2023年08月30日

金価格 1万円突破



  田中金属工業の金価格が8月29日の店頭小売価格が10,001円、翌日8月30日には続騰で10,050円です。 とうとう1万円を超えてしまいました。

  田中金属工業HP   https://gold.tanaka.co.jp/commodity/souba/d-gold.php

小生の住んでいる10万人にも満たない田舎の小都市でもテレビコマーシャルをしている買い取り業者の店が進出しています。 テレビ番組でも大金で買い取られる商品のニュース番組が報道されている。 それは、かって見たバブルの時の不動産報道を思い起こさせます。 中国のバブル崩壊やウクライナ戦争の動静の変化が影響しているのでしょうか。


 日本の財政破綻のウソ報道は財務真理教のせいであると,明らかにされつつあります。そのせいでのハイパーインフレが起こるかの懸念は解消されつつある・認識が広がりつつあると自認しています。


 もう余生がさらに限られてきた後期高齢所帯ですが、その財務省に踊らされて、小生はハイパーインフレに備えて1−2年は耐えられるように少額の現金外貨と少量の金の現物を用意しました。 そのことは杞憂に終わったと今では思っております。


 しかし、外的要因での変動の影響はありそうですね。 中国の負債は日本のバブルの時の数十倍(1800兆円の一部報道)ではないかと云われています。 独裁国ゆえに本当のところは破綻してみなければ分からないでしょう。 現状の金価格の高騰はそのせいでないこと、田舎老人は祈るばかりであります。
 小生の住んでいる10万人にも満たない田舎の小都市でもテレビコマーシャルをしている買い取り業者の店が進出しています。 テレビ番組でも大金で買い取られる商品のニュース番組が報道されています。 それは、かって見たバブルの時の不動産報道を思い起こさせます。 中国のバブル崩壊やウクライナ戦争の動静の変化が影響しているのでしょう。


 日本の財政破綻のウソ報道は財務真理教のせいであると,明らかにされつつあります。そのせいでのハイパーインフレの懸念は解消されつつある・認識が広がりつつあると自認しています。


 もう余生が限られて見えてきた後期高齢所帯ですが、その財務省に踊らされて、ハイパーインフレに備えて1−2年は耐えられるように少額の現金外貨と少量の金の現物を用意しました。 そのことは杞憂に終わったと今では思っております。




     2023-8-30

 

    金の小分け
  http://hayame.sblo.jp/article/115251866.html?1693407609





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熊本城再訪

    

  2018年に長崎にヨットで寄港した際に熊本地震で被害の生々しい時に長崎から出向いて見に行きました。 今度は宇土マリーナよりもう1度見に行ってきました。 前回よりは同じ熊本県であったので遠くは感じなかった。

 天守は再建されていて中を見ることが出来た。 木造を想像していたけれど内部は近代的な再建造りであった。 下に前回と現との比較写真を載せた。




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 現 天守


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  旧 天守  修理中




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  現 北十八間櫓


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 旧 北十八間櫓




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  現 飯田丸 3階櫓


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  旧 飯田丸 3階櫓


  再建復興修理には2052年の長きにわたるという。




      熊本城  震災復旧工事中  2018-7-3


    2023-8-30

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2023年08月29日

伊集院散歩


         伊集院散歩  徳重神社、妙円寺、小松帯刀墓所、有馬新七墓



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  伊集院近郊図

  JR伊集院駅からは一宇治城、妙円寺、徳重神社、有馬新七墓などが徒歩で見に行くことができる。 枕崎へ行くには鹿児島中央からJRを使っていくのにも本数が極めて少なく便利ではない。 ここ伊集院から枕崎行きのバス便があり時間的にも早いのではないかと思う。 ここから伊作城と小松帯刀墓所にはバスで行ってきた。

 駅前には島津義弘公騎馬像と観光案内所がある。



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  島津義弘公騎馬像



    徳重神社、 妙円寺

  JR伊集院駅北口からすぐです。島津義弘公の菩提寺であった妙円寺が明治2年の廃仏毀釈で廃寺になり、義弘公を祭神とする徳重神社となりました。ここは、現在も続く鹿児島の代表的な伝統行事「妙円寺詣り」の舞台となっている神社です。関ヶ原の合戦に出陣した島津義弘公が西軍の敗北により、徳川本陣の真っ只中を敵中突破した退却戦を偲んでこの詣りが行われています。大河ドラマでも何度か描かれていると思います。



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  徳重神社




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   現在の妙円寺

  由緒ある妙円寺は鹿児島で行われたすさまじいという程の廃仏毀釈が行われた結果とり壊わされた。 ちなみに鹿児島県では寺跡の案内がやたら多い、他県には見られないほど。 近くに妙円寺中央公園などの大きな敷地があるので、大きな寺院であったと思われる。 現在のものはこじんまりとした昭和の寺院風である。



    小松帯刀墓所



 小松家の菩提寺でもある園林寺跡には、小松家歴代の墓があり、そのなかに29代帯刀も眠っている。墓地へと続く道の入口には、廃仏毀釈の被害にあった仁王像もある。

 帯刀は明治の初めに亡くなったので、忘れられかけましたが、薩長同盟や大政奉還などに貢献しました。



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  小松帯刀墓



 

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 明治2年 廃仏毀釈により壊された仁王像





     有馬新七墓

 

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 写真中央は有馬家代々の墓、 右端にあるのが新七のお墓



 ここ伊集院の郷士の子として生まれる。見られなかったが城近くに誕生の地の石碑があるという。 父が有馬家の養子になり城下士として加治屋町に住む。 尊王攘夷活動を続け寺田屋事件で島津久光の命により粛清される。その後許されて息子は海軍技術習得のため米国留学した。

 

  2023-8-29


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高屋神社  内之浦

 


  内之浦から肝付城へ行くつもりであったがバス便の都合が悪く、タクシーが5000円余もかかるというので諦めた。 それで近場を散策することにした。 由緒ある高屋神社と幕末の砲台跡を見てきました。




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  内之浦地図


 熊襲征伐に来た景行天皇は天子山に行宮を築いて6年滞在したとされる。




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  高屋神社

  高屋神社は景行天皇が国見山上陵(国見山)からヒコホホデミノミコト(彦火火出見尊)を勧請し、高屋神社を創建した。


 

  内之浦砲台は、海岸近くの砂浜に設置されていました。『薩藩海軍史』には、12ポンドカノン1門、 20ドイム臼砲1門、700目野戦砲1門、500目野戦砲門の計4門の大砲が配備されていたと記されています。



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  砲台跡 案内板




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  内之浦砲台跡からの展望



      2023-8-28

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2023年08月27日

調所広郷邸

 



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  鹿児島城と調所広郷邸跡



 幕末の斉昭公の活躍や維新の志士のそれも調所の財政改革なしでは成立しなかったであろう。それほどの歴史的功労者である。しかし、江戸に出仕した調所広郷は幕府に密貿易の件を糾問される。嘉永元年(1848年)12月18日、薩摩藩上屋敷芝藩邸にて急死。密貿易の責任を取り自殺と言われている。



    調所広郷と村田清風

     http://hayame.net/custom32.html#spb-bookmark-423




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  マンションの一角にひっそりと立つ石碑と案内板


 すぐ近くの公園に平田靱負の銅像があり、彼の方が顕彰されているようだ。 大河ドラマの「西郷どん」に搭乗した平田何某の先祖はこの人になるのであろうか? 上級家臣の設定であったので。



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 平田靱負(ひらたゆきえ)1704-1755、 533石の家老、  

 高校の時に木曽三川の治水工事の現場をバスで見学した覚えがある。地元の人々には彼のした宝暦の治水事業には今に至るまで、大変な感謝をされているようだ。


    2023-8-26



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機関給水トラブル

 



 

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  ヤンマー2GM  冷却水ポンプ



  佐賀関を出て上関をめざした。 港の出口の防波堤を抜けてすぐ、エンジンの警報音が鳴りだした。 排水口から海水が出ていない。 何らかの吸水トラブルだ。 次の2つが考えられた

 1. 船底の吸水口がゴミなどで詰まっている。

 2. インペラーの破断

 付き添いクルーで同乗していただいた梅木さんが、潜水して吸水口を探すが見つけられない。 退院したばかりの小生も続いてトライしたが見つけられなかった。 

 インペラーの点検のためポンプを取り外す。 キングストンバルブ(船底についているバルブ)側から冷却水ポンプに繋がっているビニールパイプを咥えて息を噴き出してみる。 別に詰まるわけではなさそうだ、外に出てサイドから吸入口あたりを覗いてみると、ブクブク泡が出ているのが見えた。 このことはポンプまでの詰まりではないようだ。 ポンプを分解してみるとインペラーには欠けるところもなく大丈夫。 ポンプからエンジン側に水が行く排水口を見てみると、ここにゴミが詰まっていてエンジンへ冷却のための行く海水を止めていた。これが原因であった。 ゴミを取り除いてポンプを組み立て取り付けた。 エンジン始動。 排水口から冷却水が出ている。 警報音もならずにOKであった。

 例え、潜って吸水口を見つけてもそこから何かを突っ込んで取り除くことは難しそう。 今回気が付いたのであるが、ポンプのパイプを外して船外へ吹いて外に出ている泡を確認する方法が良いようだ。 キングストンに繋がるビニールパイプを外してそこから取り除く方法は上架でもしている場合でないと、水圧が強く強い圧海水が飛び出てくるのではないかの懸念があります。 エンジンの位置高さにもよるが今回は勢いよく海水が出てくるようなことはなかった。今回はキングストンを締めないで作業をしたが、締めて海水を止めてゴミの取り除く作業をするのが正解でしょう。

  今後の対策として

 1. 予備のアッセンブリーの冷却ポンプを持つ。 4−5万円程度の費用か

 2. 冷却ポンプから外へ長いビニールパイプを用意しそこから海水を汲みエンジンを冷却する

 3. クル−ジングへ行く時にはポンプを分解して清掃しておく。 前回4年前に新品と交換したのでこれくらいの期間が過ぎれば詰まるのか?

 4. 初代のヨットでは1GMであったけれど海水ストレーナーを装備していた、これも一つの手であるかも



  梅木さんが乗っていてくれたおかげで、彼が作業の多くをやっていただけました。 いつもシングルですがダブルもよいものだと思いました。警報が鳴ってすぐに錨泊したのですが、それもラクチンでした。



   冷却水ポンプの交換  2019-6-29

   http://hayame.net/custom11.html#spb-bookmark-629

 

     2023-8-27


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2023年08月26日

水俣城

     


  水俣氏により築城とされるが詳細は不明である。戦国期には相良氏、島津氏、小西行長、加藤清正、細川氏と変遷していく。1612年に幕命により廃城となる。



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  水俣近郊図




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  肥薩オレンジ鉄道   川内―八代を運行



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 水俣のゲストバ−スよりたくしーにて水俣城へ行く。 上記にあるように石垣や堀が埋められているのでそれらしい雰囲気を感じるのみである。



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  本丸跡





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  西南戦争 薩軍慰霊碑


  田原坂の戦いに次ぐ激戦の地であった。 薩軍慰霊碑が見られる。



      2023-8-25

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2023年08月25日

鹿児島城(鶴丸城)と麓武家屋敷

    

 JR鹿児島中央駅より市電に乗り市役所前で下車して徒歩5分で鹿児島城御楼門に着く。堀を渡って御楼門を抜けて本丸にある歴史資料館・黎明館に行く。展示物は豊富で1時間あまり時間を要した。 幕府に遠慮したせいか、天守や高石垣は築かれなかった。バックに城山を控えるが、本丸、2の丸、出丸の簡素なつくりである。 それを補うために外城制度を持ち家臣を麓武家屋敷に住まわせた。現在は本丸跡に鹿児島県歴史資料センター黎明館、二の丸跡には鹿児島県立図書館、鹿児島市立美術館、鹿児島県立博物館などが建っている。




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  鹿児島城と麓武家屋敷

  平田靱負や調所広郷などの上級武士はお城近くに住み、西郷隆盛や大久保利通などの下級武士は少し城から遠い加治屋町に居住した。



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  鹿児島城 模型 




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  御楼門  復元



           2023-8-24



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2023年08月24日

山川  ヨット泊地



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  山川、指宿


 JR指宿から電車でJR山川へ行って来た。 JR山川以遠は枕崎の駅まで極めて本数が少ないので時刻表をよく見ておくこと。 駅からフェリー乗場まで徒歩で歩いた。 20分はかかる。 

 ヨットの停泊は余りふさわしいところは見当たらない。 下図で候補地を青丸で示した。 外洋に面した外港があるようだが、探索していない。外防波堤に凪の時は着けられそうな気がしていますが、不確かです。




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  青丸は停泊候補地



 

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  青丸は上図の防波堤の内側位置

 

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  青丸はもうひとつの候補地

 

 2023-8-23
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飫肥城

    


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  飫肥城 地図


  退院した病み上がりの雨の日飫肥城へ行って来た。 油津にヨットで入港した日に日南病院に入院したので最初にここへ来ようと予定していた日より3週間余を経てしまった。 油津は豪華大型客船のクルーズ寄港地になっているので、この城はその日の最大の人気地になっているらしい。



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  縄張り図     入場券より



  島津氏と伊東氏がこの城を争った。秀吉の九州征伐、関ケ原の戦いを経て明治まで伊東氏が所有した。

 上図縄張りにあるようには残っていない。 予想以上に小ぶりに残っている。 現存する建物は無い。 城下町には風情が感じられる。




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  大手門  復元 



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  城下町めぐり マップ


   病み上がりなので満足にはぶらつけなかった。 上図を参考に散策してください。



     2023-8-23


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飫肥城

    


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  飫肥城 地図


  退院した病み上がりの雨の日飫肥城へ行って来た。 油津にヨットで入港した日に日南病院に入院したので最初にここへ来ようと予定していた日より3週間余を経てしまった。 油津は豪華大型客船のクルーズ寄港地になっているので、この城はその日の最大の人気地になっているらしい。



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  縄張り図     入場券より



  島津氏と伊東氏がこの城を争った。秀吉の九州征伐、関ケ原の戦いを経て明治まで伊東氏が所有した。

 上図縄張りにあるようには残っていない。 予想以上に小ぶりに残っている。 現存する建物は無い。 城下町には風情が感じられる。




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  大手門  復元 



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  城下町めぐり マップ


   病み上がりなので満足にはぶらつけなかった。 上図を参考に散策してください。



     2023-8-23


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2023年08月23日

霧島温泉

  

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  6/1に油津にある日南病院を退院して、6/7には付き添いヨット搭乗をしていただける梅木さんが大村からきてくれるまでの間に時間ができた。退院後の静養もかねて霧島温泉に行ってきました。 カミさんほど温泉好きでは小生は無いのですが、そこは坂本龍馬がお龍さんと新婚旅行に立ち寄ったところであるということで気になっていた場所である。

 JR日南線で宮崎に行き1泊して翌日に「特急きりしま」で宮崎駅から霧島神宮駅に乗車する。 きりしま号は特異な風貌と黒色の車両である。JR九州は在来線特急にこの車両を用いており、他所で見かけても注目していた。

 霧島神宮駅からはタクシーで温泉に向かった。前日からネットで宿を探していても空がすくないようで見つからなかった。 コロナ明けで皆さまが動いているようだ。 現地観光案内所で近くのホテルを紹介してもらった。 ビジネスしか最近は泊ったことがないので、いわゆる観光ホテルというものを利用したということは久方ぶりのことである。



  
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  特急 きりしま号  宮崎―鹿児島中央



     

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  泊まったホテル

 カミさんによると泉質は良いとのことで、また、来たい温泉になるのだそうです。 夕食は1品1品テーブルに運んでくれるサービスで全品並んでいるようなものではないけれど、個人的な好みではあるけれど育ちによるのでしょう、そこまでしてもらわなくてもという感じです。朝食はバイキングスタイルでした。



       2023-8-21

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2023年08月22日

細島   ヨット泊地

    


  宮崎から細島へ行く。 ここは先代のヨットでスロ−プ上架にて船艇塗料の作業をしたことがある。 造船所も少し近代化していて50年前の面影はない。

 街も驚くほど近代化していて、江戸時代からの湊の雰囲気はとてもありません。 大駐車場つきの巨大ス−パ−が近くにできており、何でもある感じがします。

 湾奥にある固定ハシゴの付いた岸壁にヨットをつけた。



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  赤丸は停泊地、 青丸は停泊候補地



 

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  細島






      2023-8-20

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2023年08月21日

垂水麓武家屋敷・林之城



 鴨池からのフェリー(500円)にて垂水麓武家屋敷に行って来ました。 徒歩20分位でフェリー乗り場から林之城・麓武家屋敷に行くことが出来る。



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  垂水城と林之城      



     林之城 

 ここ(現・垂水小学校)は、江戸時代に垂水島津家の居城・林之城があったところです。垂水島津家領主四代久信は林之城を築き、慶長16年(1611)、垂水城(荒崎)から家臣団と共に移ってきました。




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   石碑とお長屋



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  お長屋  道路側側面




     麓武家屋敷


 街並みが近代的な感じで武家屋敷が立ち並ぶイメージではない。町割りの雰囲気はあるように思う。


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 麓武家屋敷地図




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  宮迫邸 武家門 





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  垂水島津家の墓地    

 垂水島津家は島津宗家15代・貴久(たかひさ)の次弟・忠将(ただまさ)を元祖とする家柄です。慶長4年(1599)、垂水島津家2代・以久(ゆきひさ)が垂水領主となって以降、以来明治維新まで16代・約300年にわたり垂水を統治しました。

