大麻比古神社 忌部神社、山崎忌部神社、御所忌部神社 、種穂忌部神社

忌部氏関連地図
学校教育で小生は忌部氏の名前を見知っているばかりで習った記憶がない。 大化改新に中臣氏・後の藤原氏が貢献した。忌部氏は中臣・藤原氏と共に天皇家の祭祀に従事していたのが、藤原氏が忌部氏を排除したことにより歴史から消え去ったのだという。
天皇の代替わりの大嘗祭の時に、三木家から儀式に必須の麻の麁服(あらたえ)を制作・献上する。その特別な家が天津神・忌部氏末裔の三木家である。
卑弥呼は高馬原忌部族であったと云われ、かってはイスラエルから来たのであろうと証言された方もいる。 天の岩戸事件のまとめ役は布刀玉命・ふとだまみことで、忌部氏の祖・天日鷲命・あめのひわしの遠祖にあたる。(阿波)忌部氏は阿波國を開拓したばかりでなく、讃岐・香川、出雲・島根、紀伊・和歌山、伊勢・三重、安房・千葉、その他越前,淡路、備前、隠岐、を発展させた。
日本各地で忌部氏とのトラブルも無かったのは、今のイスラエルの民と違い下記の精神で日本民族に同化していったのであろう。
忌部の口伝 (香川宣子さんによる)
民族や宗教を超えて共に生きる
万物があるから自分がある。
慈愛利他の精神
大麻比古神社
忌部氏始祖である天日鷲命・あめのひわしのみことの子とされている大麻比古神を主祭神としている。 現在の徳島一宮である。 七五三の子供たちでにぎわっていた。
中世以降に所在が不明となる。複数の忌部神社がそれを主張したため明治18年にここに新たに遷座した。

由緒書き

拝殿
近くに萩原1号墳は大麻比古神の陵墓と云われている
忌部神社
眉山の北東端二軒屋町に忌部神社がある。 長い階段を登ることになる。中ほどには金刀比羅神社もある。

この階段中央左には金刀比羅神社がある

山崎忌部神社 (吉野川市)
後背に忌部山・忌部山古墳群をひかえる。 令和元年(2019年)の大嘗祭においても、美馬市木屋平の三木家で栽培した麻を境内で麁服に織り上げ、調進している。

拝殿

麁服(あらたえ)記念碑
御所忌部神社 (美馬郡つるぎ町)
忌部氏の後裔氏族、三木氏(みき)が奉斎したもので、同氏が式内名神大社の忌部神社を分祀したものではないかと考えられている。山崎忌部神社と論争が続いた。

御所忌部神社
種穂忌部神社(吉野川市山川町川田忌部山) 未訪問
車では行けないと聞いています。スレ違いできないようです。 種穂山の頂にある。
2023-12-24