2024年11月30日

もしや 戦争が!  緊急衆知

 




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  スウェーデンが国民に配布したパンフレット「危機や戦争が来たら」



スウェーデンが戦争に備えるためのパンフレットを配布したニュースを読んだ後に、青山さんのYoutubeを見る。 個人的にはヒョットしてあるかもと危機感を持った次第です。 田舎の老人が述べても役に立たないのは現実ですが、テレビなどの大型オ−ルドメデイアは取り上げないのはいつものことです。

 日本はシェルタ−など一切の用意もなされていないので、庶民が準備をしても藻屑となる公算は多いと思われる。大地震に備える震災防備品くらいは必要かもしれません。 心の準備でも。

 青山さんが述べるように、 トランプ登場で英仏がウクライナに派兵して、戦争がが拡大してミニ大戦が起きる可能性はありでしょう。

 露中の爆撃機編隊が対馬と韓国の間を飛行して、韓国の防空識別圏に無断での侵入したニュ−スも今朝報道された。 プーテインにとっては習近平が失脚する前の、また、(これは小さいが)政権基盤が小さい日本の首相がいるこの時期が最大のチャンスなのかもしれません。



  青山繫晴 【ぼくらの国会・第850回】「駆け込み戦争?露北VSウ英仏 ミニ世界大戦」  21分

  https://www.youtube.com/watch?v=PnIMrF_Enzk&t=826s



  ウクライナへの派兵議論か 英仏、米の支援停止を警戒

  https://news.yahoo.co.jp/articles/385ab7720aa6c52338f0e26479957fd82d766527


   プーチン氏「政府中枢」への攻撃示唆

  https://news.yahoo.co.jp/pickup/6521104


  スウェーデン政府が国民に「戦争への備えを呼びかけるパンフレット」500万冊を配布

  https://earthreview.net/in-case-of-crisis-or-war-sweden/

  https://news.yahoo.co.jp/articles/aa054f68508b947012727bf162e07c90469dd52e



   青山繫晴 「習近平主席 失脚の予言が現実に」

  https://www.youtube.com/watch?v=67ufr_lAenk&t=761s


       2024-11-30

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2024年11月28日

野忽那島



 

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  忽那諸島の連絡航路図



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  野忽那島



 睦月島より高速船に乗り野忽那島へ行く。 忽那海賊の縁の地を探しながら、何も見つからず、皿山展望台ヘ登る。 恐らく砦跡か見張り台があったと想像されるが説明案内が無い。 そこから眺めると南東には村上海賊の鹿島、西の興居島北の倉橋島、仲間の>睦月島と中島が見られる絶好の見張り位置である。



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  野忽那島からの展望




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 皿山展望台にあった灯台か砲台と思われる跡


 島にはお店がないので連絡船待合所で昼食を食べた。 なおフェリ−には時間帯によると思うが売店でお弁当を売っていた。

 なぜかしらお風呂屋の廃業跡がグ−グルマップにも載っていて見てきた。こんな孤島に風呂屋があったのが稀有なことなのであろうか。



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 風呂屋跡




    野忽那島  ヨット泊地



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  青丸は候補地


 泊地候補は高速船のポンツ−ンの上図左側、フェリ−岸壁に並ぶ階段のあるところ、長い防波堤、湾奥にあるポンツーンが考えられる。北東風の強風になやまされたが、緊急の非難であれば、ここでもしのげそうな気がした。


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  高速船用ポンツーン



   2024-11-28


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2024年11月26日

松山 ヨット泊地 考察

    


 道後温泉に行くために松山堀江海の駅はヨット停泊地に選ばれがちである。他の候補も知られていない。しかし、そこは北東風が強風の時は港の構造に問題があり直接に風波が押し寄せる。 ヨットが動揺して大きなフェンダーでも持たないと難儀することになる。 台風でポンツーンが壊れたこともあるといいます。堀江はガソリンスタンドが閉店して給油は不便になった。

 今春に小生が立ち寄った際にはさんざん揺らされたので、今秋の寄港の際には、時化が予想された時には懲りてここから中島へ避難した。 しかし、北東風の強風でここでも悩まされる。 松山周辺のヨット泊地を探訪してみた。


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 松山のヨット泊地 周辺図



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 松山市内の泊地・三津浜には停泊余地が見当たらない




   松山商業港 大可賀 ヨット泊地

 ここに2泊したが大きな港ゆえにウネリが入り込み軽快ではなかった。 ナギの時には利用できるであろう。 バスにて松山市駅に行くことができる。 下図の青丸候補地はハシゴのある場所が2ヶ所あるけれども、タグや作業船のジャマになるかもしれない。

 

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  松山商業港 大可賀  赤丸は停泊地、 青丸は候補地



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 大可賀の岸壁 上図の赤丸の泊地、 約3mの潮差があるけれど階段はある。 ウネリに悩まされた。



 

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  青丸 候補地




    興居(ごご)島のヨット泊地

 興居島へは高浜よりフェリーが1時間おきに由良と泊の2ヶ所に寄港している。 料金も250円なので近くて安く便利である。船内でレンタサイクルの申し込みもできる。

 かっては高速船が就航していたようでフェリーに変更になったので、そのためのポンツーンがある。由良のものは他船が利用しているようであるが、泊のポンツーンは空いているように見えた。 まずは、泊のそこを目指して利用できないのであれば、船越の緊急用ポンツーンが良いと思われる。大きなものでジャマにはならないであろう。もしダメなら横に予備のポンツーンがあるので心配ないでしょう。 高浜から電車で松山市駅にいくことができ市電で道後温泉に行くことが出来る。


 

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  由良のポンツーン、 空はないようだ


 

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 泊のポンツーン



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 緊急バース、 右には予備バース、ここならいつでも良いか?





     伊予のヨット泊地

 この港は諸風を防ぐので東西の強風でも都合が良い。 欠点は潮差により岸壁が高くなるので低潮時に入港すると。もやいを取るときにも岸壁に上がれないので、通りかかった釣り人に頼むしかなくなる。

 伊予の駅から伊予電鉄にて松山へ行くことができる。買い物もコインランドリーも便利である。

 

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 伊予港

 

      2024-11-26




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2024年11月24日

黒岩城 再訪

 

    黒岩城


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 さすがに水軍城のひとつ、城跡から大浦湾が望め見晴らしがよい位置にある。 



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  黒岩城



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  案合板



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 中島・大浦港を望む





   黒岩城 再訪




 前回は断念したのを今回は登ってきました。 登り路はロ−プやチェ−ンで整備されていますが、倒木があったりでそろそろ再整備が必要だと思われた。本郭の山頂へは15分ほどで行ける。

 忽那水軍のっ歴史に詳しい忽那裕三さんによると、「忽那島本島を攻略するに、各攻撃軍とも本拠地の大浦湾を、直接攻めることはしなかった。大浦湾は奥行き1000メートル以上、間口700メートルの入り江で、湾内に軍船をもって侵入すれば、左右の両側面より攻撃をうけ、そのうえ後方の牟須岐島・睦月島の梅ノ子城(うめのこじょう)や粟井浦より退路をふさがれる。上陸をしたとしても、北の泰山城(たいのやまじょう)、南の本山城(もとやまじょう)より挟み撃ちにあってしまう」と解説。

 また、「忽那島に3年間滞在したとされる懐良親王がどこに居住されたかについては諸説ある。私説ではあるが、ご逗留願うには、安全面を確保しやすい黒岩城しかありえないと思われる。一行12人が生活する利便を考えたとき標高59メートルの小山というより岡である」との見解を示された。

 


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  縄張り図






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  登り口。 神社の手洗い場の近く



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 太い倒木がジャマしている



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  石垣跡か?


 

     2024-11-24


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2024年11月22日

中島・忽那島 バス一周


 中島・忽那島に停泊中に、北東風の強風に見舞われた。台風以外にフェリーが欠航することが少ないと云う日になった。 レンタサイクルで出かける日でもない。 そこで、島を一周している路線バスにて見て回ることにした。

 大浦港と西中港は島を横断することになるトンネルで結ばれている。 前回訪問した時にはそこを抜け、自転車を借りてトンネル以南を走破した。今回は、トンネル以北の北半分を廻るバス路線があるので乗車した。 その後神浦(かんのうら)にある忽那公碑を見に南回りの路線に乗った。

