2020年07月31日

燃料漏れ



 昨年はオイル交換を自分でした。 今回はオイル交換と燃料フィルタ−の交換を業者に頼んだ。 クル−ズ出発日に発行前点検をしたところ、油漏れが見つかり修理をしてもらう。

 最初は燃料フィ−ドポンプの部分から垂れて漏れているように見えたので、このポンプを新品に取り換えた。

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 燃料ポンプと漏れ箇所


 修理完了までに時間を要し出発予定時刻を過ぎた。 従い下津井瀬戸の潮流が逆流になり通峡中には船速は1ノット台になったが、何とかそこを無事通航する。 それでも、目的地・白石島まで1時間ほど余分に時間がかかり入港した。

 着岸後にエンジンの点検をしたところ、ビルジ溜まりに軽油が1cm位貯まっていた。 修理がうまくいっていないようだ。 これより先のクル−ズプランを断念して母校・倉敷へ帰ることにした。 帰港してから、業者を呼んで再度修理をしてもらう。 上図にあるポンプから燃料フィルタ−に続く鉄製燃料パイプの締め付けボルトが1/4ほど緩かったので、それが燃料漏れの原因だった。
 先日の作業で燃料フィルタ−交換の際に、業者はエンジン本体より燃料フィルタ−ケ−スとそれを接続している鉄製燃料パイプをはずしてフィルタ−を交換した。 元に戻す組み立ての際にボルトの締めが甘かったようだ。1/4程ゆるかったので最後までガツンというところまでボルトナットを締めなければならなかった。

 教訓をひとつ、ポンプあたりに起こる漏れは、他の原因でもここに漏れが集まりやすい傾向がある。それを見つけた場合は、そこに至る部分からの漏れがその原因になることに留意する。

 デイ−ゼルだから軽油漏れでガソリン漏れではなかったが、漏れに火が付くことがなく幸いであった。 エンジンを普段からキレイにふき取っておき漏れに速く気が付くようにしておくことが大事だ。


    2020-7-31


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2020年07月29日

白石島

     

 北木島には「ゆうこうまりん」のセ−ルロフトがあり、昨年に楠港に着けてメインを担ぎ持ち込み修理してもらいました。 その北に白石島があります。 白石島の新港が東岸にあり係留した。 そこはフェリ−・連絡船乗り場のある旧港に比べれば広さもあります。 しかし、意外とヨットを着ける場所が見当たりません。 港内でぐるぐる航走しながら探していました。 たまた同時期に入港した漁船が見かねてポンツ−ンに駆け寄って来て、“ここへ着けよ”とモヤイを取ってくれました。 親切な地元の人に感謝です。 ここに3日間ご厄介になりました。

 到着後にエンジンの点検をしたところ、出港前に業者を使って修理してきているのに、燃料漏れが見つかる。 ビルジたまりに1cm位の軽油が溜まっていた。 従い、これからのクル−ズは断念する。 プランを変更し、気も取り直して、鞆の浦、真鍋島に行くことにした。フェリ−と高速連絡船を利用してそれらを訪ねました。 



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 白石島と北木島 地図






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 連絡船乗場 付近



 係留期間中の漁船の動きはほとんど見かけずに、現役の漁船が置いてあるようには見えなかった。 微妙な間隔で係留していて、槍付けするのならスペ−スがありそうです。このポンツ−ンの横に漁船を上げるスロ−プまでの間には横付けできるスペ−スがある。 まあこのポンツ−ンが使用可能ならベストです。




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 新港 ポンツ−ン  左の大型漁船に伴抱きも可能とのこと、 左にあるスロ−プとの間にも横付けできそうです。


 この赤いポンツンに係留






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 ヨットも3隻ほど係留している。



 ここより「連絡船のりば」へは徒歩10分くらいで行ける。 お風呂は無し、買い物は地元の小さいお店がある。 ガソリンスタンドは見かけなかった。


     2020-7-29



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2020年07月27日

笠岡城


 瀬戸内にある「お城」によくある例だが、塩田や干拓に城の石材などが利用されてしまった。この例のひとつが笠岡城である。 笠岡城の名称も使われずに「古城山」としている。

