2016年07月31日

村上水軍・海賊衆


  村上水軍博物館と因島村上水軍城・史料館に行ってきました。 村上水軍はひとつであると誤解していましたが、熊島村上、来島村上、因島村上と3つに分けられます。

 下図のように芸予諸島は広く縦長なので、瀬戸内を抑えるためには、地理的にも3つに分かれたのでしょう。

  murakami map.jpg


  村上氏は信濃の村上郡からとった名称のようですが、古くは諸説あり判明しません。
村上義胤の子に3人の息子がおり、長男義顕(雅房)を能島に、二男顕忠(吉房)を因島に、三男顕長(吉豊)を来島に置いたのである。

 戦国時代になって、因島は毛利につき、来島は河野氏の直属の水軍であった。熊島村上武吉は武勇高く独立した存在であった。毛利元就の厳島の合戦に加わり陶晴賢軍を破る。
その後は毛利から離れる動きがあったが、1574年毛利に降った。 信長との木津川口海戦で息子の村上元吉が指揮して勝利する。 来島村上通総は秀吉に降り、来島姓を名乗る。
 熊島村上親子は秀吉に降った来島村上を攻撃したことを秀吉に恨まれて天下統一後に退去を命ぜられた。天正16年には海賊禁止令が発せられ、海賊特権はなくなった。


       2016-7-31
posted by 速魚 at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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