2022年12月30日

五島藩 武家屋敷

  




 

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  武家屋敷通り地図





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  武家屋敷通り



  福江城・石田城は幕末に築城された。その南西側近くに武家屋敷が残っていいる。中級武士30−40石の屋敷跡だと云われる。 屋敷を囲む石垣塀は特徴的で「こぼれ石」と呼ばれている。 石垣の上部に下写真のように小さい丸石が50cm程かまぼこ型に積み上げられている。屋敷侵入者がこの石をこぼして音がするの役に立つと言われている。全国に数例しかないものであるという。




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  ふるさと館

  こ通りの一角にふるさと館があり武家屋敷の内部が公開されている。 



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  ふるさと館 庭縁側




      2022-12-31



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福江島  教会巡礼

 

  友人のFさんが車で福江島を案内していただきました。 12ある教会の一部を見ることができました。



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  赤線は訪問した教会、  下記赤字と小さい写真の教会はは未訪問




 1.  福江教会

 福江市内にある教会。信徒の数が多い。

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  福江教会



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 内部





2. 浦頭教会


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 浦頭教会  1888年創建、1968年増改築





 3. 堂崎教会

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 堂崎教会  1904年建立



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 現在は資料館




4. 宮原教会

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 宮原教会  1971年築



5. 半泊教会

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 半泊教会  1922年築



 

 6. 水ノ浦教会

 
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 水ノ浦教会



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 内部



7. 楠原教会


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 楠原教会  1912年築



8. 打折教会


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 打折教会  1935年築 1735年移改築




 9. 三井楽教会・みいらく


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 三井楽教会  この壁画は独特ですね



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 内部




 10. 貝津教会

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 貝津教会  1924年創建 1962年改築



 11. 井持教会

 井持浦教会はフランスのルルドを模倣した日本初の聖地で多くの巡礼者が訪れます。毎年5月になると下五島全域から信徒が集まり聖母マリアを称えるルルド祭が行われます。

 ルルドとはフランスにあるカトリック巡礼の聖地で、そこには様々な難病を治すと言われる「奇跡の泉」がありました。その奇跡にあやかってに奇跡の泉を模して作られました。日本で最初に作られたのが「井持浦教会」です。

 

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 井持教会


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 内部





 12. 玉之浦教会


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 玉之浦教会


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 内部



   2022-12-30


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2022年12月29日

海上自衛隊 佐世保資料館

   

 大村に冬ごもりのために来春までヨットを置くことになる。 その係留作業が一段落したので、自宅に帰るまでの間にJRに乗り佐世保を訪れた。 このJR大村線は時間に1本程度の運航をしている。 大村駅より鈍行の佐世保行きに乗りました。 途中駅で佐世保まで特急に無料で乗り換えることが出来た。(JR佐世保線の早岐駅だったと思う) 

 佐世保に着き、観光案内所へ行く。そこで教えられて海上自衛隊の資料館を見に行くことになる。 そこには、江戸時代からの日本海軍の歴史が、模型艦船を多く使った展示により詳しく説明されていた。



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  海上自衛隊佐世保資料館



 見学を終え、長いア−ケ−ドの繁華街、地方には珍しく現役の商店街であった、そこを抜けて佐世保駅に戻り、駅前に続がる港へ出た。  そこには米軍海兵隊の空母と間違うほどの揚陸艦2隻があった。 それらは事前配備の艦船であるという。 対中国の配備であると思われるが、まだ、緊張感は感じられなかった。

 佐世保軍港は戦前から西日本の最大のものと思っていたのだが、実際にはそれほど大きく感じられ無かった。 戦前は海軍工廠が付属しており、そこは今では民間の佐世保重工になっている。 工廠で多くの軍艦を建造しているのを目にすれば、違った印象を得たのかもしれません。





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  立神岸壁にいる  米軍海兵隊の1隻目の揚陸艦、 米軍か,または自衛隊かの駆逐艦など





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   国際タ−ミナルにいる海兵隊の2隻目の揚陸艦    ほとんど空母だなあ  



    2022-12-29



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2022年12月28日

外海の 大野教会、出津教会(世界遺産) と 黒崎教会



  大村に来春までヨットを係留させてもらう。 お世話になっている梅さんに出津に車で案内してもらいました。外海の教会にはヨットの適当な停泊地が見当たらず、来春の訪問は無理のようなので、助かりました。 世界遺産の2つをこれでクリアーしたことになります。 後は原城と天草の崎津教会を訪れれば、念願の世界遺産をヨットで訪問は達成できます。



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   外海の教会地図







  大野教会 世界遺産



  出津教会の巡回教会である。1893年・明治26年 起工、2004年解体修理。

 内部は見学できない、外部から少しうかがうことができる。


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  大野集落




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  大野教会  世界遺産  国重文  



     出津教会  世界遺産


 1882年ド・ロ神父により設計・建設された。1909年に現在の姿になる。

 事前予約が必要であるが、急に訪ねたが問題はなかった。教会堂の横に駐車することができた。



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  出津教会  国重文   入館料400円

 

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 内部 

 さすがに多くのミサ関係の本が座席の前に用意されている。 信者の数が五島の教会と比べて多いのかと思われた。

 

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  出津の集落





        黒崎教会


 ここは世界遺産に入っていないが、オススメの教会である。遠藤周作の映画「沈黙」は見ているが、ここが舞台となったと云われるが、詳細は分からず。 1897年造成、1920年完成。


 

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  黒崎教会 





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  内部   リブ天井とステンドグラスが美しい



  2022-12-28


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2022年12月27日

大村藩 五小路武家屋敷通り






 大村氏は、古代平安時代に藤原直澄が四国から移り住み大村氏を名乗ってから、中世の戦国時代、江戸時代から幕末、明治維新にいたるまで絶えることなく大村地方を治めてきた、非常にまれな大名という。

 大村城・玖島城が築かれると、その周辺に新たな町が整備され、藩主の側近など家臣が移ってきました。こうして、玖島城下に武家屋敷街ができました。武家屋敷街は城を中心に5つの通りが作られ「五(ご)小路(こうじ)」と呼びました。 [本小路][上小路][小姓小路][草場小路][外浦小路]の五つです。


 二万七千石の余り大きな藩でないので、徒歩で城下町の風情を味わうことができる。

 


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 下記写真の概ね位置図




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    大村藩     武家屋敷 詳細分布図





 1. 草場小路

 岩永家や長与家など五家があった、円融寺もあり。

 
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 円融寺  庭園




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 円融寺には大村37志士の墓がある







 2. 上小路・うわこうじ

 針尾家や浅田家などの家老屋敷も多く重臣の屋敷が多かったようです。幕末には、斎藤歓之助が開いた剣術道場「微神堂(びしんどう)」もあった。

 
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 斎藤道場跡






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 上小路





 3. 本小路

 大村藩会所・五教館・上級家臣の屋敷が並び、大村五郎兵衛・大村翁助など、幕末には14戸の屋敷があった。








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 五教館御成門






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 稲田家 家老屋敷跡    愛宕山東側にある  今は人は住んでいない模様





 4. 小姓小路・こしょうこうじ

 小姓衆が住んだ通りであることから小姓小路と名付けられました。後には、小姓衆だけでなく、他の家臣も住んでいた。




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 小姓小路 案内板






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  小姓小路






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 中尾元締役旧宅   伊能忠敬の測量助手を務めたという



 5. 外浦小路・ほかうらこうじ

 大正時代に師範学校が建設された際に、通りの大部分が消滅し、通り自体がわかりにくくなっています。現在では大村園芸高校が建っている。




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 外浦小路 石碑






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 港内の垣根の奥に石垣が見えるが、屋敷跡の名残か?



    2022-12-27

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2022年12月25日

小値賀島

    


 

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  小値賀島


 今回の五島列島は、前回に宇久島を訪ねたので、平戸―黒島から小値賀島に向かいました。 野崎島の北方海域では、予想外に潮流の影響を受けて機走で3ノット余りになり、またかと、ホンダワラのペラ絡みを懸念しました。 しかし、この秋の航海では一度もプロペラに絡むようなことはありませんでした。 本当に秋巡航では、海がきれいでゴミが浮いていることも無く、心配のない気持ちの良い航海だと思います。 また、この後の五島で気が付かされたことですが、瀬戸内並みに潮の流れがあるということです。





 1. 小値賀島 ヨット泊地


 
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 赤丸は停泊地。 青丸は候補地

  ヨットの係留地は事前の調べでは多くあるように思えたけれど、実際に行ってみると赤丸の位置しかなかった。 漁協の給油ポンツーンに着けて給油して、そこで訪ねて赤丸の階段がある付近の岸壁に着けた。



  2.  小値賀島散歩 



 翌日朝に観光案内所で自転車を借りて、教えてもらったところを見てきた。 カトリック教会を訪ねた、精彩のない廃校のようであった。他の五島で信者がごく少数で守っている教会を見てきたが、もっと生き生きとしていたように思われる。 ミサなどに使われていないのかもしれない。この島は平坦で江戸時代でも実りが良い土地ゆえに仏教の信者が多く、カトリックの信仰が少ないのかもしれない。 それから膳所城、2つしかないという古墳、地の神隠者、牛の塔を見て回った。 3時間ほどで終えたので。先を急ぎ世界遺産の島・野崎島に向けてヨットを走らせた。



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 小値賀島さんぽ地図





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  小値賀教会

 民家のような小さな教会堂は、明治14年(1881)に野崎島の舟森集落に建てられた瀬戸脇教会の司祭館だったもの。キリスト教徒のいなかった小値賀島に、昭和47年(1972)の集団移転で野崎島を離れた信徒たちが移築したもの。 





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 牛の塔  

 かって狭い水路で2つの島に分かれていた。埋め立てて続げたときに工事の犠牲となった牛の供養塔



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  膳所城跡石碑  





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  地ノ神島神社鳥居

 鳥居から望むは野崎島にある本宮である。





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  神方古墳  

  6世紀末から7世紀初頭の築。



      2022-12-26

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2022年12月24日

クリスマスコンサ−ト  2022

    



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 聖トーマス教会のクリスマス・オラトリオ


 今年もしみじみと音楽を楽しめる時期になりました。 ワクワクとした若年のクリスマスはとうに過ぎ去りましたが、残像を楽しんでいます。

 古楽からモダン、レトロのナットキング、懐かしのロッド・スチュワ−トまでの音楽を集めました、お好みをがあれば良いですね。

     メリ−クリスマス!



