2016年10月18日

シングルハンド


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 初代速魚

 友人と地中海で乗っていたのは25年ほど前です、その時は2人以上で乗っていました。 今度、最初のクル−ザ−「速魚」よりほぼ39年以上を経て、それ以来のシングルハンドでヨットに乗ることになります。 ここでのお話は、いわば日露戦争の元勲が維新のことを語るようなものです。(笑)

 注) もちろん爺は元勲ではありません。 それほど時間が経ちました。

 確かに初代速魚の当時は、ジブファ−リングなし、オ−トパイロットなし、GPSなしのアナログヨットの時代でした。 船検も無いのは良かったことですが。

  69近くになってヨットを買い、おまけに左手は90度くらいしか上がらない、軽度の身体障害です。 メインハリヤ−ドとメインセ−ルをシャックルでつなぐには、高さが背伸びしても足りなくて、お風呂の座椅子をマスト前に置いてその作業をしています。


 北木島に練習クル−ズとして、前のオ−ナ−と行ったときには、恥ずかしくも桟橋へ渡るときに見事にコケてしまいました。 前途多難を感じました。

  4月くらいから一人で出るようになりました。 若い時には着けもしなかったライフジャケットを今では着けます。 まあ瀬戸内の落水は船の通行が多いので、見つけてもらえるケ−スが多いという打算もありますが。

 シングルハンドに戻って感じることは、年老いたこと、研鑽を怠ってきたこと、乗船していなかったことなどで錆びついてしまい往時の3−4割の能力しかないなと分かったことでした。

 6月−7月に岡山と広島に行ったことで、やっと半分くらいになったと思えます。 

これは、ひとえに前オ−ナ−のご指導のたまものです。 改造や整備などいろんな面で大変お世話になり感謝しています。


 また、今度のクル−ズでお会いしたのですが、塩気のあるシルバ−セ−ラ-のかたもおられ、35fと42fと大型艇にのっていました。  彼らを見ていて学んだことですが、離着岸の際には入港前の準備、出港後整理などは、 いったん近くで停止して、それをしています。
 そうしたことは今まで無く、ダイレクトに入港し出て行った、今までの経験でしたので、安全な作業をする上で多いに勉強になりました。シングルハンドでは必要です。

  また、上には上の人がいるもので、半身がご不自由のようで、杖をついて37fのヨットでクル−ズをされている方にもお目にかかりました。


              2016-10-18











posted by 速魚 at 08:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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