2021年01月31日

早島陣屋、早島城、天城陣屋  





    倉敷の陣屋・ 早島陣屋、早島城、天城陣屋  




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早島陣屋、早島城、天城陣屋の図





 晴耕雨読ならぬ晴航雨城である小生。 倉敷にヨットを係留している。そこでクル−ジング準備・整備中の雨天は城廻りとなる。 今回はJR瀬戸大橋線の早島駅で下車して早島城・早島陣屋・天城陣屋をカサさして歩いて来ました。 写真は雨のために鮮明を欠くものがあります。

 駅を降りて早島公園に向かう。 ところどころに昔の民家風の建物がある。 また、宇喜多堤の案内があった。 悪名高い宇喜多氏といえども堤をつくり、後に教科書にも載る児島干拓の最初の一歩となり領地経営には力を尽くした。





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 早島町の民家




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 児島と早島  昔は瀬戸をなし水路を船が通行して水運の要所であった。




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 赤い線は堤の位置




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 宇喜多堤石碑




 早島陣屋を探す。 そこは現在では小学校になっていて、横に案内板があるのみであった。 別名戸川陣屋と言い200年間治めたという。 戸川記念館はあいにく休館日でを見ることができなかった。 戸川秀安は宇喜多直家の重臣で25000石を領した。国政を宇喜多秀家にまかされたが主君と対立するようになり、家康預かりとなる。 関ケ原では戸川秀安は東軍に参じ功を挙げて庭瀬29200石を与えられる。その後断絶したが、家名存続を許されて幕府旗本として明治まで続く。






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 戸川記念館




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  早島陣屋 1709年築  わずかに残る堀と石橋




 その小学校の裏手奥に早島公園がある。 そこは城山ともいい早島城の跡地である。 遺構らしきものは見当たらなかった。その城主は武井将監といわれる。 備中高松城の前哨戦で高松城の北にある支城・冠山城の戦いで将監は加藤清正と一騎打ちで戦い死亡したという。秀吉はあっぱれと金子50両を与えた。




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 公園内の城らしい雰囲気の場所




 早島城の坂を下って今度は天城陣屋に向かう。 早島町は平成の大合併に加わらなかったので岡山で一番小さな町ゆえか趣のある民家が散見される。





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 早島から天城へ向かう途中の民家1




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 早島から天城へ向かう途中の民家2




  笹無山の案内板を見かけた。 源平合戦には詳しくないが、ここらあたりで藤戸合戦があったと言います。当時にはこの向こう側は海で瀬戸を挟んで源平が対陣していた。源氏は海が不得手なので対岸の種松へ行くのに難儀する。佐々木盛綱は地元の漁師に浅瀬を聞き、先導させて馬で海を渡り源氏の勝利に貢献した。佐々木盛綱はその浦人を殺してしまう。残された母親は笹と聞けば憎いと言い、笹を抜き取った、それからこの地では笹無になったと云う。






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 笹無山




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笹無山   藤戸合戦説明板




 なかなか天城陣屋を見つけられなかったが、高校の隣山にあるグランドであると分かった この陣屋は―国一城の制で岡山藩の下津井城が廃城になり、池田由之はこの地にお茶屋と称して陣屋を立てた。

 池田由之(1577-1618)は池田恒興の嫡男元助の嫡男として誕生。小牧長久手戦いで父・祖父ともに戦死。幼児であったので叔父の池田輝政が家督を継ぐ。長じて32000石で下津井城番になる。本家の国替えとともに播磨・鳥取・岡山とその居を変えた。最後は恨みに寄り大小姓に殺害された。






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 天城陣屋跡  現在は天城高校グランド


 駅を降りてJR3駅ほど雨天を歩いたことになる、途中にタクシ−やバスを探すが見つからず。さすがに疲れて帰りはGoogl mapでバス停をみつけて帰る。




      2021-1-31



 

タグ:早島 陣屋
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2021年01月29日

閑谷学校(1673より)


            




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 閑谷学校の地図




 かって日本史を学校で学んでいた時に足利学校とか閑谷学校を知ったのですが、その内容にはおぼえがありません。 受験の弊害か熟語・歴史的タ−ムのみ記憶しています。 今度、 閑谷学校を訪れてみた。 JR山陽本線和木駅で下車、そこからバスに乗って閑谷学校へ行きました。 マイカ−で行かなければ不便なところです。 2時間に1本くらいのバス時刻には注意してください。 なかなか自然豊かな場所で紅葉の時期にはとても美しいという。

 閑谷学校は3名君・水戸光圀・保科正之・池田光政(1609-1682)の一人、岡山藩主光政が日本最古と言われる庶民学校として築いた。あくまで庶民のためで藩校は別にある。 手習い所は123か所ある。学校には領地を持ち政策が変わっても存続できるようにした。 明治3年に藩政改革により閉鎖される。 明治6年に山田方谷の発意により再興。 講義が漢学に偏っていたために生徒数が減少して明治10年に休校。 明治14年西毅一らにより英語、数学、漢学を教えて再興。その後公私立を経て中学、高校と変遷して現在の県立岡山閑谷高校・和木高校(統合)の校舎となる。昭和39年にこの地は閉鎖されて教育の場としての歴史を終えた。

 講堂は国宝でほかに24棟が重文に指定されている。





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 校門(鶴鳴門)





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 講堂と小斎  瓦は近隣の閑谷窯で焼かれたもの、 300年は持つといわれている





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 講堂内部





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明治38年の新校舎、 閑谷学校の資料館

 



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  山田方谷はここにも関わった。 資料館展示 





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 文庫と火除け山  1847年火事で宿舎などあ焼けて火事にも気配れている





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 孔子廟と閑谷神社





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 閑谷神社  



       2021-1-29







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2021年01月27日

岡山城


 

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 岡山城 再建天守


 岡山城へは確か航行の修学旅行でいったはずなのだが定かではない。当時は今のような興味が薄かったのか感慨も覚えておらず。半世紀以上前にもなる話です。  
岡山城は1597年豊臣5大老のひとり宇喜多秀家が築城する。黒い板張りの外観から烏城とも呼ばれる。 小生が生まれ育った我が名古屋城や広島城と共に戦災で焼失した。現在のこの城は再建コンクリ−ト建造されたものである。それが耐震対策を施す必要や現在のものに不満があるので木造・名古屋城の再建プランがあります。

 岡山城は5重の堀で囲まれて2の丸、3の丸を持つ。 本丸が背にする旭川の東には何も防備が無く、ひたすら西方からの敵に備えた城である。安土城を模したつくりと言われる。それは宇喜多秀家の正室の豪姫が前田藩の出であるので、加賀の大工の協力を得たといわれるが、彼らは安土城に関わった人々だということからである。 また、安土城がゆがんだ多角形の天守と言われるが同じく多角形平面を持つ岡山城天守である。

 宇喜多氏は関ケ原では西軍に属して敗戦したので八丈島に流刑となる。小早川秀秋に代わり入城したが2年で急死し、池田恒興を祖とする池田氏系の藩主が明治まで続く。


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 月見蔵・現存  重要文化財


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 不明門・再建


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 廊下門・再建


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 旭川から見た天守


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 目安橋


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 旧天守礎石



  岡山城・磯田道史氏による歴史解説  12分
https://www.youtube.com/watch?v=68QQeld9bDQ 

  宇喜多秀家と岡山城 戦国の名城と名将   6分
https://www.youtube.com/watch?v=W-J_nBBkBhE 



    2021-1-27

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2021年01月24日

魚島

  



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 備讃瀬戸を東西に航行していた時に、島にビルが建っているのを見かけたので、気になっていた。 今回新居浜より弓削に行く機会があったので、立ち寄りしてみる。
魚島は愛媛県上島町に属し瀬戸内の真ん中にある島であるが、交通は本土方面の因島と弓削島より町立の連絡船があり、 愛媛県・弓削島には上島町の役場がある。



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   魚島   南方より眺める



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 魚島港入り口風景  離島にしてはビルが目立つ


 港内に入って少しウネリがあるようなので、予定していたところより奥へ行った。 漁具の手入れをしていた老人に尋ねて、その人の勧めでポンツ−ンに係留しようと1本のもやいを取った後でスグに、これの持ち主と思われる漁師さんから怒られてしまう。 しかし、好意により明日までの係留は認めてくれた。 無断で自身の所有のポンツ−ンにヨットを係留されれば怒るのはもっともである。 一応、地元の漁師さんに聞いたつもりであったのだが。 
シングルハンドであるとヨットの着岸は一発できめたいものである。 いつまでたっても着岸に習塾しない小生にも問題ではあるが、ロープを舵にからめてしまった。 11月の海中に潜ってはずす羽目になった、思ったより水温は温かかったけれど。



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 青丸 予定係留地   赤丸 実際の係留地




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 港内 


 洋上から目にしたとビル群は離島振興法で出来た建物であった。観光センタ−や住宅に使われていた。



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 赤丸 係留場所   養殖業者のポンツ−ンに係留させてもらいました



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 青丸 予定していたの係留場所  小さいウネリが入っていた


 最初にイヤな思いをすると後にひきずるもので、この島の印象は個人的に良いものではなくなった。 あとの時間も有効に活用することもなく終わってしまう。残念である。機会があれば気を取り直して訪ねてみたいものだ。


   2021-1-24






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2021年01月22日

川之江城

   



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 川之江 地理的位置




 ヨットから見たお城で今までに印象的であったのは40年ほど前に見た松前城そして最近の平戸城それに今回の川之江城である。これからもヨットで訪ねる城廻は続けたいものです。





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 川之江城





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 模擬天守  過去を復元されたもののではない 犬山城をモデルにしたとか



 個人的に南北朝の戦いには余り興味が薄いのでその歴史には詳しくない。 河野氏方の伊予の豪族で川野通政がこの城を築かせたものという。 川之江の地理的位置が土佐、讃岐、伊予を結びおまけに海で備中ともつながっていた。 従い、いろんな勢力から攻撃を受け落城している。戦国期には河野氏、三好氏、長曾我部氏、小早川氏、福島氏、池田氏、小川氏とめまぐるしく城主は変わり、1600年の関ケ原の戦いの後で加藤喜明により織豊系城郭と改築された。一国一城の令により喜明が伊予松山城に居城を移し廃城になった。






