2015年07月04日

ナチス 全権委任法



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       ドイツ国会炎上


  7月25日の麻生太郎財務相の講演会の発言で、ワイマール憲法は、ある日気がついたらナチス憲法に変わっていたと述べました。だが実は1933年の3月23日の全権委任法の成立により、ワイマール憲法は実質的に効力を失ったということが事実です。戦後の1949年の5月23日に成立したドイツ連邦共和国基本法までその憲法は存続した。

 ヒットラー政権ができて、まもなく国会放火事件がおきる。共産党のしわざだと大統領緊急令をだして、共産党員、無政府主義者、社会民主党員を予防拘禁した。ナチス党はドイツ国家人民党、中央党の協力を得て3分の2の賛成を確保して、全権委任法を成立させた。
 
 世界恐慌により失業者が増大して、少数政党乱立の議会は有効な手を打てませんでした。従い左右の極端な共産党とナチス党が勢力を得た状況になりました。ナチスはこの法案制定時でも45%程度の議員数ですが、この法で独裁政権になりました。当時の最も民主的な憲法と云われたワイマール憲法のなかで合法的に全権委任法が成立しました。

 後の世の人は誤解があるかもしれません。先の大戦中のの悪しきことについて、戦後のドイツ国民は全てナチスのせいにしています。 ヒットラーのナチス政権は汚い手は使いましたが、クーデターでも何でもなく、合法的に政権が成立したものです。全権委任法により立法権をナチス政府に委譲して、独裁政権を得ました。国民は極左と極右の選択でナチスに期待したというべきでしょう。
 軍事生産を猛烈に拡大したことで、失業者が減少して生活が良くなったのが、そのドイツ国民がナチスを支えた背景です。
 アベノミクスで期待がふくらみ、違憲の法制をつくろうとしているのと同じ状況であるとはいいませんけれども。
 でも、ドイツが戦時中にやったことを全部ナチスのせいにして、日本がやったことに対して、今のドイツが教訓をたれるのはよしてください。レベルが超違いすぎでしょう。


 1929 10月24日  世界恐慌
 1932 7月31日  ナチ党は第1党になる
 1933 1月30日  ヒットラー内閣
     2月27日  国会議事堂放火事件
     2月28日  民族と国家を防衛するための大統領緊急令
            基本的人権や労働者の権利停止 
     3月1日   共産党抹殺をゲーリングがラジオ放送
     3月23日  全権委任法成立 (ナチス議席45%)
     10月21日 国際連盟脱退
 1935 5月16日  再軍備宣言
 1936 3月7日   ラインラント進駐
 1939 9月1日   ポーランド侵攻 第2次世界大戦


       2015-7-4

 追記  
     
  パリで大きなテロ事件が起きました。 日本でもこんな事件が起きて、それで思考が停止して、全権委任の非常事態法が制定されることがないように気をつけねばなりません。
 ナチも国会焼き討ちテロをきっかけにして独裁に至りました。

 これからはテロは避けられないものとして、負けないで冷静に対処する必要があります。  日本で化学兵器のテロは実際に起きました。 日本にも警察・公安・情報室などの政府機関があります。それが見当はずれな対応でマークしていなかったのもそれが起きた一因です。まず既存のものの有効活用が大事といえます。

 パリ市民は今回の事件でも、喪に服しているとはいえ、冷静に日常活動をしています。
解決には1世紀もかかるでしょう。

    2015-11-16





    安保法案 緊急提言
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    徴兵制
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posted by 速魚 at 17:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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