 Bach - Christmas Oratorio [1-3] Harnoncourt  BWV248 バッハ クリスマスオラトリオ
 https://www.youtube.com/watch?v=98UjjwzJBFE  80分

 André Rieu's Christmas recording 'Home for Christmas'.
 https://www.youtube.com/watch?v=ucWmucr4guQ  60分

 Gracias Choir & Orchestra
 https://www.youtube.com/watch?v=2UxUDByeovc  90分

 Nat King Cole - "King Of Christmas  ナット・キングコ−ル
 https://www.youtube.com/watch?v=yzGFPQQj9BQ  34分

 Rod Stewart - Christmas Live at Stirling Castle HD 21-nov-2012  ロッド・スチュワ−ト
 https://www.youtube.com/watch?v=Tpdx_zdoa_Y  51分

 Christmas in Vienna 2008
 https://www.youtube.com/watch?v=NnLIMWLs0b8  84分


 Baroque Christmas
 https://www.youtube.com/watch?v=0093uRpp11E   125分


    2022-12-24

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2022年12月23日

五島 教会巡礼 その3

  五島 教会巡礼  その3



 福江から長崎の野母への航路を予定していた。40マイルほどの横断距離になるので日頃を選んでいきたいところだ。 予定を変更して奈良尾に向けた。前回に教会巡礼 その2 を行っているので。それを補うべき再度タクシ−にて見に行った。



 
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  青線は今回訪ねた教会





 O 猪ノ浦教会

 明治中期より猪ノ浦に住み始めた、最初は大曾教会に参詣していた。現在は真手ノ浦教区に属している。



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 猪ノ浦教会   大正初期創建、 1989改修





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  内部





 P 焼崎教会

 初めは若松町桐教会に属していたが、1975(S50)年2月9日真手ノ浦教会に神父が配属されてから真手ノ浦小教区に属し今日に至っている。



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 焼崎教会   1960年 築



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 内部





 N 跡次教会

 1879(明治12)年移住して大曽教会に属していたが交通不便な為1907年
青方小学校の古い校舎の一部を払下げを受けて教会を設立した。老巧したため
1984(昭和59)年12月、現在地に新設した。


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 跡次教会





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  内部



 B 大曾教会

 大曾教会は武漢ウイルスの関係で内部はみられないようです。 予約をするか尋ねたほうがよいでしょう。

 明治12年創建、 1916年竣工、鉄川与助が設計施工。



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 大曾教会



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 内部





 M 青方教会

  鍵がかかっており内部は見るなかった。 予約が必要か?  上五島地区のセンタ―的な役割を持つ。



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 青方教会  2000年建立





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 内部





 L 冷水教会

 五島崩れの迫害で戻る人はういなかった。。 現在住む人は迫害後に移住してきた人という。



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 冷水教会   1907年建造,鉄川与助設計施行



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 内部





 A 青砂ケ浦教会



 国の重文になっているのに、世界遺産に取り上げられなかったのは、教会内の駐車場が選定委員に気に入らなかったみたいだという、つまらない理由とか聞いています。 ここは2018年に路線バスで訪ねました。コロナの影響で施錠されて中をみられないそうです。 予約をすればみられるのかもしれません。



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 青砂ケ浦教会



   五嶋みどり  青砂ヶ浦教会コンサ−ト  バッハ  無伴奏ヴァイオリン パルテイータとソナタ 

     https://www.youtube.com/watch?v=UDRoO9DzXNg     40分



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 内部






 S  丸尾教会

 1978年小教区として独立

 
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 丸尾教会  1899年 創建、 1928年 再建





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   内部





 

 R  佐野原教会



 海に面しない山尾の教会である。



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 佐野原教会  1963年築





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  内部





 S 船隠教会



 船隠信者は明治初年、外海より移住したものである。
1927(s2)年神浦郷の住宅を買い受け11月教会堂を設立、当時は
桐(若松町)の巡回教会で主日・祭日のミサを始め、教会に関する
用事はすべて桐教会まで行かなければならなかった。
 1931(S6)年鯛ノ浦の巡回教会となる。



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 船隠教会  1956年新築  1974年改築





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 内部



 C 鯛ノ浦教会



 今回は道路側からのチョイ見で終わった。2018年の巡航の際に有川よりレンタサイクルでここを訪ねている。 ここの神父さんはこの地区の小教区の面倒をみている。



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  旧鯛ノ浦教会  1903年創建、



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 旧鯛ノ浦教会内部





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 (新) 鯛ノ浦教会  1979年 新築



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 内部


 教会巡礼 その1
教会巡礼 その2
 

           2022-12-23

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音楽知らずのバッハ詣で    佐野

     


  友人の佐野が「バッハ詣で」46回を書き終えました。 残り少ない小生にとってライプチッヒの「バッハ音楽祭」に行くのは必須の夢のひとつですが,未だ実現しておりません。 彼は10数回訪れて楽しみ、そしてこのような文章にして成果を残しています。バッハに興味をお持ちの方には参考になれれば幸いです。

   はやめの バッハ全集

         バッハ まとめ

          バッハ音楽祭




第1回:私はだまされていた… 【のらり新連鎖スタート】
更新日2021/10/28



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 ライプツィヒ 聖トーマス教会(参考イメージ) 
 


教会音楽に初めて接したのはどこだったのだろうか、ウィーン、ザルツブルグ、ミュンヘンだったのか記憶にない。なにしろ50年以上も前のこと、半世紀前の昔話に類することなのだ。

シベリア横断鉄道でモスクワに入り、そこからキエフを経てウィーンに辿り着き、ウィーンからはヒッチハイクでオーストリア、ドイツ、オランダを経てスコットランドに向かった。もっぱらユースホステルに泊まり歩いていた。


バックパッカーにとって辛いのは日曜日だ。ユースホステルを朝9時に追い出され、かといって博物館、美術館などは閉まっているし、行くところがないのだ。とりわけ冬には、公園でのんびり過ごすこともできず、閑散とし、冷え切った石の町をうろつくしかないのだ。私がソビエト(ロシア)、ヨーロッパを横切ったのは11月から12月にかけてだった。ただ一箇所だけ、日曜日の午前中に開いているところが教会だという理由で、そこへ足を踏み入れたのだった。