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  城門  歴史的にどうであったかは不明




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 本丸より川之江港を望む  小さく愛艇が見える




    2021-1-22



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2021年01月20日

ヨット泊地選びの成功と失敗

  
 現在のヨットクル−ジングには、スマホを使ってNew pec smartで航海支援、Windyで気象支援、さらにGoogl mapの航空図で泊地選びをされていることでしょう。  クル−ジングで成否を決めるのは泊地選びにつきます。 オールドセ−ラ−なので、かっては小型船用簡易港湾案内のみしかヨットの泊地選びには選択肢がなかった。 今では、スマホ1個で航海できるようになりました。

 今回の秋巡航でのヨット泊地選びの成功と失敗をここに述べます。 係留地の選択にはスマホ以上に大きなものがあります。 それはそこに行ったことのある経験者から情報を得ることです。これがあれば事前のスマホによる泊地確認することで事足ります。 今度の中部瀬戸内の巡航での川之江の泊地と新居浜大島での泊地選びの成功と失敗を述べます。

 余談になります、小豆島(香川))から上関(山口)までのヨットの航路選びのことですが。 来島海峡を通るつもりなら、小豆島−仁尾マリ−ナ―今治−上関になるか、小豆島−弓削海の駅−大三島海の駅−上関の2つの航路になるかと思われます。 他に弓削−鼻繰りの瀬戸−御手洗−上関もあります。



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  中部瀬戸内実用ヨット航路



 上記の標準的航路から外れるせいなのか、新居浜マリ−ナはともかく川之江や新居浜大島の泊地情報はなかなか手に入るものではありません。そこでスマホの衛星写真から川之江と新居浜大島の泊地を選びました。



 1.川之江泊地  失敗例

 西風の強風が2−3日続いていたので、川之江の奥地のふ頭(赤矢印)を選びました。そこに行ってみると下記写真のごとく潮の加減のせいか岸壁の背が高くビットも少なく「もやい」をとるためにとてもシングルハンドでは岸壁に上がることはできなかった。



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 赤矢印は最初に選定地   青矢印は実際の泊地




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 赤矢印の予定岸壁   3-4mの潮汐がある






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 赤矢印の予定岸壁地  反対側から見る




 そこで急遽新港の漁港桟橋に向かう。地図の青矢印地点は黒ゴム製のフェンダ−を兼ねたものが桟橋に4−5か所あったので、その一つにもやいを持って岸壁に上がり、無事係留することができた。 ここは漁獲物を上げるために出来たものであるが、水産物加工業者が参入しなかったので、空きのある岸壁になっている。地元の漁船は反対側の5つほどあるポンツ−ンにとめている。出口近くにあるポンツ−ンにはヨットを着けられそうな気配があったが、確かめていない。 潮の高低があるのでそこのポンツ−ンががベストのような気がしています。

 



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 青矢印の着岸桟橋




 2.  新居浜大島  成功例



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 新居浜大島は上図の新港に着岸した。 旧港は航空写真を見て適当なスペ−スを見いだせなかった。実際に現地で見ても予想どうりであった。
ここは強風が予想されるときには近くの新居浜マリ−ナを利用することになりそうです。




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 ゴム製はしごフェンダ−のある位置にヨットをつけた。





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 旧港  フェリ―桟橋がある



   ヨットマンのための海の駅と泊地
    http://hayame.net/custom11.html#spb-bookmark-41 


    2021-1-20



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2021年01月18日

青木城・ 小丸城




 因島の城 その2 

    小丸城


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  因島村上家の第2家老稲井氏の城。居館は現在の対潮院にあった。いつものように何人かの人を煩わせた。ありがとうございます。地元の人にも古い人はともかく若い人には小丸城のことは伝わっていない模様。  裏の墓地への階段を登って行く。 途中に南北朝の戦いで釣島箱崎箱崎浦合戦の供養碑があちこちにある。 海上戦とも言われる戦いで亡くなられた方がここに弔われたということであろうか。 その時に今のような墓地があったわけではなく、この城もあったかどうかは分からない。 山頂と思われるところまで墓があった。 それより歩行困難であったので終わりとした。

 ここは海岸近くというわけではなく因島の東岸や西岸への好立地であるので、求めに応じて加勢するためのものではないでしょうか。



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 墓地の裏の山が小丸城跡


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 登り口  対潮院の裏


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 あちこちにある釣島箱崎浦合戦で戦死者を弔う碑


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 本丸と思われるところ





   青木城


 一昨年に弓削海の駅でヨットの漏水事故が起きて、その修理備品を待って5日ほど滞在した。 部品を引き取りに隣の島因島マリ−ナに出かける。 行く途中で青木城の案内板を見つけたが、先を急いでいたので残念を持ったままであった。 今回は自転車でここを訪ねた。



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 青木城と付け城の馬神城



 1567年に因島村上氏6代村上新蔵吉充が向島余崎城より青木城へ移った。 吉充は信長と対戦中の石山本願寺へ兵糧を掘んだことで知られている。

 ここは三原の瀬戸を押さえる位置にある。青木城は海に囲まれた海城であった。 昔の地形が定かではないが隣の馬神島であった。海峡を隔てたそこに出城の馬神城があった。今回はそこへ訪れていない。