  中島には大浦港、神浦港、西中港へ連絡船が入出港する時刻ごとに合わせて連絡バスが運行している。東西航路のどちらかが天気の関係で運休しても、バス利用して中島の島民は松山へは行けるようだ。今日は東航路は運休で、西航路は走っていた。

 

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忽那諸島 中島汽船航路図、 赤線は東航路、青線は西航路、 フェリーと高速船が就航



  北回りコ−スでは途中でバスが停止して運転手さんが降りて倒木を取り除く珍しい場面に出くわした。 周辺の民家も少なく住民重視の福祉路線のようだ。 私一人が乗客である。



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  運転手が降りたシ−ン、  



  南回りコースは神浦(かんのうら)で下車して忽那公碑を見る。 南北朝時代に活躍し忽那水軍の黄金期を支えた忽那義範が、南朝方の懐良(かねなが)親王を北朝の足利方からお守りしたことを称えている。忽那諸島を今回に巡ったけれど忽那水軍・海賊を記念したものはこれひとつだったような気がする。懐良親王がどこに住んだのかも分からなかった。

  忽那義範は鎌倉時代後期から南北朝の時代の忽那諸島を本拠とした水軍の武将。南北期は宮方に属した。南朝の懐良親王をこの島に1339年から3年間保護した。軍功により柱島や備後の灰田郷の地頭職、周防国長野郷地頭職を安堵される。晩年は、足利尊氏との対立により宮方に転じた足利直冬と連携し活躍した



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 忽那義範公表忠碑、  瀧神社内


      2024-11-22


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中島・忽那島 バス一周

   

 中島・忽那島に停泊中に、北東風の強風に見舞われた。台風以外にフェリーが欠航することが少ないと云う日になった。 レンタサイクルで出かける日でもない。 そこで、島を一周している路線バスにて見て回ることにした。

 大浦港と西中港は島を横断することになるトンネルで結ばれている。 前回訪問した時にはそこを抜け、自転車を借りてトンネル以南を走破した。今回は、トンネル以北の北半分を廻るバス路線があるので乗車した。 その後神浦(かんのうら)にある忽那公碑を見に南回りの路線に乗った。

  中島には大浦港、神浦港、西中港へ連絡船が入出港する時刻ごとに合わせて連絡バスが運行している。東西航路のどちらかが天気の関係で運休しても、バス利用して中島の島民は松山へは行けるようだ。今日は東航路は運休で、西航路は走っていた。

 

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忽那諸島 中島汽船航路図、 赤線は東航路、青線は西航路、 フェリーと高速船が就航



  北回りコ−スでは途中でバスが停止して運転手さんが降りて倒木を取り除く珍しい場面に出くわした。 周辺の民家も少なく住民重視の福祉路線のようだ。 私一人が乗客である。



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  運転手が降りたシ−ン、  



  南回りコースは神浦(かんのうら)で下車して忽那公碑を見る。 南北朝時代に活躍し忽那水軍の黄金期を支えた忽那義範が、南朝方の懐良(かねなが)親王を北朝の足利方からお守りしたことを称えている。忽那諸島を今回に巡ったけれど忽那水軍・海賊を記念したものはこれひとつだったような気がする。懐良親王がどこに住んだのかも分からなかった。

  忽那義範は鎌倉時代後期から南北朝の時代の忽那諸島を本拠とした水軍の武将。南北期は宮方に属した。南朝の懐良親王をこの島に1339年から3年間保護した。軍功により柱島や備後の灰田郷の地頭職、周防国長野郷地頭職を安堵される。晩年は、足利尊氏との対立により宮方に転じた足利直冬と連携し活躍した



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 忽那義範公表忠碑、  瀧神社内


      2024-11-22


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2024年11月20日

下蒲刈 ヨット泊地 再考察





 ヨットマンの聖地と云われていた弓削海の駅は最近は上関にその地位を譲りつつある。 その中間に下蒲刈がある。40マイル近くのの距離でどちらへもちょうどよい泊地となる。

 瀬戸内の風は強い時には季節により東西の風が続いて吹く。 11月前後には北東の風が主風となるようだ。 その状況によりA,B,Cの3つの泊地が考えられる。



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  A,B,Cの下蒲刈泊地



A, 丸谷  クルーズ船用ポンツーン

 西風強い時には適。 金土日月の午前中には写真左側に「島たびクルーズ船」が寄港する。 午後に着き朝早く出るのならどこに着けても問題ないようだ。 買い物と給油には不便である。

