2024年01月31日

突然消えた。 見られない! HP 船中発策 消失と回復

 

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 船中発策HPのトップページ      https://hayame.net/index.html



 OCN光の通信速度が遅く、閲覧しても大分遅かったり表示されなかったりした現象が続いていたので、10日程前にソフトバンク光に回線を変更しました。 すると、最初は良かったけれど、10年ほど書き溜めてきたHPが閲覧できなくて真っ白になる現象が起きた。

 それで、カミさんの甥っ子がHP制作会社を立ち上げたプロであったので、解決方法とその原因を聞いてみましたが、確証を得られませんでした。

 HP作製ソフトにはホ−ムペ−ジビルダーを使っています、小生は作製の基本や理屈を知っているのわけではありません。 何とかそれを使えているレベルの自分です。  OCN光の速度はダイレクト接続で下り80mb、登り8mb程度の光回線とは思えないほどの低速度でした。 現在は土曜日10時ごろで100mb・100mbです。時間が違うと200mb・200mb程度でています。 10G契約なので速くはないけれど、ペ−ジが途切れることもなく閲覧できます。

 原因をレンタルサ−バ−会社に問い合わせたところ「ホームページが表示できない事象につきまして、「index.html」のファイルにコンテンツが記述されていないため、発生しているかとお見受けいたします。」との解答です。

  サーバーの中のファイルがどうして消えたのか?  OCN光の遅すぎるアップロード速度により、なかなかアップは完了せずに途中で止めてしまうことが多かったので、それが原因なのでしょうか?  作製ソフトでは原稿を上げる時には、「サイトの公開ボタン」をクリックするだけの知識です。小生は本来のファイル転送ツ−ルの使い方は知りません。

 手に負えないと分かっていたので近所のパソコン教室に出向いて修理を依頼したが無理なようであった。 PCデポ店では機械の持ち込みしなければならないので後にした。 出張パソコン修理のサイトは多くあるけれど、果たしてできるのでしょうか?

 最後は電話すれば良いと腹をくくって、修理依頼の電話をすることもなく、あれこれ自分でいじっているうちに奇跡的に回復しました。  その作業とは、、、、、 レンタルサーバーにあるファイルマネ−ジャ-を使ってフォルダーを覗いても、サーバーの知識が皆無だから何とも分からない、バックアップのフォルダーがあるようなので、試しにそこへファイルを流す処理をしてみた、、、 そのことが正しい処理であったか、正しい操作をしたのかは不明ですが、、、回復したのです。 このことは皆様には役に立ちそうもない報告ですね。

 作成ソフトの中には原稿が残っていたので、最悪のケースを免れたのかもしれません。 最近は他のことでも奇跡的に命拾いしたり、最悪のケースを免れてきたので、そろそろ限られた手持ちの運が尽きるのではないかと心配です。



 今年からの新しいHPを立ち上げなければと思っています。



         2024-1-31

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2024年01月29日

お遍路 7,  #79天皇寺、#80白峰寺、 #81國分寺、 #82根香寺。#83一宮寺

      

   #79天皇寺、#80白峰寺、 #81國分寺、 #82根香寺。#83一宮寺




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  高松周辺図



   JR高松駅近くの市立ヨットハーバーへ引田港よりヨットで来て停泊をした。 これからはここを拠点としてお遍路をすることになる。 

 JRで八十場に行き79番天皇寺へ、さらにJRで国分へ行き81番国分寺。ここから山になるのでタクシーにて81番白峰寺と82番根香寺へ、山を下って琴電高松駅まで車で楽をした。琴電で一宮へ行き83番一宮寺を参詣した。

 JR八十場駅にて若いドイツ女性のお遍路さんを見かけた。国分寺から一宮寺まで同行することになった。 ここ10年くらい休暇を取って日本へ来ているのだそうだ。日本びいきのようで小生と同じようにご朱印を集めている。



   #79天皇寺


 ここは坂出のハーバーに半年ほど係留していた時に自転車で訪れたことがある。御朱印のことも知らなくて参詣したのみであった。

 天皇寺とは珍しい名称である。ここは保元の乱により讃岐配流された崇徳上皇を祀っていた白峰宮に隣接し、白峰宮が崇徳天皇社であったときその別当寺であった。




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  山門は無く鳥居





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  本堂







   #80白峰寺



 縁起によれば,当山は弘法・智証大師によって開基されたと伝えられています。崇徳上皇が崩御された後に西行がその御陵をもうでるなど,この地は綾北の郷土史を考える上で重要な場所です。

 すぐ隣に崇徳天皇白峰陵がある。 長寛二年(1164年),46歳で崩御された崇徳上皇は,遺骸を八十場の泉に浸さた後,都からの検視を経て白峯に送られ荼毘に付され,その場に葬られ,その地を御陵とした。


    坂出散歩 その1     http://endyachts.sblo.jp/article/175146880.html


 



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  山門 




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  本堂





    #81國分寺



 行基が開基し、十一面千手観世音菩薩を安置しました。のちの弘仁年間(810〜824年)に弘法大師が仏像を補修し、霊場に定めました。

 「幻の大日如来像」再現を目指している。



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  山門と駐車場




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 本堂





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  護摩堂 


 



    #82根香寺 ・ねごろじ


  巡行中の弘法大師が、この地を訪れて五色台の中の主峰、青峰に花蔵院と建立しました。また、智証大師が霊木で千手観音像を刻んで千手院を創建し、この二院を総称して根香寺と号したと伝えられています。



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 牛鬼の像

  人間を食べる恐ろしい怪獣、牛鬼。 弓名人山田蔵人高清に頼み退治してもらう


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  本堂


 



    #83一宮寺



  琴電一宮駅より徒歩10分。 大宝年間(701-703)に法相宗の祖、義淵僧正が開いたと伝えられています。大同年間(806-810)には弘法大師さまが四国八十八ヶ所建立の際、一宮寺に訪れて聖観音菩薩を彫刻して設置しました。



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  薬師如来祠

 子の祠に悪人が頭を突っ込むと抜けなくなるとの言い伝えがある




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  本堂



       2024-1-29



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2024年01月27日

応神・仁徳天皇の里を訪ねる

 
     応神町、仁徳橋 、 藍の館


 徳島ケンチョピアに滞在した時にはこれらを訪ねるのに、JR吉成駅で下車してタクシーを呼ぶが来てもらえなかった。 ここへの訪問を諦めていたが、徳島を出港して香川県の引田に停泊して、再度挑戦した。 今度は勝瑞駅で降りてタクシーを呼び迎車してもらえた。ここのほうが町が大きい故なのでしょうか。

 初めに飛行場近くの川内町にある住吉神社へ行く、どうも元社である気配が感じられず。納得が行かないまま応神町へ向かう。仁徳橋、藍の館を訪ねて、帰り道に本来の住吉神社を訪ねることができた。




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  応神・藍住町 地図



    応神町  

 応神天皇ゆかりの地と云えども何も残っていない。 残った地名は応神産業団地としての狭い地域のみである。 もちろん案内板。石碑の類は無い。 15代応神天皇はヤマトヤケルの孫で仲哀天皇と神功皇后の子供であると云われる。





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  応神町の風景


 

     仁徳橋



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  仁徳橋


 正法寺川に架かるどうこう云うことない橋です。 15代応神天皇の子が16代仁徳天皇であることから、また、応神天皇は八幡神と云われて、それを祀る住吉神社の元社が近くにあるということ。 そのような屁理屈があるけれど、阿波から奈良へ遷都しているのならばこの地に関連のものがあることは不思議でもない。 しかし何も案内するものは無いけれど。




     藍の館   

 

 藍住町は名前の通り藍の産地である。 大河ドラマで日本の近代を創設した渋沢栄一の生家が藍商人・農家であった。深谷まで見に行った覚えがあります。 それと比べてここ奥村家は敷地がもっと広大である。 渋沢が1万両の商いというから、その数倍の商いをしていたのかと想像される。

 館内で藍染めの講習会をやっています。 奥村家の母屋へは入り口が閉まっており、その日は見学ができませんでした。

 

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  展示品



 

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  奥村家への入り口



     2024-1-27



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2024年01月26日

お遍路6  #84屋島寺, #85八栗寺

   

 



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  屋島地図



  #84屋島寺



 JRと琴電屋島からコミュニテイバスが運行されている。 時間が合わなくて利用できなかった。JR引田駅より特急でJR屋島駅に向かい、そこからタクシーで84番八島寺に行く。 まっことに古いお話であるが、60年も前の高校の修学旅行で屋島に来たはずであるが、何も覚えていないのです。 残念。 駐車場で下車して奥の方に八島寺はある。 帰りは屋島城を見てお遍路道を徒歩で下山した。