 そこへ行くには、大きなス−パ−の裏にある山道を登っていく。 笠岡城跡・古城山公園をめざす。 ふもとに関鳧翁(せきふおう)の墓があった。  墓に書かれてある名すら分からないので、知らべてみる。 幕末の漢方医・歌人・国学者である。 彼の歌日記にはペリ−来航のようすが詳しく述べられている。 隣の福山藩が幕末の譜代の大老阿部正弘の地であることから、こんな田舎にもペリ−来航の情報が入手できたのかもしれません。

 笠岡城は1556-1558に能島村上水軍の一族、村上隆重が築城。関ケ原合戦後に家康の所領となる。1616池田備中守が入る。1619に備中松山城に移り廃城となる。

  村上水軍・海賊衆
   http://hayame.net/custom27.html#spb-bookmark-264


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 古城山・笠岡城公園  案内図


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  関鳧翁(せきふおう)・関政方(せきまさみち)1786-1861の墓   


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 このような道が出来ていて車でも行ける


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 石垣が見えた


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 公演は平らに聖地されていて、 城との関係は不明  本丸と思われるが。


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 下を眺めて見る


   2020-7-28


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2020年07月24日

由加神社と蓮台寺



 ゆがさん・こんぴらさん両参りと聞かされても、今では地元の人以外には知られてない。江戸時代から明治にかけて、夢である金毘羅参りの途中にゆがさん(由加神社本宮)で災難・交通・旅行安全の参詣をしてこんぴらさんへ。十返舎一九も参詣したという。 ここは行基が開いた神仏習合の瑜伽大権権現であり、明治になり神仏分離令により由加神社と蓮台寺に分かれた。


 蓮台寺の檀家であるNさんに連れられてここを参詣した。 バス便も有るが、細い曲がりくねった山道を車でいく。 昔は海沿いの田の口・琴浦に鳥居があった。この地で乗下船して参詣をした。 当時の参詣は山歩きになるので大変だったと思われる。




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 由加神社・蓮台寺、 児島、 宇野の位置





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 歌川広重   由加山






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 歌川広重 備前田の口鳥居





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  蓮台寺  日本3大権現のひとつ、厄除けの総本山といわれる





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 多宝塔   1670倒壊して1843再建


 備前藩主池田候の祈願寺として栄えた。 客殿には襖絵が多くあり、丸山応挙が見られる。





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客殿 群仙の間





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 客殿






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 客殿 庭





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  由加神社本宮 拝殿    全国に末社が52社ある


    2020-7-24


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2020年07月21日

真鍋島



 白石島から高速船に乗り真鍋島へ行ってきた。 真鍋城とヨット停泊地を探る目的であった。


 真鍋島・本浦港の桟橋で船を降りて、海岸沿いの道を城山方面に向かう。 途中で同じエプロンをしたお地蔵さんを数か所で見かけた。信仰の厚い島民がいるようだ。静かな佇まいで車や人に会うことは少ない。 普通船だと岩坪港に寄港する便もある。






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  笠岡諸島  白石島から真鍋島航路  (笠岡−高島−白石島−北木島−真鍋島)









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 真鍋島案内図






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 真鍋島本浦港 高速連絡船乗り場  中央緑の桟橋




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  道端のお地蔵さん




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 岩坪港 普通連絡船赤桟橋



 都会からの移住者が建てられたのか、デッキのあるシャレタ家の住民に城山への道を尋ねる。この横のみちを登って行けると教えてもらう。

 この島を支配した藤原氏を由来とする、また。島の名前にもなった真鍋氏のお墓だという五輪の塔を見る。


 真鍋島移住案内サイト
 https://manabeshima.life/





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  五輪の石塔群  真鍋氏の墓と言われる  



 そこから道なりの道を登っていくと畑のあぜ道に迷い込み、帰れるかと焦ってしまう。  何とか引き返しておばあさんに会い、道を教えてもらいました。 しばらくして案内板がある。