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 模型


 
 本丸から続く北側に大手門、東へ尾根つたいに2の丸、3の丸、搦手と続く。


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 この理容店の横を登っていく



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 青木城  標高51m



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 石垣



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 本丸の柱石



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 本丸にある竜王神社  ここで昼食する


 帰りには自慢のオリンピックで購入したフリ−パワ−の自転車がパンクした。 あいにく日曜日で修理が出来ず。 タクシ−を呼び、折りたたんで後部トランクに積み、土生港へ行き、連絡船で弓削まで帰った。



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 パンクした自転車


      2021-1-18


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2021年01月16日

美可崎城・手守城・島前城

 
  因島の城 その1  美可崎城・手守城・島前城


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 美可崎城、千守城、島前城

 ヨットを係留した弓削海の駅より船に積んでいた自転車で因島城探索に出かけた。 上弓削よりフェリ−にて(自転車100円)因島家老へ渡る。

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 上弓削の因島家老間の上弓削 フェリ−乗場

  美可崎城

 因島東岸を走って地蔵鼻へ向かう。そこは恋人たちの聖地とかであるが、今回はそこにはいかず岬の先端に美可崎城を訪ねた。

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 美可崎城の入り口ゲ−ト


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 美可崎城図

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 本丸へ

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 本丸から向島を望む


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美可崎城  船隠し

 美可崎城は因島村上海賊の家老南氏が金山氏に通行料を徴収するための見張り城であった。 鞆の浦や尾道からの船を見渡せる位置にある。
石田造船のある道を登ってきたのだが、ここの帰りは反対側の道を一気に下って降りた。



  千守城・ちもりじょう


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  千守城

近くの千守城に向かう。なかなか登城口が分からず、いつものように地元の数人に尋ねた。安楽寺の傍から登って行く。気を付けていくようにと注意を受けたが案外と険しいものではなかった。 標高79mの地に本丸を囲んでほぼ円状に4段に築かれている。石垣の残っているものと井戸を見つけた。 山頂の本丸には社が祀られている。
南北朝の時代に竹原小早川氏の一族が居城し、戦国期には因島村上氏の家臣篠塚貞忠の居城という。


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 安楽寺


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 縄張り図


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 石垣


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 井戸


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 千守城本丸からの眺望



     島前城と亀島城(出城)

  因島南部に東岸から西岸へ島を横断する道路があり、そこを自転車で走行する。 途中大山神社がありガソリンスタンド横に釣島箱崎浦の合戦跡の碑を見つけた。 釣島は今は鶴島と呼ばれている。 新居浜大橋で述べた村上海賊の祖が死亡して娘婿と言われる今岡通任が因島へ進出、島前城に本拠を構えた。 信濃の国より村上師清は瀬戸内に下向した。讃岐塩飽を支配し能島に進出。
鶴島箱崎浦の海戦で勝利して因島に上陸し今岡方の武将を破り義弘の明晰を継いだ。この村上師清が能島・来島・因島の村上海賊の祖となる。
 

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  釣島箱崎浦合戦地図

  いつものことであるが、ここもたどりつくにに苦労した。すぐ横の崖の上にあるとわかっているのだけれど何人かの人に尋ねた。
ここだと思って登って行った山は隣の山だったようで藪を書き分け書き分けて行ったところはテレビアンテナを引いているだけの山頂であった。


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  間違えた登山口



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 島前城跡配置図。田中稔「因島史考」による


  因島市民会館と芸予文化情報センタ−(図書館)で尋ねて図書館の横の階段を上った空き地だとわかった。

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 海岸道路から見た島前城


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 本当の入り口  土生町図書館横


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 本丸


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 北西方を望む

 島前とは海峡を挟んで亀島がありそこに出城の亀島城があったがゆえの名称であろうか。

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 亀島城

 
     2021-1-16



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2021年01月15日

湯の郷温泉散歩

   


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 湯の郷温泉


 ヨット上架中には船中泊ができないのでホテル泊になる。 幸・不幸は分からないけれどGoToキャンペ−ンを利用して岡山美作の温泉湯の郷に行ってきました。 温泉好きの連れ合いには泉質がイマイチのようだ。 そこには、ひなびた温泉の風情は感じられない。 昼食にクーポンを利用しようと探したが、適当な食事処は見つからなかった。 3流グルメの小生ではあるが、結局ホテルのランチを食す。
 
 

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  JR姫新線 林野駅  2時間に1本程度の運行


 湯の郷温泉に2泊したのであるが、翌日はJRで帰るので偵察を兼ねて林野駅まで散歩する。 吉野川と梶並川を沿うように歩いた。 街並み保存館をめざしたが、休館の旧銀行跡をそれと間違える。近くの寿林寺をのぞいた。



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 旧銀行跡


 
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  寿林寺



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 街並み


 林野城・倉敷城を気が付くことなく、それを右に見て歩くことになった。 そのことは家に帰ってから知る。事前の下調べが大事であります。 そこから美作市役所を過ぎJR姫新線の林野駅に着く。明日の帰りの時刻表を見る、すきまだらけのもので事前に時刻を知っておく必要がある。

 美作市なのに美作の名が付く駅が見当たらない。ここらあたり昔は河川を利用した集積地で倉敷と言い、明治になり有名な倉敷市と混同されて荷物が届かないので林野に変えたという。


