2016年11月05日

村上来島海賊


村上海賊3氏族のうちこの来島に城を構えて割拠したのが来島村上氏です。早くから河野氏に臣従した。秀吉の中国攻めの際に調略を受け入れて信長に従う。これにより本能寺の変のあと、秀吉の大返しの時に、毛利氏は追いかけようにも兵糧弾薬が不足しできなかったといわれている。背後で来島村上氏の活躍があった。

kurusima 88.jpg
村上3氏族で上図のように瀬戸内のすべてを押さえられます



kurusima 89.jpg
 来島城

kurusima zyo 01.jpg
ヨットから見た 来島城跡

来島村上氏の統領について


村上通康 1519-1567
 河野家の家臣であり来島水軍の総帥。1541年大山祇神社を攻めた大内水軍を撃退させた。1555年厳島の戦いで毛利氏への援軍として勝利する。
 ここで述べた甘崎城主として家臣の村上吉継がおり、通康の死後ですが、1576年に信長との戦いで毛利氏側として第1次木津川の戦いに参戦。

来島通総 1561-1597
 村上通康の4男として誕生、7歳で家督を継ぐ。1582年に豊臣秀吉に寝返ったため、熊島村上、因島村上、毛利、河野氏に攻められたので、秀吉の元に身を寄せる。秀吉と毛利の和睦後旧領にもどった、来島姓を名乗る。秀吉の四国攻めで伊予風早郡に14000石を得る。慶長の役のときに朝鮮で戦死する。



今回は今治の停泊が1泊しかできなかったので、後日に来島にはいってみたいと思っています。厳島の戦い

   2016-11-5


鹿島城と得居道幸
    http://hayame.sblo.jp/article/177964760.html







posted by 速魚 at 09:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/177551935
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック