2015年06月30日

映画 フューリーによせて 1  大幡

 フューリー、プライベートライアン  映画のウソ

fyury2.png


  フューリー、ブラッド・ビットが奮戦して最後に散華するシーン。隊伍を整えて高らかに歌い乍ら行進する300人余ドイツ軍、錯綜する前線で、こんな間抜けな戦闘集団があるだろうか。この映画、このシーンまでは、見事に戦場とはかくあろうかと、手に汗してストーリーにのめりこませてくれたのに。
 木陰にかくれた斥候が見つからずにブラッド・ビットの下に帰った、それから延々と防衛体制についてゴタゴタして、ようやく戦車に乗り込むことになる。かなり時間が立ってドイツ軍が到着する。何をマゴマゴしていたのか、しかも、射撃場の飾りつけの人形のようにバタバタと機関銃の餌食となる。300人がかりで何としたことか。
 相手はキャタピラーをやられ、路上に擱座した戦車1台であり、何の掩体もないトーチカそのもの、しかも周囲に連携する銃座もない。極ありきたりの指揮官でも、3・4方向から忍びより、数発のバズーカであっという間に処置するはず。
  似たようなシーンがプライベート・ライアンでも展開する。こちらは徒歩の斥候兵に対し、軽装甲車で立ち向かいバタバタと撃ち倒され、めでたくライアンが生還してTHE END.となる。
 ヒューリーは1人の新米兵が奇跡的に救助され、残りは隊長以下全滅する。ビットには気の毒だがこの方が真迫感がある。

  さて、プライベートライアンだが、4人兄弟の上3人が全て戦死し、只1人残されたライアン、あろうことか敵陣深く威力偵察隊に加わっている。彼までも戦死されては世論の憤激は目に見えている、陸軍最高司令官の何としても助け出せという命令に始まった物語である。
 かっての日本軍でこのような感覚の幹部が居たろうか、ここに民主主義国の強さと文化の高さに酔いしれて映画を見終わった。
 プライベートとは4人兄弟の私の事柄を指すのかと勝手に解釈していた。フト、機会があって、プライベートとは1等兵ということを知った。まことに浅学と思い知らされた、はずみに、最後のシーンかなりご都合主義だなとの思いが生じた。
 映画は先ず娯楽である。テーマの面白さを満喫すればよいのだ。1−2時間別世界で、手際よく素早い展開に紛れ奇跡が起きて、ホットすればそれで良いと思う。何をぐずぐずアラ探しをするのか、自分の性分に少々嫌気がする。

         2015-6-30


  映画 フューリー  大量生産の力
  http://hayame2.sakura.ne.jp/99_blank005.html#フューリー2
  映画 フューリーによせて 2  極大射程  大幡
  http://hayame2.sakura.ne.jp/99_blank.html#ヒューリー 大幡2
  脱走兵の処遇 アメリカの場合
  http://hayame2.sakura.ne.jp/details1016.html#脱走兵



posted by 速魚 at 05:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/147036124
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック