2015年09月16日

根本博 陸軍中将の決断


     nemotohirosi.jpg
      根本博将軍 


    nemoto3.png
      


 お盆や敗戦記念日恒例の戦争もの映画を見てきました。 敗戦決定にまつわる事件を扱った映画・日本のいちばん長い日・です。 これには期待していたほどの感動はありませんでした。

 8月15日の天皇陛下の放送より、軍のとった行動は、直ちに各部隊に武装解除の命令が出されました。 本土にある部隊では、映画のように命令に従うべきでしょう。
 でもここでも既に書いた北海道の分断を救った樋口将軍は断固反撃しました。 また根本博駐満蒙軍司令官は一切の責任は自分にあると宣言して、上級司令部の命令に反して、居留民の速やかな避難を終えるまでは武装解除せずに、侵攻を続けるソ連軍に対して反撃命令を出しました。そのことにより満州での民間人の疎開で、ソ連兵による被害を被ることなく、邦人4万人の帰国と軍人35万人の復員を無事成し遂げました。

 これでもスゴイことですが、まだ後日談があります。 蒋介石が内戦に敗れて、中国本土を追われて台湾に逃げます。連戦連敗の士気の下がった国民党軍を救援すべくというよりも、引き揚げ時の蒋介石の恩義に報いるべき台湾へ密航します。 金門島の戦い(古寧頭の戦い)で根本将軍の作戦指導により勝利をさせたことにより、彼は台湾の存続に多大な貢献をしました。 門田隆将の本により、台湾でも忘れ去られていたこの事績が明らかになりました。 皆様もお読みください。  

 明治以来敗戦を知らない国軍は、降伏の所作を教えてきませんでした。一部将軍の個人的な資質で敗戦後の行動が違ったものになりました。 根本将軍は中隊長の時に鉄拳制裁を禁止の措置をとる。海軍の鈴木貫太郎や工藤俊作も同様です。

 体制に順応しないで貫ける人物でないと何もできません。 自衛隊でいじめが話題になります。その体質のままで海外に行けば大きな問題を起こすのではと杞憂します。



 1891  福島県 誕生
 1907  仙台陸軍地方幼年学校、中央幼年学校卒業  
 1911  陸軍士官--学校卒業、歩兵少尉
 1921  歩兵大尉
 1922  陸大卒業  31歳  歩兵中隊長 31歳  
 1923 、参謀本部シナ課勤務 32歳
 1926  南京駐在武官、 歩兵少佐  35歳
 1927  南京事件で負傷、 参謀本部シナ班長 中佐 39歳
 1929  ドイツ出張
 1932  上海駐在武官
 1934  兵器本廠付 新聞班長、 陸軍大佐 43歳
 1936  旭川第27連隊長
 1938  陸軍少将 47歳
 1939  第21軍参謀長
 1940  南シナ方面軍参謀長
 1941  陸軍中将、第24師団長 49歳
 1944  第3軍司令官、駐蒙軍司令官  53歳
 1945  北シナ方面軍司令官兼駐蒙軍司令官
      4万人の居留民を脱出させる 
 1946  復員
 1949  台湾に密入国、金門島古寧島戦役を指導
 1952  帰国
 1966  死去 74歳

     nemoto3_2.jpg

     昭和35年 蒋介石と再会


                     2015-9-16


  明石元二郎
  http://hayame2.sakura.ne.jp/details1024.html#明石元二郎
  樋口季一郎  北海道分断を救う
  http://hayame2.sakura.ne.jp/details1016.html#北海道分断
  杉原千畝
  http://hayame2.sakura.ne.jp/details1024.html#杉原千畝
  


posted by 速魚 at 04:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/163692667
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック