源範頼を祖とする家系は残りました。範頼は吉見郷を領して吉見御所と尊称された。今でも埼玉県吉見町にある居館跡といわれる場所は御所という地名が残されています。
次男の範園と3男源昭が外曾祖母である比企尼(頼朝乳母)から、武蔵国横見郡吉見庄を分与された。範園の子から吉見氏を名乗る。5代目の義世は謀反が発覚して処刑された。その子である尊頼は渋川氏に養子入りしたため嫡流は絶えて家督と所領は2代義春の弟で能登吉見氏の頼隆に引き継がれた。能登と丹波に下向した能登吉見氏,石見吉見氏(範園の庶子の系統)がある。

範頼配下の武将に小山氏がいました。その一族に吉見氏を名乗るものがいます。範頼の孫・為頼は小山一族の吉見家を相続することで吉見氏を称するようになったといわれています。
2016-5-2
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