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     2021-1-15





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2021年01月13日

三星城  美作




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 美作の周辺国  三星城の位置



 戦国時代の美作は背後に毛利氏、尼子氏、織田氏などがいて、それらが攻めぎ会った土地で在郷の小領主がそれらに影響を受けて存続を争った地である。小生はまだ、その歴史を了解するには至っていない。

 湯の郷温泉からJR林野駅まで散策した。 駅周辺で昼食をしようにも閑散としていて、望みのものはなかった。 行きは温泉までバスで来たので、帰りはJRを使って岡山まで変えるつもりで時刻表をみる。2時間に1本くらいの感覚である。 どおりで静かな訳だ。 近くに三星城があるのでタクシ-に尋ねたが不明瞭であった。 近くだが登り口と思われるところまでそれに乗る。最低料金だった。 山道を登っていくが雑草に邪魔されることなく城跡の案内板を見つけた。




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 三星山



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 案内板



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 本丸案内 城館跡かもしれない。 山頂という場所ではない





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 明見三星稲荷神社  近くの神社

  


 後藤又兵衛(1560-1615)は後藤基次とも言い三星城主の後藤勝基(1538-1579)と関連するものは見つけられなかったが基つながりで関係があったと思われる。後藤家は南北朝から200年間三星城を居城としてきた。勝基が当主となってから尼子氏が衰え始めたので1560年にその配下を離脱し備前の浦上宗景と組んで尼子氏の倉敷城を攻めたが失敗。




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 三星城と倉敷城・林野城



 1563年に備中の三村家親に攻められるが浦上氏の支援で撃退。東美作を掌握。 1571年に浦上宗景と対立して毛利と結び籠城して和睦。 1575年に宇喜多直家が主君浦上氏を追放して美作に侵攻。 1579年今度は宇喜多氏と対立して三星城に攻められて落城する。


      2021-1-13






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2021年01月11日

矢掛の街

  


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  岡山駅よりJR伯備線に乗り、倉敷を経て清音駅で井原線に乗り換えて矢掛へ向かう。 井原線は私鉄のようだけれど単線の高架を走る、1両のみの運行です。


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 伯備線と井原鉄道の乗換駅 清音・きよね


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  井原鉄道

 矢掛駅よりまっすぐ南下して徒歩7−8分で西国街道・山陽道の古い街並みの残る矢掛の街です。


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  街並み その1


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 街並み その2

全国の宿場町で唯一、本陣と脇陣が江戸時代そのままの姿で現存する。 参勤交代を紹介するテレビ番組では矢掛の町が取り上げられていた。 本陣の石井家は現存するものは江戸時代中期から後期に建てられたもので大名の宿泊施設や家業の酒造業の建物がある。薩摩の殿様が残して取りに来ないという殿様専用の風呂桶が見られる。また篤姫が宿泊した記録がある。


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  石井家家本陣見取り図


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  殿様専用出入り門 御成門


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 殿様用 上段の間 一段床が高く作られている。


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 残された薩摩島津家の殿様用風呂桶


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  本陣内部


 本陣には殿様が宿泊し脇人には家臣が宿泊する。 本陣から東400mに脇本陣高草家がある。 高草家は、金融業を営んでいた。


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 脇本陣高草家


     2021-1-11


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2021年01月09日

新居浜大島と新居浜マリ−ナ


1. 新居浜・大島

 
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 赤丸 ヨット係留地



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 旧港 連絡船乗場


  川之江から新居浜・大島へ向かう。 ヨットの係留場所は連絡船乗場のある旧港に行けばそのスペ−スは無かった。 予定どうりの新港の漁港物揚場岸壁に係留した。
瀬戸内ゆえに潮汐は3mほどの高低があるので、乗降りを考えてゴムはしごのある位置にヨットを着けた。 地元の人に係留の可否を問うたが、空いているようで3−4日はOKとのことでした。



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 新港 係留場所

 村上海賊の発祥の地ゆえ大島城と街並みを散策した。


 2. 新居浜マリ−ナ


 翌日はすぐ近くの新居浜マリ−ナへ向かう。 瀬戸内海をヨットで西航する際には小豆島や仁尾マリ−ナから弓削海の駅ないし今治海の駅へいくのが妥当な航路であると思う。従い川之江や新居浜によることは少ないでしょう。 新居浜マリ−ナでは水と電気の補給ができます。 しかし電気代が1時間100円と以上に高く、冷房でも使用するのでなければ早くバッテリ−をフルにして切り上げたいところです。 町への交通は案内所でよく聞いておく必要があります、不便です。 シャワ−の利用もできます。

 

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 大島と新居浜マリ−ナ



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 ゲストバ−ス・給油さんばし



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 マリ−ナ

 ここでは1日で3つの城跡をめぐった。


      2021-1-9

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2021年01月08日

新居浜・大島





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 赤星印はヨット係留港



 新居浜大島に行きたかった。 2020年秋のクル−ズの目玉として期待した。 村上海賊の発祥の地である。 村上義弘がここ大島城に拠点を築き、そのご発展して伊予大島に本拠を移した。瀬戸内の地図を俯瞰すればより適地を選んだということであろう。






