田方谷が教えていた

 

takahasisanpo 05.jpg
 高梁基督教会堂  福西志計子が通う



takahasisanpo 04.jpg
 頼久寺 庭園 小堀遠州の作庭という



takahasisanpo 03.jpg
  薬師院・松連寺  応急の時には砦として使うつもりであったのか



takahasisanpo 15.jpg
  特急やくも



      2019-7-21

  船中発策 郷土史・歴史






 
posted by 速魚 at 07:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月19日

備中松山城


 天守の残る唯一の山城、日本の現存10天守の一つである備中松山城に行く。JR高梁駅にある観光案内所で情報を得て、乗り合いタクシ−の手配をしてもらいました。 麓からも行けるでしょうが、健脚に自信のある方のみです。 時期によりますが、ふいご峠(8合目)までのバスもあります。 そこでタクシ−を下りて天守に向かう。 登りは思ったよりキツク休み休みで時間がかかった。2時間ぐらいの見学時間だったが、登り降りの帰りの時間も含むことから思いを残す状況になった。待ち合わせ時間が迫り急ぎ降りることになる。 じっくり見たいのなら車が便利ですが、利用できる時期があるようなので下調べが必要です。

 雲海に浮かぶ城でも有名ですが、城を望む隣の山から見ることになり、時期と行程は観光案内所で尋ねてください。また、案内所のある駅と一体にになった図書館は、洒落た建物で同じ設計者なのか宮崎県延岡駅でも似たものがあった。

 この城は鎌倉時代からの歴史があり、北から、「大松山」「天神の丸」「小松山」「前山」の四つの峰からなり、南から見た山容が、草の上に伏 した老牛の姿に似ているとして、「老牛伏草山」とか「臥牛山」などと呼ばれており、備中松山城はその 頂を中心に全域に及んでいます。

 現在、一般に「備中松山城」と呼ばれるのは、この内の小松山の山頂(標高約430M)を中心に築かれた近世城郭を指しており、天守の現存する山城としては随一の高さを誇ります。城内には天守、二 重櫓、土塀の一部が現存している。

 江戸期の備中松山藩時代は山城で不便なため、山麓の城下町に「御根小屋」と呼ばれる藩主の御殿と家来の武家屋敷群を構え、そこで藩の政務を行った。現在、御根小屋の跡地は岡山県立高梁高等学校となっている。

  この藩には山田方谷が有名です。彼の行った藩政改革は幕末までのモデルと言われている。司馬遼太郎「峠」の河井継之助は方谷から学ぶためにこの地を訪ね花屋に泊まった。 方谷は後に明治政府が行った殖産興業と軍制改革を先立って行う。 藩主は譜代の老中筆頭を勤めた板倉勝静であった。最後の将軍と共に大阪城より江戸へ船で逃げ帰ったほどである。 しかし、方谷は体面を保つ形で恭順をして、備中松山城を無血開城した。 また、函館にいた藩主を撤収させて謹慎させる。藩の存続を許された。



bittyumatuyama.jpg
 天主



bittyumatuyama 01.jpg
 本丸入り口



bittyumatuyama 04.jpg
 天守から見た本丸





bittyumatuyama 17.jpg
 重要文化財 2重櫓



bittyumatuyama 21.jpg
 復古図





bittyumatuyama 05.jpg
 新しい守将 本丸にいる 先の豪雨でここへ迷い込んだという



bittyumatuyama 06.jpg
 2の丸





bittyumatuyama 07.jpg
 野面積 城内で一番古い






bittyumatuyama 08.jpg
 御膳棚跡



bittyumatuyama 09.jpg
 4の平櫓跡





bittyumatuyama 10.jpg
 厩門跡





bittyumatuyama 11.jpg
 黒門跡



bittyumatuyama 12.jpg
 3の平櫓跡



bittyumatuyama 13.jpg
 足軽箱番所跡



bittyumatuyama 14.jpg
 重要文化財 3の平櫓土塀



bittyumatuyama 15.jpg
 NHK 真田丸で使用された風情



bittyumatuyama 16.jpg
 上太鼓丸





bittymatuyama 20.jpg
 御根小屋復元図





bittyumatuyama 18.jpg
 御茶屋橋と高梁高校



   2019-7-19

  城廻りのペ−ジへ





posted by 速魚 at 10:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月17日

西国街道 草津まち散歩


 草津城を見て川沿いを南に下ると、西国街道沿いの町並み保存地区に至る。 草津湊は埋め立てられたせいか、痕跡は見られなかった。草津は古くは軍津(いくさつ)呼ばれていたようで、水軍の地として栄えた。

 明治天皇が休憩したという小泉酒造の小泉家、幸福稲荷、大釣井、西楽寺、福溝稲荷、西氏功徳碑などを見て回ることができます。



kusatumati 07.jpg
 西国街道  草津まち地図  赤マ−クは写真あり

 

kusatumati 02.jpg
 西氏功徳碑 広島藩の支藩三次藩の飛び地であったので西氏は三次藩医の家系であった。



kusatumati 03.jpg
小泉家と記念碑 明治天皇と皇后が小泉家で休憩された記念碑



kusatumati  05.jpg
小泉家 酒造



kusatumati 06.jpg
 福溝稲荷と地蔵



kusatumati 08.jpg
 大釣井 塩分少なく共同井戸



kusatumati 09.jpg
 西楽寺



kusatumati 10.jpg
 幸福稲荷大明神


2019-7-17

  船中発策 郷土史・歴史







posted by 速魚 at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月15日

タンカ−防衛有志連合に参加すべき

 


tankerbouei.jpg

 トランプが日本は米国を守ってくれないと、日米安保条約の不平等性をツイッタ−にあげています。 首相のイラン訪問中にも日本運航(船籍・乗組員は別)のタンカ−がホルムス海峡で攻撃を受けた。

 ここでも現在に至るまでの政府が日本の船舶の船員・財産を守る気の無いことを小生は述べています。 自分はイライラ戦争中に船員としてペルシャ湾へ行った苦い経験があるので、なおさら強く有志連合に参加すべきと述べたい。

 海賊特措法でジブチに自衛隊の基地を設け、隊員を海外派遣して対処しています。ここまでは来ました。 今回は湾岸戦争の有志連合ではないけれど、タンカ−防衛の有志連合の呼びかけが、日本へあれば、是非とも参加してもらいたい。 その件で集団的自衛権の問題があるのなら、自国商船隊だけの護衛ということで、日本単独でも護衛措置をとってください。8割の石油をホルムズ海峡経由で日本が依存していることは知られてきています。ペルシャに大きく依存していることを今までに軽減しようともしていません。 といっても自国商船隊は便宜置籍船隆盛の世の中では、絶滅して極めて稀かもしれませんが。 湾岸諸国・オマ−ン、ドバイ、アラブ首長国連邦などにに自衛隊の基地を設けることも必要かもしれない、必ずしも艦艇護衛ではなく、対潜哨戒機が有効かもしれないので。

追記

有志連合はCoalisionの訳で阿川佐和子さんの兄の阿川さんが訳をつけたのだそうです。 多国籍軍の意味ではないそうです。各国の個別指揮のもとで交戦規定も自国のものです。現在それには海賊対策で日本も属している。トランプが要求している有志連合は意味不鮮明なものであるのではないか。 いまだに自国の船を守ってエスコ−トしたことがない日本はトランピ如何にかかわらずどうするのかという問題です。
詳しくは右記をご覧ください。 国防ニュ−ス最前線  21分
https://www.youtube.com/watch?v=2QQcXx-FMRY



 下記に 北野さんの記事を転載いたしました。

   
  なぜ日本は「タンカー防衛有志連合」に参加すべきなのか?   北野幸伯 「ロシア政治経済ジャ−ナル」 2019-7-14


どうやら日本、大きな岐路に立たされているようです。何の話でしょうか?
米、イラン沖で有志連合結成へ タンカー攻撃受け
7/10(水)11:49配信

【ワシントン共同】米軍制服組トップのダンフォード統合参謀本部議長は9日、イラン沖のホルムズ海峡近くなどで民間船舶の安全を確保するため、同盟国の軍と有志連合を結成する考えを示した。数週間以内に参加国を募る。
ホルムズ海峡近くなどで民間船舶の安全を確保するため、有志連合をつくるそうです。なぜ、こんなことを決めたのでしょうか?
日本などのタンカーが攻撃を受けたことに伴う措置。ロイター通信が伝えた。
(同上)
「日本などのタンカーが攻撃を受けた」からだと。6月13日に、二隻のタンカーが攻撃されました。

米国が艦船を派遣して監視活動を指揮。参加国は米艦船の警備や、自国の商船の護衛に当たる。
(同上)
ここまで聞いて、「おお、真によいことでありますな」とほとんどの人が思うでしょう。タンカーが攻撃されたら困りますから。しかし、次を読んだら、心穏やかではいられないと思います。そして、国論真っ二つになることでしょう。
トランプ米大統領は、各国がホルムズ海峡を通るタンカーを自国で守るべきだと主張しており、日本も何らかの対応を求められる可能性がある。
(同上)
トランプさんは6月24日、「日本は、自分のタンカーは自分で守れ!」という旨のツイートをしています。どうですか、皆さん。日本は、どうするべきでしょうか?私は、「日本はアメリカ主導の『タンカー防衛有志連合』に参加すべきだと思います。なぜ?トランプさんのいってることが正論だからです。
この話、きっとたくさんの人が反対することでしょう。最大の理由は、「攻撃を受けて自衛隊員が死ぬかもしれない」。わかります。私だって、自衛隊員が亡くなってほしくありません。しかし、考えてみてほしいのです。そう考えている私たちは、「自衛隊員のかわりにアメリカ軍の人が死んだ方がいい」と考えているのですよね?いえいえ、そんな風には考えません。しかし、アメリカから見たら、そういうロジックになります。
トランプさん、「日本が攻撃されたら、アメリカは第三次世界大戦を起こしても日本を守る。しかし、アメリカが攻撃されても、日本は自宅でソニーのテレビを見ていればいい」と発言をしています。もちろん、戦後日本をこういう状態にしたのは、アメリカ。「日本が二度と強くならないように」そうしたのですが。
時代はかわって、アメリカが弱くなってきた。だから、「日本も少しは手を貸してくれ」となってきた。ここで日本はどう動くかということなのです。
これ、「憲法改正しなければ何もできない」という話ではないと思います。今の憲法でも、「個別的自衛権」は認められている。だから、タンカーを防衛している自衛隊艦が攻撃されたら反撃できる。それに安保法改正で「集団的自衛権」も一部認められるようになった。だからタンカーを防衛している米軍が攻撃されたら、日本が反撃することもできるのではないでしょうか(いろいろ解釈がでるでしょうから、追加の法律が必要な可能性はありますが)?
いずれにしても、日本のタンカーを米軍が守っている。アメリカは、「全部日本が守れ」とはいいません。「日本も、自分の国のタンカーを守る『手伝い』をしてくれ」と。これから要請が来る可能性が高い。これ、「当然参加すべき」だと思います。なんといっても、「日本企業が運営するタンカーを守る」のですから。
ここで、「嫌です。日本の自衛隊員は、一人たりとも殺させません(意味=かわりに、アメリカ兵が死んでください!)」となれば、日米同盟の亀裂は、めちゃくちゃ深くなるでしょう。そうなると、尖閣、沖縄は、将来中国領になる可能性が高いです。なんといっても中国は、「日本には尖閣だけでなく、沖縄の領有権もない!」と宣言しているのですから。