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  山門


 屋島寺は754年(天平勝宝6年)に、鑑真和上が奈良へ向かう途中に屋島に登り、普賢堂を建て普賢菩薩像を安置したのが始まりと伝わっている。




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  本堂  1618年建立、国の重要文化財

 



   #85八栗寺



 ケーブルカー乗場まではタクシーで行く。 帰りも琴電八栗駅まで呼ぶことになった。

 空海(弘法大師)が、唐へ渡る前に五剣山に登り、8つの焼き栗を埋めたところそのすべてが成長したことから「八栗寺」と命名されたという。



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  ケーブルカー





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  多宝塔





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 本堂



   2024-1-22



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2024年01月25日

HP 船中発策 トラブルのため見られません

  
 
 2024年1月22日以降  ホームページがご覧になれません。

  復旧に勤めていますが、知識不測のせいもあり進捗いたしません。

  お詫びもうしあげます。

     今後ともよろしくお願いいたします。


  2024年 1月26日  無事? 何とか復旧いたしました。 ありがとうございました。

    https://hayame.net/index.html










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2024年01月20日

引田再訪

      


  2019年に引田を訪れたことがあり、今度は徳島からの帰りに再訪しました。東風が強く5日ほど滞在して、ここから香川県のお遍路寺を巡ってきました。


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 引田周辺図、  温泉、スーパー、DIYコメリ、コインランドリー、駅



 前回停泊した漁協前のT字桟橋には常時係留漁船がいて手狭になっていたので、コーナーを曲がった空位置に停泊しました。 ここは漁協で経由・ガソリンが補給できます。 スーパー、コインランドリー、DIYコメリは泊地より徒歩7−8分です。 温泉は15分位かかります。

 朝ドラのヒロインであるブギの女王・笠置シズ子さんはこの町の生まれです。

 


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  青矢印は前回の停泊地



  馬宿地区には聖徳太子の生誕地といわれ、また。藤原不比等に関する神社・住吉神社(山王宮)がある。




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  山王宮



      2024-1-20


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2024年01月18日

「いずも」の神社を訪ねる


    大御和神社 豊国神社 八鉾神社、賀志波比売神社、生夷神社 津ヶ峰神社



 阿波では山側を「そら」、海側を「いずも」と読んでいた。 島根を植民地として「出雲」と名付けたということは、さておき、その「いずも」の海側の神社(現在よりも海が陸に寄っていた)を訪ねた。 それらは JR牟岐線寄りの地域である。

 大国主神(オオクニヌシノカミ)=大己貴命=大国主命(八千矛神・ヤチホコ)を祭神とする、また事代主命=エビスさんや天照大御神・アマテラス=卑弥呼の生誕地と称する神社が、この「出雲」の地にはある。



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「いずも」 徳島・小松島・阿南の周辺図



    大御和神社


 大御和神社で”国璽(こくじ)の印と国庫の鍵を守護した”と伝わっていて、古代はこのあたりが阿波国の中心地でした。

 御祭神は大己貴命(オオナムチノミコト)で、大国主神(オオクニヌシノカミ)と同神とされます。

 境内の8割余りを民間に売却する計画を進めている。老朽化した社殿を建て替えるのが目的で、県内の神社が敷地を売って資金を捻出するのは異例。「神社を存続させるためにはやむを得ない」と理解を求める河野誉嗣たかつぐ宮司に対し、計画を事後に知らされた氏子は反対している。




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  鳥居 




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  拝殿






   豊国神社 ・御縣神社・宮方神社


 1614年(慶長19年)に創建。別当として豊林寺も造営された。豊臣秀吉の死後、蜂須賀家政と蜂須賀至鎮が豊臣秀頼より拝領した『木造 豊太閤像』(非公開)を神体としている。

 蜂須賀家三代が取り壊して現社地へ遷座、ひっそりと祀られました。 現在は堀越寺に併設されている。

 境内には式内社の御縣神社が鎮座、宮方神社とも呼ばれる。祭神は大己貴命または事代主命。





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  鳥居



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  拝殿





   八鉾神社 ・也保古 やほこ


 大国主命(八千矛神・ヤチホコ) 生誕地、 出雲大社の元宮とも云われる。





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   鳥居




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  宝物殿







   賀志波比売神社 ・かしわひめ

 

  賀志波比売は幼少期の名である。ここは賀志波比売命が最初に祀られた地であり、その後、賀志波比売命は人々の希望により津乃峰山山頂に遷座したが、元の鎮座地にも祠が残されたものと伝え、当社が「津峯神社の本宮」であるとしている。


 それにしてもアマテラスの地であるにもかかわらず、住宅街の奥まった見つけにくいところに鎮座する。津が峰神社に移ったからであろうか?それともユダヤの地から船に乗って個々の近くに移って来たからであろうか?