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 瀬戸内海賊拠点




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 案内図と地図番号

 C 村上邸・ 庄屋跡・1360年頃 村上義弘活躍
 H この北に船隠し・ 水軍船つなぎ場
 O 大島城本丸
 P 城の鼻・ 大島城出城
 




 この時まではGoogl mapでの城跡さがしの欠点を承知しておらず、点線で示される城跡までの山道を探すことになる。二の丸跡へ行こうとするがすぐ横の海岸道を歩いて来たが登山口は見つけられない。 近くの観音堂へ行ったが、そこは城の鼻の出城であると後に分かった。





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  写真右は海岸で左は山崖でその奥が二の丸跡





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 観音堂



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 城が鼻



 近くの老人を見つけてお城のことを尋ねてみた。 子供のころは本丸跡で遊んだとのこと、人口が少くなって耕作放棄するようになり、そこは農地であったが今はとても行けないだろうとの返答を得た。 それゆえに二の丸と本丸を分ける山道が有りそこへ行ってみた。





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 写真右は二の丸で左は本丸



 古くから開けた連絡船乗場のある集落に行った。 村上義弘ゆかりのこの島の庄屋邸・村上邸を見る。そこの当主と思われる人が出て来られたのでその尊顔チラと拝見した。信長の子孫のアイススケ−タ−の顔が現存する信長肖像画にその面影があるように見えるのだが、失礼ながらそうであろうかと勝手に想像した。



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 村上義弘邸跡



 船隠し跡など島の北側にあるけれども陸路から行くのは困難で、ヨットで行くにも水深の確認を要するので断念した。



       2021-1-8





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2021年01月04日

2021年  年頭のご挨拶



    新年明けましておめでとうございます。 

      今年は大変な時代にならなければよいのですが。


     言論統制





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  Bloonbergより  2020-5-28



 年末に立憲民主党の指導的立場にある一人の政治家と話す機会があった。 現今のアメリカの大統領選挙の関して起きているSNSの言論統制について尋ねました。 その人が話されたこと、それはいち民間企業のことであるから問題ないとのことでした。 独占に近い占有率を持つ企業ではどうですか?と重ねて尋ねなければならなかったが、小生の力量ではそこで終わってしまう。

 トランプ大統領は2020年5/28、SNS企業に与えられている免責による保護を制限する大統領令に署名したという。 そこには企業の意に反する意見を制限しても許されることに今はなっているのであろうか? 特定の言葉をAIなどで検索してそれを発したチャンネルを制限や閉鎖するようなことが行われているという。 YouTubeを発信している人はサブチャンネルを起こしたり他のウエブでも見られるようにそれをを掲げて防衛しています。

 東京・大阪・名古屋では大統領選挙の一方的な報道に対して抗議するデモが行われた。半ばくらいの勢力があるものを片方だけ限定して報道する米国と日本のメデイアは断罪されねばならない。1/6が最終的な日ではないと思うが、マスメデイアが報じてきたことの真逆のことが起こるかもしれません。 



  隠語集

 コメの国         米国・アメリカ
 寅さん          トランプ大統領
 梅さん          バイデン候補
 狩人梅さん        ハンタ−・バイデン
 米ボス選び        米国大統領選挙
 ドミちゃん        ドミニオン投票集計機
 DS            デイ−プステ−ト
                                       
 新聞・テレビだけ見ていては、広く意見を聞いてまとめて個人の見解を持つことが出来ない時代になった。それらがプロパガンダを押し付けて誘導する手段に陥っている。 戦時中の大本営発表のような時代がこの戦後すぐに生まれた老人が生きている時代に実現しそうになるとは驚きです。 マスコミが公平中立ではないと成人してからは思っていましたが、ここまで露骨になるとは。 梅さんが就任したあと、中共の行動でそれに対して梅さんの一瞬のためらいで、台湾・日本が陥る事態のことを考えたら、今までの平穏・平和が一瞬にして崩れることはないでしょうか?  よその国のボス選びと呼んで無関心ではおられません。


 アメリカ大統領選以来、ユーザーはソーシャルプラットフォームで大惨事に直面している。 香港大紀元ニュ−スより
   https://www.youtube.com/watch?v=L3txn5xHIas  6分



       2021-1-4


   重要




  小生が何かをいうより これをぜひともお聞きください

   「ひとりがたり馬渕睦夫」#59 米大統領選後の世界の行方  2021 1-22

   https://www.youtube.com/watch?v=r89PMzsUhWc    92分




       2021-1-4




    追補


 宮崎正弘さんがメ−ルを送ってくれて読めるブログで、YouTubeにおいて今回のトランプ騒動のGAFA問題を知らせてくれました。 またTIME誌に掲載されたけいさいされた不正選挙の左翼の陰謀暴露記事も。




「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和三年(2021)2月12日(金曜日)
通巻第6795号 
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 司法省、グーグルを独禁法違反として提訴に踏み切った。序幕戦だった。
   FTC(連邦取引委員会)がフェイスブックを独禁法違反で提訴した
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 GAFA(グーグル、アップル、ファイスブック、アマゾン)がいつしか「国家」を超える「権力」となっていた。
メディアが「第四権力」などと呼ばれたが、それ以上の強靱なパワーを持つのである。
 とくにトランプ前大統領のツィッター口座を永久凍結したことは中国などの全体主義国家で常用される言論統制であり、アメリカが言論の自由の国ではなかったことをいみじくも物語ることとなった。

