2023年07月03日

福田城




hukuda 10.jpg
  福田城と丸木館


 天正3・1575 福田大和守が築いたとされる。 ここは1565-70まで南蛮貿易の港として開かれた港であるから、ポルトガル人が長崎に移ってから築城されたのか。 福田氏は大村氏の重臣である。 麓にある丸木館を居館としていた。


hukudazyo 10.jpg
  丸木館跡

 ここ福田は長崎市の一部です。観光案内所も無く、市の案内表示も充実していない。長崎に移る5年もの間に南蛮貿易の港であったのであるから、もう少し市は力をいれてもよいのではないかと思う。



hukudazyo 20.jpg
  小中学生が作ったと思われる案内板


 この案内板で丸木館跡を地元の人に尋ねた。



hukudazyo 30.jpg
  福田城  福田港北 71m



hukudazyo 40.jpg
  登り口  山頂には祐徳稲荷神社




hukudazyo 50.jpg
  案内板



hukudazyo 60.jpg
  このすぐ上が主郭





      2023-7-3



posted by 速魚 at 07:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年07月02日

薩摩藩 英国留学生記念館  いちき串木野市




ryugaku 10.jpg
 記念館


 串木野駅からバスで薩摩藩英国留学生記念館へ行く。 あいにく雨で風の強い日和であった。 開館の30分前であったが、気持ちよく入場させてくれた。 帰りには、上写真の赤い送迎バスでヨット停泊地まで親切に送ってもらう。

 薩摩人のスゴイところは攘夷の気分が昂揚している時でも、薩英戦争で負けたのではなく実際は引き分けなのだが、自ら方針を固執することなく変更して、敵国英国へ留学生を派遣して学ぼうとするところである。 同じように長州も馬関戦争後に留学生を出すことになる。 薩長とも維新を成し遂げたわけだ。

 串木野で再度世界一周を準備しているNさんにお会いしたが、ここの地だからこその出来事だと云えよう。


 

ryugaku 20.jpg
 薩摩英国留学生


 

ryugaku 40.jpg
 テラスに作られている船のコックピット

 その日は時化の船上を想起させるような光景であった。



  詳しくは下記をご覧ください。


  薩摩藩 第1次英国留学生

  薩摩藩 第2次米国留学生

  長州ファイブ・5傑




               2023-7-2


posted by 速魚 at 05:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年07月01日

知覧と万世の特攻平和祈念館

   

 ヨットで枕崎に停泊した。天候待ちの数日の間に、バスにて加世田と知覧にある特攻平和祈念館を訪れた。 漢字変換で祈念を記念と間違えそうになる。犯してはならないものでしょう。



  万世特攻平和祈念館(ばんせい)

tokkou 01-10.jpg
  玄関

 加世田のバス停留場を降り、近くの観光案内所でレンタサイクルを借りて、吹上浜に向かう。 今日は慰霊祭がおこなわれていたようだ。ご遺族と思われるような人を見かけた。 

 館内にはゼロ式水上偵察機が展示されている。近くの吹上浜で墜落していたものを引き上げたものです。実物の水上機を見たのは初めてで、意外と大きかったのには驚きました。



tokkou 01-20.jpg
 ゼロ式水上偵察機



 ここは終戦間際の4か月間に陸軍飛行場として使用され、201人の隊員の方が特攻されてお亡くなりになりました。 館内では隊員の方のご遺影と貴重な遺品をみることができる。



  知覧特攻平和会館

 知覧へは鹿児島中央、枕崎、指宿からのバス便がある。知覧の特攻平和会館のバス停で降りるとすぐです。万世より良く知られているようで、学生の団体など入館者は多く見られた。

 陸軍の特攻出撃者1036人のうち439人がここ知覧から出撃した。 隊員の遺品や遺書など多くのものを見ることができる。


tokkou 02-10.jpeg
 遺品などの展示物


 ここの英霊たちの散華の後に我々が生存しているのである。 決して彼らのことを忘れることなかれ。 



  下記は 老生の特攻に関連するものです


  映画 永遠のゼロ

  上原良司氏の特攻

  妻との特攻 谷藤徹夫・朝子

  陸軍桶川飛行学校 練習機での特攻


        2023-7-1


posted by 速魚 at 03:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記