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 丸谷ポンツーン

  ここのポンツーンが利用できない時にはすぐ近くの大型作業船が着けている漁船用ポンツーンの下図青丸の一部に空があるようだ。



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 赤丸は停泊地、青丸は候補地、Xは不適泊地



B,  見戸代 旧連絡船ポンツーン

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 赤丸 停泊地

 西風が強い時には適。 すぐバス亭があるので呉に行くのには便利。



C,  向・ 上蒲刈島


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  赤丸は停泊地、 ポンツーンの両サイドは作業船がそれぞれ利用している

 東、北東風の強い時には適。 小さな食料品店がある。弁当くらいは買える。



    2024-11-20



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2024年11月18日

泰ノ山城  再訪

 
  泰ノ山城 

 文治5年・1189年に築城。泰ノ山は高さ289mで付近の忽那七島を一望する。北に安芸灘越に安芸の島々を見、広島を見通す。伊予・周防・安芸をまたぎする瀬戸内水運の関となり、西瀬戸の制海権を掌握する位置になる。  南北朝時代には瀬戸内最強の水軍になる。

 今回は訪ねることが出来なかった。 忽那水軍は中島に荒天避難のために予定外の停泊をするまで、ノーマークであった。本も2冊手に入れたので読んで機会があれば再訪したいものです。



    泰ノ山城、 再訪



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  泰ノ山城 周辺図


 前回からの書き足しで、文治5年(1189年)に忽那氏5代の兼平が築城し、天正13年(1585年)、小早川軍の攻略までの約400年間、忽那水軍の拠城であった。

 1日200円のレンタサイクルで途中の長善寺で自転車を置き、そこから徒歩30分の登り路を行く。泰ノ山山頂から南西に下ったところが城跡のようだ。 ミカン畑といっても傾斜地でこのあたり全ては栽培地になっていた。


 

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 案内板


 腰曲輪と井戸と城壁の石垣があるというけれど、見つけることができなかった。南北に望めば倉橋島や大浦湾が見通すことが出来て船の通航監視にはふさわしい場所である。



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  長善寺




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  大浦を望む

 

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 倉橋島方面を望む



        2024-11-18


 
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2024年11月16日

音戸の早瀬瀬戸 と 女猫の瀬戸

  音戸の早瀬 と 女猫の瀬戸



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  倉橋島海の駅から下蒲刈へ



  倉橋島海の駅より次の寄港地下蒲刈へ行くには2つの航路が考えられた。

1. 鹿島大橋を抜けて蒲刈大橋を通航していく航路

  距離は最短である。 北東の風の時には風力強く、上りになり厳しい

2. 音戸の早瀬を抜け音戸の瀬戸を通峡して安芸灘大橋(女猫の瀬戸)を航行する航路

  距離長く、狭水道航法になる

 秋のこの時期は季節の変わり目で北東風が継続して強い時期である。そのため倉橋島では3泊して天候の回復を待った。慎重を規して早瀬の航路を選択した。


   早瀬の瀬戸

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 早瀬大橋  橋高36m

 江田島と倉橋島に架かる早瀬大橋は呉からの軍艦の航行が考慮されているので高さはある。 早瀬の瀬戸の航行は倉橋島側に接近しすぎてヒヤリとした。 



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 早瀬の瀬戸  倉橋島側に浅いところがある





 音戸の瀬戸ではいつものことであるが松山からの高速船に水路の中央で出会う。小型船どうしなので左舷対左舷でかわした。


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  音戸の瀬戸





   女猫の瀬戸


 今回は下蒲刈の真近の女猫の瀬戸で難儀をした。下図の黄色の航路で見られるように下蒲刈側に寄って安芸灘大橋を抜ける寸前まで航ったが速度ゼロになり進まず。 大きく落とされて本土側を目指して針路をとった。反流をつかんだのか進み始めて下蒲刈港に入港することができた。 何度もここを通航したがこんな目にあったことはない。 最強時の反流にあったのであろうか。気をつけなければなるまい。