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  天照大御神生誕地の石碑




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  拝殿





    生夷神社・いくい


  社名の「生夷」は「えびすが生まれた場所」という意味があり、事代主命はこの地で生まれたとする説がある。

 式内 事代主神社は、全国で阿波の二社のみ。

   事代主神社   (徳島県阿波市市場町伊月)


 

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  鳥居



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  拝殿


 

      津ヶ峰神社



 参道入り口からは全長3.7kmの有料道路(軽自動車、普通車:往復600円)「津峯スカイライン」を走ります。



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 リフト500円で神社へ



 祭り神は賀志波比売大神(かしはひめのおおかみ)大山祇大神(おおやまつみのおおかみ)である。賀志波比売命を主祭神とし、相殿に大山祇命を祀る。

 津乃峰山の麓の阿南市見能林町柏野22にも、賀志波比売命を祀る賀志波比売神社がある。現在は見能方八幡神社の境外社とされている。社伝では、賀志波比売命が最初に祀られた地であり、その後、賀志波比売命は人々の希望により津乃峰山山頂に遷座したが、元の鎮座地にも祠が残されたものと伝えられる。



  
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  拝殿



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  神社から見る絶景

 
     2024-1-18


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2024年01月16日

徳島城

        



  いつものヨット巡航のメインテーマのひとつは城廻りであるが、今回はお遍路寺と阿波の神社を行きたいので、それにその数も多すぎるので、お城めぐりを封印することになる。 しかし、停泊地のケンチョピアとJR徳島駅との徒歩の往来で、その途中にちょうど徳島城が在りお城を見学することが出来た。

  徳島駅の線路を挟んで向こう側の公園に徳島市城はある。線路を跨ぐ陸橋を渡ると、もう城内である。



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  徳島城 周辺図  赤丸は泊地のケンチョピア


 1585年、豊臣秀吉の四国攻めにより、戦功があった蜂須賀正勝(小六)に阿波が与えられることになる。 しかし、60歳を過ぎた高齢で、既に隠居の身であったことから、その子の家政が、阿波1国、18万6000石を領する。 

 徳島城は天正14年(1586年)築城で平山城(標高61m)である。築城者は初代家政である。本丸、東二の丸(天守跡)西二の丸、石垣、堀、表御殿庭園等がある。吉野川から分流する、助任川・福島川・新町川・寺島川(現 JR徳島駅と牟岐線)を外堀とし、さらに内側に堀川・瓢箪堀(現 東出来島町東部)があった。

 蜂須賀家は後に淡路も所領とし25万7千石となった。 外様ながら、改易されることもなく、そのまま明治まで所領を維持した。 香川県の山林は開放されることなく現在も国有林であるが、徳島の山林は利用が解放され、藍やその他の特産品の開発を含めて蜂須賀家は善政を牽いたという。



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  城跡図





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  徳島駅より陸橋を渡る






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  数寄屋橋門




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  下乗橋





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  復元された鷲の門、曲輪「三木郭」(みきくるわ)に築かれ城門






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  城山の貝塚





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  城山の海蝕崖



       2024-1-16


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2024年01月14日

眉山(いのやま)周辺の神社

宅宮神社えのみや、経塚大権現、蔵元八坂神社、 熔造皇(ようぞうのすらめ)神社, 八人塚古墳、経塚大権現、佐野神社、勝占神社、五王神社、



 宅宮神社を訪ねた時に、溶造皇神社と経塚大権現へたどり着けず、宮司さんにそれらのことを聞きました。ご親切にも調べてくれて自宅まで写真などを届けてくれました。 近春の徳島再訪に是非ともそれらを訪ねたいと思っております。



