2023年08月08日

枕崎

    ヨット泊地


 最初は奥にある大きなポンツ−ンに着けた。 しばらくして市役所の人が来て、ここは不適であるという。 確かに明け方に大型トラックが来て漁船からの積み込み作業をしていた。  それで下図にあるすぐ横の階段のある赤丸位置に接岸係留した。



makurazaki 10.jpg
  赤丸は停泊地、  青丸は候補地

 



makurazaki 30.jpg
  係留不適ポンツーンと赤いヨットは青丸候補地




makurazaki 20.jpg
  赤丸に横抱きして係留



  お風呂はJR枕崎駅近くに銭湯がある。 ス−−パ−とコインランドリーあり。 関東出身のヨットマンNさんには大変お世話になった。お土産まで頂いたありがとうございます。 ドイツから来ていたイコールマストの自作風ケッチは対岸の上図青丸位置に着けていた。この位置も広く外来用のスペ−スがあるようだ。 市役所の人が地元漁船に随分と気をつかっているようです。

  JR枕崎線hは指宿以降は日に5−6本の少数の運行なので注意が必要です。


       2023-8-10
posted by 速魚 at 21:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

一宇治城(伊集院城)、 市来鶴丸城

   
itihuzizyo 10.jpg
  市来鶴丸城と伊集院城の地図


  一宇治城はJR伊集院駅のすぐ近くの城山公園にあり、市来鶴丸城はJR東市来駅より徒歩10分にある日置市東市来支所近くにある。




       一宇治城 (伊集院城)



 JR伊集院駅を降りるとすぐに城山が見え、迷うこともないであろう。 観光案内所もロータリ―横にある。

 鎌倉時代に伊集院氏により築城。その後島津配下の城となる。1545年(天文14年)、島津家中の統一を目指していた島津忠良・貴久親子は先祖代々の居城であったが薩摩国西部にあり不便であった伊作城から、薩摩国中央部にあるこの城に拠点を移し、鹿児島の制圧を目指す。貴久は大隅と日向をを加えて家中の統一を果たす。1550年に鹿児島の内城へ写した。

 1549年に貴久とザビエルがここで対面し布教が許された。

 城の縄張りは「神明城」(本丸) 「伊作城」「中尾曲輪」「釣瓶城」「弓場城」「護摩所」「南之城」「上平城」など、大小30個あまりの曲輪で構築された。

 


itiuzizyo 25.jpg
   桜の時期であったので花見の宴が見られた。



itiuzizyo 20 .jpg
   登城口



itiuzizyo 22.jpg
  ザビエル像







itiuzizyo 27.jpg
  曲輪と空堀

 城という名の郭は堀を挟んで独立しており、公園として芝生を植えてよく整備されている。 案内板もあり曲輪を見ることが出来る。







        市来鶴丸城


 市来鶴丸城は市来氏によって築かれた城です。市来氏は市来家親の代に島津立久によって滅ぼされ、以後は島津氏の所領となります。戦国時代になると島津宗家と対立していた薩州家の島津実久が占拠しましたが、1539年(天文8年)に島津忠良・貴久父子が攻略すると、伊集院忠朗、のちに新納康久が城主をつとめました。なお康久が城主の1550年(天文19年)にフランシスコ・ザビエルがこの地を訪れ布教活動をしています。



 市来鶴丸城は鶴丸小学校の裏にある。



itikituruaruzyo  10.jpg
 



itikiturumaruzyo 30.jpg
  春日神社、   登城口がある、登城路は整備されている




itikiturumaruzyo 32.jpg
  ザビエルと家老ミゲル、    赤い屋根は小学校



  ザビエルは10日ほど布教したという。 鹿児島で説教を聞いた家老ミゲルが感動してここ鶴丸城へ案内したという。ザビエルはこの後平戸へ行った。




itikiturumaruzyo 35.jpg
  主郭


         2023-8-9

posted by 速魚 at 08:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記