残りの人生を逆算した方がはるかに早い歳になっても、忘れられない衝撃的体験は数えるほどしかないが、その一つがヨーロッパのどこかの教会に足を踏み入れた時のことだった。初冬の薄暗く寒く、天井ばかりがやたらに高い教会内に響き渡っていた音、音楽に、私は突然、全神経を撫でられたような、あるいは優しいけれど、鋭い爪を持った手で全身を掴まれたような感覚に襲われたのだった。

頭がシビレ、全身鳥肌立ったのだった。このような音楽がこの世に存在することを知ったのだ。その音楽が誰の何という曲だったのだろうか、グレゴリオ聖歌のような響きをもったコーラスだったと思う。基本的な音楽の知識のない私には知る術がなかった。

学生の頃からアルバイトで稼いだナケナシのお金をはたいて、安い席でクラシックコンサートにチョイチョイ行っていた。札幌の市民会館、厚生年金ホール、中島スポーツセンター、東京に出てからは、上野の文化会館、捧楽堂、元のNKKホール、横浜の紅葉坂のホールは私のホームグラウンドだった。ロックもフォークも好きで良く聴いたが、いざお金を払ってレコードを買うとかコンサートに行くとなると、貧乏学生だった私はとても両方に手が出ず、クラシックに偏っていた。カール・リヒターがミュンヘン・バッハ管弦楽・合唱団を率いて日本に来たのは一つの事件だった。私もナケナシの懐をはたいて聴きに行った。

だが、オーストリアかドイツの教会に鳴り響いていた音楽は、日本で聴いてきたどの音楽とも次元が違った。日本ではそれなりに感動し、帰りの電車の中で頭がボーッとしたり、コンサートで聴いたばかりの曲、演奏が頭の中で渦巻くことはあった。が、彼の地の教会で耳にした音楽は全く違うものだった。耳で聞く音ではなく、全神経に訴え、全身に染み入る音楽だった。普通の感動をはるかに通り超えた、魂を揺さぶるような音楽、音の響きだったのだ。 

私が日本で聴いてきた音楽に、私は騙されていた…と思わない訳にいかなかった。 

そこからの私の旅は、駅や街中のインフォーメーションセンターでコンサート、教会のミサの有無、場所、時間を尋ね、渡り歩くのが目的になったのだった。冬場がコンサートのシーズンであったことも幸いだった。

あれは、シュトゥットガルト(Stuttgart)だったのかデュッセルドルフ(Düsseldorf)だったのか、バッハのクリスマス・オラトリオの連続演奏会に出会ったのだった。オピウム(阿片)のように私の体を侵し始めていた教会音楽にまたまた全身がシビレたのだった。 

当たり前のことだが、教会で、信者たちは祭壇に向かって、顔を向けて座り、目、視野はゴテゴテと飾りつけた祭壇、キリストの生涯をドギツイ色を塗ったくった塑像、あるいはすっきりとした十字架だけの教会もあるが、あくまでキリストだけに集中するように造られている。音楽はといえば、祭壇とは対面の2階に設けられたオーケストラ、合唱隊の席で演奏されるのが一般的だ。だから、ミサに参列した信者たちは演奏者の姿を見ることができない。

目は祭壇に向いたまま、頭の上、後ろから鳴り響いてくる音を聴き、感じるのだ。オーケストラ、合唱隊が奏でる音楽は、高い天井に昇り、反響し深い陰影を作って会衆の耳に届く仕掛けだ。心はあくまで神のみに向け、音楽は天上から鳴り響き、心神を深める副次的な役割を果たすだけなのだ。

クリスマス・オラトリオの初日演奏会のことだった。演奏が終わり、その残響が消える前に会衆が立ち上がり顔を2階のオーケストラ、合唱隊の方に向け拍手をし始めたのだ。私も立ち上がり、演奏者の方を向いた。その時、指揮者がそんなことは止めろとばかり、指揮棒をサッと横に振り、そして両手の平を下に向け、会衆をいかにも抑える仕草をしたのだった。

潮を引くようにスーッと拍手は止んだ。ここはコンサートホールではない、静かな余韻を胸に抱いて家路に着けとでも指揮者は言いたかったのだろうか…。



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 クリスマス・オラトリオ(参考イメージ)

音楽はあくまで音の芸術だったはずだ。だが、テレビが茶の間に入り込み、クラシックの演奏家、指揮者を大写しにして、仕草、表情を捉えて映し出す視覚の時代になってしまったのだ。カラヤンやオザワが髪を振り乱し口元を引き締め、いかにも音楽に浸っているように棒を振る姿の方が、実際に彼らが作り出す音楽より聴衆に訴える力が大きくなってしまったのだ。 

ショー化した音楽、視覚と聴覚がミックスした音楽はそれなりに楽しいものだ。多少思いきって打ち明ければ、マイケル・ジャクソンがスペイン、マルベージャのサッカースタジアムでコンサートを開いた時、私は大枚はたいて聴きに行った。そして大いに楽しんだのだ。その一方で、マドリッド郊外にあるカサ・デ・カンポの野外音楽堂で開かれたヘンデルの『王宮の花火の音楽』、イタリア人の演出家が実際の花火を演奏に合わせて打ち上げるという演出、派手派手しいコンサートも楽しんだ。それはもちろん私が言うまでもないことだが、それはそれであって良いと思う。

だが、教会音楽においては、演奏家の視覚的要素はできるだけ排除し、純粋に耳だけで聴き、全身で感じるのが本筋だと思う。 

もし、日本でクラシック演奏家の姿が全く見えない状態にして、たとえばコンサートホールのステージに薄いカーテンを張り、音だけの世界の演奏会にするなら、どれだけの人が聴きに来るだろうか。 

私たちは視覚、ビジュアルな時代に、すべて“ショー化”しなければならない時代に生きているのだろうか…。



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 聖トーマス教会のクリスマス・オラトリオ


   第1回―第46回・最終回  バックナンバー


-…    つづく



      2022-12-23






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2022年12月22日

膳所城・ぜぜじょう   小値賀島

   



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  膳所城 縄張り図  



 道路わきにある石碑を見て、奥にあぜ道のようなところを100mほど行くと新田神社がある。ここが城跡・館跡になる。 神社の奥を探ってみると、それらしい雰囲気はある。 堀跡があるのか充分な調べはできなかった。 自宅に戻ってから上図のような縄張り図を見つけた。 これを知っていればと残念に思う。


 現在の地形から城跡があった雰囲気は感じられませんが、ここは南北に狭い瀬戸があり入り江を望む海域にあった。14世紀前半に松浦一族によって築かれたとされる。


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 膳所城跡 石碑、  松浦(源)定頌徳碑でもある




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 新田神社



   2022-12-22

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2022年12月21日

サンライズ瀬戸

 

  坂出でヨットを購入して、小生は自宅よりそこのハ−バ−へ行くのに、飛行機で高松空港へ行っていた。飛行場から坂出まではリムジンバスで1時間を要する。 自宅から成田・羽田へ2時間、待ち時間2時間、飛行時間1.5時間を加えると全てを加えると6−7時間になる。 新幹線で岡山まで5時間乗り換えてマリンライナーで1時間であるので、ほとんどJRと飛行機は変わらないことになる。

 LCC運賃の安さに目を奪われて、このことに気が付きませんでした。 坂出・広島・児島とヨットの母港を変えてきました。 児島に来てからは、もっぱら新幹線の利用である。 今度初めてサンライズ瀬戸の夜行寝台で児島まで乗ってみました。 2200に出て0600に到着です。 昔乗った3段ベッドの寝台とは違い個室の部屋である。 3割引きの老人割引きであったので18000円程度であった。新幹線だと13000円程度になる。 乗ってみた感想は、もう少し熟睡できたら良いのだけれど、です。 朝早くに着く予定が無ければ、今までのように午後2−3時に着ける新幹線の利用になると思います。 出雲行きを連結しているのでそこへ行くなら、面白いかも知れません。

  

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  東京発
 





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  児島着  乗務員はJR四国と交替



 

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 Bシングルソロ



   2022-12-21



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2022年12月20日

生口島一周、中江ノ島、 春日集落

  

 

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   平戸から生口島




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 生月島 観光図





 平戸へ来るのは3回目になります。 前回は路線バスで生口島に行っています。  念願のオラショを見て来ました。 今度は観光案内所の企画の生口島観光ツアーに参加しました。土日祭のみの決行で1人でも行われます。 当日はマイクロバスにガイドさん独り占めで2000円でした。採算割れでしょうが、何でもガイドさんに質問もでき最高のツアーとなりました。

  平戸から生口大橋を渡り、沖にある中江ノ島を望む。東岸を行くと、文政年間には日本一の捕鯨量を誇っていた捕鯨納屋跡がある。 北端の大バエ灯台で対馬が見えるというが、あいにく望めなかった。 西岸を南下して塩俵の断崖を見る。 玄武岩で出来た柱状の岩である。 西岸は人家がほとんどなく季節風の関係であろうか。  また、大橋を抜け春日集落へ向かう。 世界遺産の集落であるが、今でも現役の段々畑が見られる。



 

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 中江の島  世界遺産




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  大バエ灯台






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 塩俵断崖  御崎柱状節理 






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  春日集落と安満岳  世界遺産



     2022-12-20


 
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2022年12月19日

五島 教会巡礼 その2   南上五島

 

 奈良尾にヨットを係留して近くのカトリック教会をタクシ−にて訪れた。 1500からの暮れまでの3時間で8か所あまりの教会を訪ねた。



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  奈良尾より南上五島の教会めぐり





 ㉙ 高井旅教会

 

  ヨットでの訪問は海水浴場の東側に突堤があり、そこへ係留するか、福見教会の下にある船溜まりの利用を考える。



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 高井旅教会   1961年建立



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 内部





 ㉙ 福見教会



 この地区は全員が信者である。 

小さい船溜まりがあり、短時間にはヨットが係留できると思われる。



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  福見教会  1882年・治15年創建、1913年再建



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 内部







 ㉗  浜串教会



  巻き網漁業の活発な地区であり漁港がある。 ヨットの係留にはそこが利用できる。 近くに航海と漁業の安全を祈る聖母像が海を臨んで立つ

 



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 浜串教会  1899年創建、 1966年建立





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 内部



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  希望の聖母像





 Q 真手ノ浦教会



 教会下に道土井湾の船溜まりがありヨットは停泊できると思われる。





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 真手ノ浦教会   1910年創建   2010年改築



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 内部



  



 ㉒ 若松大浦教会



  笛吹浦に船溜まりがありヨット停泊ができそうである。 ここのマリア像は信者によって彫られたもので、ふっくらとしたマリア様で有名である。



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  若松大浦教会





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  マリア像



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  若松大浦教会 内部





 ㉖  桐教会

 

 教会の真下に入り江が有り、ヨットで行くことは可能である。 短時間のポンツ−ン利用は可能か?



