2016年12月11日

彗星夜襲隊 美濃部正少佐


 
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 渡辺洋二著

  3式戦闘機飛燕はそのスマ−トな外観ゆえ最も爺の好きな戦闘機です。しかし水冷エンジンを搭載したせいか、整備慣れせず稼働率の低い戦闘機でした。ここに登場する彗星も真珠湾で活躍した99式艦爆の後継機で、 同じく水冷のエンジンを搭載していたせいで、部隊のやっかいものだった。 この飛行機を稼働率20-30%から80%まで上げて終戦まで夜間攻撃に成果を上げた部隊がありました。それも特攻をせずに。
 その部隊は海軍芙蓉隊でした。その司令官は美濃部正少佐です。彼は水上偵察機乗りのパイロットで、空母ではなく巡洋艦に積まれていて、偵察にあたるフロ−トのついた2−3人乗りの飛行機を操縦していた。真珠湾攻撃にも参加しています。ソロモン・ニュ−ギニア空域での大消耗戦に日本は負けて、正当な空戦を維持できなくなり、彼は夜間の空襲に活路を見出しました。戦闘機乗りパイロットが不足する中で、夜間洋上経験の豊富な水上パイロットを活用してのものです。

 沖縄戦の前に所属する軍の司令官会議がありました。 その会議は、フィリピン戦に特攻が始まり、次の沖縄では、鈍足の2枚翼の練習機まで特攻に使用すると決められていた中で、検討するというのではなく衆知下達会議の様相でした。 彼は命令に背いた罪に問われることも恐れず、その会議の最下級司令官・少佐でしたが、特攻の愚かさを語り、命令するものの無責任さを堂々と主張しました。よく批判するものに返す刀で代案を示せと反論せられますが、彼は、あの敗戦間際に燃料・時間の少ない制約の中で訓練・整備の実績を語って黙らせます。 あの状況で抗うごとなど誰でもできないでしょう。 爺が学徒出陣のパイロットなら特攻の志願署にサインしていたでしょう。 でも彼は終戦間際になり、米軍が九州上陸してきた場合にそなえ、部隊に特攻の準備を指せます。合理的に最後まで手段を探せ・尽くせということでしょう。 戦後になってのヒュ−マニズムの英雄に祭りあげられることには拒否しました。 娘にはどんな状況でもそれに流されずにおのれの道をすすめと教えています。 彼は航空自衛隊の空将になります。 都知事になれなかったおかしな空将がいましたが、自衛隊に良い影響の残してくれたと期待します。

 特攻に散った将校で少佐以上は数名です。指揮官・参謀クラスの将校はあとに続くと言いながらも、戦後は、位が高い故の高い恩給をもらい天寿をまっとうしました。理不尽なものです。



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 彗星21艦爆



  参考資料

 斧ににきをつけろ

  http://plaza.rakuten.co.jp/eugene/3004/



 特攻拒否を貫いた芙蓉部隊 元飛行兵長の回想 上下

 http://www.jiji.com/jc/v4?id=fuyou201508a0001

 http://www.jiji.com/jc/v4?id=fuyou201508b0006


     2016-12-10

 妻との特攻 谷藤夫妻 
 http://www.hayame2.sakura.ne.jp/99_blank004.html#妻との特攻
 桶川飛行学校  練習機での特攻
 http://www.hayame2.sakura.ne.jp/99_blank004.html#桶川知覧
 上原良治氏の特攻
 http://hayame2.sakura.ne.jp/details1016.html#上原の特攻








posted by 速魚 at 01:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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