 ● 反日統一共同戦線を呼びかける中国

逆に、有志連合に参加すれば、「日本は、金だけだす狡猾な国だ!」と批判はでなくなるでしょう。日本とアメリカの同盟関係は、ますます強固になり、中国が尖閣を奪うことは難しくなります。
 


 日本が自立国家になるために必要な通過点


 私がメルマガを創刊して、20年と3か月が過ぎました。28歳だった私は、普通のおっさんになった。しかし、当時から私の中には、一つの夢がありました。それはなんでしょうか?
「日本を自立国家にしたい」


今は自立国家じゃないの?違いますね。今の日本は、「アメリカ幕府の天領」なのです。「でも、自立国家ってなんですか?」と聞かれます。それで、もっと抽象度を下げ、具体的に、

精神の自立
経済の自立
エネルギーの自立
食糧の自立
軍事の自立

が必要だと。この話、10年以上前からしていますが、誰も反対しません。皆さん、「いいですね!」といいます。

で、今回の話に関連して「軍事の自立」。「自分の国は、自分で守れるようにしたいですね」というと、皆さん「そうですね!」といいます。でも、いきなりはできません。なんといっても中国の軍事費は、日本の5倍です。核もある。日本だけでまともに戦ったら勝てるはずがないのです。


 さらに大きな問題があります。もし日本が、「軍事の自立を目指します!」と宣言したらどうでしょうか?反対するのは中国、韓国だと思いますか?もちろん彼らも反対するでしょう。しかし、一番反対するのはアメリカです。
皆さん、「自虐史観」「東京裁判史観」をつくったのは、中国、韓国じゃありません。アメリカです。アメリカが、「日本が再び強くならないようにしよう」と決めたのです。だから、日本が「軍事の自立をします!」と宣言すれば、アメリカは、いわゆる戦勝国である、イギリス、フランス、ロシア、中国を誘って、日本を叩きつぶすでしょう。では、どうすればいいのか?


今回の件はどうでしょうか?まもなくアメリカから、「自衛隊をもっと活躍させろ」という要請がくる。日本は、アメリカのお墨つきを得て、自衛隊の活動範囲を拡大することができる。要するに、「アメリカの手伝いをします」といいつつ、日本は一歩「軍事の自立」に近づくのです。

繰り返しますが、このミッションで、自衛隊から犠牲者がでるような事件が起こるかもしれません。しかし、「日本のタンカーをアメリカ軍が守るのが当然」というのは、どう考えても異常です。日本は、アメリカ主導の「タンカー防衛有志連合」に参加することで、「自立国家」への大きな一歩を踏み出すべきです。


2019-7-15


  軍事・安全保障のペ−ジへ

    




posted by 速魚 at 12:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

草津城 安芸

 
   
 スマホのグ−グルマップを利用していると、城跡がよくのっています。それで草津城へ行ってみました。 瀬戸内海沿岸の地形は海岸近くまで200-300mの山がせり出していて、平地の部分は限られている。 そこで近代化が進むと、その土地は鉄道や道路用地が土地を寸断されてしまう。 この草津城も山陽線、広島電鉄、道路で分断された。すぐ高層のマンションも隣接している。

 草津城は麓にある草津湊(現在は埋め立て)を水軍の拠点として重きをなしていた。 城主は厳島神社、安芸武田、大内・陶、毛利と変遷した。毛利氏になって、水軍の将である児玉氏が治めた。大阪の本願寺に米を届けたのもこの児玉氏である。明治の児玉源太郎は子孫にあたる。 関ケ原以降は福島正則が受領して、ここに大門を作り、城を廃した。



kusatuzyo 04.jpg
 草津城跡、 道路が迫る



kusatuzyo 01.jpg
 山頂本丸跡にある城跡石碑と案内板



kusatuzyo 02.jpg
 草津城登山口


kusatuzyo 03.jpg
隣接するマンション



kusatuzyo 05.jpg
南海側から草津城を望む

  2019-7-15

  船中発策 城めぐり


posted by 速魚 at 07:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月13日

おもろいニュース


 新聞購読を止めています。もっぱらウエブかテレビのニュ−スを見ています。 新聞の見出しを時々目にしますが、やはりムダだと納得しています。

 何か出来事が起こると、数日はこれでもかこれでもかと同じニュ−スが頻出して、ウンザリしているのは小生ばかりではないでしょう。 そうかと思うと、このことは何で報道しないのかと思うこともあります。

