2019年11月29日

備中高松城



 高松城や松山城というと香川県や愛媛県にある四国の城だと思っていました。最近に岡山にあるそれぞれ備中の付く城を訪ねました。 秀吉の水攻めで有名な高松城は備中にある。

 そこは岡山からJRももたろう線(吉備線)に乗り備中高松駅にて下車、徒歩10分あまりです。


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 備中高松城図


 備中高松城は今では田んぼの中にある場所で案内板が無ければ通り過ぎてしまうようなところです。 蔵造りの資料館があり、館内には城主の清水公の像があった。


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 資料館にある城主清水宗治像


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  案内板  蔵は資料館

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 本丸跡


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 2の丸跡


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  3の丸跡


 ここの城は土塁によって構成されていた関係で石垣の残った城跡ではない。秀吉は黒田孝高の進言で堤防を築いて水攻めをしたのだが、公園になった堰き止め跡が残る。


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 高松城水攻め築堤跡


 付近に切腹した城主清水氏の殉死した家臣の「ごうやぶ遺跡」がある。


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 ごうやぶ遺跡

ヨットで行く城巡り


   2019-11-29

  城廻り
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2019年11月27日

小豆島バス一周


 小豆島池田港にヨットで立ち寄りました。 自転車で小豆島一周を考えましたが、カミさんとの同行でしたのでそれを断念する。 路線バスで一周することにしました。

 小豆島の中心は土庄(とのしょう)のようなので、まず池田港フェリ−乗り場(池田−高松便あり)よりそこへバスで向かいました。一日乗り放題券を購入。バスにリュックを忘れる失態を演じたが、終点ゆえにほどなく見つかりました。事務の方が親切な対応のおかげです。小豆島は離島のバスとは違うようで、バス代が安い。1時間乗っても300円です。一周しても二回で600円ですので、乗り放題券1000円は有難味が少ない気がする。ここではバス便しかないので料金が抑えられているのでしょう。

 土庄には岡山−土庄フェリ−便などがあり、にぎわいのある町です。観光案内所で小豆島のバス便情報を手に入れる。近くで世界一狭い海峡や大阪城築城の残石を見る。

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 小豆島路線バス一周


 福田へ行くバス便には南北の二系統がある。はじめに南周りにのって福田へ着く。ここは姫路よりのフェリ−が就航している。関西からは福田、中国地方からは岡山から土庄、四国からは高松より池田へと各地方より船便は振り分けて就航している。

 福田からの北回り便は二時間に一本位のバス便ゆえ近くを散策した。終点の小豆島中央病院で乗り換えてオリ-ブ園公園に行く。ここには温泉施設があり、ゆっくりとお湯を堪能した。ヨット旅行にはお風呂施設はありがたいものだ。この公園下から二四瞳で有名な映画村行の船便があるが、今回はそこへは行けなかった。

 バスで一周してみて自転車で行かなくて良かった。実際に若いサイクリストを車窓から目にしたが、きっちりスタイルを決めた人々で、本格的に自転車を愛好している人だと思われる。急な登り坂が多く、老人のチャリンコ乗りでは途中で投げ出すことになったであろう。


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 池田港近く、 これは城の石垣ではないがこの上に池田城があったという


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 土庄近く、 ギネスに認定された世界一狭い海峡


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 大阪城築城の折に石が切り出された。 採石場や残石が島内に多くある


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 福田港  姫路へのフェリ−がある


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 福田港近くの箕田八幡神社 応神天皇・神功皇后などが祀られている



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 オリ−ブ公園にある温泉施設

   2019-11-27



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2019年11月25日

都志 (つし)


 高田屋嘉兵衛の生誕地を訪ねる


 淡路島の西岸にある都志にヨットで訪ねました。 そこは、ここらあたりの海岸にひとつだけと云う大型風力発電機があるところで、最初からそれを知っていたなら,遥か沖合から見られたので、都志へのナビゲ−ションは容易であったろう。

 今回のクル−ジングの目的地であり、そこは司馬遼太郎「菜の花の沖」の主人公・高田屋嘉兵衛の誕生育った土地であった。 ああ、火曜日で資料館と記念館2つとも休館日で見ることはできなかった。働き方改革の今休みは大切だが、図書館と違い司書の専門職の人間が必要なわけではないこれらの施設はシルバ−の人でも配置して開館できないものでしょうか。それとも全国で統一してこれらの施設の休みを決めてほしいものです。月・火・水曜日あたりに散らばっていて要注意です。

 公園内にある温泉施設は休みでなかったので、ヨットの旅の汚れを洗い流すことができたのは幸いでした。

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 風力発電機


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 ゴロ−ニン提督と高田屋嘉兵衛の像


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 休館中の菜の花ホ−ルにあったポスタ−


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 高田屋嘉兵衛旧宅  洲本市五色町支所に隣接


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 貨幣が10年間築いた築港防波堤の跡


  2019-11-25

  塩野七生
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2019年11月24日

更新 ヨットマンのための海の駅と泊地


  ヨットマンのための海の駅と泊地 を更新しました。

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      2019-11-24
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2019年11月23日

