譜代10万石の城としてはできすぎ
福山には船員時代に何度も製鉄所へ寄港しました。 製鉄所では、その当時でも荷揚げ設備が近代化されて大型化していて、長く滞在することはありません。 たまに泊まることがあると、若いバカさのせいでしょう、文化的なことには関心が薄かった。 従い福山にお城があるなんて気が付きもしませんでした。
爺になって、三原へヨットで訪問。 やっとJRに乗って福山や尾道を訪ねました。
福山城は1622年に完成した。新規の築城としては最も新しい城です。そのためか伏見城から移築されたものが多い。天守は昭和20年の空襲により焼けました。
譜代の臣水野勝成が備後10万石の領主となり、福山城を築く。10万石の大名の城としては大きすぎ、櫓の数も多く西方防御の拠点として役割を担った。

再建天守閣 博物館 北側は鉄板張りであった


2の丸南側石垣 月見櫓

筋鉄御門 重要文化財 伏見城より移築
伏見櫓 重要文化財 伏見城より移築
水野5代のあと阿部10代が廃藩置県まで続いた。
幕末の阿部正弘は福山藩主で老中首座を務めた。彼は日米和親条約を結び日本を開国させました。勝海舟を登用して長崎海軍伝習所などを創設。老中在任のまま江戸で急死した。

阿部正弘像 1819-1857
福山城も譜代の阿部氏が福山藩とは、ここにくるまでは、知りませんでした。見直しさせられました。
2016-8-1
築城400年記念 修復計画
https://www.youtube.com/watch?v=Cy9pf7JZvJ8
2020-9-28