2015年08月12日

ミッドウエイ  トリビア

  ジョン・フォード、ヒコポンタスを追って

  
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           訓練空母 ウオルバリン  外輪船


昭和17−18年頃、小生中学2年生「海と空」仲間が長門だ、加賀だと話しているところに、なじみのないクラスメートがやってきて「お前ら赤城も加賀も沈んだんだぞ、ミッドウエイで」と語調強く割り込んできた。「そんなことあるもんか、デマに定まってら」と言い返したが、彼は鼻先でフンとあしらうようにして去っていった。腹の中で何も知らないでとセセラ笑っていたのだろう。この話、終戦まで再度聞くことはなかった。又、敗北を認めたくなく、意図的に避けていたのかもしれない。話は空母4隻の喪失ではなく、この海戦にまつわるトリビアである。

 珊瑚海、ミッドウエイの航空戦で、100機前後の米軍機が撃墜され、多くの搭乗員が海上を漂い、数名が日本軍に収容され捕虜尋問にかけられた。厳しい調べはその所属する空母に及び、「ウオルバリン」と返ってきたが、当時の正式空母にこんな艦名はない。米軍では、捕虜になっても軍機に関しては秘匿するのが義務となっている、この点、日本兵はなかなか捕虜にならないが、なると、少々情けをかけられるにつれボロボロと供述すると言われる、その時の心構えも訓練されていなかった、間抜けな話である。
  米軍捕虜したたかである、が、その折の日本側取調官その上をいく腕利きである。米国駐在武官時の情報活動から、ウオルバリンが練習空母であることを知っていた、即座に問い詰めその後の調べがすすんだという。

 一方、アメリカでは開戦後、戦意高揚を期待してジョン・フォード監督により、ハワイ、ミッドウエイと2本の記録映画が作られた。ミッドウエイでは景気の良い4隻撃沈には全く触れることなく、荒涼として何もなく平坦な島の風景と、連日の海上捜索が延々と続く。誠に地味で何が戦意高揚かと思ったが、これがアメリカである。撃墜された海上を漂流する戦闘員に之程力を入れている。これが国民の琴線にふれるのだ。実際に2週間ほどの間に何人かが救助された。10数年前に見たが今回この小文に取り上げて始めて気が付いた。どうも民主主義にはなじめない性分なのかな。

 この映画、渋谷の単館上映専門館で、ジョン・フォード週間として見たが、その折」更に「周遊する巡航船」を併せて見た。ミシシッピ河を上下する船上で、主人公がある裁判に関わり、出頭期日に迫られ船の速力を上げるため、商品として携行していた「ヒコポンタス」をガラス瓶のまままボイラーにほうりこんだ。何か化粧品のようでアルコール度が高いのか、船尾ににある外輪が勢いを増しめでたくゴールイン。勝訴してThe Endである。

  さらに、例のクセがでる。ガラス瓶に入ったままでよくぞ燃えたものだと、そして別の話を思い出した。 ラ・プラタ河沖のことアドミラル・グラーウ・シュペーを追いかけて、イギリスの巡洋艦エグゼター、燃えるものならなんでもと、グランドピアノをタタキ壊して缶に放り込んで、性能以上の速度が出て追いつき砲撃する、シュペーはたまらずモンテ・ヴィデオ港に逃げこんで、あげくに自沈に至る。
  ここで、軍艦にピアノを積んでいるのか、ピアノ1台くらいの木材で足しになるのか、また、重油専燃でしょどうやってどこに木材を入れたの、ボイラーに焚口なんか無いでしょ。ウソつくな、バチがあたるぞ。当にスラバヤ沖海戦で罰を受け日本海軍より海の藻屑と消され、仇を討ったと我が国の新聞紙上を賑わした。

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      スラバヤ沖海戦で撃沈されたエグゼター


  話を巡航船上の「ヒコポンタス」戻す、強く記憶に残っていた、数年して、映画「ノッチングヒルの恋人」で[ヒコポンタス」にめぐりあった。ジュリア・ロバーツ扮する人気女優と,市井の本屋主人しがない青年との恋の出会いである。色々あって最後に決着をつけるため、おしのびでジュリアが泊まったホテルフロントで面会人との合鍵、符帳としてヒコポンタスが使われ、之が役立ってハッピーエンドとなる。 小生にとっては巡航船以来数年ぶりの再会であるが、2本の製作年度には半世紀以上の開きがあるうえ。この言葉アメリカ人にとってかなりなじみの深いのかと思われる。
 機会があって生粋のアメリカ人にどういう意味か尋ねたが、意外にも全く知らないと、益々探求心が深かまった。

練習空母に戻る、太平洋戦争が始まって航空母艦の重要性が高まり、米海軍では大量建造となり、同一艦船50隻を1年間で作ることになり「週刊空母」とまで言いわれた。船は工業力に伴ってドンドン出来るが、搭乗員には問題あり、自動車王国であり飛行機乗りは順調に育ったが、母艦乗りとなると容易ではない、動かない大地と航空母艦では大違いである。数少ない母艦を前線から引き戻して練習にあてる訳にはいかない。母艦はできても搭乗員がいない状況になった。
  ここに、五大湖に浮かぶ外輪船を改造する話が持ち上がった。観光専門の「シーアンドビー」を買収、改造して「ウオルバリン」と名付けられた。
  フラットな船型、飛行甲板は容易に取り付けられ、16ノット出せる外輪も支障なく甲板下におさまる、只エンジンは石炭を燃料とし、重油専燃の海軍には要員がいない、取り換え論も出たが戦況が許さない、止む終えずそのままいこうと、周辺整備をし要員は民間人で、燃料はカロリーの高いヒコポンタス炭でとなった。ヒコポンタスの再登場である、石炭は発熱量から無煙炭、瀝青炭、亜瀝青炭、褐炭との区分があるが、ヒコポンタス炭とは炭鉱名ではないかと思われる。
  波静かな内陸湖、敵襲もなく訓練にもってこいである。母船としての甲板、16ノットの速力、他はいらない練習機は発着艦するだけである。格納庫もエレベーターもない、改めて装備されたのは給油装置と着船用の制動ワイヤーのみである。たちまち開戦の翌年1942年8月末に就役した。 しかし艦船は定期的にドック入りの要有ありローテーションを考えてもう1隻が欲しい、次いで姉妹艦としてセイブルが装備され2隻体制となり、終戦までフル稼働して、空母のパイロット有資格者1万8720人を養成した。この中に43年18歳の若者がいた、その名はジョージ・H・W・ブッシュ、後の第41代アメリカ大統領である。戦争が終わると役割が無くなり即退役解体となった。先勝の大きな要因とたたえられるに比べうら寂しい運命であった。「歴史群像」 07-2より、
 
  ヒコポンタス何者か依然としてわからない。 或る日思い立って、地元鴻巣でも辺境の川里図書館を、それほど期待せずに、只ミリタリー系雑誌の所蔵を頼りに訪れることにした。ドンヨリとした小雨降るなか、たった1人の相客とコミュニテイバスで向かった。まわりにモヤがかってくる、見渡してさえぎるものがない、タンボの水面が取り巻いている、一瞬ミッドウエイを漂流する搭乗員もかくやと思った。やがて図書館に到着、早速雑誌コーナーに行くが目当てのものがない、書司がバックナンバーはというと世界の艦船1冊を出してきた、之だけかと尋ねるとすべて貸し出されていますとのこと、軽い失望感を憶えたが、同好の士が多いのに感じ入ると共に、ヒコポンタスに導かれるように関係コーナーに行き、船関係に当たり多少の獲物があったが、歴史関係に進むと「アメリカ有名人100人」に行きあたった。関連をコピーする。  ヒコポンタスはヴァージニア地方初期の歴史上有名なアメリカ・インデイアン首長ポウハタンの娘である。 ポーハタンと言えば明治維新の頃、こんな名の船があった筈と次の疑問が生じたが、これはさておいて、彼女は容姿端麗に生まれ、故あって英語を取得、初期英国から入植した人達のジェームスタウンと、これを取り巻くインデイアン達の仲立ちに大きな功績があったとのこと。ジュリアロバーツと本屋の青年、著しい環境の差に余りにもピッタリの符牒ではないかと感じいった。特に、彼女は白人と結婚した最初のインデイアンとされている。 小生ポカホンタスに導かれて、川里の地で謎解きに成功した。しかし、ポーハタンの謎が残った。


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         2015-8-12


    工藤俊作・竹内一、高橋伊望の責務
    http://hayame2.sakura.ne.jp/details1024.html#工藤俊作
    海の騎士道・米国の場合
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    ドミトリー・ドンスコイ
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posted by 速魚 at 07:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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