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 城山案内板



 さらに登っていくと、遊歩道は草に覆われて見分けがつかない。 連絡船切符売り場に用意されていた杖を借りていたので、小雨用に持っていたかさと杖を持ち両手で笹をかきわけ搔き分け分け前進する。やっとの思いで着いたところは名も知れぬお墓だった。そこも道を間違えたらしい。  城山展望台(備中城山城)断念してもどる羽目になった。 そこから遊歩道を南下して備中真鍋城も訪ねるつもりであったが、これも行くことができなかった。

 後で連絡船の関係者にこのことを話して尋ねたところ、年に1回ほど遊歩道の草刈りを実施するが、そのあと1か月くらいで草が生えてきて元の木阿弥になるのだそうだ。





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 草に隠れた遊歩道



 本浦の連絡船乗船所にもどり帰りの便まで1時間ほどあったので近くの街並みを見学した。 真鍋氏の本宅は空き地になっていて立て札があるのみであると聞き、分家の真鍋宅を訪れる。 ホルトノキが軒先にあります。




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 真鍋邸 国指定登録文化財  現在は居住していない





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 ホルトノキ 

  ホルトノキは、熱帯〜亜熱帯性の常緑高木で、暖かい海岸沿いに自生しています。
ホルトとはポルトガルの意味で、昔、果実の形がオリーブに似ているために誤認され、名付けられた呼び名という説があります。 




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  街並み





   真鍋島 ヨット泊地



 本浦港は狭いので適当なところはない、入って左側に青い県営ポンツ−ンがあり、定期船が利用していないのなら、利用していてもその反対側は着けられそうである。



 マリンドライブさんの報告では漁火で宿泊・飲食するようなら、お店の桟橋に着けられるといいます。下記にサイト添付。



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 県の公共青桟橋



 真鍋島 ヨット停泊レポ−ト  マリンドライブさんによる  漁火 0865-68-3519
http://www.marine-drive.net/%ef%bc%91%ef%bc%90%ef%bc%94%e3%80%80%e7%9c%9f%e9%8d%8b%e5%b3%b6/


 岩坪港にはコンテナクレ−ンらしきものがあり、あまり利用していないようなので、その近辺で着けられる可能性はあります。

  

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    岩坪港 コンテナクレ−ン?



 他に島宿「三虎」に専用桟橋があるので、天気の良い時には付けられそう。


     2020-7-21



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2020年07月18日

倉敷・美観地区


 大原美術館のある倉敷へは前々から行ってみたいところであった。 ヨットの上架船艇塗りで宿泊を必要としたことから、倉敷に宿をとった。 ちょうど第1次コロナの減衰期にあたり縛りが解けたので、ありがたいことに半額でホ
テルが利用できた。 上架作業を終えて夕方より美観地区を見学する。 ここ3年程に瀬戸内に在るいろいろに街並み保存地区を小生は見てきたつもりである。規模やその質はそれらに比べてこの美観地区が高いものであると思う。 今後もここを上回るものを探しても無いと思われる。

 倉敷は天領であったので、米を倉敷川を利用して集積し、江戸に船で運んでいた。 また、玉島で述べたように、この地方は綿花の栽培地であったので維新後に倉敷紡績(クラボウ)が起業して発展した。 クラボウの社主・大原総一郎が街並み保存を思いつき現在のようになる基礎を築いた。大正の時代から保存に力を尽くしたので、これほどになったのでしょう。

 欧米の美術館も最近では比較的容易に見られる状況になり、毎年のようにそこから借りてきた作品の美術展が開催されている。それで、大原美術館の見学は今回は時間的に限られたゆえに見送った。 また、年に1度は船艇塗りを行うゆえ別の機会に譲りたいと思う。



