ヨットにて隠岐からの帰り七類に停泊中に、隠岐フェリ−の連絡バスに乗り松江に行く。松江駅近くのホテルに1泊して市内を見学した。

松江城
関ケ原の戦いで家康に貢献した堀尾吉春が息子忠氏に24万石をもらい、出雲松江を領した。 月山富田城より移りこの松江城を築城した。

堀尾吉春 1543-1611
尾張に生まれ岩倉織田氏に仕え信長に敗れて浪人となる。そのご信長に仕えて秀吉に付属された。秀吉と転戦して段々と加増されていく。 浜松に12万石を得る。秀吉死後は家康に接近した。
まずは堀川めぐりの遊覧船に乗った。

大手前 遊覧船のりば
堀は思ったより浅く、底が見える。 橋を通過するにもギリギリのところが3か所もある。 堀端はすべて石垣で囲まれているのではなく、土手造りのものがある。 明治以前は堀の管理で土砂を除去する役人もいたという。それで堀の深さは維持されていた。

遊覧船で堀めぐり

縄張り図
遊覧船を下船するとすぐに大手門木戸へ行ける。

大手木戸門

太鼓櫓と大手櫓門跡
わざわざ木戸門は簡単に破れるようにして攻め方を桝形虎口の中に誘い込み、もう一つの堅牢な大手櫓門でその行き足を止め、高石垣とその両側にある太鼓櫓と中櫓で殲滅すると言う強い防御の作りである。
ここを抜けると2の丸下の段に至る。

2の丸下の段より 三の門へ 中櫓と太鼓櫓が見える
三の門を抜けると二の丸上段にいたり、ここには藩主の御殿があったが、狭いために三の丸(現在市役所がある)にも建てられていた。

三の門跡

二の門跡

一の門を抜けて本丸と天守へ

天守
現存天守12のうちの1つで姫路城のように見ごたえがある。
城見学を終え大手門にもどり、堀端の風情のある塩見縄手通りを歩く。そこは街並み保存地区の武家屋敷版の代表のような街並みです。 小泉八雲邸や記念館もある。
武家屋敷
500−1000石程度の上級藩士の屋敷と言われる。 1733年の大火焼失より再建されたもの。屋敷門に中間の部屋がある大きなものである。

武家屋敷

武家屋敷の台所

小泉八雲邸
2022-8-6