2015年10月25日

留魂録・吉田松陰



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  このHPとブログの中で、好きな人に爺爺は竜馬と松陰を挙げています。 それも今回の留魂録を読んで気が付きました。 司馬遼太郎さんの描くご両人が好きなだけだったようです。
 考えてみますと、吉田松陰の著作を読んだことがありません。自分の底の浅さを実感させられました。(恥)

  松浦光修さんが新編約で留魂録を世にだしてくれました。爺爺には、先の明石元二郎の時と同じ結末でオリジナルを購入しても、さっぱり理解できなかったでしょう。 松浦さんは前書き・訳・原文・余話と背景や解説を丹念に書いておられます。いかにも松陰を尊敬し、大いに愛して、気張らずに書いてあります。これを読んでいて、そこが大いに感じられて好印象です。

 この留魂録は伝馬町の獄で刑を待っているときに、に親兄弟・友人・弟子に書いた遺書です。 それも牢のなかの沼崎吉五郎に託し、彼は三宅島に島流しになり、幕末のころを忘れかけていた文明開化の明治9年に、赦されて野村靖・和作に渡したものです。彼は入江九一とは兄弟で久坂・高杉らの門人と松陰が意見の分かれたときに入江兄弟のみは松陰を支えた人です。その和作に渡されたことも奇跡的なことで、この書が世にでました。松陰も人物が良く見えたということでしょう。もう一冊を長州に送ったことになっていますが、行方不明です。 


  呼び出しの 声まつ外に 今の世の 待つべき事の なかりけるかな

  10月27日 呼び出しの声を聞いて

 此程に 思い定めし 出立は けふきくこそ うれしかりける

  
  松陰の兄の民治は明治13年に松下村塾を再開しています。しかし漢学を中心とした教育は、欧米化のすすむ時代のなかで若者の支持を得ず、明治25年ごろに塾を終えます。 民治は明治40年のころに、松陰神社に参拝に来た孫のような若者に「善い人におなりなさい」と言って声掛けしたといわれています。 松陰が考えていた学問の姿は・人たる所以を学ぶなり・ということです。 えらくなられるのではなく、勉強して善い人におなりなさいと言ったそうです。


             2015-10-25


  追記

  11月の1日の大河ドラマで留魂録のことが放送されました。


松陰の家族
   http://hayame2.sakura.ne.jp/details1024.html#松陰の家族
   幕末からの暗殺事件
   http://hayame2.sakura.ne.jp/details1022.html#暗殺
   社会・時代が作る教育 エンリコ・ダンドロの場合
   http://hayame2.sakura.ne.jp/details1018.html#社会・時代の教育






posted by 速魚 at 06:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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