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  美観地区入り口


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 倉敷川左岸間所の街並み


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 大原美術館


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 名の知れない裏道り


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 アイビ−スクエア入り口


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 アイビ−スクエア


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 本町街並み


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 有隣荘  大原家旧別邸


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 国指定重要文化財 旧大原家住宅



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 中橋と倉敷考古館


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 倉敷川左岸の街並み


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  倉敷館


    2020-7-18


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2020年07月17日

児島ビジタ−バ−ス



 岡山県倉敷市・児島で観光港でビジタ−バ−スの運用が始まりました。そこは今まで余り使用されていない桟橋・ポンツ−ンであったので望まれていました。

 JR児島駅の近くにあり、乗下船に便利であり、ジ−ンズの町や鷲羽山,野崎家旧宅など観光スポットがあります。

 電気と水の補給できないのは残念である。これらが整備されれば、弓削や上関のように「ヨットの聖地」と呼ばれる条件はそろてっている。ここは弓削に40マイルと好立地であリ、弓削の前の停泊地となるであろう。 また、長さが60m(喫水2.7m)あるのでメガヨットの利用も可能である。



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  観光港ビジタ−バ−ス入り口の案内板



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 ビジタ−バ−ス  ポンツ−ンの後ろ側半分のスペ−ス・3号桟橋

 

  利用には事前予約が必要である。 児島観光待合所 0830-1715受付 電話 086-473-0920、 FAX 086-473-4184(申請書) 

  係船料金 総トン数1トンにつき6.6円  (安価であるが試行料金)


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     2020-7-17


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2020年07月15日

赤穂城


   赤穂城に行ってきました。 赤穂線に岡山から乗っていったのだが、途中で乗り換えていく羽目になった。岡山から赤穂までの通しの運転は時間に1本程度の運行である。岡山から山陽線で相生それから赤穂線で赤穂の経路のほうが本数も多く便利なように思われる。

 JR赤穂駅からほぼ真っ直ぐ徒歩10分位でお城に着く。 途中に花岳寺は赤穂浪士のお墓がある。

 

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 花岳寺


 

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  花岳寺から赤穂城へ行く途中で見かけた街並み


 赤穂浪士で有名な赤穂藩は広島の浅野長政の傍流の浅野長重による。1649年より赤穂城の築城工事が始まる。1661年に城が出来た。 現在は海岸から離れているが、すぐ海岸が迫っており水手門や船溜まりがあった。 本丸の周囲に2の丸が囲み南側は海、東側は川、その北に3の丸が配置されていた。横から銃撃できるように意識された縄張りの近代的な城である。



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 赤穂城模型




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 大手門2層隅櫓





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 2の丸大手門





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 桝形虎口





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 大石邸長屋門(1500石筆頭家老)




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 2の丸堀




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 本丸表門・復元





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 本丸  本丸御殿跡  中央奥には天守台




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  天守台  天守は作られなかった




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 本丸 厩口門





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 本丸堀





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 水手門

  城跡には役所の建物や学校が現在利用しているのは多いのであるけれど、赤穂城のえらいところは、これらを撤去して復元工事をしているところである。発掘調査をして整備を現在もしているところは大変好感がもてる。先に津山城を見たが赤穂城を見習うべきと思う。 5万石の城としては規模も大きく努力もしていて見どころのあるお城である。

 余談だが、町も小ぶりで落ち着きが感じられ、住んでみたい候補のひとつと思われた。

 

      2020-7-15






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2020年07月11日

玉島・倉敷




 

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 備中玉島港図




 玉島は平成の大合併で水島や児島とともに倉敷と合併した。 市役所へ行くバスはどこでもよく整備されているのだが、それのない珍しい地区である。バスは新倉敷へ行くように路線がある。

