2015年06月10日

B25 ミッチェルとドウリットルの空襲

  目撃者ここに語る!   大幡
          軍国少年の”海と空”のものがたり その3


 
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  昭和17年4月18日昼下がり、小生ピカピカの中学1年生、飛鳥山発須町行きの市電車中にいた。 本郷3丁目を過ぎた処で、フト車外を見ると、双発機が1機御徒町から春日町方向に向かって飛んでいて、その後を高射砲の弾幕が追いかけている。 しばらくして空襲警報のサイレンが鳴り響いた。あとになって、ドウリットルによる空襲で、機体はノースアメリカンB-25ミッチェルと知った。

 およそ5か月前、12月8日真珠湾攻撃と共に大東亜戦争とが始まり、当日の朝礼で校長先生の音頭により万歳三唱にわきたったが、教室に戻ると小学6年生を相手に、担任の浅川先生は口をふるわせ、とんでもないことだ、日本はメチャメチャになる、東京は焼け野原になると憂えていた。しかしこの日以来新聞が面白くなり毎日のようにカジりついていた。又日本国中が湧きたっていた。

 その一方、アメリカではリメンバー・パールハーバーと大いに盛り上がった国民も一方的な敗戦に政権を責めたてる声が大きくなってきた。

 余談だが、17年の初頭(2月頃か)ヒラヌマ撃沈という記事がアメリカ誌上を賑わした。勝報を待ち望むマスコミの勇み足であろう。こちらではヒラヌマなんて有りもしないのが沈むものかとアザ笑った記事を記憶している。
 ルーズベルトとしては欧州不干渉・中立維持で3選した立場から、参戦の機会を得るため日本を挑発、何かやってく来るとは事前に承知していたが、想定を越えた損害に、日本に対して一矢報いなければと、急遽、戦術的な効果を無視して、只戦意高揚を意図して東京を空襲せよと軍部に指令した。これを受けて内密にしかも早急に作戦が立てられた。
 
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 艦上機による爆撃には、既に分かっていた日本の東岸500カイリの警戒線を突破、300カイリに近寄っても爆装して往復できる航続力のある艦上機は無かった。計画は頓挫したかと思われたが、一参謀が大航続力のある中型機を空母に積んで、しかも空母を発進して東京爆撃後、そのまま西進して蒋介石支配下の飛行場に直進すれば生還の見込みありと提案した。
 作戦は息を吹き返した。B−18,23,25,26が候補に挙げられた、諸種の検討が行われ、特に空母の艦巾からB−25ミッチェルが選定された。
 この機体はノースアメリカン社で1939年に施策され、そのテストが良好で結果を待たずに量産機発注がなされた。その要目は全巾20.6m、自重8.84トン、最大速力438km、最大航続距離2175km、エンジン出力1700hp2基、である。
 
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                ノースアメリカン B-25 ミッチェル 

 ミネアポリスの陸軍航空基地で、B−25塔乗員に重要だが面白みのある任務の志願者がつのられた。その他の基地を含め80人を越える志願者が集められ。 メキシコ湾に面するエグリン基地で訓練が始まった。それはいささか不思議なもので超低空飛行・夜間飛行に加えて異常な短距離での離陸訓練であり更に徹底した省エネ飛行で限界までガソリンを薄くして飛んだ。
 一方、海軍では新鋭のホーネットを母艦に決め、エンタープライズを護衛につけることにした。
 サンフランシスコ・アラメダ基地で16機のB−25がクレーンで積み込まれ、飛行甲板上に固定された。従ってホーネットはB−25が発艦しない限り格納庫内の機体は一切発着艦出来ない状態である。そこで専ち護衛のためのエンタープタイズが必要となり、これに加え巡洋艦5駆逐艦7その他を従えて4月1日金門橋をくぐり、太平洋に出撃した。

 余談だが、B−25ミッチェルについて、機名にはトマホーク、エアコブラ等鳥獣の名前が使用されているが、人名が冠された機体は希である。
 アメリカ陸軍航空隊のウイリアム・ミッチェルは第1次世界大戦の航空戦を目撃して、やがて、次の戦争では爆撃機が強力となると強く認識した。1916年通信局副長となり、1年の経験を加えて、航空部隊を「戦術航空部隊」と敵国領土深く爆撃することに「戦略部隊」に分割し、それぞれ独立しtr運用することを提案した。実戦には間に合わなかったが、このほか様々な戦術を考案した。海軍のマハンにも匹敵するかの様である。
 下って,1929年(昭和元年の前年)アジアの情勢の視察時に、長崎で日本艦隊とその上空を飛ぶ戦闘機の編隊を目にして「もしかすると、強力な空軍力に発展してハワイが奇襲攻撃を受けるかもしれない」とつぶやいたといわれる。その后日本の大陸進出に従って、益々対日戦の発言・論評が多くなった。B-25ミッチェルがこの日ととの確証はないが、何か因縁のようなものを感じる。