 夫婦の墓碑が並立しています。



   2023-8-19



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2023年08月16日

心筋梗塞で入院  クルーズ中


   

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  宮崎県立日南病院



  2023年 5月10日に内之浦から油津へ入港、昼前に着き、1300頃よりヤンマーの代理店の人が来て、回転計の修理作業をした。 アースの線が切断していただけであったので、1時間ほどで終了。 油津の町で買い物をして夕食を済ます。 明日は飫肥城でも行くつもりで就寝。

 胸が息苦しい感じで目が覚める。 深呼吸をすると気持ちが良い。 胸に違和感を感じるので、朝になったら外来診療を受けようと思う。 入港までは追手の風で帆走していたので、排気ガスを吸いながらの航行であった。 そのせいで呼吸器系統の病気でないかと思っていた。

 どこのクリニックがいいか分からないので早朝にもかかわらずに緊急相談センターに電話してアドヴァイスを求めた。  6年ほど前に脳梗塞をやっているので、3時間以内のMRIのある病院での診断・治療が重要であるということが頭の片隅にはあった。 症状を話すと県立日南病院を紹介される。 さっそく電話して話すと、すぐ病院に来た方が良いとのことであった。

 朝4時頃であったのでタクシー会社ヘ3件ほど電話したが、どこも来てくれるところが無い。 ひょっとして入院になるかもしれない気がして、バックに入院準備品をつめこみJR油津駅まで歩き始めた。途中で看護婦さんから連絡があり救急車の利用をすすめられた。119番に電話して救急車にのり病院に着いた。

 さっそく検査して、脳梗塞になりかかっているということで即手術である。 手術自体は手の部分のみの麻酔で、先生の手術中の会話を聞きながらのもので、痛くもかゆくもなかった。 いわゆるカテーテル手術で狭くなっている血管をけずりステントで補強する手術であった。 術後の安静が必要で、2日は集中看護室それに1日の準集中看護室に入り一般病棟に移った。

 退院までは3週間と告げられた。血管の詰まった先が壊死しているかもしれないので、経過観察が必要なのでその日数を要するという。 退院まで携帯心電図を着けたままであった。 リハビリは徐々に段階を踏んで歩く距離を増やしていった。 ランニングマシンや自転車こぎの装置で負荷実験をした。 退院間際にもう1か所の狭くなっている血管を同様の手術を受けた。 これは詰まっているわけではないので、3日でOKであった。 早く分かれば簡単に終わるということでしょう。70近くになれば一度は心筋梗塞の検査をおすすめいたします。

  心筋梗塞は致死率20%ということだ、痛いわけではなかったし、悪化することも無く、今回も最悪のケースは免れた。それでも、いつまでも幸運が続かないということは覚悟しておくことであろう。 ヨットのトラブルも含めてそう思います。 何がおきても不思議でないという年齢に達したということでしょう。 航海中にこれが起無くて良かった。 感謝。

  日南病院の皆さま、3週間余りの油津係留でお世話になった皆さまありがとうございました。


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  油津で入院中係留させていただきました



             2023-8-18

  2023年 春巡航  九州一周 その2
http://hayame.net/custom41.html#spb-bookmark-1047



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宮崎  ヨット泊地

   


  油津より宮崎商業港へ航海した。 梅雨の中、潮汐が思ったよりあるので、昇り降りが楽なように岸壁に固定して設置されているハシゴのある場所を探して着岸する。

 夕方であったが雨中のなか港湾局の人が来られて、手続きをする。 明日の朝5時には出港するので、静かにしておくつもりであった。 手続きにおいて、「強い雨の避難が目的での入港ですね?」と言われ思わず「はい」と答えた。 理由が無いと着岸は認めめられないのかもしれません。

 マリ−ナもあるのですが、入り口が浅く充分な注意が必要です。



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  赤丸は停泊地、、 青丸は停泊地、 



     2023-8-17


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2023年08月14日

蒲生 麓武家屋敷、  蒲生城

     


 鹿児島中央駅よりバスにて姶良市役所蒲生支所のバス停で下りて蒲生麓武家屋敷へ行って来た。 麓武家屋敷に必ずあるというよりお城があってこその家臣の武家屋敷であるのですが、武家屋敷散策後に蒲生城を訪ねたが、登城口が見つからず、断念してしまった。  指宿からはるばるの鹿児島南から北への渡来であったので意気が上がらなかったのでしょう。 いつもの小生の追及の甘さの欠点がでてしまった。反省。