 倉敷は幕府の直轄地として発展し、玉島は備中松山城のある高梁藩の飛び地としてあった。そこは北前船の寄港地として、また藩の蔵米の積み出し湊として栄える。 幕末には河合継之助が山田方谷に学ぶためにここへ立ち寄った。新島襄は備中高松藩の分家であった安中藩に属した。この藩が購入した快風丸の函館寄航に貢献し函館より米国へ旅立った。




 

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  北前船航路



 

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 河合継之助の逗留した船宿跡



 

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 同志社大学より寄付された快風丸模型  西爽亭にて展示


 歴史的街並み保存地区があり見どころもあるのであるが、案内板が整備されておらず残念である。 この街並みが残ったのは幕府老中筆頭板倉勝静を藩主としていたので朝敵玉島は燃やされる運命であった。部下150名と帰藩中の熊田恰(くまたあたか)が玉島で岡山藩に包囲され、藩の責任を一身に負うて西爽亭にて切腹した。玉島は救われた。



 

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 西爽亭 藩主御座所  熊田恰が切腹した血糊が残るという



 

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  大黒屋 1800頃の建物 廻船問屋として使用されていた





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  街並み その1





 

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 街並み その2



  松山城下町(現高梁市)とつながる運河(高瀬通し)で松島港は周辺で栽培された綿花と北海道から来たその肥料のニシンカスや昆布で通商で繁栄した。



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  河口に残る水門



  映画「ALL WAY 3丁目の夕日」の撮影ロケ地になった街並みがあるが、その往時に育った老人故にそれには興味が湧かない。



    2020-7-11






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2020年07月09日

鞆の浦



 初代のヨット速魚でこの鞆の浦の湊の中央位置に錨泊した記憶がある。はるか47年前のことになる。 新造した時に、造船所のある明石から係留地の宮崎・日向までの廻航途中で、とにかく初めて購入したクル−ザ−の航海ゆえ、不慣れで急いでいた。 夕方に来て朝早くには出て行く。アンカ−を上げるときにはヘドロが多く絡んきた、上陸せずであったので、この泥の記憶があるのみである。

  今度、ヨットで来るために係留場所を探してみたが、ふさわしいところは見つからなかった。 ここへ訪れたヨットマンによると、近くの仙酔島に係留して、今は帆船の形をしている連絡船で鞆の浦に来るという。 今回の小生の訪問は白石島にヨットを係留して、フェリ−(540円)で笠岡まで行き、JRで福山(240円)へ、バス(540円)にて鞆の浦に着いた。 それほど遠いとは感じなかった。

 

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 弁天島とその奥にある仙酔島


 瀬戸内の潮流はこの付近で東西からくるものが合流するといい。昔から潮待ちにふさわしい地であった。ここは古くから瀬戸内きっての湊町として栄える。 幕末には「七卿落ち」や龍馬が「いろは丸」の衝突交渉地としてこの地に立ち寄った。平賀源内の生き神様として祀った碑もある。


武田鉄矢が語る江戸期の海運と経済と龍馬といろは丸
https://www.youtube.com/watch?v=79k8yWOKhF8  30分


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  鞆の浦絵図




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  船具店の前に、知られてはいないが日本最古の民家がある。



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 日本最古の民家 秀吉の頃という 学術調査が行われた




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 龍馬滞在地、隠れ部屋があった




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 平賀源内の生祠




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  街並み その1




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 街並み その2




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 岡本家長屋門  福山城から移築された



 神功皇后が上陸された地に渡守神社御旅所がある。


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 渡守神社御旅所



 山中鹿之助の首塚とその横には悲恋斧語りの「ささやき橋」があう。

 

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  山中鹿之助首塚




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  ささやき橋  少し道路に段差がある程度で気付きにくい



 コロナの影響がまだあり、対潮楼といろは丸展示館は土日の開館に制限をしており、内部を見ることはできなかった。
 


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  対潮楼  よく唱愛されて紹介されて有名な場所である、ここから眺める景色はすばらしいと評判




