2022年08月29日

黒木御所と由良比女神社  西の島





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  黒木御所と由良比女神社 


 係留している中の島・菱浦から内航フェリ−・連絡船(200円)に乗り西の島・別府へ行ってきた。 そこではレンタサイクルを借りて、黒木御所と浦郷の由良比女神社を訪ねる。

  黒木御所

 

  黒木御所は連絡船やフェリ−を降りてすぐ徒歩5分位でいくことができる。 黒木御所碧風館では20分程度の解説が聞いた。 そこから少し登って行くと黒木御所に至る。

 後醍醐天皇が元弘元年(1332年)に討幕の戦いで敗れ、後鳥羽上皇の先例に習い隠岐へ配流になり、黒木御所に移された。 約1年後に脱出して「建武の中興」となる。





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  黒木御所案内板




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 黒木御所碧風館、  展示と説明がある



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  黒木御所跡



  由良比女神社



  西の島の別府から山越えの道を抜けると橋があり、その手前を降りてゆくと鶴丸ホテルへ出る。海の駅も併設されていてヨットが係留できる。



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   隠岐シ−サイド・鶴丸ホテル、   海の駅桟橋   




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  西ノ島大橋



 トンネルを抜けて西ノ島大橋(21m)を通ると浦郷地区へ出る。 ここは観光船に乗ることができる。 由良地区へ行くと由良比女神社がある。そこは平安時代には隠岐一の宮であった。 千夫里島からここに移築されたとかで、その時のイカにまつわる云われがある。 神社の下の浜にイカの大群が押し寄せるようになり「イカ寄せの浜」と名付けられた。 イカ長者が何人も生まれたという。



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  由良比女神社、 一の鳥居と本殿




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   イカ寄せの浜


        2022-8-29



posted by 速魚 at 21:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

隠岐神社

  




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  菱浦と隠岐神社、   赤丸は菱浦ヨット係留地



  中の島の菱浦にヨットを係留した。 そこからフェリ−乗場にある観光案内所で自転車を借りて、隠岐神社に向かった。 フェリ−の到着時間に合わせてそこへ行くバスもある。 菱浦から諏訪湾沿いに海士町の役場を経由して隠岐神社に行くことができる。 所要時間は15−20分くらいでしょう。  

 隠岐神社は後鳥羽上皇を祀った神社である。 後鳥羽上皇が1221年(承久3年)執権北条義時に対して討伐の兵を挙げて敗れて隠岐に流された。NHKの大河ドラマで、もうすぐ承久の乱について放映されると思う。 御在所跡、御火葬塚、資料館を見た。




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  隠岐神社 鳥居




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  隠岐神社 拝殿



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  後鳥羽上皇 御在所跡



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 後鳥羽天皇御火葬塚、  1236年後鳥羽上皇が崩御され火葬



 ここの帰りに村上家と因屋城を訪ねた



  村上家と因屋城 中の島

 

 後鳥羽上皇をお世話した村上家である。 資料館で案内の方に村上海賊とは関係があるのかどうかと尋ねた。 その関係した資料は見つからないと答えられた。 しかし村上海賊に関係した子孫の方はこの島にいるということです。 江戸時代であるか明治なのか定かではないが、全国長者番着けにこの村上家は載っている。かなりの有力者であったのでしょう。  というより、敷地から因屋城に行ける。 敷地の中に祖先が作った城跡の遺跡を持つ。 有力豪族であったのだろう。





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 村上家・資料館



 戦国期には毛利に味方し1566年尼子についた丹後・但馬の海賊衆が攻めよせてきたが撃退した。




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  因屋城の案内板





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  本丸跡、(標高20m)  朝霞神社の祠


    2022-8-28

posted by 速魚 at 05:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記