さすがに反トランプの急先鋒だったメルケル独首相も、このツィッター社のやり方を猛烈に批判した。しかし日本ではメディアの洗脳と偏向報道が依然として力を持ち、この事件が何を意味するのか、よくわかっていない。
オルテガが言ったように大衆とは「ものを考えない人々である」。

 GAFAの時価総額はアメリカ全体のGDPの四分の一に迫り、まさに「この世をば わが世とぞ思ふ望月の 欠けたることも なしと思へば」(藤原道長)の増長慢。何をも怖れぬ傲岸不遜のごとし。
 アメリカの左翼メディアの偏向も凄いが、その真似をしている日本のメディアも何時しか権力と化けて、大臣やら五輪委員長の頸を飛ばすのだ。正論が通らないのは日米共通、メディアに於ける極左リベラリズムの跳梁跋扈はGAFAの傲岸さと同じである。GAFAのトップは親中、反トランプのグローバリズムに汚染されている。
 
そのアメリカには独占禁止法という伝家の宝刀がある。
 2020年7月29日、米連邦議会下院はGAFAのトップを呼びつけて公聴会を開催し、「市場の競争を著しく歪めている」と非難が続出した。
そして10月20日、司法省はまずグーグルを独禁法違反として提訴に踏み切った。序幕戦だった。
 12月9日にはFTC(連邦取引委員会)がフェイスブックを独禁法違反で提訴した。
 こうした司法省の動きがあるにも拘わらず、ツィッター社はトランプの個人アカウントを永久凍結し、アマゾンのもSNSの「パーラー」というトランプ支持者の運用と停止、またアップルもパーラーの配信を停止する。あたかもGAFA共謀の自由の言論排除の動きが高まったうえ、独禁法提訴もなんのその、グーグルは端末メーカー「フィットビット」を買収した。


 ▲中国って独占権力国家なのに、独禁法があったのだ

 この動きを慎重に観察していたのが、中国である。そうか、独禁法って手があったな。
 2020年10月24日、中国ではアリババの馬雲がシンポジウムで中国の金融政策を批判したところ、同年11月3日、突如、アリババ傘下のアントの上場に待ったがかかり、同月24日にはアリババに対してネットセールスで不当な価格表示ありとして、800万円の罰金を課した。へぇ。中国にも独禁法があったんだ。

 2021年2月4日、アントが金融持ち株会社への転換を計画中と報じられた。当局と事実上合意していると言われ、新持ち株会社はスマートフォン決済のアリペイ、与信業務、保険販売などの部門を収める。つまり金融事業が切り離される模様である。

 独禁法とは無縁と思われたてたインテルにも寒風が吹きつけた。別の理由である。
 インテルが半導体出荷をやめたために中国のZTEは倒産寸前にまで追い込まれたのはつい昨日の出来事。

 世界一を誇り、最先端半導体工場をイスラエルのも増設して、勢いをましたインテルとされたが、どうやら台湾のTSMCの技術に抜かれたらしいのだ。
 決定打はアップル、グーグル、マイクロソフトが、インテルの半導体使用を中止し、英国アーム社設計のものに代替し、内製化を図ったため、窮地に追い込まれたのだ。おごれる平家も久しからず、夏の夜の夢のあと、海に沈んだ。

 こうした企業の栄枯盛衰は古今東西繰り返されてきた歴史の鉄則でもあり、明日のGAFAには独禁法を廻る裁判が進行する。すでにGAFAは保守派と敵に廻したことにより最高裁判所の結審は敗訴濃厚だから、最悪の事態にそなえるべきだと勧告したいところである。

 アマゾンは自覚したようだ。
 CEOのジェフ・ベゾスが退任することとなり、「アマゾン王国」の崩壊に予防策を打ち出したともとれないか。

 アマゾンは下請け苛めや不当契約内容。そのうえ社員から突き上げが凄まじくなって労使が対立、そのうえに独禁法裁判である。
アマゾンが出版流通に殴り込んで、書店を潰すという残酷な副作用を伴ったが、キンドル(電子書籍)の開始は2007年のことであり、瞬く間に世界市場を席巻し、あげくに2013年には老舗名門の「ワシントンポスト」を買収してトランプ批判を倍加させていた。

ベゾスは、その名前からもキューバ難民の子だが、猛烈な労働を従業員にも強いたため、労組が結成されたくらいだった。新CEOは同社でクラウド事業を立ち上げたアンディ・ジャシー(53歳、ハーバードMBA)が就く。
         


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 ■アンディ・チャンのアメリカ通信   
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  違法選挙陰謀の暴露記事
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 去年11月の選挙でDeep Stateがトランプを落選させるため数年も前から大企業家と労組、メディアなどが合作して企んだ大陰謀を詳しく書いた記事が大きな波紋を広げている。
 2月4日にTIMEマガジンのMolly Ball記者が発表した「The Secret History Of The Shadow Campaign That Saved 2020 Election」という題の、選挙は初めから終わりまで不正陰謀だったと言う2万字余の記事である。
 記事は2月4日に発表されたが、TIME誌は2月15日号に掲載されるとしている。TIMEは左翼と言われているしMolly Boll記者もトランプ支持ではないはずだが左翼の選挙陰謀をかなり詳しく報道している。記事の内容はかなりショッキングで読んだあといくつも疑問が湧いてくる。既に幾つもの評論がユーチューブに発表されている。
 まず記事の概要を述べる。
 トランプは前々からDSが彼の抗議を縮小して報道させた、しかも大企業家は前々からDSと一緒にトランプ降ろしを企んでいたと主張していた。結果としてこれはみんな事実だった。
Deep Stateは選挙の前からトランプが陰謀を企んでいたと逆宣伝し、トランプの選挙運動を妨害し、大企業家と労組が一緒にな
り、選挙が公平で不正行為がなかったとしてトランプ側の抗議を不問に付した。