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  宅宮神社、周辺地図





   宅宮神社・えのみや 
 

御祭神を大苫辺尊、大歳神、稚武彦命とする。主祭神の大苫辺尊は、意富斗能地神(おおとまひめじ)で、神代七代の第五代の神様として、大地が完全に凝固した時を神格化されたとする説があり。「意富(オホ)」は「大(オオ)」を、「門麻(トマ)」は「泊(トマリ)」、つまり港を意味するという。そのため、現在の上八万町にあたる「八萬津」を祀る神であり、昔は「大きな港」があったことを示すともされる。
また「出雲踊」の歌詞に「伊豆毛の国の伯母御の宗女、御年十三ならせます、こくちは壱字とおたしなむ」とあり、これは邪馬台国の女王卑弥呼の宗女「壱与」を示すという説もある。
 
 神代文字の版木がある。


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  山門





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  拝殿





  経塚大権現



 天若日子の神陵である。 「天若日子」は葦原中国平定の際に「天穂日命」の次に遣わされ、天孫族から大国主神に寝返ったとみなされたことから何らかの形で処刑(神話では弓矢で射殺)されています。

 下写真のように途中で草で道が鮮明で亡くなったので断念しました。 その下の写真は宅宮神社の宮司さんが送ってくれました。


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  送付されたもの1





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  送付されたもの2





    蔵元八坂神社



  京都の八坂神社のように、祇園まつりがおこなわれるという。



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  拝殿



  下の熔造皇 (ようぞうのすらめ) 神社はここに移設されていたが、現在は元の場所に返されている。



 

  熔造皇(ようぞうのすらめ)神社



 ここもグーグルマップで近くまでタクシーで行ったが。探せなかった。 宅宮の宮司さんが写真を送って頂いた。

 卑弥呼・大日孁神命(おおひるめ)により近代化された米作に加え、素戔嗚尊(すさのお)によって初めて鉄の生産が伝えられた。スサノウの命を祀る。


 五角形の祭壇が在ると云う。八倉姫比賈神社と似ているのであろうか? ユダヤの影響とも云われるが残念ながら見ていない。今春再訪の時には訪ねたいものだ。

  

  https://www.youtube.com/watch?v=zsKxnETQFqs     4分   「神社ねこ」さんによる



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 送付されたもの3

 

 

   佐野神社


 神武天皇のゆかりの神社。神武天皇の東征の起点であるといわれている。

  


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  鳥居



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  拝殿





  勝占・かつら神社


 古代この神社の付近一帯は海であり、出雲系海人の豪族が支配していました。その大祖神である大己貴命を、海に突き出た中山の東端で展望の良いこの地に祀ったということです。元暦元年(1184年)3月10日に源義経が屋島へ向かう途中に参拝したと伝わる。



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  鳥居


 



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  拝殿





   五王神社


 例祭は昔から神輿などを出さずに地芝居や人形浄瑠璃などを奉納している。阿波人形浄瑠璃を演じる犬飼農村舞台があり、国の重要有形民俗文化財に指定されてす。 主祭神は水波能売神・埴山比神・豊受姫神・久々能智神・草野比神。創建年代は不明。



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  拝殿



   八人塚古墳  


  この日はツイていないのか居場所塗明が続きます。 ゴルフクラブの中にあるようなので、危険も伴うし入り口も判明しないので諦めた次第です。

 スサノヲの墓?とか言います。 古墳時代初期の積石塚古墳としては日本最大級の規模。 先に見た萩原2号墳と同じようなものでしょうか?




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  ゴルコ−スへ行くスロ−プから見た古墳?



         2024-1-14



 
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2024年01月12日

 お遍路5 #86志度寺 #87長尾寺 #88大窪寺



     
  

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  香川県88ヶ所地図 



 徳島ケンチョピアより鳴門海峡を通峡してヨットにて引田に入港しました。 徳島で19ヶ所をお遍路して、今度は香川県を廻ります。


   #86志度寺



 JR志度駅かあるいは琴電志度駅から近く徒歩で行ける。 また、ヨットでも近くの志度港に停泊して行くことが容易です。 藤原不比等の海士伝説ゆかりの寺という。 山一つ越えれば藤原氏の阿波の発生地があり、ここに藤原氏由縁の寺があるのには納得です。 お遍路の寺でも5重塔があるのは大きな勢いのあった寺であろう。

 


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  仁王門   大きな草鞋



 


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  本堂 




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  五重の塔







   #87長尾寺


  志度寺からタクシーを使ってしまったが琴電長尾駅からも近いようである。歩き遍路も可能である。

 長尾寺は739年(天平11年)年行基が本尊の聖観音菩薩を刻んで安置した。源義経の側室の静御前が出家得度したお寺と言われる。

 


