2021年12月30日

青陰城



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 2021年秋巡航で訪れた城(赤字)

 因島村上海賊は長崎城、余崎城、青木城、青陰城と居城を移した。 そのすべてを数回に渡って訪ねたが、今回でそれらを見ることができた。 青陰城以外はすべては、海沿いに建つ海城で近くの船隠しに襲撃船を置いて、いつでも目標に向けて出撃で来た。青陰城は山城でそれを持たない。ここは海賊の地位が確立したので、今までの城立地と違ったのであろう。 本丸から眺めると分かるのだが、近くの島々とその瀬戸がここからは見通せる。ここから出撃命令や発見報告を、狼煙を使用して指示したのであろう。

 本当にここからの眺めは絶景そのもので、これぞ瀬戸内という感じである。 日本のまた、個人的に眺めた絶景のベスト3に入ると確信が持てる。オススメポイントであります。
 


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 青陰城の案内標識、  所々にある。 左端の小屋が宝寿寺

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 一時置きした自転車

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 ここから登山口

 南北に2つの登山口があるようですが、北はメンテが悪いと言う情報があるので、小生が登った南ル−トが良いようです。 小生はレンタサイクルでいったのですが、登山口までズット登坂で自転車を押して登るハメになった。だが、帰りは「楽チン」そのものであったが。

 南ル−トとしては、田熊郵便局横の道を登って行く。 所々に日本遺産の案内標識が設置してある。地図では宝寿寺(小さな祠のようなもの)を目指していく。

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 分岐点


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 曲がり角には石垣が残っている


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 2の丸


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  本丸の石垣へ続く道


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  本丸


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  絶景、  写真のウデと機材が悪くてゴメン、 本物を見よ!


 村上水軍城(博物館)をかって訪ねた時に、「あれが青陰城よ」と教えていただいたが、今度は反対にそこ青陰城から博物館を見下ろすことが出来た。

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 博物館を本丸より見下ろす

   2021-12-14


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2021年12月12日

新高山城

信高山城・にいたかやまじょう

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 信高山城 


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 縄張り図  現在地表示はは匡真寺跡です


三原海の駅に5年ほど前に訪れた。その時は三原城を見た。 そこに移る前の小早川隆景が本拠にしていた今回は信高山城へ行く。

 三原駅からタクシ−に乗ったのだが、費用もかかるしJR本郷駅よりそれに乗っていけば十分であった。

 登山口には下記の写真のように登山中止勧告の掲示があった。 行けるところまで行くつもりでしばらく行くと、 崩落現場に着いた。

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  注意書き


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 通行止め現場

 沢に降りて工事パイプをつかんで現場を避けて続行した。 途中で2−3人の人とすれ違ったので同じ考えの人もいたようだ。 ただし雨が降っている時や翌日の地面が湿っている時にはこのような行動を、おすすめいたしません。

 そのまま登って行くと、番所跡や匡真寺跡にたどり着いた。

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 番所跡



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 匡真寺跡  小早川一族の菩提所があったが城廃止ともに移設した。

 ほどなく中丸跡に着く。右手に行くと本丸である。

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 中の丸(2の丸)

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 本丸

 本丸より一段高い詰め丸へ行く。 沼田川をはさんで以前の本拠・高山城がすぐ近くに見える。 ここはその城の副塁であったものを大きく改築した。

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 高山城、  今回は予定していたが、諦めて訪問できなかった

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 詰めの丸より見た沼田川

井戸廓の井戸を見て、中の丸に再び行き西の丸を訪ねて北の丸へは整備ができてないようなので断念して下山した。 

 城の規模も大きく大分整備されているので崩落個所が無ければ良い所だと思いました。

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 井戸跡

三原へ帰り西国街道沿う宗光寺山門を見た。新高山城から移築されたものという。


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 宗光寺山門




   2021-12-12

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2021年12月10日

丸谷城・丸屋城


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丸谷城・丸屋城は下蒲刈港にヨットで訪れた時、ガソリンスタンドへ軽油を買いに行く途中に偶然そこへの看板を目にした。

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 城への登り口は案内板がないのでわかりにくい。上の写真の道路標識のすぐ近くに下写真の登り口がある。

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 本丸への登り口

 ミカン畑に沿った細い坂道を登って行くと本丸・本廓へ着く。 そこには神社のような建物と石碑がある。

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 本丸,左端に石碑が写っている




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丸谷城 本丸

 縄張りは本丸から天神鼻に向かって段々と降下して廓があったようだが、今回は確認していない。 ここは公園になっているので、天神鼻まの岬の突端まで探索が必要でしょう。

 村上海賊が隆盛するまでの時期に、多賀谷氏がここを築城し、倉橋島にも城を持ちその両方でここの一帯を海賊として支配していた。 

 西風の強風の時にここへヨットで停泊したので、実感したのですが、風が強く吹き抜けても波立つこともなく、安全に係留できた。 昔も風待ち潮待ちの湊として利用されたことと思う。 また、海賊城には舟隠しが必要ですが、その良い施設となったことでしょう。


    2021-12-10


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2021年12月08日

下蒲刈




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 安芸灘とびしま海道図

 ここで「真珠の首飾り」と勝手に名前を付けて「とびしま海道」を取り上げています。 この道と本土に囲まれる海域は穏やかでセーリングにはもってこいの場所です。それでヨット乗りとして以前から安芸灘を注目していました。
 安浦海の駅は温泉もあり、ヨット泊地には良いところでしたが、公共の宿と思われるホテルが売却されたか営業を縮小した関係で海の駅は廃止された模様です。 従い近くのそれに代わる泊地を探していて、下蒲刈島を見つけて停泊しました。


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案内図

 ここを散歩していると日本では珍しい石畳の道に出会いました。 予想外に洗練され整備された観光地の三之瀬を見つけました。
 歴史的には鞆の浦、尾道、御手洗と江戸時代の帆船航路の湊として栄えたところでした。 己の勉強不足です。 福島正則は関ヶ原の後に広島の地を家康からもらったのですが、ここを重要視して長雁木の係留施設を造成し、その跡も残っている。また、朝鮮通信使の宿としても使われた。

 美術好きの人には美術館や関連施設もあります。 風情のある街並みがあるので、訪れてはいかがでしょう。


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 三之瀬案内図



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観瀾閣・かんらんかく、 満州で土木で財を成した人の別荘

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 丸木家住宅、 番所の役人の家という


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 3の瀬本陣跡


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 長雁木、  潮位が高いが階段状になっている


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 蒲刈大橋


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蘭東閣美術館



   ヨット泊地

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 停泊写真

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 赤丸 停泊位置、  青丸 停泊可能性のある位置

 東西の強風を防ぐ良い避難港だと思われます。 最近クル−ズ船が就航するようになったので、その日程をチェックしておく。それがポンツ-ンのどちらに着岸するか不明ですので。 今回は赤丸に着岸した。 青丸のポンツ−ンにも着岸可能だと思われる。

    2021-12-8

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2021年12月03日

内子町と卯之町



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 松山、伊予市、内子町、卯之町、長浜



 ヨットで停泊した伊予市より宇和島行きJR特急に乗り歴史的町並み保存地区のある内子町と卯之町を訪ねた。


   内子町


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   内子町 見どころ


 内子はろうそくの生産が盛んであった町である。江戸時代の藩政改革の特産品として知られている「ろうそく」であるが、特に内子産は世界でも知られていた。それゆえに町の資産家の有志が内子座を建て、現在までこの建物は残る。


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 内子座、  1916年に立てられた


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 内子座を舞台より撮影、   まだ現役の芝居小屋である


 八日市・護国の街並み保存地区には需要文化財 本芳我家住宅や木蝋資料館・上芳我邸など古い町並みが見られる。


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 需要文化財 本芳我家住宅(内最大の製蝋業者だった)と木村家住宅(手前の建物)  




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 旭館  映画館として使用された




     卯之町


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 案内図


 卯之町は北の大洲藩と南の宇和島藩を結ぶ街道の宿場として栄えた町である。 シーボルトの娘・楠本イネを養育した二宮敬作邸跡や高野長英をかくまった隠れ家などが残る。
予想よりもこじんまりとした街並みであった。 バレ-を習っているカワイイ少女に教えてもらい開明学校へ行く。明治15年に町民の寄付により建築された小学校があるが、外観を見ただけで拝観料を払ってまでの努力は省いた。