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  桐教会  1958年建立



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 桐教会内部





 ㉕  土井ノ浦教会



 若松島の土井の浦港がありヨットで停泊ができる、



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  土井ノ浦教会    1892年創建、 1918年旧大曾教会移築、  1998年改築





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 土井ノ浦教会 内部   





           2022-12-19



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2022年12月17日

福江城 ・石田城

      

   福江城は幕末の1863年に和式の城郭としては最後の築城である。 ちなみに洋式の築城の五稜郭は1866年完工となる。 四方が海に囲まれている海城で、異国船の来訪に備えるための城であった。

 本丸(長崎県立五島高等学校)北の丸(五島観光歴史資料館や五島市福江文化会館)二の丸(は五島氏庭園)からなる。

 本丸の高校は現役バリバリで、下校時には学生さんが絶えなく蹴出門から放出される。 観光客を見つけたら気持ちよく挨拶をしてくれた。 見たところ手狭のようなので郊外の広いところへ移転されたらどうでしょう。 学校があるゆえに本丸への立ち入りはできない。

 御隠殿門をくぐると五島氏庭園がある。 案内の方が熱心に説明をしてくれた。



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 縄張り図






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  蹴出門・けだしもん




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  2の丸南西面



 

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  本丸めがね橋




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  御隠殿門  五島氏庭園がある





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  舟入





  

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 常夜灯・1846年設   



   2022-12-17



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2022年12月14日

ヨット天測   KH法  補足


   天測歴の廃止

 海上保安庁が「天測暦」と「天測略暦」の刊行物を廃刊すると発表した。GPS等の衛星航法の普及により、国際条約等での船舶への備置の必要が無くなったことが理由であるという。

 現在刊行中の令和4年版(2022年)が最後の刊行物になるという。
同時に「天測計算表」及び「天測位置決定用図」に関しても今年末をもって廃刊するとしている(海上保安庁、編暦業務の歴史[PDF])。

 海上保安庁は、航海の目的で天測計算を行う必要がある場合、英国等が刊行している天測暦(The Nautical Almanac)を活用するよう求めている。なお過去記事によれば、米国でもGPSの普及により、米海軍兵学校での天測航法の授業を停止していたことがある。しかし、GPSが使用できない場合の代替手段がないことから2015年に復活させているそうだ。


   ヨット天測 KH法

  http://hayame.net/custom11.html#spb-bookmark-15

       2022-12-14

    追補 ヨットマンのための天測航法 KH法



ヨット天測



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  六分儀



 天測歴が廃止された。何を海上保安庁がや所管官庁が考えているのかと疑いたくなります。 いったん事あればGPSは停止したり大幅な狂いが生じるのは自明のことである。 ウクライナ戦争において盛んに電磁攻撃が双方によりされています。 中国の台湾進攻が近いと云われているのに。

 書籍版の発行は売れないであろうことから、それは無理でしょう。 インターネットで天測歴を利用できるようにすることぐらいは大いに可能であり、しなければならない責務である。 再考を願うばかりである。



  民間の有志がアマゾンで2023年版を発行しています。 継続していただけることを願うばかりである。

   「ぬくもりがらす」による   歴計算研究会  2023年版  4400円  アマゾン


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 英国版の天測歴は販売されており、日本水路図誌販売の神戸で10,900円です。  078-331-4888 、関東には売っていないのに注意



 Soft222さんによる天測暦・天測及び地文航法エクセルのページでは残念なことにダウンロードできないようです。

           

           2023-9-12

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2022年12月13日

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連 12の世界遺産

  


 2018年春より2022年秋、さらに2023年春にかけて下記地図の潜伏キリシタン世界遺産の12か所をヨットで訪問する。 その場所へヨットで停泊して行くことを望みましたが、徒歩、自転車、路線バス、観光バス、タクシ−。友人の自動車などで行くことができました。 なるべく次の方がヨットで行けるような参考情報も書いてあるつもりです。 ご参考になれば幸いです。

  世界遺産のヨット泊地 五島

   

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 @  原城跡   2023年春 予定


 

 A  春日集落と安満岳 (やすまんだけ)



  豊かな水源に恵まれ枯れることはない。 現役の棚田が広がる。

  

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  安満岳、春日集落・棚田   神、仏、キリシタンの三位が存在する安満岳は平戸島の聖地。





 B  中江ノ島



 聖水をこの島で採取する祭礼がある。 上陸はできない、眺めるだけである。

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 中江ノ島



 C  天草の崎津集落  崎津教会   2023年春 予定


 

 D  外海の出津集落  出津教会

 

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  出津教会  内部には活気が感じられ信者の多い現役の教会と感じられた。



E  外海の大野集落  大野教会堂

 

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  大野教会堂、  外から眺めるだけである。





 F  黒島の集落  黒島天主堂



 集落を見るには観光案内所でr自転車をレンタルするとよい。 ここのじゃがいもはおいしいという。



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  黒島天主堂





 G  野崎島の集落跡  旧野首教会

 無人島である。東側の野崎港へは小値賀島から連絡船がある。 近くには集落跡がみられる。 少し山道を登っていくと旧野首教会に着く。西側の野首港が近いが、ここは凪の時のみの利用となる。



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  旧野首教会





 H  頭ヶ島の集落  頭ヶ島天主堂

 入城制限をしている。 ヨットの訪問は可能である。 アンカ−を打ち槍付けになりそう。



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  頭ケ島天主堂





 I  久賀島の集落  旧五輪教会

 陸上から行くことは難しいという。

 


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  旧五輪教会



 J  奈留島の江上集落  江上天主堂

 樹に埋もれているように見えるので海からは近寄らなければ見えにくい。 予約をしておかないと、内部は見られないかもしれない。

 

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  江上天主堂



K  大浦天主堂

 