 ここは蒲生川と別府川の2本に挟まれて、9本の馬場と3本の小路にて区切られた町割りです。


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  町割りと馬場通り




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  仮屋門




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   西馬場





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   武家門




     蒲生城 (竜ヶ城)


  後で分かったのであるが公園として良く整備されているようで、お城ファンとしては残念な思いである。

 蒲生氏が代々居城としていた。島津義久がここを落として領した。 本丸、2の丸、3の丸の他に曲輪群で構成されたお城である。



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   蒲生城




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  お城登山口    藪こきを予想され断念した


 

   今後ここを訪れたい人のために   蒲生城 城郭放浪記

  https://www.hb.pei.jp/shiro/ohsumi/kamou-jyo/thumb/




          2033-8-16





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2023年08月13日

八代城と麦島城




  肥薩オレンジ鉄道八代駅よりタクシーにて八代城へ行く。 そこから前川にある橋を渡り麦島城へ行ってきました。 八代城は天守は無いけれども石垣などの構造物がしっかりと残っており、小さいながらも見ごたえのあるものです。



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  八代城と麦島城



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  縄張り図



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  天守跡  若い女性の花見真っ最中




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  欄干橋跡



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  埋み門跡




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   廊下橋跡








        麦島城


  麦島城を1588年に小西行長は築城した。この城の北側は大きな入り江で港であった。 南蛮貿易の拠点・徳淵津でもあった。ここは関ケ原の戦いの後では小西は改易され加藤清正のものとなる。一国一城令が決まっても加藤藩は例外として熊本城とここ麦島城を持つことが幕府より許された。 薩摩対策の一環としてであろう。 一六一九年大地震でここは倒壊した。 麦島城の代わりとして八代城を築き、一国二城体制は明治まで続いた。



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  縄張り図



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  麦島城跡    残っていない



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 八代キリシタン殉教地、 11名の殉教者をだした。


  徳淵津が南蛮貿易の港としてにぎわっていたことを小生は知らずに、麦島城を訪れる途中にこの地を見つけた。 この港があるからこそ秀吉はキリシタン大名の小西行長をこの領主にした



        2023-8-15



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下甑島 長浜   ヨット泊地

     



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  赤丸は停泊地



  長浜診療所近くの岸壁に係留。 すぐ近くにスーパーがある。 この島はタクシーを呼べない。 バスの利用のみ。

 
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         2023-8-14





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2023年08月12日

指宿  ヨット泊地

 


  指宿はヨットにやさしい港で漁港としては珍しくプレジャーボート用の専用ビジターバ−ス3隻分が用意されている。 下図赤丸部分、その外側に2隻程のスペースもある。 小生はここからJRに乗り鹿児島、山川、喜入、志布志へと観光に足を延ばした。

 立ち寄り湯(徒歩10分)がある。 スーパー(徒歩10分)、ガソリンスタンド(徒歩10分)、コインランドリー(徒歩7分)便利に利用できる。


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  ゲストバース案内板





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  突き当り左突堤も係留できる





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 ハシゴはコーナーに一つで、そこへ着けたヨットは乗降の共助が必要です。 潮汐は予想外にあるので。 



     2023-8-13


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2023年08月10日

伊作城

   


 JR伊集院駅よりバスにのり伊作城へ行った。 多宝寺口の案内板により登城することになった、

 南北朝時代に島津本家4代忠宗の弟・久長が伊作島津家の始まりでこの城を作った。忠良(日新公)やその子4兄弟・義久・義弘・歳久・家久がこの地で誕生した。 本丸にこれらの人々の石碑がある。





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  縄張り図   本丸は亀丸城



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  伊作城登城口






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  仮屋城跡(曲輪)




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  本丸の誕生石碑



     2023-8-12
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知覧城、亀甲城と麓武家屋敷




  知覧の見たいところ特攻平和会館、麓武家屋敷、知覧城へバスで行くには終点まで乗らずに、行く場所のバス停留所で降りたほうがよい。ちなみに知覧行きバスは鹿児島中央、指宿、枕崎などからの便がある。



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  1.  知覧城



築城年代は不明ですが,記録によれば文和2年(1353)足利尊氏によって島津忠宗の三男,佐多忠光に知覧の領地が与えられています。以後佐多氏の居城として知られています。

城の構造は,本丸・蔵之城などを中心とした曲輪群(平坦地)とそれを取巻く東ノ栫・式部殿城など周辺の曲輪群から形成されています。城と城の間には深い空堀がめぐり,それぞれが独立しているのが特徴です。 案内板は充実していて比較的整備されている。 しかし、他の2つの施設に比べてここを訪れる人は少ないようだ。


