
神浦元彰氏 1949-2016
5月4日に軍事ジャ−ナリスト・神浦元彰さんがお亡くなりになりまいた。昨年からHPが休止になり、前には毎日のように読ませていただいていたので、寂しくなり時々に検索をかけていましたが、再開にはなりませんでした。 こころよりお悔やみ申し上げます。
早いもので娘さんが小学生・高校生・成人と成長され、ご本人にも講演会や彼のヨットにも参加させていただきました。 ボランテイアをして応援している議員さんを神浦さんに紹介したこともあります。
秘密保護法やNSCの成立、今回の安全保障法案などで軍事評論家の立場でその欺瞞をするどく追及されていました。 そのストレスで突発性難聴になり最後はお亡くなりになりました。 彼のような、単なる学校でのお勉強での知識でなく実践を踏まえての人でユニ−クな人物でした。 本物の人を亡くしてしまいました。残念でなりません。 小生がヨットを購入したのでお誘いのメ−ルをだしましたが、ご返事もなく心配しておりました。ご一緒にヨットで一杯やる夢もかいませんでした。 残念です。 彼がいなくて今後の日本が心配です。
彼のHPより、所長の最後のご挨拶を転載させていただきます。
昨年11月、急に左の耳に水が入ったような、妙に膨らんだ音が聞こえるようになりました。”痛み”や”めまい”、それに”吐き気”や”耳鳴り”などは一切なく、たまたまプールで泳いだ際に耳に水が入ったのかと軽く考えていました。
その状態が1ヶ月ほど続いたので、ちょっと心配になり近所の耳鼻科で受診(初診)したところ、すぐに耳鼻科専門の高度医療病院(東京・お茶の水)を紹介されました。その日の午後に、その専門病院で診察を受けると、直ちに入院して集中治療を受けるようにいわれました。
医師から聞いた病名は「突発性難聴」です。原因は強いストレスの可能性が高いと言われました。入院して直ちに点滴でステロイドを大量投入し、毎日2回、二酸化炭素を含んだガスを吸入するという治療でした。
しかし発症後2週間以内は治癒する確率が高いのですが、私の場合、1ヶ月も放置していたので直るのは難しいとも言われました。
結局、入院して治療の成果もなく、左耳は今も難聴のままです。しかし、右耳は普通に聞こえますので、バイクの運転や電話での会話、日常的な場所での会話は支障なくできます。(でも、騒音の多い場所では会話が聞き取りにくくなります)
入院した病院の担当の医師によれば、さらに右耳も難聴になるようなことはないそうです。また、遺伝や他人への感染などの心配も必要ありません。
そこでストレスの原因ですが、私は第1の原因は安倍政権が昨年中に進めた特定秘密保護法や安保法制の改革(集団的自衛権行使容認の閣議決定など)への動きと思います。安保法制は改悪以前に、軍事的に理解できない論理ばかりが羅列され、こんなものはデタラメだと思うことが多かったからです。今まで自分が必死に勉強してきた軍事学と、戦争の論理や有事の展開とはまったく別物だったからです。これは軍事論ではなく偽物だということに気づきました。
そんな私のイライラをぶっつけるには、私にはこのHPしかなかったのです。しかしいくら私がHPで叫んでも、どこらも反応はなく、私はますます孤立感を高めるだけでした。これは私が安倍政権の安保法制案を理解できなかったように、皆さんも与党の安保法制案の内容が理解できなかったからではないでしょうか。
12月31日に耳鼻科を退院してからは、私は正直に今の安保法制の議論がさっぱり理解きないと書き始めました。もし本物の議論であれば、難解であっても、それは私の無知の責任です。しかし、安保法制を報じる新聞記事を何度読んでも理解できないのです。そこでやっと、これは軍事とは無縁の無茶苦茶な議論だと主張しました。
政府が作った新語の”グレーゾーン”や”切れ目ない対応”など、今までの法制で確実に対応できることばかりです。それを、いかにも新しい防衛概念であるように偽装し、より日本が戦争に踏み込んいくための口実にしているだけです。
これは「裸の王様」のように、インチキな仕立屋(官僚や学者たち)が服を縫い上げ、裸の王様に着せて、馬に乗って街をパレードしているようなものです。
それでも、わたしは自分の限界を痛感しました。まさに「自己満足的にHPに書き込んでも、悪化する安保法制に警鐘を鳴らすどころか、辺りを照らす1本のロウソクにもなれない」という自分自身への挫折感です。