 龍馬の乗った「いろは丸」は鞆の浦近くの海域で紀州藩の船と衝突沈没した。



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  常夜灯といろは丸展示館(中央白い建物)



    2020-7-9




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2020年07月07日

津山城・美作



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 古写真


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 津山城図



 岡山からJR津山線の終点。津山盆地にある津山城へ行ってきました。 信長の家臣の森可成の6男である森忠政が美作1国18万6千石の津山城を築城した。(森蘭丸の弟でもある) 1603-1616に及ぶ13年かかって完成した。 天守閣が5層なので幕府からにらまれ4層に見えるように急改造したという。
 歴代藩主は1604-1697までは森家四代、1698-1869まで松平家が九代続く。

姫路城を見た後なので小ぶりな感じを持ったが、戦国時代最後の完成期の城ゆえに防備がよく工夫され、あちこちから横矢をかけられるように石垣が組み合わされている。 見ごたえがあります。 しかもコンパクト。


 残念なのはこれだけの石垣が往時のままに残っているのに、行政が復元して見せようとする意志が乏しいように感ぜられる。 天守の再建は後回しにしても、デイテ−ルの門や櫓・塀を作ってもよいのではないでしょうか? その数59は姫路城や江戸城に匹敵したといいます。 欧米の教会建築・バルセロナのサクラダファミリアのように100-200年かけての長期構想を持ったらいかがなものでしょう。



 

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 59の櫓と門があった 赤数字



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 天守台  5層の天守閣があった



 

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  天守台より備中櫓へ


 

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 表鉄門 二の丸から本丸へ




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 表中門  階段を上がり左の階段を上ると3の丸から2の丸へ四足門に至る




 

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  四足門



 

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 多門櫓(コンクリ−ト敷地)より備中櫓を望む



 

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 腰巻櫓(階段横)と裏鉄門



     2020-7-7







   
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2020年07月04日

2020年  春巡航


  今年のクル−ズは5月からを予定していて、山陰へ向かい島根・鳥取・隠岐へ行くつもりでした。 武漢風邪騒動でその延期を余儀なくされ、瀬戸内クル−ズに変更しました。 しかし、エンジン故障によりそれも途中で断念することになる。 雨の日に修理・整備を中断して行く、徒歩旅行が結果的には中心になってしまいました。

 それで倉敷・玉島、津山、赤穂に行き、ヨットで行った白石島から連絡船等で鞆の浦、真鍋島へ行くことになる。 わずかヨットに乗船したのは1か月で4日余り、満足のゆくものではありませんが、雨天の旅行でも少しは楽しむことができました。



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5/30 午後  岡山・倉敷 マリ−ナ着
5/31 由加神社
6/1  バッテリ−充電
6/2
6/3  上架  船艇塗り
6/4  船艇塗り、倉敷美観地区見学
6/5  プロペラ計測、 倉敷美観地区見学
6/6  船艇塗り終了
6/7  ヨット清水かけ清掃  下架
6/8  ホンダ発電機購入
6/9  オイル交換、フュ−エルフィルタ−交換
6/10  ブ−ムバング制作
6/11  玉島・倉敷訪問  街並み保存地区見学
6/12  
6/12  津山訪問  津山城、街並み保存地区見学
6/14
6/15  連れ合いのヨット乗船断念
6/16  スマホ修理
6/17  乗船用はしご 修理・塗装
6/18  赤穂訪問  赤穂城見学
6/19  
6/20
6/21
6/22  燃料漏れ見つける
6/23  修理部品注文
6/24  修理終え、 倉敷から白石島着、 油漏れ再発見
6/25  鞆の浦見学、笠岡城見学
6/26  真鍋島見学 真鍋城見学断念、 白石島 開龍寺見学
6/27  白石島から倉敷着 燃料漏れ修理
6/28 
6/29 セ―リング
6/30  
7/1  倉敷から埼玉へ帰る



  2020-7-4



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