2015年08月24日

ちゃんぽん食べたかあ・ さだまさしの青春



  
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 「ちゃんぽん食べたか」 が最終回を向えました。 さだまさし原作の青春自伝的ドラマです。
 彼は爺爺より少し若い世代ですが、昭和30年後半から40年代の雰囲気が思いだされて懐かしい思いで見ました。 あんなショートカットの女学生・森川葵・いたよなあ。

 さだまさしは小さいころから母親のすすめでヴァイオリニストになるべく頑張っていました。そのため、中学のときに、長崎から上京して、下宿暮らしでレッスンを受けてます。 結局、芸大受験はあきらめることになりました。 大学には入るけれども、自分は何をしたいのか迷い、授業には余り行かなくて、アルバイトにうつつを抜かす生活をおくります。そのなか病気になってしまい、長崎に帰ることになります。その長崎で友人と2人で曲作りに夢中になり、曲を公演することになりました。 さだまさしの将来を暗示したところで、このドラマが終った。
  
 さだまさしが長崎に帰って、これまでの大学でのろくでもない生活を両親に話す場面があります。包み隠さず話す彼もエライのですが、それを非難することもなく、両親は受け止めて、役に立たない経験はないとそれを認めます。 (長崎弁はやさしくていい言葉ですね)   まあ、こんな両親がいてくれたならと、うらやましい限りでした。 

 爺爺は今まで、何か自分が決断してやろうとしたこと・大した結果になりませんでしたが、そのほとんどを、親には反対されていたように思っています。もう死にそうな齢になっても思っていることから、本人にとっては重きことでした。せめて親は ことばだけでも後押ししてほしかったと思います。 でも、今の自分は、自分で決めたきたことの結果だから、悔いはありません。親にも感謝しています。

 さだまさしのNHKのこの前作・カステラ・もおもしろかったです。少年時代のさだまさしのドラマです。特攻隊あがりの父親がとてもユーモラスで地元やくざ親分からも一目置かれる。 もうごらんになったと思います。

     2015-8-24


追補
           
”戦友”という言葉を、この国は二度と作ってはいけない。だが、かつてあった”せめて自分が盾になろう”と思い込み、または思い込もうとして戦った青春の”こころ”を踏みにじることは許せない。僕が恋の歌を歌いながら、若い娘さんにチヤホヤされながら過ごしたそんな年頃を、彼らは命を賭けて戦って生きたのだ。

それが”マインドコントロールであった”と冷静に笑える人は、人の”こころ”の痛みなど理解できまい。
人はそれほど馬鹿ではない。あの当時だって、わかってなにかに騙されていた人や全てを理解した上で死んだ兵士もいるのだ。

戦後の最も恥ずべきは、そういう”理屈ではない、人のこころ”の痛みを認識できない社会にある。いまの理屈でもって平気で過去の理屈を笑う態度は、卑怯卑劣だと知るべきだ。だから過去に学べない時代になったのだ.


      「心の時代」サンマー出版刊より

     2015-11-2




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posted by 速魚 at 14:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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