そこで、もうこのHPをやめて、次の行動を考えるべきと時期と考えるようになりました。
しかし、もうHPを辞めようという気持ちと、ここでHPを辞めれば安倍政権の暴政で逃げだすことと同じという悔しい気持ちで悩みました。
ツイッターでも呟きましたが、このHPを始めて16年が経過しました。小学校6年、中学3年、高校3年、そして大学で4年を合わせた16年間と同じです。そろそろ私がこのHPを卒業しないと、これからは皆さんに迷惑をかけるという意識もあります。
私は基本的に、早朝、配達された新聞の数紙の朝刊を読み、いろいろな通信社の電子版をチェックし、これは重要と思った記事を選び出し、直ちにコメントを書き出します。すると1本の記事について、改めて調べ直すことはほとんどありません。これはメディアなどの要請に応えて、緊急時の瞬発力を発揮(コメントや解説)する訓練にはなりますが、皆さんにとっては迷惑となることがあります。皆さんに真実をより深く、詳しく解説するという努力が足りないからです。
そこで来月(6月)から、このHPのやり方を変えます。本当はキッパリと辞めるつもりでいましたが、やはり、これから安保法制の本格的な審議を直前にして、敵前から逃げ出すようなことをしたくないからもう少し頑張ります。
しかし単純に辞めるといっても、16年間、毎日のように生活のリズムとして習慣化し、このHPを更新する生活を変えないと何も次のことができません。そこで、しばらく更新を休止したいと考えています。実はHPの更新を休止する方が、私には更新するよりも何倍も心苦しいのです。
今まで、私のHPを読んで頂いた方を裏切るようになるからです。しかし一時的でもHPを自分の生活から切り離さないと、私の次の展開が出来ないのです。このままだとダラダラと今の生活が続くだけです。
つぎに何ができるか、次ぎに何をやるかは、今の私に確かなものはありません。もし今の世の中で私を必要とするならば、次の展開が必ず起こると信じています。
ただ、これからは、これまで閉じこもっていた自分の部屋から出て、世界の戦争や紛争を見て、自分の頭で考えて強く主張できる意見を発したいと考えています。戦争や紛争の当事者の話を聞きたいと思っています。
しかし、昔のように私には体力や気力がないことも事実です。もしも現地に行けないなら、現地に行った人から話を聞きたいと思います。地図を示してもらい、写真や映像を拝見して、出来るだけ詳しく現地の話しが聞ければよしと思っています。その上で平和に対する何かの教訓を得たいと考えています。
今、真剣に、そんな自分勝手なことを考えています。以前、自分の人生で同じような大きな変化が3回あったと思い出しました。1回目は自衛隊(少年工科学校)を辞めたとき(18歳)です。2回目は、自分で立ち上げた軍事学の研究会(セミナー)を辞めたとき(31歳)です。3回目は子供が生まれて積極的に行っていた軍事の現地取材を中断する決心(家事と育児をする)を固めたとき(40歳)です。そして今回、4回目で軍事専門のこのホームページを辞めよう(中断?)としていることです。
おそらく、これが私の最後のわがままです。私が元気なうちに次の展開にかけてみることにしました。私は当分、HPの更新を止めることで禁断症状で苦しむかもしれません。でも、次の展開を楽しみにしてください。必ず底辺からはい上がってきます。
明日から、まずは体力の回復です。今まで、このHPを読んでくださった皆さん。本当にありがとうございました。でも、私が軍事に対する情熱はいささかも衰えていません。ますます戦争や平和のことに興味津々・意気揚々です。これまでの経験と知識、それに旺盛な好奇心をフルに活用して、もう一度一暴れしてみせます。
5月25日 (2015年)
彼のHPも掲載が続けばいいのですが、そうもいかないと思いますので、適時このHPで転載していきたいと思います
日本軍事情報センタ− 神浦さんのHP
http://www.kamiura.com/
外務省のクーデターと官僚のコントロール
http://hayame2.sakura.ne.jp/details1010.html#外務省クーデター
日本版NSCの欠陥 外務省の魂胆は見抜かれている
http://ironna.jp/article/2549
2016-5-12