2016年06月09日

T.W(タウンウオッチ)赤坂見附・プリンスホテル(赤プリ)・惑星ソラリス・李王妃  

  
                         大幡


   T・Wとは変貌する都市風景を、時をへだててその前後の違いを比べることに醍醐味がある。TVで之をライフワ−クにしている人を知った。根気の要る趣味であり、変化を予測、その変容を的確にとらえるには、かなりの想像力が必要である。
 さきの人に渋谷で出会った。10年程前のこおで、プラネタリウムのあった東急会館が現存の頃で、駅前東側の歩行デッキ上であった。 会館方向にカメラを構え、手許に写真台帳があり、かっての写真と照合しながら、慎重に何度となく立ち位置を変えている。話かけようと思ったが、つけこむスキがない。
 
 暫くして東急会館が消滅、ヒカリエの話が持ち上がった。そこで会館跡地にむかって、新しい建物を想像しながら、色々とシャッタ−を切った。その後ヒカリエが完成して、T.Wの神髄前・後と見比べようとしたが、前の画面が全く役に立たない、ヒカリエの特大さと全く釣り合わない、全て廃却した。想像力の問題だ、しかし、あきらめずに次の物件を待ち構えた。



     
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   赤坂プリンスホテル 解体前  2011-1-12 撮影


 赤坂プリンスホテルの建て替えの記事にであった。とりあえず赤坂見付けに行き、赤プリの雄姿を色々と所を変えてカメラをのぞいた。これぞと思うポイントが見つかった、永田町方向からの道が渋谷方向へへ立体交差している風景、カメラをのぞくうちにどこかで見たぞと気が付いた。ソ連映画「宇宙船ソラリス」の記憶が読みがえった、タルコフスキ−監督はこの風景に地球外惑星ソラリスの未来イメ−ジを抱いたのであろう。

 かなり前になるが、大井町の武蔵野館で見た。当時ソ連映画専門館にに近く、都内唯一という存在であったが、さて先ほどのシ−ンに戻ろう、映画を見ている時はハテナと感じただけだったが、程なく映画誌上で赤坂見付と確認した。

 いよいよホテル棟の解体工事始まった。最上階綿帽子状の仮設が設けられ、別添記事の工程で、徐々に高さを失っていく。工事のさなか、別の記事でホテルの旧館が横引きされると知った。新築される2棟の配置の都合上永久保存のために引越しとのことである。
 この旧館は元李王家の邸であったが、植民地としての併合から敗戦にかけ、物悲しい物語がある。李王妃・梨本宮方子様のこと。



      
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  旧館 李方子妃邸  2014-1-14 撮影
  




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              李方子妃
           

 話は1914年方子14歳の時である。 李王家コン殿下との縁談に始まる。当時昭和天皇も適齢期にあり、その皇太子妃としてあげられ、美しく才媛にめぐまれた姫君である。一方、コン殿下は11歳の人質として東京に連れてこられ、皇族として扱われ、陸軍幼年学校に進み、首席卒業と才能を発揮した。ともに意に反してだが、歴史の歯車は強い力で廻り」大正9年婚儀が進み、大正10年長子晋が生まれた。翌年李王家のたっての要望に親子3人で帰国したが、不幸にも晋は食中毒により8か月の命を閉じた。日本人の血が王家に入ることを嫌った毒殺ではないかと推察された。朝鮮人の激しい差別や流産の悲しみにもまれながら、ようやく昭和6年待望の世子玖が生まれた。
 昭和10年8月からコンは宇都宮14師団59連隊長として赴任、1年8か月の間、普通の民家で一家団欒の日を送った。たまたまこの59連隊付けとして、清王朝の愛新覚楽溥儀が赴任して、互いの境遇から親交をかわした。 時移り、敗戦とともに皇族としての地位を失い、苦難の生活が始まった、事実上のタケノコ生活である。

 故国は李承晩の激しい反日政策下にあり、李という一族であるにもかかわらず、一家はまったく無視されるに止まらず、公邸を韓国の国有財産である、駐日代表部のため明け渡せと迫られた。しかし、調査の結果私有財産と判明、差し押さえをまぬがれた。収入の途は途絶えて公邸は人手に渡り。堤康次郎の手をへて赤坂プリンスホテル別館となった。
 
 朝鮮戦争が始まり、1960年の政変により、政権がめまぐるしく変転、朴正煕の登場により、ようやく韓国政府の庇護下に入ることになった。

 1962年一家の帰国が実現した。コンは既に脳軟化症を患い、故国を認知できなかった。方子はソウルの地を踏んで間もなく、 の臨終を迎え、以来1989年(平成元年)87歳の生涯を終えたが、渡韓30年、身体障碍者のため、絵や七宝等の趣味を活かして展覧会を開きその全売り上げを還元して、日韓の橋渡しに務めた。強靭な精神力の持ち主であった。その後打ち続く反日政策下にあって全く忘れ去られ、わが国でもその存在を語られることが少なく、残念である。

 T・Wとんでもない脱線である。ホテル建て替えの話から数年が過ぎ、新館完成から半年ほどすぎて、現地に行き最初の地点でカメラをむけ、想定した構図に新館がおさまらない、はるかに雄大な建物である。なんとか全容をとらえようと弁慶橋の方向に移動、ようやくカメラにおさまった、前後の写真を見比べて、広角レンズの必要性と、自らの非才を強く知った。

 その後の記事によると、36階棟のほかに住宅棟24階とある、それが見当たらない、別館がどこにおさまるのか疑念が残る。次は台地にあがって、水平地地点で迫って見ようと課題が残った。この地紀尾井町という。紀州・尾張・紀伊の徳川雄藩の邸に由来する。



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   解体途中   2013-2-28  撮影






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   解体終了  2014-1-14  撮影



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    建設途中 業務棟 ホテル36階と住宅棟 21階 2015-5-28 撮影


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    建設工事完了   2016-3-23 撮影


                            2016-6-8


  ドミトリ−ドンスコイ
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  B-29 東京空襲
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  真珠湾の真実
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posted by 速魚 at 20:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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