 ホーネットに戻る、航海は順調に進んだが、予定の前日18日早朝、思いがけないところで、日本の哨戒艇に発見されてしまった。これは第23日東丸によるもので、既に発見の電信が打たれている、もう1日分前進が出来なくなり、予定の倍近い800カイリで強行発信することになった。

 
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                     第23日東丸 6時45分空母発見と打電

 8時15分ドウリットルの乗る1番機が見事発艦、最后の16番機が9時16分出撃した。編隊を組む余裕はない、僚機を視認するのがやっとの単独飛行である。本郷3丁目で目にしたのが何号機か分からないが、単機であったことはうなずける、しかも数百メートルの低空飛行であった。そして、全期発進するやホーネット等はすぐさま反転して東へ去って行った。
 さて発進したB-25だが、各型総計11000機も生産された傑作機だが、この作戦に当たり、胴体下面の動力砲座を取り外して、長距離飛行のためにオートパイロットを取り付け、墜落して日本軍の手に入ることを恐れ、新型の爆撃照準機を旧式に取り換える等手を施し、500ポンド(約220kg)爆弾4発を積み、ガソリンタンクを満タンにしたうえ、5ガロン(18リットル)缶10個を積み東京を目指した。

 一方第23日東丸だが、18日午前1時過ぎ、軽巡ナッシュビルのレーダーにとらえられ、夜明けと共に、エンタープライズ発進の索敵機により、午前5時ごろに発見された。「艦上機らしき3機発見」「敵空母1隻見ゆ」さらに「敵大部隊見ゆ」との無電を最后に通信は途絶えた。しかも、エンタープライズに艦上機よる索敵は付近海面を3時間にわたり、展開していた、第2、3哨戒隊に攻撃を加え、沈没日東丸、長渡丸の2隻,大破船体放棄4隻、中小破7隻、戦死者33名を数えた。

 これらの日本の哨戒隊は犬吠埼東方700カイリの海域に配備された哨戒線であったが、開戦早々米機動部隊による本土空襲を想定し、特に東京空襲が国民に与える心理的影響を重視して、山本長官により発令されたのである。 北海道釧路を母港とし、1隊20隻、3直交代3隊で編成され、現地哨戒配備日数7日間、往復に要する8日間を考えると、基地での整備休養期間は僅か数日間しかない、しかも100トン前後の漁船を徴用し乗員は海軍軍人と漁船員半々の14名であり、荒天に耐えしかも、敵発見が即死につながる苛酷な任務である。 戦中に就役した哨戒艇は総計400隻を越え、終戦時に残ったのは100隻にすぎなかった。

 B-25機上に戻る、夜間発進の予定が早まり、燃料節約のため低空で、しかもギリギリの巡航速度で日本本土上空を、東から西へ千キロ近くの横断飛行である。しかも、ようやくシナ本土に達するころは夜となり、全く始めての土地である。結局、ウラジオストックに向かった1機を除いて、11機が落下傘降下、4機が不時着となり、機体は全て損壊した。内2機の8名は日本軍占領域で捕虜となった。

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 日本側では、8機撃墜と虚報され、シナ大陸でとらえた飛行士を急遽東京に運び、九州北部で墜落とされ航空服のまま目隠しをされた写真がニュースに登場した。しかも新聞紙上で、落下傘降下した3名が怒った市民によりリンチを受け死亡したという記事があった。8名中の3名が、市民殺傷の盲爆責任者として処刑され、戦後、BC級裁判の冒頭を飾った。

 さて、山本長官肝入りの我が国の防空体制であるが、日東丸の警報を受けたが、主力の機動部隊はインド洋に出撃、イギリスの空母ハーミスを撃沈する等の戦果を挙げ帰投中で間に合わず、陸上部隊をあてるしかなかった。直ちに索敵機が数機が発進双発機(B-25)を発見したが空母は見つ「からないまま、1式陸攻(通称葉巻)22機他が木更津
基地から出撃した。こちらは通常の艦上機による攻撃を想定しており、既に反転して去った海域を空しく探し廻るだけであった。

 この作戦による損害はさしたるものでなかったが、我国の指導者に与えた心理的な効果は絶大なものがあり、立て直そうとしたミッドウエイ作戦が、大きな齟齬を来す遠因になったのではないか。反対に、アメリカに於いては国を挙げて溜飲を下げたと思われる。そして、先のヒラヌマを笑った日本は、半年もしないで、ミッドウエイの敗戦を糊塗して、全く反対の立場に立たされることのなった。



  ドーリットル空襲1972  8分
  https://www.youtube.com/watch?v=IGoP83BvcrM


    2015-6-10





    
posted by 速魚 at 04:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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