2015年05月20日

戦艦ポチョムキンと女帝エカテリーナ   大幡

     軍国少年の”海と空”のものがたり  その2


     potyomukin.png


 「戦艦ポチョムキン」は1905年黒海艦隊に就役した。かつ、エイゼンシュタイン監督による映画の題名でもある。
 映画の世界では、チャプリンの「黄金狂時代」と共に無音映画の双璧としてあげられる。1905年オデッサにおける水兵の叛乱を題材として、特にリシュリユー階段での水兵の一斉射撃下、幼児をのせたうば車が母親の手を離れて、ゴトゴト下へ行くシーン。之が名場面として称えられている。
 結果は、叛徒を抑えようとセバストポリ港から出撃した戦艦5隻よりなる艦隊と、迎え撃とうと出港した「戦艦ポチョムキン」がオデッサ沖ですれ違い、両軍の水兵がウラーと歓声をあげ、「兄弟たち」「オオ」の字幕が出て終わる。
 ところで、「ポチョムキン」とは女帝エカテリーナ治世下で再も功績のあった宰相であり、且つ、成年期には女帝の愛人でもあった。
 さて、このエカテリーナ、大変な女である。(アンリ・トロワイヤ著女帝エカテリーナによれば)1727年、プロイセンの貧乏貴族の生まれで、14才の時、たった4台の馬車でロシア宮廷に輿入れするこになった。皇女和宮の行列が一宿場を通り抜ける」のに、3日3晩かかったのに較べ、何と貧弱なことか、之には反対派の目をあざむく一面もあったが。
 嫁して十余年、夫「ピョートル三世」をほうむり女帝に就いたのみならず、在位34年間後宮に10人余の公式愛人を歴任させた。あるフランス外交官によると、

 オルローフ兄弟        (添付資料 1)
 (ヴィソツキー)     リムスキーコルサコフ
 ヴァーシーリチコフ   ランスコーイ
 ポチョムキン      エルモーロフ
 サヴァードフスキー  マモーノフ
 ジーリチ         ズーボフ兄弟
 となる。

 余談だが、ここにあるリムスキーコルサコフは著名な音楽家とは全く別人である。
 ポチョムキンは1770年、31歳の時に10才年上の女帝エカテリーナの寵を得て3代目としてねやに伺候することになったが、数年後には陸軍副長官としてブガチョフの乱を制する等、夜昼精励を盡した。
 一方、その在位中に二度の露土戦争に完勝して、黒海北岸に面するウクライナ・クリミアに版図を拡げ、大いに治績をあげた名君でもある。 
  
   付図 1
              エカテリーナの治績図


     ekaterina-map.png
  


 この新領土、ドニエプル河巡航時に、ウクライナの「ポチョムキン村」という話がある。女帝の巡行に合わせて一日限りの王道楽土を演出した。著作の一部を引用する

  資料2  P344-2か所

  「船はしばしば河岸に横付けになる。家々の正面は、花輪や壁掛けで飾られている。すべてがほほえみ,親しげで、富栄えている。ロシアには幸福な人間しかいないとでもいうように。荒果てあばらやは一軒もない。ぼろを着た乞食もいない。人相悪い連中は河からはなれた奥地に追いやられてしまったし、くずれかけた陋屋はペンキ塗りの木の小屋築で隠されている。ポチョムキン式極楽とでも言おうか、」  P344 その1引用

  「様々の演出が船とともに移動しつつ繰り広げられる。無から村落が出現する。一夜のうちに、労働者が一度しか人の通らぬ道路を切り開く。一度しか目に触れぬ庭園を造りあげる。女帝が通り過ぎると、これらの不幸な人々はまた家に追い帰らされた。」
         P344 その2引用

 余談だが、ソ連時代に似たような話があり、西欧の名だたる言論人がたやすくあざむかれたが、このような詐術はロシア人の特性なのか!
 長い内陸国家の歴史を経て、ようやく、大帝「ピョートル一世」がバルト海に覇を遂げたが、北海の入口をデンマークに抱され、そこで、  鉾先を変えて南に向かい、 17世紀末から百数十年を費やす露土戦争が始まった。その中間期にあって、エカテリーナは最大の功績をあげた。
 さて 「戦艦ポチョムキン」は排水量12,900トンの戦艦として、オデッサ近くのニコライエフ工廠第7船台にキールを据え、難行苦行の4年余をかけ1904年10月ようやく進水式を迎え「クリヤージ・ポチョムキン・タブリチェスキー」と命名され黒海に浮かんだ。吃水が関係してセヴァストポリで最終艤装される頃、年が代わって1月2日旅順が陥落してロシア中に敗北感が漂う中、翌々日ささやかな歓びの時を迎え黒海艦隊の戦艦として就役した。この18日后ペテルブルグの凍てついた路上で、コサック兵による銃撃「血の日曜日」が発生した。
 わずか数か月たって、5月27-28日バルテイック艦隊が消滅して、6月27日ポチョムキン艦上で、ウジのわいた腐肉をそのまま使ったボルシチに、水兵たちの不満が爆発した。十数名の士官が殺され艦は暴徒達に占拠された。
 戦艦「ロスチロフ」を先頭に「シノブ」 「スヴヤテイーリャ」 「アストロフ」次いで「ゲオルギー」の5戦艦が駆逐艦等を従うて鎮圧にむかった。オデッサ沖で出撃したポチョムキンとすれ違うことになったが、旗艦の指揮官が一斉射撃を下命したとき、水兵達の反乱の引き金になることを恐れて、只偵察に止めて基地に戻ることにした。が、5番艦のゲオルギーポチョムキンの水兵たちの呼びかけに応じて、士官を軟禁状態にし之に合流オデッサに向かった。時に、日本海海戦后翌々月、日本軍が戦果を拡げようと樺太に出兵したころであり、ポーツマスの講和条約交渉もたけなわであった。
 ニコライ二世に黒海艦隊の不祥事が伝えられ、ウイッテに寸土もゆずるなと厳命していたが、南半分の割譲の結果になにがしかの影響があったと思われる。
 その後、本隊の出動により「ポ号」は鎮圧され、セバストポリに引き戻され、不名誉なこととして「パンテレイモン」と改名された。
  余談だが、この叛乱に明石大佐が関係したとの風説があるが、確かな資料によれば全く関係なかったとされている。
 その后の「パンテレイモン」だが、チャ−チルの企画したガリポリの作戦に呼応して,黒海に進出したドイツ戦艦「ゲーベル」と遭遇、自らの2倍もある巨艦を相手に2発の命中弾を与える健闘をした。
 やがて、ロシア革命が起き、ロマノフ帝国の崩壊と共に、艦名変更の波が押し寄せド級戦艦「エカテリーナ」は「スヴァーボードナヤ・ロシア」(自由なロシア)等と改名されるなか「パンテレイモン」は旧名の「クニヤージ(大公)」をとって「ポチョムキン・タヴィリチェスキー」とされたが、少々収まりが悪いのかしばらくして「ポレツ・ザ・スヴァボド」(自由のための戦士)と改名された。いみじくも両船の名に主従のようなにほいがする。
 4代にわたる改名の末、「ポチョムキン」は廃船の運命をたどり、一万トンの鉄くずとして革命政権に寄与した。
 最后にエイゼンシュタインだが、ソ連建国から3年経過した1925年8月、内戦の影響を受けこのまま寂れたオデッサの港を見下ろすリシュリュー階段に、27才の青年が立った。ひらめいた、ここでペテルブルグの「血の日曜日」を再現しよう。1905年のポチョムキンの叛乱を重ねて描こうと思い立った。奇しくも艦上の場面は、鎮圧のために出動し、今や廃艦寸前の「アストロフ」号を使って撮影された。その年の暮、彼にとって二作目の作品はモスクワ・ボリショイ劇場で上演された。彼の名はセルゲイ・エイゼンシュタインである。余りにも映画は出来が良かったので、リシュリュー階段の出来事は本当にあったと大衆に信じ込まれ、一部の史家にも誤認されている。

      odessa.jpg

 余談だが、リシュリュー階段の由来は、エカテリーナがオスマン帝国から獲得した黒海北岸のノヴォロシア(新ロシア)の中心に輝くオデッサ、その中心階段で、この新しい街の建設に功績のあったフランス亡命の貴族アルマン・デ・リシュリューの名をとったものである。なお、フランス戦艦「リシュリュー」は全く別人で17世紀フランスの大政治家である。
 (寺畦彦・戦艦ポチョムキンの生涯より)



 日本版字幕 映画 戦艦ポチョムキン  73分
  https://www.youtube.com/watch?v=_Glv_rlsdxU


      1905年 黒海沿岸図
   
   1905 russiamap.png

    露戦艦 ゲオルギー・バビエドノセツ  
       10,500トン 30.5cmx6 主砲
     georgy01.png

    露戦艦 ポチョムキン
         12,900トン  30.5cmx4 主砲
    potyomukin02.png  
  
      独戦艦 ゲーベン
          23,000トン  28cmx10  主砲
   
   geben03.png

        2015-5-20

  ドミトリー・ドンスコイ
  http://hayame2.sakura.ne.jp/99_blank.html#ドンスコイ
  零戦に寄せる思い
  http://hayame2.sakura.ne.jp/99_blank.html#零戦に寄せる思い
  杉原千畝
  http://hayame2.sakura.ne.jp/details1024.html#杉原千畝



posted by 速魚 at 20:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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