 ニュ−ヨ−クタイムズで日本のマスコミの現状は独裁国なみではないかと、報じられました。マスコミの劣化は、もうどうしようもないレベルまで達しているのではないでしょうか? 記者クラブの悪しき現状も改善される気配はありません。 また、いつか来た道を歩くのでしょうか。

  最近のネットで見つけたおもしろい記事です。

1. https://kyoko-np.net/2019071201.html?fbclid=IwAR0o29K4bLIpYFZ5UOGBA6uGMYSB0gN7qgDkHnZ7SXhhgQTJUPYjHctOk4E
  記事名だけみると、ほんとかしらと、思わずグ−グルマップで場所を探してみる。 虚構新聞の発信だとは気がつきませんでした。

2. https://www.excite.co.jp/news/article/Bunshun_12736/
  納得の記事です。 野球選手がサッカ−の試合に出ていても、負けるばかりです。 早く知れよ。

3. https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_4830/
 最高裁までいって刑が確定しているのですね。愛にはどんな形があってもいいが、お互いが承知の上のこと。パワハラがらみは犯罪です。それを報じないのも罪ありかも。

    2019-7-13


   船中発策  休題閑話






posted by 速魚 at 14:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

西郷陣屋


  延岡の北に西郷隆盛宿陣跡資料館があります。延岡の観光案内所にそれをを尋ねると、電車やバスで行くには不便なところであった。それでタクシ−で訪れることになる。 帰りのために、タクシ−を30分待ってもらい、取り急ぎ資料館を見ました。

 大河ドラマ「西郷どん」で妻イトがここを訪ねる場面がある。それはドラマを盛るためのフィクションであるという。 ここで西郷は軍の解散をして、少数の従う人間と伴に鹿児島をめざした。 大将服をこの近くで焼いたというが、その地には碑がある、今回はそこを訪ねていない。

 資料館は2つの建物に渡って展示されている。最後の軍議の場面を人形を使って再現している。無料の割には充実している展示である。

 西郷を見る人の器量次第で、彼のことが大きくも小さくも見えるというが。 今だに、小生は彼のことが分からない、納得がいかない。 大人情の人であるが、目的を遂げるためには大非情の人でもあった。 小人には考えが及ばずと言ったところでしょう。




saigozinya 01.jpg
 資料館


saigozinya 02.jpg
 軍議の場面


saigozinya 03.jpg
 陸軍大将服


saigozinya 04.jpg
 展示物


    2019-7-13


  西郷隆盛  磯田道史による




posted by 速魚 at 07:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月12日

更新 アヴェマリア

 
tituano02.jpg
テイツイアーノ 聖母被昇天


人生に自分で後始末を考えなければならない歳です。未だに信仰に頼る気持ちにはなれません。このままだと葬式も今やっているようなら、やりたくないので、やってくれるなと連れ合いに言っています。お墓も拒否です。海に散骨でしょう。


 幼稚園がカソリックでイタリア人と思われる神父さんを目にするところに通いました。わずか1年の通園でしたが、幼少の気持ちに影響があったせいでしょうか、小学校の低学年のころまで、マリア様のプロマイドみたいな印刷物を貼っていました。小さなマリア信仰ですね。 親は熱心な浄土真宗の信者なのに、子供をこだわりもなくキリスト教の幼稚園に入れるところが日本の宗教事情ですね。


 三つ子の魂百までもではないですが、心の深層に残るものがあるのでしょう。音楽は古楽が好きになり、宗教音楽のポリフォニーのミサ曲が大好きです。
 テレビで佐和子の朝という番組で、たけしさんが出ていて、俺はママゴンなんだよなあと話されていました。ちょっとこちらも安心した気持ちになれました。ママゴンだと公言してもいいのだと。でも母親は35年も前に亡くなりましたが。ママゴンの究極形態がマリア信仰であり、仏教の観音信仰なんでしょう。


 アヴェマリアという曲は有名なものは3つあり、 バッハ/グノー、シューベルト、ジュリオ カッチーニのものです。その中でカッチーニの曲が一番好きです。でもこれはカチーニを名乗った偽作の疑いが濃厚です。カッチーニの他の曲や当時の音楽から比べると様式が違うように思います。でもこの曲はそんなこと関係なくすばらしい。

    カッチーニのアヴェマリア

 前奏の違いと最初の歌詞・アヴェ マリアの歌声で決まる。余りビブラ−トを聞かせるのなら、少年少女の声の方がよいかもいれません。



  森麻季 さんのアヴェマリア 3分  一番好きです
  https://www.youtube.com/watch?v=NtDZcTFdeRo

  ヘイリーウエンステラと岡本知高 3分 ソプラノとソプラニスタの音色の違いが見事に融合
   https://www.youtube.com/watch?v=blo5jFULCxA


  イネッサ・ガランテ ソプラノ  6分

  https://www.youtube.com/watch?v=Ru8Yah-CMv0

  カ−ラ・マフィオレッテ ソプラノ  4分
  https://www.youtube.com/watch?v=C83Hk8wAcBY



 Libera - Ave Maria(Caccini) - Tom Cully 4分  いいね  ボ−イソプラノが美しい

  https://www.youtube.com/watch?v=bAULcisUEGw

  Amira Willighagen 少女の歌声  5分

  https://www.youtube.com/watch?v=JyQcZgcT5xA


  加羽沢美濃さんのピアノ演奏  4分  いいね
  NHKの平清盛テーマ曲なんですか?知りませんでした。見る気がしませんでしたので。
    http://www.youtube.com/watch?v=3DtCp0Mwe_s

 Ciulio Caccini ジュリオ・カッチーニ(1545ごろ-1618) ルネッサンス音楽末期、バロック初期の作曲家
メデイチ家の歌手でルネッサンスの大パトロンであるコジモ・デ・メデイチの庇護を受け作曲家になる。バロック音楽の礎となった。アマッリリ麗しはあのメデイチ家のサロンで歌われていたと思われます。

   

   他のアヴェマリア

  映画 Passion of the Christ から Oiga Szyrowaが歌う これもすごく良いです。
  作曲 Michael Lorenc  7分
 https://www.youtube.com/watch?v=4Ug5vJiIzBI

 バッハ・グノーのアヴェマリア  ソプラニスタ 岡本知高さん   2分
 http://www.youtube.com/watch?v=upV4p3FJP0c

 サラ ブライトマン 3分  これも大好きです
  https://www.youtube.com/watch?v=roljxa0-8yU

   アヴェマリア   Sissel Kyrkjebo  4.4分  
  http://www.youtube.com/watch?v=4DfHCa4O_4E
                   
   マスカーニ    歌   Sissel Kyrkjebo   3分
  http://www.youtube.com/watch?v=selrkcvErG8&list=RDuK3_Kr2nLtA

 ドニゼッティ  Luccia Di Lammermoorより  歌 Mulla Tchako  3分
  http://www.youtube.com/watch?v=vll74EYlTCs&list=RDr-tVuL_6TQ0
                                  
   ジョスカン・デ・プレ タリス・スコラ−ズ  5分

  https://www.youtube.com/watch?v=yxz8rjcuK9U

  トマス・ルイス・デ・ビクトリア  4声と8声のための  7分

  https://www.youtube.com/watch?v=ZUF5hY3UuWw




                            2013-10-11

                         更新 2019-7-12
  

    アヴェ・マリア・ステラ(ステルラ)Ave, Maris stella  めでたし海の星







posted by 速魚 at 20:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月11日

ホンダワラのプロペラへの絡み

   
 温暖化の影響か?、今年のホンダワラの繁殖が異常に多く、他のヨットマンも同じ考えのようだ。 瀬戸内海では、まだそうでもなかった。別府に入るころより、プロペラに絡み始めて、1日おきの頻度で潜りそれを取り除く事態に陥る。

 今年のクル−ズプランでは、昨年は九州一周を西回りで計画し、台風の影響で長崎で断念したところから、東回りをすることにした。 別府から佐賀関を回って豊後水道を日向灘へむかった。 もし、昨年と同じ航路を取ったとしても、玄界灘でスクリュ−大量に絡みつき、洋上で潜って取り除いたというヨットマンの体験を聞かされたので、同様に難儀したであろう。

 シングルハンドであると、なかなか前方をワッチするのは完璧にはいかず、舷側にそれが流れていくのを見てハットすることも多い。また、それを取り除くにも、洋上で潜ることはシングルハンドでは、はなはな危険な行為である。体をロ−プで縛って流されないようにヤルとしても、波で船体に頭部をブツけたり、潜って浮き上がった時には船体から離れていることがある。 ヨットの事故で意外と多いのは、泳ぎと飛び込みに自信があるの人なのでしょう、かっこよくヨットから飛び込んで泳ごうとして、船上に上がることができずに遭難することです。 というのは、舷側がクル−ザ−では予想以上に高く、デインギ−と違いハシゴなしでは上がれませんから。 小生は港に着岸して潜ることにしています。若い頃にはオホ−ツクの海でロ−プがからみ、震えながら潜った経験がありますが、それ一度キリです。

 大分佐伯・大入島から宮崎細島を目指して航行中、豊後大島と鶴御崎の間の元ノ間海峡通過までは順調でした。前日に海の駅桟橋で潜って取り除いていたので、ペラの絡みは無しで出港した。速度が4ノット3ノットに下がっていき、深島をなかなか交わせない。日向市沖のやっと枇榔島近くまでやっと来たら、エンジン音が変わり止まりそうになる。 4-5mの大きなウネリの中でした。 また、藻が絡んだなと考えました、入港して潜らねばなるまいと。 エンジンが止まるとなると、メインセ−ルを揚げていないので、ジブだけではセ−リングが満足でない。おまけに二馬力の船外機は取り付けておらず、それにそれの始動が気ままです。大きな揺れのなかで船尾に船外機を取り付けるのは難しい。 毎日のように海藻取で潜るため、船尾ハシゴを使うことを想定して、船外機を取り付けてなかったのです。どちらかしか使えない装備です。  メ−ンセ−ルは下記写真のようにガンジガラメに縛ってあり、すぐには揚げられない。夕方になり日も暮れそうです。 絶対絶命ではなくても大いにコマッタなと思っていたところ、そこへ「どうかしましたか?」と漁船が近寄ってきて声をかけてくれました。 九死に一生を得る、絶体絶命の危機に「救世主」が間髪を入れずに現れるとは、まさにこのことです。日頃の行いが悪いにもかかわらずに。 地元の元ヨットマンが漁船の廻航業務をしていて、ジブ縁が赤い色の知り合いのヨットだと思い寄ってきたものでした、すぐに異変に気が付いてお声がけしてくれて、助かった次第です。

 今回は事故にならずに済みましたが、起きる時には二三重にミスが重なるのでしょう。 と云うより、今まで、おざなりにしてきたもの、怠けてやっていないもの、不完全や欠けた知識によるもの、こういったものがヨットでは何かのときにキッチリと詰めてくるように思います、思い知らされます。 なにせ、自然相手ですから。

 写真のように延岡・トトロまでえい航してもらい無事着岸しました。土々呂のヨットマンの人々がその後数日にわたって門川にある温泉の送迎をわざわざしていただきました。ありがとうございます。

 thank 01.jpg
 えい航される


 土々呂漁港で翌日に潜り、午前中いっぱいかかって写真のように大量のホンダワラを取り除きました。 潜ったらスクリュウ−の形をとどめないほどまん丸く絡みついていた。 エンジンは12時間ほど回した関係で燃料消費が多くなり、タンクの底の燃料を使った関係で燃料供給が悪くなったのが原因と思われます。えい航中にはニュ−トラルにしていてエンジンは止まらずに回ってました。 ヤンマ−1GMがが新造時の規格で前オ−ナ−が2GMに換装しています。燃料タンクは1GM仕様で30リットルであるので、連続12時間は燃費を考えるとを廻しすぎであった。手持ちの燃料用予備ポリタンクが8リットル容量なので、5時間程度のエンジンを使用して、このポリタンクで補給すれば丁度よいと思われる。以後航海途中でも、5時間で補給することに決めた。

 他のベテランヨットマンに対策を聞きました。いずれも航海中に作業可能なもの。

1. 一番よさそうなものは写真のようにペラの上に穴を空けて、デッキから取り除く方法、ハルの形状により出来ないものもありそう。工事代金が50−60万円ほどかかるといいます。

2. 潜望鏡のような底を覗ける器具を作成して、船尾からそれで覗いて長い鎌を利用して取り除く。 これもスタ−ンの形状ヤヨットの大きさにもよる。

3. 船側からハシゴを固定して、そこに腰かけて水中のスクリュウ−を見ながら、長い鎌で取り除く。

 ご老体にムチ打って潜ることは、季節に限りもあるし、できることではない。 クル−ジングの大きな問題となっています。いろいろ自分のヨットにふさわしい方法を見つけることが必要です。

 釣り客を乗せて営業している釣船の船長さんに尋ねたところ、馬力が大きく、スクリュ−も大きい自分の船では問題になっていないとのことでした。海藻などブチ切っているのでしょう。 30年近くの間隔があるけれど、今までの2隻はロングキ−ルの船体であったのか、ロ−プの絡みいがいで潜る経験は無かった。ハルの形状も関係していそうです。

   

hondawara 03.jpg
 絡みついたホンダワラ 少し乾いてカサが減る


hondawara 02.jpg
 少量のホンダワラの時 この程度は問題なし


hondawara 01.jpg
  コックピットに空けたペラ穴



    2019-7-11

  船中発策 ヨット


posted by 速魚 at 10:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月09日

ペルゴレ−ジ 1710-1736


 ジョバンニ・バッテイスタ・ペルゴレ−ジ  Giovanni Battista Pergolesi

   

Pergolesi.jpg
 1710-1736


 友人からメ−ルがあり、バッハ音楽祭から帰ったばかりの興奮なのか、スタバトマ−テルのバッハ作品をユ−チュ−ブで聞きたいと。バッハのBWV1083を知らせました。

 速魚のバッハ全集

 40年以上前に、彼はペルゴレ−ジのスタバト・マ−テルのレコ−ドを買って来て、小生の下宿に持ってきたのを思い出した。 その当時は珍しい対象のレコ−ドであったといえます。小生もそれでペルゴレ−ジを知った。

 ペルゴレ−ジはナポリで生まれてナポリ音楽院を出て、わずか26歳で死去しました。オペラ作品を作っていたが、オペラ「誇り高き囚人」の幕間劇「奥様女中」で大成功した。 すぐに結核を患い修道院で療養に移る。宗教作品もやるようになり、スタバト・マ−テル 悲しみの聖母を完成させて、ほどなく死去した。

 彼は新古典派の音楽の端緒を築いたといわれるようだが、小生のように限られた限定した音楽しか好みがないので、その時代の音楽については述べることはありません。



 San Francisco Early Music Ensemble Voices of Music.  いいね

 https://www.youtube.com/watch?v=S-FKk_J91LU  42分

 Nathalie Stutzmann, conductor ・ Philippe Jaroussky, countertenor / Emöke Barath, soprano
  https://www.youtube.com/watch?v=qzOmPUu-F_M 39分


 ≪LA SALUSTIA≫  La Capella della Pietа de'Turchini Antonio Florio  

 https://www.youtube.com/watch?v=GChfMjGtMvI 167分



 Concerto for Violin, Strings & Continuo in B flat major 

 https://www.youtube.com/watch?v=r7Fn6iSReds  14分


  マニフィカト St John's College Cambridge

 https://www.youtube.com/watch?v=jtzgCTTvV14  12分

 Salve Regina in c minor Silvia Frigato, soprano L'Arco Magico Chamber Orchestra

 https://www.youtube.com/watch?v=Rlro4tkQ82Q15

 La serva padrona 奥様女中 - Stizzoso mio stizzoso

 https://www.youtube.com/watch?v=ZUa3AN-_hM0  3分

 奥様女中 intermezzo in two parts | Diego Fasolis & Barocchisti

 https://www.youtube.com/watch?v=NsUeywPFEgQ  46分

 Livietta e Tracollo DutchSubs  プテイ・バンド クイケン他

 https://www.youtube.com/watch?v=ebNb2lS-mJA  42分

    2019-7-9







posted by 速魚 at 05:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月07日

野崎家旧宅・児島


 岡山県倉敷市児島にある野崎家旧宅・旧野崎家住宅を見てきました。 児島市がいつのまにか合併して倉敷市になっている。 児島は瀬戸大橋の本土側ですが、架橋熱のほとぼりも覚めたので、今では児島ボ−ト位しか認知されていませんのでしょうか? ここをさほど期待していなかったのですが、500円の入場料以上のものがあります。近くに行った方は是非ご覧になるのをオススメいたします。

 児島半島(かっては名のとうり島であった)の南側を中心とした広大な塩田開発を野崎武佐衛門が行い塩田王となり大きな資産を築いた。瀬戸内の塩田はどこもそうだが、おもかげはない。ここ跡地を埋め立てて広大な敷地が生じたせいか、今は広々としたJR児島駅になったり、ス−パ−マ−ケットが量販店やたらと多く、さぞかし激戦区になっていることでしょう。

 明治になり納税額の多さによ貴族院の議員に選ばれている。 その彼が3000坪に及ぶ敷地に長屋門や蔵、枯山水庭園、茶室、42mの奥行のある居宅などがみられます。 台所も、浴室、便所なども当時のままに残っております。 また調度品や豪華な漆器など貴重なものも見られます。


nozakitei 01.jpg


 nozakitei 02.jpg
  野崎武佐衛門 1789-1864



nozaki 04.jpg
  国指定重要文化財 



nozakitei 03.jpg
  豪華な調度品



nozakitei 04.jpg
 庭  珍しい石がある 


nozakitei 05.jpg
 茶室 


  2019-7-7


posted by 速魚 at 03:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月05日

スタンチュ−ブ交換


 2019年春のクル−ズを終え、新ホ−ムポ−トへ入った後で、ビルジの点検をしてみるとバケツ2杯で多い。 前日の弓削で冷却水ポンプを交換したばかりです。 そこからの水漏れはなし。 スタンチュ−ブからの水漏れであった。 新しい係留地・岡山に来たばかりなので、修理するところののアテはない。 近くにマリ−ナがあったので、そこで聞いてみると、ここでは修理作業はしていないとのこと。 そのマリ−ナで紹介されたヤンマ−の代理店に行く、状況を見てもらえることになった。 しかし、様子を見た後で、スタンチュ−ブの修理はできないと断られる。どうも、その業者はヨットは得意でないらしい。

 地元のヨットマンの紹介で神戸の業者に修理をしてもらうことになる。 ヤマハ31フェスタのスタンチュ−ブの資料を前のオ−ナ−からは受け取っていない。製品名も分からず。 その部品はヤマハには無いようなので、新しい他社の製品を取付ることになった。 シャフト径とスタンチュ−ブ径が部品注文には必要でした、25mmと2インチと判明して、注文することになる。あいにく土日で今回も冷却水ポンプ交換の時と同じく日数を要した。

 作業はヨットの常で狭いところに頭を突っ込んでの作業。 ハンマ−を振るのにもスペ−スが狭く大変のようだった。小生は見ているだけでしたが。とても根気のいる作業です。それでも、朝から始めて4時ごろには修理を終えて、マリ−ナから係留地に戻ることができました。 費用は部品6万,作業代10万を要し年金ヨットマンには大きな負担であった。



 作業手順

1. 旧シャフトシ−ルを取り外す

2. プロベラシャフトとエンジンとの接合をはずす

3. 旧をシャフトから抜き, 新をスタンチュ−ブに取りつける。

4. 新をシャフトへ通して、シャフトをエンジンに接合する。

 旧シャフトシ−ルを外すことと、プロペラシャフトをエンジンから抜くことが大変だったようです。シャフトを抜いて30cmほどのスキ間がないと離脱取付ができない。 プロペラと舵は同一直線状に普通はあるので、その距離が短い時は、今回の工事はどうするのだろう。舵も抜かねばならないのであろうか?



 

psskoukan 01.jpg
 交換前に使用していたもの 取り外す   製品名不明

 


psskoukan 03.jpg
 スタンチュ−ブ 2インチ(約51.5mm)、  シャフト25mm



 

psskoukan 04.jpg
 新シャフトシ−ルを取り付けて、これよりシャフトをエンジンに取りつける





psskoukan 02.jpg
  新しいPSSシャフトシ−ル( 02-25M-200)


 

 製品説明サイト

 http://www.samtech-japan.com/product/item03.html



   2019-7-5



 終活のヨット





posted by 速魚 at 03:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月03日

延岡城・縣城


 JR延岡駅は素敵な図書館が付属したモダンな駅舎があります。あとで備中松山城を訪ねたときにJR高梁駅も同じ作りであったので、改装パタ−ンのひとつかと気が付きましたが。 そこからバスで10分くらいで延岡城へ到着します。

 延岡城は五ヶ瀬川と大瀬川の合流地点にある城です。1601年に高橋元種によって築かれた。本丸には3層の天守があったが1683年に焼けて現存しない。天守台跡に鐘付き堂があり、決まった時刻に鳴らすことから、市民に親しまれている。そのことをテレビで見て知っていた。

 高橋元種は秋月種実の次男として生まれ、高橋鐘種の養子となる。秀吉の九州征伐で降伏して、延岡に53000石を与えられ、延岡城・縣城を築城した。 関ケ原では大垣城に籠城し西軍が敗れると内応して、家康に所領を安堵された。1613年改易となる。その後は有馬氏、三浦氏、牧野氏と続き、内藤氏で維新を迎える。

 高橋家  高橋元種1587-1613 | 改易

 有馬家  有馬直純1614-1641 | 有馬康純1641-1679 | 有馬清純1679-1692 | 越後糸魚川藩に転封

 三浦家  三浦明敬1692-1712 | 三河刈谷藩に転封

 牧野家 牧野成央1712-1719 | 牧野貞通1719-1747 | 常陸笠間藩に転封

 内藤家  内藤政樹1747-1756 | 内藤政陽1756-1770 | 内藤政脩1770-1790 | 内藤政韶1790-1802 | 内藤政和1802-1806 | 内藤政順  1806-1834 | 内藤政義1834-1862 | 内藤政挙1862-1871 | 廃藩置県

 西南戦争の時には内藤家旧藩士は西郷軍に加わった。熊本で敗れたので本営を延岡に移す。延岡付近で激戦が行われたが、延岡の街は良き交渉により戦火をのがれたという。



nobeokazyo 01.jpg
 延岡城と城下町図


nobeokazyo 02.jpg
  千人殺しの石垣  ひとつを外すと崩れるという


nobeokazyo 03.jpg
 天守台にある 鐘とその管理人の家


nobeokazyo 04.jpg
  北大手門

 
   2019-7-3

  船中発策 城廻めぐり

posted by 速魚 at 09:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月01日

臼杵城・丹生島城

 
 ヨットで臼杵に入ったので海岸方面から城に入った。 案内が不十分で天守跡も最初は分からず、反対側の大手から戻って天守跡にたどりついたほどです。 あとで公務員風の通行人に家内が苦情を述べたが、人違いでとんだご迷惑をおかけした。その彼は市に申しておきますと良い対応をしてくれたのだが。 大手方面から見学をすれば印象が違ったのかもしれない。 城下町の雰囲気を残した地域もあります。

 大友宗麟が1556年に府内の館・大分から臼杵丹生島城へ居を移した。 キリシタン大名として栄え多くのキリスト教施設があったというが、往時の面影は見あたりませんでした。 三浦按針がめざしたのもここで半ば漂着みたいに、臼杵湾の一角の黒島に上陸した。今回はそこへは訪ねることはできなかった。

 大友氏は九州探題と云われるほど6か国を支配する大国であった。しかし朝鮮の役で敵前逃亡の罪により、秀吉に改易され滅んだ。

 稲葉貞道が5万石で入国した、幕末まで外様として続く。 稲葉氏は美濃で斎藤氏仕え、信長、秀吉に従う。関ヶ原では当初西軍に属し犬山城を守備する。その後に東軍へ寝返る。

 城は丹生島に築かれたので4方を海に囲まれた要害であった。現在は埋め立てられている。大友氏の時に島津から攻められてポルトガルから輸入したフランキ砲を利用して撃退した。本丸に配備されていたという。レプリカが城跡にある。

 


usukizyo 04.jpg
 三浦按針が上陸した黒島 ヨットから撮影



usukizyo 02.jpg
  本丸付近図


usukizyo 01.jpg
  大手付近


usukizyo 03.jpg
 卯寅口門脇櫓


usuki zyo 05.jpg
  島津軍を追い返したフランキ砲


usukizyo 07.jpg
武家屋敷



   2019-7-1

  船中発策 城廻り


posted by 速魚 at 07:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記