今年の3月に宇和島へ行く。その途中で電車が肘川の鉄橋にさしかかったところで、堂々とした大洲城を目にしました。 大洲という場所さえ余り知らなかったのですが。
今度、広島より松山にヨットで寄港。さっそく大洲に向かいました。
大洲城は高知と伊予の接点になり交通の要衛です。 14世紀に宇都宮氏により築城される。宇都宮氏は毛利氏の伊予出兵で降伏。長曾我部に通じた家臣により城を追われた。
秀吉による四国平定で小早川隆景により落城。1595年藤堂高虎により近世の城郭として整備される。 脇坂安治、加藤貞泰と城主が代わり、加藤氏が明治まで続いた。 現在の天守は2004年に、往時の姿をほぼ正確に復元したものと言われている。

天守を望む

城郭模型
7万石くらいの大名の城はこんなものかと思わせる規模で思ったよりコンパクトな城がまえです。このサイズ規模なら完全に城全体を復元できぬものでしょうか?本当の地方創成になると思えます。

現存する三の丸南隅櫓 中は見学できます

三の丸南隅櫓の前にある公園
陽明学の中江藤樹は初めの藩主につかえ、城内に作られた大洲高校の敷地内にあります。在校生に聞いたらわざわざその場所まで案内してくれました。礼儀正しい親切な高校生でした。 あいにく日曜日で閉館しており中を見ることできませんでした。そんな校風ゆえノ−ベル賞の発光ダイオ−ド・中村さんの出身校で記念碑がありました。

中江藤樹の像

中江藤樹邸跡

中村さんノーベル賞記念碑
2016-12-6