2016年07月30日

リ−ダ−を育てる教育


   舛添都知事が辞任して鳩山邦夫さんが亡くなりました。彼の後輩である東大法学部の下級生に言わせると、ご両人は伝説的に成績の良い人物であったと。 他でも、彼らでトップを競っていたという話は聞いたことがあります。

 同じ世代の爺としては、高校から東大に入った同級生はいなかったと思うし、受験競争の激烈な団塊世代としては、彼らは雲の上の人です。 でも今回の舛添さんのセコイことや蝶よ花よの鳩山さんのことを思うと、決してよくやってくれたと誇ることができません。

 わが世代は高度成長に貢献してつぶした世代です。若いころには、戦後を背負って何かを変えられると粋がって異を唱えはしたが、地についたものではなく、無駄に終わっただけでした。振り返れば誇れる世代とは思いません。


 相変わらず教育行政機関は道徳教育や武道などを取り入れることには熱心ですが、効果が上がっていません。 国民を治めることが教育の中心にあるからでしょう。

 欧米の教育にあって日本にないものは、リ−ダ−を見つけて育てるということです。教育の中の大きな柱のひとつとして、その方針を明確に打ち出して取り入れたらどうでしょうか? 当然受験の評価のなかに入れなければ意味しません。 舛添、鳩山サンらは違ったものになったでしょう。
 
 最近イギリスが国民投票でEUの離脱を決めました。 あの英国でさえ、大衆は常に愚であると思わせました。 だから真のリ−ダ−を持たねばならないのです。



    法律の舛添問題に対する哲学的所見  中島義道さんによる


        2016-7-30



posted by 速魚 at 05:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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