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  大浦天主堂






    2022-12-13




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2022年12月11日

横瀬浦   南蛮船渡来地





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 横瀬浦



 五島の奈良尾より横瀬浦にヨットで寄港する。
 ここで潮待をし、西海橋を抜け大村に向かった。

 平戸で貿易をしていたポルトガル人が平戸で暴動が発生したのでそこでの貿易を拒絶した。大村純忠と交渉して、ここ横瀬浦での対日貿易を再開することになった。

 銅像が建っているルイス・フロイスはここに上陸して布教活動をした。 大村純忠はこの地で入信しキリシタン大名になる。 その後、横瀬浦は大村の家争いで後藤貴明により、ここは焼き討ちにあう。 ここより長崎に貿易港は移ることになった。



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 南蛮船渡来地 石碑

  



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  ルイス・フロイス像  「日本史」を著作






   横瀬浦   ヨット泊地



 佐世保と連絡船が行き来しており、横波を立てるので動揺が大きい。 フェンダ−を十分に用意すること。

 岸壁に階段が2か所ほどあり、そこへ停泊をした。




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  赤丸は停泊地、 青丸は候補地



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  階段付近に係留、      奥には連絡船桟橋がある  





        2022-12-11

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2022年12月10日

防衛増税




  ここに小生は「予算倍増計画」を2年前に掲載している。 ウク露戦争以来に国防予算倍増計画がマナ板の上にのぼり、その予算が実現しそうな現状である。 その内容は一部しか報道されていないけれども。 対艦ミサイルの射程の延進化とかトマホ−クの購入など良いものも見られるが、予算だけ大きく見せようと画策する、港湾施設の費用、海上保安庁の予算の組み込みなども報じられている。 ECの防衛予算の内容に順ずるような透明性のあるものと比較してその内容を精査する必要があるだろう。 名目予算の増大が目的ではない。

 10月にヨットで五島への秋巡航に出かけた。11月末に自宅に帰って、買い物をしたら、何もかもが値上がりしていて驚いた。ここ30年以来の物価の値上がりだ。 その中は便乗値上げもあるでしょう。

 ここで、来年の春までに給与を上げることで、今までのデフレ不況から抜けだせるチャンスの到来である、今は。 この30年の日本沈没の原因の一部は大蔵省・財務省にあるとも言えます。10%の消費税の値上げの分だけ確実に所得を減らして消費を減退させた。ここ30年で欧米は2−3倍の給与を増大させた。そのうち日本は現状維持どころか、給与は10%も減少したという。 ワンコインランチを食しているうちに欧米ではラ−メンが2−3千円もするといいます。 こういう現況を認識して打開する手だてを未だ見出せないのが我々です。

 下記のような最近の報道では毎年1兆円の増税が画策されています。 大蔵省・財務省のポチともいわれる首相が官僚の言うままに、足慣らしの発言をしています。 また、このチャンスを生かせずに再び過ちを繰り返すのでしょうか。



  防衛財源、27年度以降は増税で年1兆円強 岸田首相表明 日経新聞

 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA087RT0Y2A201C2000000/?n_cid=BMSR2P001_202212081815


  自民党会合で“怒号”飛び交う 岸田総理が表明「防衛費で増税」めぐり批判噴出

 https://news.yahoo.co.jp/articles/3a165ab7210b8d0da716d59c48c16d958a71247d


  【ぼくらの国会・第442回】ニュースの尻尾「防衛増税 反対で一致」 青山繫晴

  https://www.youtube.com/watch?v=FAF9l_Ly6iQ&t=708s  21分



      2022-12-10


 
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2022年12月06日

世界遺産 黒島天主堂,   ヨット泊地

   

 

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  平戸―黒島



  平戸を出て、いよいよ五島列島の世界遺産の教会を訪ねる航海にでた。 黒島は佐世保市の行政区に属する。 佐世保市相浦―高島ー黒島に連絡船フェリ−が航行している。



 世界遺産は天主堂だけではなく集落も認定されている。 案内所にレンタサイクルがあるので、それで廻るとよい。 今回は徒歩20分ほどで天主堂に着いた。 信者が集まるのに便利なように島の中央部に建てられたという。この天主堂は1879年に建設され、1902年に建て替えられたものです。


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 黒島天主堂

 この黒島は17世紀から平戸藩の牧場があった。19世紀初頭にそれが廃止される。その跡地の開発に外海地方から移住して7つの集落ができた。そのうちの6つが潜伏キリスタンの集落であった。



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  教会内部



  集落は世界遺産の構成要素として認定されている。 しかし、他もそうだが、潜伏していた信徒は目立たない辺鄙なところに住んでいたので、これと言った場所をみつけるのは難しい。 ここは徒歩で行けるところに限って今回は見ることになった。



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  本村集落

 本村(ほんむら)集落は移住前の最初に出来た集落である。ここの庄屋屋敷において潜伏キリシタンの取り締まりが行われたという。

 1865年の信徒発見の後、黒島から600人の信徒がいると分かった。





   黒島 ヨット泊地



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 赤丸は実際の係留地、  青丸は候補



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 赤丸 写真    階段付近



  入港して左側にフェリ−になる前の旧連絡船の係留場所がある、階段もあるようなので予備の係留地になれると思われる。 今回係留した前の青丸の候補地は空いているように思えるが、尋ねる必要がありそう。



      2022-12-6

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2022年12月05日

渡辺昇を訪ねて

    


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 渡辺昇 1838-1913


  来年(2023年)の春まで、大村港にヨットを越冬することになった。 その係留準備作業を終えて、自宅にかえるまでの数日に大村城周辺を友人から自転車を借りて散策した。 大村城や五小路武家屋敷通りを見学。