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  本丸   虎口付近が崩れて青ビニール





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  蔵之城へ





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   建物跡  蔵之城





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  今城へ   







     2.  亀甲城

  知覧城の出城である。 記録が無いので詳細不明。 

 

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   縄張り図





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  復元された虎口、   麓川の左岸に築かれていた





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   矢櫃橋を渡って左の大手口へ





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 主郭にある知覧忠世顕彰碑  南朝側に属し守護の島津貞久と戦う。



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   らせん状の道を昇る













       知覧麓武家屋敷



 石垣とその上の生垣が並び武家門と庭園が見られる



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  知覧ふもと武家屋敷案合図





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  知覧麓 武家屋敷通リ





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  西郷恵一邸 武家門





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   西郷庭園



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  平山克己庭園



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  知覧型二つ屋





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  森重堅庭園



           2023-8-11

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2023年08月08日

枕崎

    ヨット泊地


 最初は奥にある大きなポンツ−ンに着けた。 しばらくして市役所の人が来て、ここは不適であるという。 確かに明け方に大型トラックが来て漁船からの積み込み作業をしていた。  それで下図にあるすぐ横の階段のある赤丸位置に接岸係留した。



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  赤丸は停泊地、  青丸は候補地

 



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  係留不適ポンツーンと赤いヨットは青丸候補地




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  赤丸に横抱きして係留



  お風呂はJR枕崎駅近くに銭湯がある。 ス−−パ−とコインランドリーあり。 関東出身のヨットマンNさんには大変お世話になった。お土産まで頂いたありがとうございます。 ドイツから来ていたイコールマストの自作風ケッチは対岸の上図青丸位置に着けていた。この位置も広く外来用のスペ−スがあるようだ。 市役所の人が地元漁船に随分と気をつかっているようです。

  JR枕崎線hは指宿以降は日に5−6本の少数の運行なので注意が必要です。


       2023-8-10
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一宇治城(伊集院城)、 市来鶴丸城

   
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  市来鶴丸城と伊集院城の地図


  一宇治城はJR伊集院駅のすぐ近くの城山公園にあり、市来鶴丸城はJR東市来駅より徒歩10分にある日置市東市来支所近くにある。




       一宇治城 (伊集院城)



 JR伊集院駅を降りるとすぐに城山が見え、迷うこともないであろう。 観光案内所もロータリ―横にある。

 鎌倉時代に伊集院氏により築城。その後島津配下の城となる。1545年(天文14年)、島津家中の統一を目指していた島津忠良・貴久親子は先祖代々の居城であったが薩摩国西部にあり不便であった伊作城から、薩摩国中央部にあるこの城に拠点を移し、鹿児島の制圧を目指す。貴久は大隅と日向をを加えて家中の統一を果たす。1550年に鹿児島の内城へ写した。

 1549年に貴久とザビエルがここで対面し布教が許された。

 城の縄張りは「神明城」(本丸) 「伊作城」「中尾曲輪」「釣瓶城」「弓場城」「護摩所」「南之城」「上平城」など、大小30個あまりの曲輪で構築された。

 


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   桜の時期であったので花見の宴が見られた。



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   登城口



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  ザビエル像







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  曲輪と空堀

 城という名の郭は堀を挟んで独立しており、公園として芝生を植えてよく整備されている。 案内板もあり曲輪を見ることが出来る。







        市来鶴丸城


 市来鶴丸城は市来氏によって築かれた城です。市来氏は市来家親の代に島津立久によって滅ぼされ、以後は島津氏の所領となります。戦国時代になると島津宗家と対立していた薩州家の島津実久が占拠しましたが、1539年(天文8年)に島津忠良・貴久父子が攻略すると、伊集院忠朗、のちに新納康久が城主をつとめました。なお康久が城主の1550年(天文19年)にフランシスコ・ザビエルがこの地を訪れ布教活動をしています。



 市来鶴丸城は鶴丸小学校の裏にある。



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  春日神社、   登城口がある、登城路は整備されている




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  ザビエルと家老ミゲル、    赤い屋根は小学校



  ザビエルは10日ほど布教したという。 鹿児島で説教を聞いた家老ミゲルが感動してここ鶴丸城へ案内したという。ザビエルはこの後平戸へ行った。




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  主郭


         2023-8-9

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2023年08月07日

下甑 手打麓武家屋敷




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 下甑島 地図



  上甑島の里より下甑島の長浜へヨットで航く。 この島の南端にある手打にバスに乗り訪れる。 麓武家屋敷を見てきました。 麓というからには城跡があるはずであるが、その案内は無かった。  玉石垣とその上の垣根で構成される武家屋敷は武家門や建物は残っていないけれど、風情がある落ち着いた雰囲気は良いように思う。