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 街並み


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 高野長英のかくれ家



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 開明学校



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 二宮敬作 住居跡


    2021-12-3


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2021年12月02日

伊予港

    

      

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 伊予港  赤丸 停泊地、  青丸 ポンツ−ン


 松山堀江から伊予港へ航行し、そこに停泊した。 予定泊地は上図の赤丸で商業岸壁である。 一応サイドアンカ−を打って岸壁に寄せた。 しかし、潮位が低く船より岸壁にはよじ登れない。小1時間待って通りすがりの人に頼んでロープをビットに固定してもらう。 強めの南西風が吹いていたが、構内はその影響無いようだ。北風系が吹いてもよさそうで、良い避難港にはなる模様。岸壁のカキ対策で大き目のフェンダ−が2個ばかり必要でしょう。 もし松山堀江海の駅へ行く予定でウネリの入るようなときには、ここのほうが良いのではないかと思う。伊予鉄道とJRが利用できるので意外と松山に行くのに便利でしょう。 ここから松山観光も考えられる。 松山にはヨット泊地として適当なものが無いので。

 ここより街並み保存地区の内子町と卯之町へ訪れた。  ここから、 伊予長浜に向かう予定でした、長浜は外港に係留するつもりなので、そこでの強風は避けたい、先行きの天候が悪化する模様でそこへの寄港をあきらめた。


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 青丸の予定泊地

 

 このボートは自衛隊の応援グル−プの支援船のようで、このポンツ−ンを管理している。 ここに連絡してここを利用する許可が得られれば最適なヨット泊地になりそうです。


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 赤丸  ヨット泊地


       2021-12-2



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花見山城と宅並城


        


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 堀江海の駅、宅並城、花見山城、葛龍屑城

 今治から中島を計画していたが、東寄りの風のため松山堀江海の駅に停泊した。 かってここから道後温泉や松山城を行ったことがある。 それゆえ、近場の城を散策することにした。


     花見山城

 花見山城はJR堀江駅より予讃線に沿って松山方面に歩き、堀江新池のほとりにある。
お城の立地は川とか岬の鼻とか防御を考慮して立てられている。花見山城の傍にある池は田畑の水不足解消のため19世紀に松山藩に願い出て作ったため池である。この城のためのものではない。川は城のためではあろうと思われるが名前は地図から読み取ることができないので不明である。

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 新池

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 登り口

 登り口を登っていくと本丸にあたるところに祇園神社がある。この南に2の丸、3の丸があったが、それらしいと思われるがはっきりしない。
河野氏が築いて九州ににげ再び取り戻したという。 村上海賊の一族が城主になったこともあるようです。

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 祇園神社


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 名称不明の川(権現川?)より花見山城を望む


      宅並城

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 宅並城


 JR堀江駅より一駅で光洋台駅に至る。 そこよりgoogle マップに導かれて宅並城をめざす。 えんえんと坂道を登り下図の青丸地点にたどりついたようだ。みかん畑で行き止まりであった。作業をしていた人に尋ねると、藪の崖を登れば城跡に行けなくはないけど無理でしょうと云われた。 その人に地図の反対側にある登山口まで軽トラで送って頂いた。 そこから山頂をめざした。
 たどりついても城らしい石垣や土塁を目にすることは無い。 城跡の名称の残る山登りをしただけである。 地元の親切な人々の援助は大変ありがたかった。


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城郭放浪記より   宅並城縄張り


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 半ばで休憩して写す。 中央奥の島は北条城・島

ここは北条城よりの狼煙を受けて松山へ狼煙で知らせる中継点であったと、同行の登山者の女性に教えられた。

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 山頂(201m)にある神社

 光洋台駅まで下ったが老人の気力・体力が衰えて葛龍屑城行きは断念した。 駅のホ−ムよりそこは見えていたのであるけれど。

     

  仁堀連絡船

 旧国鉄が呉線仁駅と予讃線堀江駅との鉄道連絡船を運航していた。この堀江海の駅は1982年に廃止されたこの航路のポンツ−ンを使用している。


       2021-12-2


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