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  大師堂




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  本堂






   #88大窪寺  


 八十八ヶ所結願(けちがん)の霊場「大窪寺」。徳島からヨットを引き返したので逆回りになち最後の大窪寺へお参りすることになりました。後で気が付くことになりましたが、杖が多く立てかけてあるところがあり、ここで巡礼に使用した金剛杖を返還するための物のようです。

 古くから女性の参拝を許していたので、「女人高野」と言われている。



 


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  山門



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  本堂

 

        2024-1-11



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2024年01月10日

邪馬台国は阿波にあったのか? 阿波・邪馬台国と日神子・卑弥呼


                           香川宣子さんによる



  



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  ひみこ地図


 黄泉の国を脱出したイザナギは、橘湾の海岸で同胞の卑弥呼(ヘフシバ・ヒゼキア后妃・日神子)、スサナウエ(スサノヲ)、ツアクヤン(後のシャル・ヤシュブ・月読命(つくよのみこと)たちと遭遇した。

 彼らはイザナギにアークの隠し場所にするところを尋ね、ここにスサノウを残して剣山に向かうことになる。 鮎喰川をさかのぼって船盡神社・ふなはて・歯ノ辻神社あたりで陸路に変えて剣山の鍾乳洞に聖櫃を隠した。下山して卑弥呼は高根山にある悲願寺一帯を拠点とした。

 卑弥呼・日神子は予言者イザヤ時代に実在したヒゼキア王朝の后妃ヘフシバのことです。大日簍命・おおひるめ(死後の名)、大宣都比賈・おおげつひめ、八倉比賈・やくらひめ、と呼ばれたりお稲荷さんになったり、伊勢神宮の豊受大神・とようけおおかみ で祀られた。

 卑弥呼はスサノウと結婚し多くの子を産みます。  スサノウの浮気が重なり卑弥呼は天岩戸に立てこもる。スサノウはこの騒ぎに2度と卑弥呼の元に帰ってこなかった。 スサノオは神山町須賀山に櫛名田比賈・くしなだひめ と新しい生活を始め、大国主命をもうけます。

 大国主伊命も絶倫で多くの子をもうけます。 その中にニニギ命と事代主命・エビスさんがいる。 やがて、大国主命軍(海人族)と卑弥呼軍(高天原軍)との大戦争に発展する。卑弥呼は敗れて気延山の一角で死に高根山にあった墓を聖徳太子が気延山山頂に移す。

 

 


    天石門別八倉比賈神社 ・あめのいわとわけやくらひめ


  卑弥呼の死後名の大日靈女命(おおひるめのみこと) - 天照大神を祭神とする。  残念ながら奥の院にあるユダヤを思わせる5角形の台座(磐座を見逃してしまう。今春予定の再訪時には見てきます。




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  気延山 周辺地図





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  「天石門別」「八倉比賣神社 」の記がある鳥居





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 拝殿




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 この柏手紋様はイスラエルの神から指示されたメノーラ(燭台)象った神紋といわれている





   船盡神社・ふなはて・歯ノ辻神社 

 

 歯ノ辻神社のバス停のすぐ近くにあり。 鮎喰川のすぐ近くなのでここまで船で登ってきたのに納得する。

 



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  鳥居





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 拝殿

 



 


   船盡比賣神社



 船盡神社・歯ノ辻神社の対岸にある。 小さな祠が見えるのみなので、ここかなと思う程である。 テレビ?で見たようなきがするが、ここに神代文字の幟があるというのは本当でしょうか。



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  むくのきの標識と左の三柱鳥居


 3柱鳥居の原型かともいわれる。 ユダヤに関する物とも云われる。

 


  天岩戸別神社



  天照大御神が石屋戸隠れをした時、八百萬神が集い神楽などで大神を誘い出し、この時手力男命が大神の手を取りて引き出した。

  その手力男命をお祀りしています。



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    天岩戸立岩神社



 立岩神社の御神体の巨岩は古事記や日本書紀に登場する天岩戸とする説がある。 鳥居をくぐり200mほど進むと神社の御神体である天の立岩があり、神社の後ろにある大きな岩が二つに割れている様子は岩の扉のように見える。



