2016年01月08日

加藤高明  第24代総理大臣



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 1860-1926

  加藤高明は現在の愛知県海部郡佐屋町で服部家の次男として誕生します。尾張藩の忍者は甲賀ものと述べている人がいますので、伊賀忍者の服部半蔵とは関係ないようです。 忍者ではない服部氏は織田信長の長島一向一揆の戦いで敗れた。その一門が許可を得て復帰し、現在の海部郡弥冨を開墾、江戸時代は尾張藩の庄屋として存続した。おそらくこの一門の出になるのでしょう。 同姓で同じ海部郡出身の親父ですが、タダの一度も加藤首相の話を聞いた憶えがないので、全く同姓というだけで縁もゆかりもないようです。 前置きが長くなりました。

 維新の功業をなした志士が幕末の動乱や留学を経て育ってきた先の世代とは違い、国産の生え抜きが登場する世代の一人です。三菱の大番頭と言われながらも外相を四回そして首相になりました。東大卒の初めての首相です。
 
 第二次護憲運動で清浦内閣・超然内閣を倒し、彼が総裁をする憲政会が比較第一党となり加藤は首相になる。この内閣から政党内閣制になり憲政の常道が確立。

  1. 普通選挙法成立
  2. ソ連と国交樹立
  3. 治安維持法成立
  4. 宇垣軍縮をすすめる、配属将校による学校教練を創設

  彼はあとから見れば、上のように硬軟取り混ぜた政策を実現しました。

  戦後の民主主義の時代に育った爺爺は明治以降の歴史を普選法の成立を頂点として学ばされたように思います。大事なのは政党政治の成熟と、またその崩壊を学ぶのが重要だと思います。 自分なりの考えはまだまとまりませんけれども。志士・元老指導の時代より官僚指導の時代になりました。その限界と悲劇を見ずに済みました。
  さて彼は良い時に亡くなりました。


  1860  安政7   尾張藩 服部重文の次男として誕生
  1872  明治5   加藤家の養子となる
  1881  明治14  東大法学部首席卒業、三菱に入社
  1886  明治19  岩崎弥太郎の長女・春路と結婚
  1887  明治20  官界入り、
  1900-1901  外相・第4次伊藤内閣
  1902  明治32  日英同盟
  1904  明治37  日露戦争
  1905  明治38  ポーツマス条約
  1906  明治39 外相・第1次西園寺内閣
  1910  明治43  日韓併合
  1913  大正2   桂太郎主導による立憲同志会に参加
  1913      外相・第3次桂内閣
  1914  大正3  第1次大戦
  1914-1915  外相・第2次大隈内閣
  1915  大正4   21か条の要求
  1916  大正5   尾崎行雄の中正会らと合併して憲政会の総裁
  1918  大正7  シベリア出兵
  1919  大正8   ヴェルサイユ条約
  1921  大正10  原敬首相暗殺
  1922  大正11  ワシントン海軍軍縮条約、 山形有朋死亡
  1923  大正12  関東大震災
  1924-1926  首相
  1926  大正15  死亡・66歳


      2016-1-8


高橋是清
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posted by 速魚 at 06:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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