2020年03月12日

モ−ゲンソ−プラン  

 

Morganthau 01.jpg
 Henry Morgenthau.Jr  1891-1967


 小生は小学生の時には、給食に牛乳なんてとんでもなく、脱脂粉乳を飲んだというより飲まされていました。 それはとてもまずくて飲めるものではない、後に知ったけれど牛の母乳から栄養分を抜いて子牛に飲ませる飼料用のものであった。 米国から、ひもじかった戦後の日本に援助されたものである。 これを含めて他の援助も日本はアメリカより受けていた。 今思えば親も栄養などは考慮せずにお腹を減らさずに口に入るものであればよいという時代である。小生が20歳にになっても、トンカツは高級品でいつも食べられるものではなかった。 高度成長期になり、そのことは忘れてしまったけれど。

 日本の戦後はドイツに比べれば、まだ良かったと思います。 アメリカがドイツ敗戦後に取ったモ−ゲンソ−プランがそのまま続いていたなら、ドイツから3度目の世界大戦が起こっていたかもしれません。 忘れるな「ヴェルサイユ体制」ならず「モ−ゲンソ−プラン」です。ドイツの戦時中に行った行状はそれはすさまじいものでした。占領地には虐殺専門部隊が派遣され、その隊員すらも行ったことに耐え切れずに正気をなくすものが多数あらわれたほどです。その行いの結果、戦勝国にドイツに対して恨みを晴らす懲罰的なプランが出来るのもうなずけるものです。

モ−ゲンソ−プランは、1944年の9月にケベック会談が行われて、チャ−チルとル−ズベルト首脳により終戦後のドイツ処理案として合意された。 それは、敗戦後のドイツに対して、工業国を廃止して農業国に組み替えることにより、懲罰的に再び戦争を起こす能力を破壊することを意図した。

第二次世界大戦後、モーゲンソー・プランによって死亡したドイツ国民は約900万人でした。

    ドイツ国内  570万人
    東欧避難民 250万人
    戦争捕虜  110万人

 1946年9月6日 国務長官バ−ンズによりモ−ゲンソ−プラン以来の脱工業化政策が方向転換された。1947年7月には、悪化する欧州経済を回復させるためのマーシャル・プラン策定に先立ち、ドイツの年間鉄鋼生産量に対する制限は、戦前の25%水準という数値から50%水準にまで緩和された。 
 このプランはル-ズベルト政権内にはステイムソン陸軍長官らに反対にあう。チャ−チルやスタ−リンはドイツの賠償能力が軽減されることを恐れた。


 モ−ゲンソ−プラン
 https://www.youtube.com/watch?v=YPx6XUgc1_A  14分


   2020-3-12


posted by 速魚 at 10:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記