 バスの時間は良く確認のこと、タクシーを呼ぼうとしたが、ここ下甑はタクシー会社が無いので呼べないとのことであった。 クルージングで島など不便なところに多く行ったつもりであるが、このような事態は一度もありません。 それほど鄙びたところであるということでしょう。上甑では呼べるとのことです。



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  郷土館   休みで中は見られなかった





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  武家屋敷の入り口のたたずまい







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  武家屋敷通り





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  津口番所



               2023-8-8

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2023年08月06日

串木野  海の駅





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  赤丸は停泊地、


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赤丸 ゲストバ−ス


  海の駅は漁協が管理している。 海の駅の受付している売店は閉店した、 500円/日前後の安価な施設である。 電気なし、近くに温泉がある。 地元のヨットマンは大変親切で何かと相談にのってもらる。 台風避難にも使えそうである。

   電話 0996-32-2108


   串木野城と麓武家屋敷


           2023-8-7

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2023年08月04日

大江 大江天主堂、  天草下島

 
       大江   天草下島





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  崎津と大江





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   赤丸は停泊地、

 

  崎津は適当なヨット係留地が無いので、ここ大江に停泊した。 ここから大江天主堂へ行ってきた。 ス−パ−やガソリンスタンドは見当たらなかった。




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   階段のある所に係留





      大江天主堂



  キリスト教解禁後、天草で最も早く造られた教会で、現在の建物は昭和8年(1933年)天草への伝道に生涯を捧げたフランス人宣教師ガルニエ神父が地元信者と協力して建立した。丘の上に建つロマネスク様式の教会。 



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  大江天主堂





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          2023-8-6


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串木野城と麓武家屋敷



       串木野城・亀ヶ城



 串木野城は「関ヶ原の戦い」において「島津の退き口」で奮戦して討死した島津豊久の生誕地とされています。もともとは薩摩郡司・薩摩六郎忠直の三男で串木野氏を称した串木野忠道によって築かれた城で、以後は串木野氏代々の居城となりました。南北朝時代、串木野忠秋が城主のとき、島津氏に攻められると忠秋は城を捨てて知覧へ逃れ、串木野氏は滅亡しました。島津氏の所領となったあとは川上氏が城主となり、戦国時代には山田有信や、島津貴久の四男で島津義弘の弟である島津家久がこの地の地頭に任じられています。1570年(元亀元年)に家久の嫡男・豊久が誕生しています。 

 案内板があり見ることができるが、私有地であり制限されてどこでも入れるわけではない。 代将で6つの曲輪があるという。



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  串木野城跡 



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  土塁と空堀





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  曲輪へ









        串木野麓 武家屋敷



  旧入来邸ぐらいしか武家屋敷は見当たらない、



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  地頭仮屋跡





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  南方神社    室町時代に信濃国諏訪神社を勧請創建したという。





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   旧入来邸 武家屋敷  郷士年寄格屋敷跡  長い塀でかこまれた広い敷地である。







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  串木野氏の墓





      2023-8-5

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2023年08月03日

まとめ  薩摩 麓武家屋敷 12



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  薩摩には鹿児島城を本城として、藩内各地に外城(とじょう)を配置し、それは120もあったという。 秀吉に屈服するまでの島津氏は九州を平定するほどの勢いであったので武士を多く抱えていた。領地は削減されたが武士の数は減らさなかった。それゆえに人口の1/4が武士であったという。

 島津氏は独自の外城制度で各地の山城周辺に麓(ふもと)武家屋敷をつくり武士を住まわせた。 仮屋(かりや)と呼ばれる役所を置き、周辺に馬場と呼ばれる何本かの道により町割りをして、武家屋敷が配置された。 各地にそれを見ることができる。

 ヨットで鹿児島を訪れた時に、これを知ることになった。 長崎の世界遺産を見た後は、新たに目標ができ、日本遺産に指定された12か所を訪ねることになった。 

    下記をクリック 個別になります

 1. 鹿児島城

 2. 喜入旧麓

 3. 出水麓

 4. 入来麓

 5. 里麓

 6. 手打麓

 7. 串木野麓

 8. 蒲生麓

 9. 知覧麓

 10. 加世田麓

 11. 垂水麓

 12. 志布志麓



                 2023-6-29



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