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  拝殿




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  ご神体、天の立岩  岩の扉のようです





       2024-1-9


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2024年01月07日

 新宮神社、白人神社、神明神社、三木家、東宮御所神社



 下記地図にあるようなJR穴吹駅より穴吹川に沿って新宮神社、白人神社、磐境神明神社、三木家、東宮御所神社を訪ねた。 それをするのに年金暮らしには身に過ぎた支出であり、人生最大のタクシー料金2万6千円の支払いになった。  昨年は入院を余儀なくされたこともあり、今回の徳島県訪問総額では15万以上にもなり、先行き不安の焦りが生じた老生にとって焼けっパッチ消費になった。

 穴吹川は四国一の透明度を誇る清流で四万十川を凌ぐものだそうです。川沿いの山間地も狭く人家はほとんど見られなかった。わずかに山の中腹の小さい平坦地に家が建っているのが散見された。古代にはそれゆえに何をして暮らしていたのかと思わされた。

 ユダヤの民でないかと云われる忌部族は天皇家の祭祀を司る民である。 悲眼寺に卑弥呼・天照大御神がいたということから,祭祀にしようする大麻や麻を栽培してこのような山地で暮らしていたのであろう。



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  三木家周辺地図



 

    新宮神社



 新宮神社の元社といわれる。訪ねてみればただの村社としか思えないたたずまいである。 すぐ近くに白人神社や磐境神明神社があるので、それとの関連地域ということで重視されているのではないでしょうか?




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   白人神社・しらひと  

 

  24代仁賢天皇の時代にこの地に白髪の老翁が天下り、この地を「宮内」と改めるよう発言したのが起源とされる。 狛犬ではなくうさぎが置かれている。



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 本殿



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  灯籠の上にウサギがのっている



 

    磐境神明神社・いわさかしんめい



  白人神社の横の駐車場の奥に鳥居と階段があり、奥宮といわれる磐境神明神社がある。 1740年代に発見された。竹内文書で5社3門の史跡とある。 古代ユダヤの神殿に似たつくりであると云われている。




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  ここの階段を登っていく




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 5社3門の石造りの祭壇





 

    三木家


 すれ違う車に充分に注意を払う細い山道を登りながらたどり着く。 まあ、限界集落という言葉があるけれど、当てはまりそうな山間の土地である。 ここに天皇の代替わりの大嘗祭に必須の麻の麁服(あらたえ)を制作・献上する忌部氏の三木家が存在する。

 訪ねた時には人影が見当たらずに母屋を見学することも無く立ち去った。




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  三木家  300円で中を見学できる

 

 栽培された麻は別の場所で麁服を製作されるようだ。

 



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  麻栽培畑  



 忌部の三木氏は忌部御所神社を奉斎した。

 



 


  東宮御所神社 と春宮神社



 近くを訪れた美智子様がここのことをお尋ねになったというが、舗装されていない山道を登りつめたところにあり、秘境中の秘境と呼ぶようなところである。 ぽつんと一軒家という番組のようなところである。

 



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  この案内板の赤矢印方面に行く




  祭神は、天照大神、国常立命・くにとこたちのみこと です


 



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  東宮御所神社





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  本殿






    春宮神社


  東宮御所神社とほぼ同じ位置と思える場所にある。 祭神は、土御門天皇,後嵯峨天皇です、


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  春宮神社の鳥居と下奥に見える本宮



    2024-1-7



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2024年01月05日

倭建命・やまとたけるのみこと・日本武尊

   

  老生の小学校の時代に夏休みの蝉取りなどの遊び場として、生まれ故郷の名古屋市熱田区にある断夫山古墳へよく行ったものだ。 それはヤマトタケルの妻の古墳という。 また、すぐ近くにヤマトタケルの古墳・白鳥古墳もある。 しかし、断夫山は6世紀ごろの築造というから時代が違い、今ではどちらも尾張の有力豪族の古墳と云われている。

  倭建命「やまとたけるのみこと」は阿南市橘町で12代景行天皇の子として生まれた。 成長して吉野川上流の脇町に住んでいた熊曽建「くまそたける」を殺害し国府町観音寺に住んだ。その後にも兄を殺害し、その猛々しさゆえに景行天皇はヤマトタケルを東方遠征に命じる。その勝利祈願に東道神社に向かう。丸木舟の軍団を従えて吉野川を東へと下っていったが、ヤマトタケルは生きて帰ることはなかった。 その子である14代仲哀天皇は「父の魂は白鳥になった」と言うて白鳥陵・白鳥神社を作った。 その神社は讃岐の白鳥町にも分祀されてある。