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  安芸灘大橋


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 女猫の瀬戸


    2024-11-16


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2024年11月14日

熊山遺跡 と 楯築遺跡

 
熊山遺跡



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 熊山遺跡の周辺地図



 熊山遺跡には山陽本線の熊山駅で下車して、タクシーにて訪れた。 車の中から途中の山道を眺めると、老体にはその道を登るのは無理だと感じられ乗ってきたのは正解であったと思われる。 この遺跡を訪ねるには徒歩なら1日を用意しなければならないであろう。



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  熊山遺跡



 上写真のようなマヤ・インカの遺跡を思い起こさせるピラミッド形式である。 付近に30余もこれらがあるというが見ていない。

奈良時代の仏教遺跡であろうと云われているが、まだ謎である。 方形の竪穴の中には、古墳によく見られる円筒埴輪のような陶製筒形容器(とうせいつつがたようき)と奈良三彩小壺(ならさんさいこつぼ)が納められていた。陶製筒形容器は奈良県天理参考館に収蔵されており、奈良三彩小壺は現在失われています。

 

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 陶製筒形容器  天理大学保管






   楯築遺跡 ・たてつきいせき

 

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 楯築遺跡の周辺地図



 JR山陽線の庭瀬駅で下車、タクシーにて楯築遺跡にむかう。途中に王墓山古墳をチラ見してたどり着いた。 帰りはタクシーを呼び吉備津神社まで行き、徒歩てJR吉備津駅から帰還した。


 
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 2世紀頃の卑弥呼の時代の墳丘墓です。円丘部とその両側に長方形の突出部をもつ特異な形をししており、ストーンヘンジのように巨石が立っています。このストーンサークルは、伝説の上では、温羅(鬼)の射た矢を防ぐ「楯」を「築」いたものと伝えられていますが、墳丘を築いた際に、何らかの祭祀を行う場として作られた説が有力なようです。



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 復元想定図

  上図のように円丘部の上下に長丘部があるが、宅地開発と給水塔の工事で失われている。 現在は給水塔の撤去工事が行われている。

 

 当時には高価な水銀朱が発掘されたところから、相当高貴な方の墳墓だと思われる。 卑弥呼の時代の当地・吉備国は大いに発展していたことがうかがえる。

 すぐ横に宝物館があり、窓から暗いながらも亀石を覗き込むことがでる。




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 発掘風景  赤い水銀朱



     https://www.youtube.com/watch?v=j-gSSr5JdiQ  10分



 徳島で見た日本最古の古墳と云われる萩原2号墳の形状とよく似ている。

 

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 萩原2号墳

https://hayame.net/custom45.html#spb-bookmark-1190


    2024-11-14


 
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2024年11月12日

忽那山城・くつなやまじょう

   忽那山城・くつなやまじよう、 銜山くつわやま城・轡山くつわやま城


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  忽那山城の周辺地図

 

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  田能村竹田三津浜図  1834年  忽那水軍史より転載



中島よりフェリーに乗り三津浜で下船。 タ−ミナルより南へ海岸沿いを歩く。 岸壁の倉庫、オイルタンクや工場を過ぎると小山のようなものが海に突き出ている、往々にして岬の端にそれがあれば城・砦跡であるのであるが、まさにそのとうりで忽那山城跡であった。 その周りを廻ったけれど案内板も登り口も見つからなかった。 衛生センターが大きく囲んでいる状況で見つけにくいわけである。


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  忽那山城、 50mほどの高さである、 



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 登り口と思われるところ


 第11代忽那重勝が1346年頃にこの地域を得て、忽那山城・砦を築いた。ここで九州関係の船の出入りを掌握した。

この城は元は島であった。この城の築城と共に北吉田の「大濱新田」が忽那一族のもとで開発された。その後松山藩により、戦中はあのB29と激闘した松山航空隊の基地として、戦後は工場用地として開発されてきた。


      2024-11-12


  
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2024年11月10日

2024年 秋巡航  忽那諸島



 

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 その1  児島から中島



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 その2  忽那諸島

 

 今度の巡航は忽那海賊のゆかりの島々を訪ねることであった。松山市に中島町は合併したことから、市の教育委員会や観光局は忽那海賊を取り上げる意向が薄れてしまったようだ。 現地の島々には案内の立て札は存在しない。 それゆえに現地へ行くには、余ほど十分な下調べが必要ということになる。

