2015年04月18日

ボッテイチェルリの生涯

 ボッチチェリとルネッサンス美術展を見て


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 受胎告知の右側部分



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  受胎告知の左側部分


 ボッテイチェルリとルネッサンスという美術展に行ってきました。英語表記はMoney and Beauty 副題はフィレンツエの富と美です。
 大好きなルネッサンスとボッテイチェルリなので飛びついて行きました。会場に入るとすぐにフィレンツエ金貨の展示です。うーん予想外の展開です。展示の趣旨は副題のとうりです。それでは集客が悪いと、日本主催者の判断で見えにくくなっていたものと想像します。たぶん外国で英文のタイトルどうりの企画展をやっていて、それをそまま輸入したというのが実情ではないでしょうか?老生としてはフィレンツエは大変結構なんですが、勝手な思い違いでした。
 日本へ外国の展示物を多くを持ってこれない事実があるので、それ相応の絵の数です。やっぱり上野あたりの美術館の同種の展のほうが数が多いような気がしますけれども。

 今回の目玉はフレスコ画の受胎告知でしょう。243x555cmの大きな展示です。上にその左右の1部をのせました。右のマリア様の絵の稚拙さをお感じになりませんか?どこにもそのことは述べられていませんが、老生は彼の他の作品の聖母とは違和感を感じてしまいます。修復作家が書き足したものか、または弟子の描いたもののように思います?

 ボオッチチェルリはフィリッポリッピやヴェロッキオの工房で学び、独立します。メデイチ家の大ロレンツオの庇護をうけ、そこで新プラトン派の哲学者から刺激をうけて、ヴィーナス誕生やプリマベラ・春などのルネッサンスを代表する絵画を描きました。メデイチ家は資産管理もできずに散財もしすぎて破産します。ロレンツオの死後、フランスのフィレンツエ侵入を許し、メデイチ家は追放されます。その混乱に乗じてルネッサンスを否定するサヴォナローラの神権政治が台頭します。ボッテイチェルリの作品も焼却されるものがでてきました。彼もサボナローラを信仰するようになり、作品の輝きを失い,1510年に失意のうちに亡くなりました。創作には大きくその精神的なものが影響する良い例ですね。



 年      事項                      メデイチ家動向
1445   サンドロ・ボッチチェルリ生誕
1464   フィリポ・リッピの工房に弟子いり          コシモ・デ・メヂチ死去
1466-67 ヴェロッキオ工房に出入り
1472   サン・ルカ画家組合に加入
1475   東方三博士の礼拝

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 自画像・左の絵の右端部分
1478                     ジュリアーノ・メデイチ暗殺・パッテイ家の陰謀
1477-78   春・プリマヴェーラ

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 1482 パラスとケンタウロス


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 1483  三美神を伴うヴィーナスからの贈り物を差受かる若い婦人

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 1483・5   ヴィーナスの誕生

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 マニフィカートの聖母


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1492                              ロレンツイオ・メデイチ死亡
1494  メデイチ銀行解散、フランス軍侵入            メデイチ家追放
    サヴォナローラ神権政治

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1497   虚栄の焼却
1498   サヴォナローラ絞首刑にされる

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   今回の展示品にあり

1501   神秘の降誕

sinpikoutan.jpg

1503                            ピエロ・デ・メデイチ水死
1510  死亡、オニサンテイ協会に埋葬


     2015-4-18
posted by 速魚 at 07:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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