三島城天守台へは三島駅構内から階段を上がっていきます。 このあたりは隘路になっておりそれゆえに城が作られ、また新幹線や山陽線を作るときには城を分断してつくらなければならなかったのでしょう。

本丸 天守台、 大きなものですが天守台は作られていない
南側は当時はすぐ海に面していて浮城とも呼ばれている。瀬戸内にあるお城の一正面は海になっているものが多く、その一つでしょう。

元禄初年 三原城下絵図 三原中央図書館より

明治43年 海から見た城跡

舟入櫓
小早川隆景が高山城・新高山城から移ってここに三原城を整備した。小早川水軍の軍港とした。
小早川隆景 1533-1597
毛利元就の3男で小早川家を継承した。

舟入櫓前に立つ聖トマス小崎像 ただここで母に手紙を出したというゆかりです。
2016-7-26
ブログ投稿700回 ありがとうございました。