少年時代ノルマンジーという言葉に二つの強い記憶がある、ひとつがブルックリンの埠頭に横たわるノルマンジーであり、いま一つがドーバー海峡に面した奇岩であり、まず始めにノルマンジーを取り上げる。

ノルマンデイ− 1935-46 79000トン 仏
ノルマンジーはフランスの豪華客船で1930年代、大西洋のオーシヤンライナーとして活躍したが,ヒットラー政権がたんじようして、第二次大戦の勃発に続くフランスの対独降伏により、たまたまニュウヨーク港にて出港を見合わせマンハッタンの桟橋に繋留されることになつた、かねてから航空母艦に改装の計画があり,そこで工事が始まつた。しかし大改装の設備があるわけでなく、兵員輸送用であろう、ところが度々原因不明の出火があり、溶接による火花とも思われるが、多量の注水により転覆して、やがてむなしく解体されることになった。この原因についていろいろいわれるが、作業員によるサボタージユではないかとの説が有力である。当時のアメリカの世論は対英援助一色ではなく、ドイツ系アメリカ人に対する配慮もあり、故国ドイツへのそこはかとない思いがなせる業と考えられる。
これに先立つて大西洋上で、援英物資を積んだ数多の貨物船に出火が多発し、魚雷によらず失われた。当然ドイツ系の作業員によるものと考えられた、その手口は葉巻状の発火装置を可燃物資に潜ませるのであり、広い船内容易いことである。まさにサボタージュである やがてアメリカが参戦するや間もなく下火となつていつた。未だヒットラー政権によるユダヤ人に対する蛮行もあまり知られなかったときのことである。
蛇足だが、オーシャンライナーとはヨーロツパとアメリカを繋ぐ定期旅客船のことで、特にサザンプトン ニューヨーク間のスピードをブルーリボン賞として競つてきたが、長い間イタリヤとドイツに占められていたのを、1935年、10年振りにフランスにもちかえつたのがノルマンジーである。

クイ−ンメリ− 1936-67 80000トン 英

クイ−ン・エリザベス 1940-72 83000トン 英
翌年イギリスのクインメリー、1940年、エリザベスの三隻が90000tの巨体で覇権を競う事になつたが、それも戦争でエリザベスは客船として使用することなく、ノルマンジイは転覆の始末である。一方イギリスの二隻は軍用船として改装され大活躍し、戦後帰還兵や戦争花嫁をアメリカに連れ帰り1億ドルを超える運賃を稼いだ。因みにQ・メリイは1946年1年1つき戦争花嫁専用として改装され子供用ベツドや遊び場が設けられ、1年半の間にニューヨークに1万3000名、カナダに1万名の花嫁と子供を運んだ。
話が戻るが,フランス船で嘗て賞に輝いていたのは、イルド・フランスである。
余談だがQ・E、Q・Mはライナー船に復帰20年余活躍したが、航空機にその座を追われ、Q・Mは1967年アメリカのロングビーチに繫がれて、ホテルとして使われることになった。一方Q.Eは不名誉な運命に翻弄されて、くしくも1972年香港でクルーズ船に改装中、原因不明の火災で転覆して32年のしようがいを終える。
2017ー1ー12
新3p のペ−ジ