2016年03月23日

東京大空襲の軽減ができた? 阿部隆史さんによる  



 
 東京大空襲で10万人の死者がでました。 その作戦の米国の司令官ル・メイを戦後になって航空自衛隊に貢献したという理由で勲章を授与しています。米軍は勝利したゆえにその民間人の大虐殺を戦犯として問われることはありませんでした。 日本から勲章を与えることではありません。

 ジェネラル・サポ−トの阿部隆史さんから下記に転載いたしました。 

                   以上 服部


1945年3月10日の東京空襲で日本は甚大な被害を受けた。
なぜであろうか?
折からの強風、大規模火災旋風の発生、電子機器の能力不足による警戒網の不備など多くの要因があるが中でも夜間戦闘機と対空火器の数的劣勢は致命的だったと言えよう。
だが「全力を挙げて生産したのに劣勢だった」のか?
断じてそうではない。


gekko.jpg
   月光

前述した様に1944年10月以降、日本陸海軍は夜間戦闘機を生産していないのだ。
かくして夜間戦闘機の生産を終了した11月から翌年3月にかけての貴重な4ヶ月間の空費は致命的な結果を招いた。
もし月光の生産を継続していたら、2式複戦をキ102乙に生産転換しなかったら、どれほど多くの夜間戦闘機でB29を迎撃できたであろうか。
米軍とて夜間爆撃で自軍の損害が大きければ無闇に実施できはすまい。
夜間戦闘機の数が揃っていればB29を覆滅するまでには至らなくとも「貴重な戦略爆撃機を失うのは惜しい」と躊躇させる程度の打撃は与えられたであろう。

戦史叢書95巻414頁による月光の生産数は1944年4月が35機、5月40機、6月40機、7月27機、8月35機、9月40機である。
つまり大抵は月産40機と考えられる。
よって4ヶ月継続して生産したら約160機を生産できたであろう。

陸軍の2式複戦はどうであろうか?
日本航空史878頁によると生産数は1942年度220機、1943年度715機、1944年度715機だ。
ただし1944年度はキ102に生産転換した為、7ヶ月しか生産しておらず生産能力は月産100機を越えていたと推測できる。


    ki 102.jpg
    キ102乙


つまり陸海合わせて140機、4ヶ月でおよそ560機を生産できたと考えられる。
夜間戦闘機の生産を終了させたのでこれが皆無となったのだ。
560機の夜間戦闘機は「焼け石に水」ではない。
3月10日の夜、来襲したB29は334機なのだから。
当時、夜間戦闘機の生産を中止した為に多くの被害が出た事を我々は忘れてはならない。

多くのマスメディアは東京大空襲を天災の如く扱う。
それは大きな間違いだ。
爆撃したのは米軍のB29だしそれを撃退できなかったのは日本軍だ。
どちらも人間だし人災なのである。
その責任を問う事と「何故、対処できなかったのか?」の問題を考える事は残された者の務めであると僕は考える。
終戦直後に米軍の罪を問う事は不可能だったから当時のマスメディアが天災の如く扱ったのはやむを得ないが現代のマスメディアについてはいかがなものか?

更に責任追及するのならば矛先は米軍だけでなく「充分に守れなかった日本軍」にも向けて欲しいものだ。
加えて米軍の夜間無差別空襲を批判するならば重慶に対して実施した日本海軍の夜間無差別空襲も忘れてはならない。
そうでなければ「棚上げ御都合主義者」とそしりを受けるであろう


           2016-3-22


  B-29 東京焼尽 3月10日  内田百聞   大幡
  http://hayame2.sakura.ne.jp/99_blank.html#B29 東京空襲
  目撃者は見た B25 ドウリトルの東京初空襲
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  真珠湾の真実
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posted by 速魚 at 07:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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