引田城(ひけた)



 ヨットを引田港に係留したので、引田城を訪れた。登山口も二か所整備されているが、港より遠いオ−トキャンプ場方面の登山口が登りやすいようだ。

 高松城の支城であった引田城と丸亀城である。引田城は1615年・元和元年に一国一城令で廃城となる。 室町時代より城はあったが、秀吉の四国征伐の功で仙石秀久がこの城主となる。仙谷は九州征伐の戸次川の戦いで敗れ改易される。その後に生駒親正がここへ入城して織豊系の城として現存する引田城をつくる。

 引田は風待ちの港として利用されて、その守りとして引田城は港と隣接する80mの山に存した。 丸亀城は天守も現存して威容を誇るが、引田城は一部に石垣が残るが忘れ去られた城となった。


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 引田城図


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 引田旧港・風待ちの港より引田城を望む


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 旧港近くの引田港側登山口


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 本丸


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 天守付近 案内板がない


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 北二ノ丸にある石垣 補修中で青いシ−トが掛かっている


 天守の案内板が見つからないなどもう少し見せる工夫が必要でしょう。 旧市街に比べて訪れる人は少ない。 天守を再興したり、大手口の整備をすればもっと観光資源のひとつになれそうな気がします。


   2019-11-23

  引田
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2019年11月21日

2019年 秋のクル−ズ


 東瀬戸内海をクル−ズしました。

 10/19  倉敷着
 10/20 より 整備 バッテリ−交換等
 10/24  雨のため 備中高松城 見学
 10/25-28 道板製作
 10/29  プロペラにカキ多し判明、 潜って一部取り除く
 10/30  上架してペラクリン塗装
 10/31  倉敷−北木島 メンセ−ルをロフトに持っていく
 11/1   北木島−倉敷
 11/2  整備
 11/3  ジブセ−ル補修
 11/4  カミさん到着
 11/5  下津井旧街、下津井城 見学
 11/6  メンセ−ルリペア到着設置
 11/7  倉敷発-牛窓ヨットハーバー  旧市街 見学
 11/8  牛窓-小豆島池田泊
 11/9  小豆島 見学
 11/10  小豆島−引田着
 11/11  引田旧市街、引田城 見学
 11/12  引田発−都志着「淡路島」 高田屋嘉兵衛記念館休館中
 11/13  都志発―木場ヨットハーバー「姫路」着
 11/14  姫路城 見学  カミさん帰る
 11/15  木場発−牛窓ヨットハーバー着
 11/16  牛窓発−倉敷着
 11/17  旧オ−ナ−と坂出で会う
 11/18  整備
 11/19  帰着

ほぼ1か月の期間でしたが、整備に時間をとられすぎました。 今までの記憶と違い、最近はこの台風明けのシ*−ズンは良い天候が続きクル−ズには最適な季節と言えます。 かっては11月は季節の変わり目で悪天候であったような気がしていました。

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  2019-11-21

  2019年九州周航
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2019年11月20日

ウィンドサーフィンで初めて大西洋を横断した男 その3 〜セルジオとトムの冒険

イビサ物語〜ロスモリーノスの夕陽カフェにて  佐野

 
 マイケルは、セルジオの伴走を終えた後、アゾレス諸島を経由して、自分のヨットでイビサに戻る予定だったから、病身?で気力が失せたセルジオの回復を待ち、ヨットのセールをたたみ、定点で大西洋を漂っているわけにはいかなかった。4月の観光シーズン開幕までに、なんとしてもイビサに帰らなければならなかった。
オランダ人の彼女によれば、セルジオがボードに乗ったのは初めと終わり、途中で天気の良い時だけよ…ということになるのだ。お人好しのマイケルはセルジオの口車にマンマと乗せられたことのようだ。
日曜版新聞“サンデー・タイムズ”が主催した第1回目の単独ノンストップ世界一周ヨットレース(The Sunday Times Golden Globe Race;1968-1969)、当時としては斬新なトリマラン(船体の両側にフロートを付けたヨット)で出場したドナルド・クローハースト(Donald Crowhurst)が、アルゼンチンの湾に船をつけ、いかにも世界一周しているかのようにハム無線で交信し、他のヨットがケープホーンを回り大西洋を北上しイギリスに向かい始めた頃を見計らって、ドナルドがセーリングを開始した事件があった。
誰も観ている人がいない冒険、競技は、冒険を行なう者の厳しい自己規制が求められる。アラン・ボンバール(Alain Bombard)がゴムボートで、全く外からの助けなしに大西洋を横断したように、すべて独自で、外界から切り離して行うのでなければこのような冒険の意味はない。


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 カリブ海の英連邦王国の島、Saint Lucia(セントルシア)

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 オランダ王国の構成国、Aruba(アルバ)

 マイケルはカリブの島、セントルシアでセルジオを降ろし、すぐにアンティグアに向かい、そこのマリーナにヨットを預け、飛行機でイギリス経由、イビサに戻って来たのだった。 
その後、セルジオがどこで何をしているのかは知らない。キュラソー、アルバ(旧オランダ領のカリブの島)で、ウィンドサーフィンで大西洋を渡った男を売りにして、観光客相手のウィンドサーフィン・インストラクターをやっているとも耳にした。
 後年、私が服部と中古のヨットを買い大西洋を横断した時、マイケルは親身になって、どこでどのような食料を仕入れるべきか、大西洋の向こう側では、どこの島の港が入りやすく、手続きも簡単であるか、などなど事細かく教えてくれた。

著者注:その後、ウィンドサーフィンで大西洋を渡った人が続出した。1993年にはTrans-Atlantic Windsurfing Race (TAWR).が発足し、伴走の船で寝、食べ、休息することが認められるようになった。どうにも、私のセルジオに対する評価は厳し過ぎたきらいがある。だが、常にサポートのヘリコプターが頭上を舞い、救援物資の投下を受けながらの極点旅行のような冒険に意味がないように思えるのと同じように、いつも伴走の船で寝て、食べて大洋を渡ることを、ウィンドサーフィンで大西洋を渡ったと呼べるのかどうか、私は認めたくない。》

 十数年後、プエルトリコのマリーナでヨット暮らしをしていた時、大きなピンポンボールに奇妙なセールを揚げた浮遊物が私のヨットに横付けしてきた。

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 大西洋単独横断最小ヨット“BEATLES”とトム

 半球型のドームを開けて、ガリガリに痩せた男が這い出てきて、大西洋を90何日かけて渡ってきたと言うのだ。私たちの重く、遅いクルーザーで23日かかった距離をだ。彼はビートルズと同じリバプールの出身で、ヨットとも呼べない浮遊物も名付けて『ビートルズ』、これぞ本物の海のカブトムシようだった。
その当時、ギネスブックものの“大西洋を渡った一番小さな船”だったが、出迎えの人影すらなかった。数日後、プエルトリコの英字新聞に小さな記事が載っただけだった。
彼、トム・マックニールは、背筋を伸ばして寝ることもできない長さの船でタダひたすら漂うように大西洋を渡ってきたのだ。水は当時出始めていた手動ポンプ式のリバースオスモシス(Reverse Osmosis;RO)浄水器で海水を純水にし、食料はフリーズドドライ、後は釣った魚……。一体、人間はどこまで狭い空間と厳しい条件に耐えられるかの人体実験に挑戦しているようなものだ。
私たちは彼をヨットに呼び、たしか簡単なスパゲッティーをご馳走し、サンミゲール(ビール)とワインで到着を祝った。その間、トムは何かに憑りつかれたように喋りまくり、何を飲み、何を食べているのかさえ分からない様子だった。
 それにしても、これほど聞き取りにくい英語、これが一体英語なのかと思うほど、彼が息せき切って話すことが分からないのには閉口した。そして、それが10時間以上続いたのだった。やっと彼はイギリスの家族に無事到着の旨を電話することを思い出してくれたのだった。
電話を借りるためマリーナオフィスに同行したが、当然オフィスは閉まっており、マリーナから歩いて15分ほどの距離にあるリゾート地区、イスラ・ヴェルデの大きなホテルに連れて行き、そこからやっと電話したのだった。
 トム・マックニールの船は、もしアレを船と呼ぶなら、何度もの試行錯誤の上、自分でデザインし、自分で作ったとても頑丈な浮遊体だった。キールもそれなりに重く深く、転覆、一回転しても起き上がるようにできていた。実際、トムは何度も回転したそうで、まるで洗濯機のドラムの中にいるみたいだったと言っていた。
セルジオの派手な売名行為、スタンドプレイとトムの冒険は比較するのもバカらしい程の差がある。私は偶然から“ウィンドサーフィンで大西洋を渡った初めて?の男”セルジオの出発と“最小?のヨットで大西洋を渡ってきた”トムの到着に居合わせただけだ。
 トムの冒険は、船を作ることに始まり、艤装(装備などの取付)、何から何まで彼自身が作り上げたものだ。こんな小さなヨットとも呼べないモノで大西洋を渡ることにどんな意味があるのだ、何のために…何の価値があるのだ、と問うのはチャレンジ精神や冒険心を持たない者の言うことだ。
トムの航跡はすべて彼独自のものだ。トムが漂った大西洋の1マイル、1マイルは彼の足跡そのものだ。私はそこに貴重なモノを見るのだ。人間は(と大きく出ましたよ)、自然と、そして周囲の他の人間と係わり合いながら自己を築き、歩んでいくものだ。その時に独自性、最低限の自足が基本になるのではなかと思う。独立していない人間には、本当の意味での自由がない理屈だ。さらに、チト理屈っぽくなってしまうのだが、“自由とは自分自身であろうとする意思だ”と思うのだ。

 イビサ物語から離れたエッセーになってしまったが、こんなこともイビサに棲んで多くの人を見て、知り合って学んだことだ…と今にして思う。

    2019-11-20




posted by 速魚 at 17:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記