 10月30日に船検があるということで9月25日に小生はマリ−ナ入りを果たしたが、受検の日程が1週間延期されてしまった。 例年なら台風の本土上陸が止む10月半ばごろからクルーズの計画を立て、 実行していたけれど、今回は船検の統合で早めに児島へ来た。 今年は夏の猛暑を引きずっていた来訪日であったので出港する日までクソ暑さに参った。 クル−ズを終えて11月初めの帰港日まで、北東の強風に悩まされてヨットで訪問するはずの島々の泊地の情報が不確かなため、忽那諸島にはフェリーや高速船を利用することが多くなった。 この時期の天候は季節の変わりに目あたり悪天候が続いた。低気圧接近して雨の日のほうがヨットにはむしろ良かった、その後高気圧が張り出してくるとその周辺の強風が続き悩まされることになる。かって伊予灘の北東風の時化にエライ目にあった覚えがある。

 泊地情報は足で稼いできたつもりであるので、この後ここでご報告申し上げられるであろう。

 30歳までの47年前に、フェリ−の乗組員をしていた。休暇で下船した後にその2000トンのフェリーが衝突して沈没した。上司とお客さんが亡くなられた。 誤解していたその位置も判明してお花とお酒を海難慰霊碑に捧げることができたのは、最大の幸運であった。



  巡航日程

9−25  児島到着

9-26  船検備品購入に岡山マリンへ、 火薬類は購入できず

9-30  下津井船具屋にて 小型船用火せん註文

10-1  鷲羽山 展望台へ行く

10-2  セールカバー縫い

10-3  ヤンマー部品注文

10-4  火せん 受け取り

10-7  JCI  定期検査 沿岸小型合格

10-8  検査合格書類を受け取りに岡山JCIへ

10-9  機関ストップワイヤ−交換

10-11 機関ミキシングエルボ交換

10-12  熊山遺跡、吉備津神社、王墓山古墳、楯築遺跡らを見学

10-14  児島より弓削海の駅、

10-15  弓削泊、 潜水して船底カキ落とし

10-16  弓削より下蒲刈へ、 下蒲刈泊

10-17  下蒲刈より中島へ、 中島泊

10-18  中島泊、 泰ノ山城、長善寺、黒岩城、

10-19  中島泊、 フェリーにて松山三津浜へ、道後温泉、忽那山城へ

10-20  中島泊、 風速20mにてフェリ−欠航、 島内バスにて島一周、忽那公碑

10-21  中島泊、 フェリ-にて睦月島へ、梅の子城、梅の子砦、高速船にて野忽那島へ里山へ

10-22  中島より松山三津浜商業港へ、  松山商業港泊

10-23  松山商業港泊  フェリーと高速船にて二神島と津和知島へ、釣島にてフェリーが岸壁衝突事故で頭部と肩に打ち身、  

10-24  松山商業港より再度中島へ、 途中に釣島入港、 中島泊、

10-25  中島泊、 高速船にて松山高浜へ、興居島へフェリ−にて渡る、道後温泉で入浴

10-26  中島泊、 怒和島の元怒和と上怒和にフェリーと高速船で行く

10-27  中島より情島へ、 ふたば海難慰霊碑へ、情島より柱島へ、柱島より倉橋島海の駅へ、 倉橋島泊

10-28  倉橋島泊、 宮の口の街並み,室尾の街並み

10-29  倉橋島泊、  バスにて呉行き、 呉湾内クルーズ乗船

10-30  倉橋島から音戸早瀬、音戸の瀬戸と女猫の瀬戸経由で下蒲刈へ、  下蒲刈泊

10-31  下蒲刈泊、  蘭島閣各美術館

11-1  下蒲刈から弓削へ、 弓削泊

11-2  弓削泊、 インランド温泉入浴

11-3  弓削から児島へ

11-4  児島泊、 バックスエイアジャスターロ−プ交換

11-5  児島泊、 大型俵フェンダー製作

11-6  児島泊、  機関冷却サーモスタットとゴムホ−ス交換

11-8  わが家へ帰還





      2024-11-10








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