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 倭建命ゆかりの地図


 
  東道神社


 川島城近くの川島神社横にひっそりっとたたずむ。 東征だから東道なのであろうか。



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  東道神社  



 

   白鳥神社

 、東国を征定の帰途に毒に触れて亡なった日本武尊が白鳥となって天昇し、この地に舞い降りたとされている。仲哀天皇が建てたとされる。

 讃岐白鳥神社の元社である。

 

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  白鳥神社



     2024-1-5

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2024年01月03日

阿波にある元宮と 元寺

     


 675年の「吉野宮での会盟」四国を隠蔽する策略があったというが、その盟約とは天武天皇と皇后の持統天皇がその子の草壁皇子を次期天皇にする盟約で知られている。壬申の乱の頃に阿波を隠蔽する何かの必要があったのであろう。 吉野宮は下図9の倭大國魂神社あたりの地区にあったというので、また、持統天皇は下図の神山町広野にゆかりの人であるゆえに、まったくその隠蔽も間違いでは無いでしょう。 奈良にある吉野宮の前に阿波にその元の宮があったのかもしれない。

 伊勢神宮や他有名大社の阿波にある元宮を下記に上げます。

 

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 阿波の元宮・元寺図



   阿波の元宮・元寺

 1. 八倉比賈神社・国府町矢野      伊勢神宮・三重県 

 

 2  鴨神社・三好郡東みよし市      下加茂神社と上加茂神社・京都府



 3. 松尾神社・名西郡神山町      松尾神社・京都府

 酒造の神様を祀っている。 「天岩戸神楽」が新年に奉納される。

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 松尾神社



 

 4. 稲荷神社・阿波市市場町     伏見稲荷大社・京都府

 稲荷神社なので赤い鳥居。養蚕業が盛んな地ゆえに、蚕の神として信仰をあつめる。ゆえに



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 5. 住吉神社・藍住町住吉       住吉大社・京都府、博多、下関

  航海の安全を祈願する。 義経が屋島の戦いにむけて祈願した伝承がある。



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 6. 諏訪神社・多祁御奈刀弥(たけみなとみ)・名西郡石井町      諏訪大社・長野県



 事代主命と(多祁御奈刀弥神社の祭神)建御名方命は兄弟神である。



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 7. 熊野大明神・板野郡熊野庄      熊野神宮・奈良県

 8. 樫原神社・阿波市土成町      樫原神宮・奈良県

 9. 倭大國魂神社・美馬市美馬町    大和神社・奈良県、大国魂神社・東京

 10. 法谷寺・徳島市南庄町       法隆寺・奈良県  



   2024-1-3


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2024年01月02日

2024年 新春



能登半島地震の被災者の皆様へ 心からお見舞い申しあげます。





  明けましておめでとうございます。

  本年も宜しくお願い致します。

   
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   昨年はクル−ジング中に入院することになり、大変でしたが。 最悪の場合になることは避けられた。
 秋には恒例の巡航にも行くことができました。 それらは、皆様方に大変にお世話になった結果だと感謝しております。 ありがとうございました。



 昨春にせっかくコロナが明けたと思いきや、中東で戦争が始まりました。ウクライナと中東への戦力投入で、力を削がれた形となった東アジアに、新しき紛争が懸念されます。 先行き暗い予想ばかりですが、乗り切りたいものです。





 そんな訳で、お屠蘇気分ゆえに許されるのかと「深刻なお話」、「とんでも話し」等をお送りいたします。



   伊藤貫×水島総「アメリカの偽善主義外交の破綻が露呈した2023年!!

  https://www.youtube.com/watch?v=LOSWGf3my9w    90分



   2024年度予算 難しい財政状況

  https://www.youtube.com/watch?v=c2cQum73xKM



   門田隆将】中国から日本を守るのは「高市早苗総理」しかいない

  https://www.youtube.com/watch?v=FxfNolltxUY     27分




    東京ホンマもん教室】新春スペシャル 藤井聡×泉房穂 藤井聡×高市早苗

  https://www.youtube.com/watch?v=5KDCYXfUDl8


 林千勝が説く! 日本再生の道しるべ

  https://www.youtube.com/watch?v=VJ7hY_iZMnk    20分


   最後に願いを込めて

  ロ短調ミサ曲– Dona nobis pacem  我に平和を与え給え (Bach Collegium Japan)

  https://www.youtube.com/watch?v=ffrsc3wdBt4    3分  いいね



    2024-1-1


 


 
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