この選挙でトランプ戦略を立てたのがAFLCIO(米国最大の労組)の参謀、マイク・ポドルザー(MIkePodhorzer)である。彼は去年三月ごろから「トランプは選挙で負ける、そしてインチキ選挙を行い、落選しても負けを認めず、国民を扇動し、動乱がおきる」と述べてこのに対抗する戦略を立て、2020年3月に「2020年選挙の脅威(Threats to the 2020 election)」を発表した。
 これに先立つ2019年11月にはフェイスブックのズッカーバーグがたくさんの民間運動リーダーを招聘して会議をひらいた。この会議にはツイッターのボスやバイデンの参謀Vanita Guptaも参加していた。この会議のあとバッカーバーグは選挙陰謀のために3億ドルの資金を提供した。半年あとになってポドルザーが仲間を集め、Zoomを使って何回も何回も会議を開いた。おかげで以下のような結果があった:
(1)問題州では選挙法を勝手に変更した。
(2)民衆に投票に行かないで郵便投票をするように勧めた。
(3)ハンター・バイデンのスキャンダルニュースを封鎖し、N.Y.Postはバイデン記事を除去した。
(4)トランプの陰謀説を否定し、信じさせない宣伝をばら撒いた。
(5)トランプが選挙の結果を覆せない強大なメディア圧力を加えた。

彼らの謀略で選挙の結果は以下のようなことが起きた:
(1)計票の結果がまだ出ていない11月7日にバイデンは既に勝利宣言をし、閣僚の名をあげた。
(2)トランプ陣営の違法抗議を全て否定し、メディアは反論をシャットアウトした。
(3)州長や選挙事務所は不正の抗議について調査を行わなかった。
(4)司法、法廷はトランプ側の提訴を取り上げなかった。
(5)企業家と労組の合作が成功し、トランプの落選は「アメリカ民主主義の成功」と凱歌をあげた。
 これらの結果につきMolly Ballは「以上の結果は全て逆だった」と述べている。しかも彼女は「影の陰謀がだんだん明らかになりつつある」とも書いている。Media Research Centerの評論には「メディアが正当な報道をしなかったのが選挙の結果を左右した。今回の選挙は(DSが)バイデンを当選させるための選挙だった」とあったとも書いた。
 
 以上が記事の概要だがこの記事が出たあとさまざまな疑問と評論が出た。いくつかを書いてみる。
(1)第一の疑問はBoll記者はどっち側の味方なのかということだ。TIME雑誌は左寄りだと言われているし、彼女が右寄りでトランプに同情したとも思えない。総体的にこの記事は中立の立場で陰謀の首謀ポドルザーが述べた陰謀の経過を報道している。しかしBoll記者が彼らのことをCabal(陰謀グループ)と呼んでいる点から見ると彼女はトランプの味方と言える。TIMEは正直に書いた記事を掲載しただけだ。
(2)次の疑問は首謀者のポドルザーがどうして平気で陰謀の事実を語ったとかいうことだ。何人かの
評論では、トランプを落選させた功名争いとか、賞金獲得のため、またはCabalの内部闘争などと憶測している。功名争いの一端としてポドルザーが戦略を立て、Zoom 会議を開いた功績がある。しかしその一年前にバッカーバーグは仲間を呼集めてトランプ降ろし会議を開き、3億ドルの資金を提供した。誰の功績が大きいか。
(3)Boll記者が選挙陰謀の詳細を書き残した功績は大きい。Deep Stateがお膳立てをしてトランプは負ける、インチキ選挙をする、負けを認めず、ホワイトハウスから退出しないなどと宣伝し、彼らの計画通りになった経過を書いたのである。
(4)最も驚くべきことはCabal(陰謀グループ)の首謀者が陰謀の経過を堂々と述べていることだ。つまりCabalの連中が陰謀を明らかにしても、今更トランプは逆転勝ちはありえない。だから違法を自慢しても処罰されないと威張っているのだ。
(5)アメリカの国民全体が見聞きした選挙は、開票の途中までトランプがバイデンをリードしていた。もしも選挙不正がなかったらトランプが当選していたのだ。しかも中国、ドイツ、イタリアなどが選挙に関わっていた証拠、インチキ選挙の証拠証人は山ほどあったのに全てが不問に付されたのである。
 アメリカはこんなDeep State の独裁を裁くことができないのか?

                (アンディ・チャン氏は在米評論家)

 TIMEの記事  This appears in the February 15, 2021 issue of TIME. (ウエブで翻訳もできます)
   The Secret Bipartisan Campaign That Saved the 2020 Election | Time 

  https://time.com/5936036/secret-2020-election-campaign/



     2021-2-12




  










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