 鞍馬天狗として描かれたのではないかと云われた渡辺昇について興味を持ち、地元に何かないかと尋ね歩いた。彼については下記のように取り上げている。



   渡辺昇と大村藩

   http://hayame.net/custom21.html#spb-bookmark-567



 渡辺昇について観光案内所では何も知らないようである。 図書館と歴史資料館の人に尋ねても詳しくはないようだ。 旧楠木正隆屋敷の前の案内板に渡辺昇と兄・清 兄弟の屋敷跡の図があった。 そこらあたり訪ねる。 しかし、地元の人に尋ねた、80歳になるおばあちゃんにも聞いたが、確かな記憶は無いようだ。 役所の作った案内板も存在せず。 明治になって昇・子爵と清・男爵になった兄弟であるが、維新の成就とともに東京に行って栄達し、地元への貢献が少なかったのであろう、地元では忘れられてしまったようだ。

 個人的には彼は剣豪で、幕末には多くの人を切った。栄達して、それを思い出し、眠れない夜を過ごしたと云うので、むべなるかなとも思われるが。



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 楠木正隆邸と渡辺昇邸  案内図



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  上図にある渡辺昇・清邸跡と思われる交差点





 渡辺清の娘・石井筆子 (1861-1944)は女子教育や知的障碍者の施設の維持・発展に尽くし、ここ大村に銅像が立つ。オランダ、仏で2年間学び英語・仏語・蘭語が話せ鹿鳴館の華とも云われたという。


 

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  石井筆子 銅像、  父や叔父さんのものは地元にはない



    2022-12-5



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2022年12月03日

宗像大社





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 3度目の宗像大島です。 今度はフェリ−にて神湊へ行き、 バスでJR東郷駅近くのス−パ−にて買い物をし、タクシーで宗像大社を訪ねた。


 宗像大社はさすがに大きな神社で参詣客も多い。 帰りはフェリ−の待ち時間が長く、近くを散策する。 リゾ−ト風のホテルが見られおしゃれな雰囲気があった。 海の見える景色はこのような建物が似合います。 結婚式にどうでしょうか?
 

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 宗像大社

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 エ−ゲ海にあるような リゾ−トホテル

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 左の島は宗像大島



 ここの本宮は沖ノ島にあり、立ち入り禁止のようでヨットで凪のときに行ってみたいきがしていますが、どうでしょうか? 信仰の深くない人間が云ってもバチ当たりなだけかもしれません。 宗像大島には沖ノ島を望む遙拝所や中津宮があります。




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 大島に帰るとボランテイアガイドの方がヨットに訪ねてくれて、龍馬が立ち寄った旅館跡を教えてもらう。 夕暮れだったがすぐそこを訪ねた。 その場所には案内板も無くパンフレットも無いので、教えられなければ気が付かないだろう。 考えてみればここ大島は長崎と下関の良い中継地であり、何度も龍馬は訪れたものと思われる。


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  龍馬が泊まった旅館跡



  2022-12-2



    宗像大島
   http://hayame.net/custom11.html#spb-bookmark-507






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2022年12月02日

大村城・玖島城   久原城、三城城


   大村城・玖島城


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 2の丸にある再現された板敷櫓



  大村城は玖島城(くしま)とも言う。 明治まで存続した大村氏・2万7千石の居城である。 大村神社のある本丸と2の丸、3の丸で構成されている。三方を海に囲まれた海城であり、お船倉跡などが残る。 3万石の城なので大きな城ではないが、石垣や桝形で構成された虎口などがよく見られる。

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  船倉



  本丸には西に虎口門、南に台所門、北に搦手門の3つの虎口を持つが、天守は建造されなかった。



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  本丸虎口門



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  本丸 台所門



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  本丸 搦手門

 

  大村氏は時代と供に久原城、三城城から大村城へと移転してきた。 どちらも訪ねたが面だった痕跡を見つけられなかった。



    久原城



  案内板はあるが内部は民家なので入ることはできなかった。



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 久原城跡





    三城城



 大村純忠が1564年に築城、この喜前が玖島城に移る1599年までの居城。 現在は長崎県忠霊塔がある。 石垣の無い土塁の城ゆえか城跡らしさが感じられなかった。 案内説明板は見つけられなかった。



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 三城城跡



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 本丸とおもわれるところにある長崎県忠霊塔


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        2022-12-2


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2022年12月01日

的山大島 神浦(こうのうら)街並み保存地区

        


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  平戸より大島行きのフェリ−に乗り神浦(こうのうら)に行く。 ここは離島にも拘わらずに古い町並み保存地区になっている。 フェリ−乗場の的山港は新しくできたものらしく、そこに役場はなく、神浦にそれは在る。

 フェリ−を降りるとすぐコミュニテイバス(100円)が待っている。これで往復の交通手段が確保されている。山間の急カ−ブの道を20分ほど走ると保存地区へ着く、 次の時間までの間に見学して、次のフェリ−で平戸に帰ることが出来る。

 今まで好きで訪ねた街並み保存地区は江戸時代にあった特産品の生産地であったり、交通の要になる場所が多かった。 この離島に保存地区があるのは江戸時代に栄えた捕鯨によるものであった。 当時の捕鯨の力は、後で見ることになった福江城は捕鯨による多額の寄付があってできた築城であり、生口島にも捕鯨の大きな組織が存在したことによりその力の大きさを知る。 江戸時代の捕鯨は大きな富を生み、各地に遺産を残したものであったようだ。



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  神浦伝統的建造物群保存地区案内板




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 街並み その1




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 街並み その2



     2022-12-01


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