日本屈指の山城といってもよいと聞いていますが、実際に眺めてみますと、急峻な山のイメージではありません。標高300mですが比高200mで徒歩1000mくらいで本丸にたどりつけます。3層の天守閣があったという。
毛利氏が大きくなるに従い城規模も大きくなりました。 国人領主のころには山の一部の本城の郭として残っています。
広島城に移るまで、ここは使われていました。 関ケ原の戦いで敗れ、萩に転封になると廃城になります。
歴史博物館から毛利元就のお墓に行き、その横にある山道を1000mくらい登って行くと本丸にたどりつきます。 博物館近くで杖(無料)を貸してくれるところがあり、それを利用すると歩くのに便利です。ちょうど小雨降りで傘を持っていたので杖替わりでそれを使いました。雨量の多い日には整備が悪いので、本丸まで行くのは止めたほうがよいでしょう。 そのように述べても平常でも本丸まで足を延ばす人は多くはないようです。 遺跡の現状に変更を加えることはできませんが、あまり環境がよいとはいえません。
帰りは尾崎丸を経由する山道があります。この道が昔に使われていた登城道のようです。

吉田郡山城 遠景

古図

毛利元就のお墓

本丸跡 後ろの高台が望楼台跡で一番高い所

2の丸跡

御蔵屋敷跡に残る石垣
2016-9-26