2014年12月06日

ポーランドとシラフタ

  伊東孝之さんによる

  
   polhistory.png

悪名高い分厚い高校の世界史教科書にもシラフタは登場しなかったように思います。シラフタは武士・士族のようなポーランドの封建支配層です。ポーランド史では基本的な事項ですが老生は知りませんでした。

 ルソーによるとポーランド18世紀中頃では、国民の全てであるシラフタ、無である町民、無以下である農民の3つの身分からなると述べています。

 ポーランドでは国王は血筋が絶えてからは選挙で選ばれています。 シラフタは階層分化が生じていなくて、形式上まったく平等であった。それは議会や国王選挙にあてはまった。 この身分は珍しく完全に閉じられて、他の身分からの上昇は極めてまれであった。数的には10%にも達する多さで、英仏は1-2%の数です。シラフタの平等意識は強かったけれども、シラフタ内部の貧富の差も激しく、国王にも等しい位の上流シラフタ、村をもつ中流シラフタ、農奴を持たないで自から耕す小地主シラフタ、土地さえ持たない多数の裸シラフタに4つに分かれていた。 ローマ共和政の市民と同じともいわれる。
 19世紀の民主主義の進んだといわれる英国の選挙民が3%であったと比較されて数も多くシタフタ民主主義はすすんでいたといわれている。

 国民意識の中核をシラフが担い、強いエリート意識を持ち、第1次世界大戦後に独立するまでの主体はシラフタであった。
 農奴はプロイセン領やオーストラリア領に次いで1864年ロシア領で解放されたので、多数の自由になった農民が民族意識を持ち教育を受け、国民意識の主要な担い手となるのには時間がかかった。




  ポーランド・ハンガリーのリュート音楽  演奏ラゴスニック  13分
  https://www.youtube.com/watch?v=u6t0svS8-PA

     2014-12-6


  ソフィン戦争 隣国が大国である小国の運命
  http://hayame2.sakura.ne.jp/details1016.html#ソフィン戦争
  ポーランドとの友好
  http://hayame2.sakura.ne.jp/new1003059.html#ポーランド
  杉原千畝
  http://hayame2.sakura.ne.jp/details1024.html#杉原千畝



posted by 速魚 at 05:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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