折敷畑古戦場に3日間かかり行きました。 初めは自転車で、東側の速谷神社の方へ行ったようです、見つからずに断念。 翌日に観光課に聞きに行き、下図のような地図をもらいました。バスでの行き方を訪ねましたが、担当者は行ったことがないとのことで、教えてもらえませんでした。
3日目も自転車でめざしました。専念寺までたどりつきましたが、徐々に坂道の登りになってきたので、しばらく行ってJR宮内串戸駅まで戻り、そこからタクシ−に乗る。折敷畑山のふもとで、3人ほどの住人に尋ねて、やっと登山道入り口につきました。しめて3300円也です。 まだここまでは良かった。

JR宮内串戸駅よりの地図


登山道入り口 プレ−ト

案内プレ−ト
いよいよ白いプレ−トの案内板の矢印の方向へ登山開始です。 徒歩1時間とのことですが、まあ、大変、ほとんど訪れる人がいないのか、登山道はまったくメンテナンスがされておりません。倒木があちこち道を塞いでいますし、草が自由に茂って邪魔します。山刀でジャングルのように斬り刻んで進みたいほどです。案内板の方向表示に間違いがあれば迷ってしまいますが、これは幸いにも正しかった。それでもこちらが見間違えて行けども、おかしいと感じ引き帰したことがあり。途中で枝を拾い杖にして、登り下りに支えとしました。 途中で鎖が道に沿って50mほど敷設してあるところがあります、急な所なのでこれを掴んでなければ上り降りできないところであった。 目的地(8合目)近くになると、日ごろ使っていない骨が痛むし筋肉もツリそうになる、息が切れるので10m行っては深呼吸で休息する、この繰り返しでやっと到着しました。桜尾城を望むところへの案内板があり、そこに行ったが木が生い茂って視界をさえぎりはっきりとは見ることができませんでした。

倒木が道を塞ぐ

8合目にある 宮川甲斐守陣地跡

はるか厳島を望む
折敷畑の戦いとは、 1551年に大内義隆が重臣・陶晴賢らによる謀反により討たれた時に、毛利氏は大内氏に従属していた。その時に、石見国津和野の吉見正頼は陶氏に挙兵した。毛利氏は大内氏を離れ離反・独立を図った。 陶氏の家臣・宮川房長は毛利氏と戦うべき桜尾城を見下ろせる折敷畑山に布陣した。桜尾城から出陣した毛利軍は3方向に分かれて急襲して倍近い敵兵を撃破した。 厳島の戦いの1年前でその前哨戦ともいわれる。


急峻になっている尾根道を歩くところから、風の強いことが予想されるときには、飛ばされないように注意が必要です。行きに2時間帰りは1時間ですが、帰りとて楽ではありません。帰りは4季の丘団地へ下る道を選びました。幅50cmで急な崖路を下るところがあり、滑落したら命の危険がありません。携帯を持たなかったり、通じなかったり、単独であるなら、月に1人くらいしか通行する人がいないようなところなので、助けを求めることは絶望です。広島で大雨後の土石流の事故があったのを憶えていますが、その流れた水路のような急な下り道を降りてくるには、1歩1歩杖で支えて降りるほかなく、落ち葉の貯まった道をすべらないように降る必要があります。

落ち葉で滑りやすい下り道
無事に四季が丘小学校の横に下りることができました。そこから15分ほどでバス停があり帰ることができました。 わかりにくいが、ここからの往復だと、四紀が丘行バスが使えます。

四季小学校近くの登山道標識
老婆心からの 登山注意点
1. 雨天の日または翌日は避ける。 すべりやすいので。
2. 7-8m以上の風の吹く日は避ける。
3. スパイク靴、登山靴など滑りにくい靴を用意する。
4. 杖と軍手を用意する。 ロ−プやピッケルを用意できればさらに良い。
2017-2-24