2017年05月04日

陽明丸の4人の男たち 北室南苑さんによる


  800人の子供たちを救出に活躍した人々は、トイスラ−博士、ライリ−・アレン、勝田銀次郎、茅原基治の資質によるところが多いと思う。
 苦難がある人は、当時でも今でもたくさんいるでしょう。誰しも助けたいとは思うのは自然なことですが、出来て結果を誰でも残せるものではありません。 時代的なものと個人の資質とその能力によるものなのでしょう。彼ら4人こそノブレスオブリージの精神を具現した真の勇者であった。

 当時の米国赤十字社は、今では何をしているのだろうかと思ってしまいますが、戦争と革命、内戦で苦しんでいたロシア民衆、そして敵味方の区別なく苦しむ傷病兵の救援活動に従事していました。  第1次世界大戦直前までは欧州はベルエポックという、良き時代にあった。この時代に青年時代を過ごした人が、徳目を信じ実践するジェントルマンの行動をすることが信じられていた時代であったことにもよるのです。



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 ルドルフ・B・トイスラ−博士

 シベリアに派遣された米軍の医療面を受け持ったのが、シベリア救護隊であった。それをトイスラ−博士が、敵味方、軍民を問わず、必要として者たちに手を差し伸べた。社会教育や職業訓練にまで及んだという。子供たちの救出は博士の人柄と情熱なしでは成功しなかった。

 彼は1900年に来日して、築地聖路加病院を開設した。オウムのサリン事件のおりには、大量の患者を受け入れ貢献した病院です。彼の精神は受け継がれていました。また日本における看護婦の地位の向上に貢献した。



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 ライリ−・アレンさん 救護隊長

 シベリアに来る前はハワイの新聞の花形ジャ−ナリスト、志願して米国赤十字シベリア救護隊広報官として着任。後に救護隊長代理として指揮に深く関わることになる。世界1周に及ぶ移送を企画し実現させた。米国のシベリア派遣軍が撤退して、その援助が期待できないなかで、赤十字社からの引き揚げ要請があったにもかかわらず、子供たちを置き去りにすることもなく成し遂げた功績は大きい。のちに真珠湾攻撃を報じた歴史的号外記事を彼は書いた。



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勝田銀次郎さん 神戸市長のころ

 勝田さんは皆が断った傭船を引き受けるばかりでなく、陽明丸に子供を乗せるための改造費数万円を寄付した。 彼はキリスト教系の学校で奉仕と欧米流合理主義を学び、海運業で成功をおさめる。第1次大戦後の海運バブル破たんで経営に失敗した。後に、その人柄が慕われて神戸市長をつとめる。陽明丸の大航海は、彼の侠気と慈父のような精神、そして真の国際精神が根底にあったからこそ実現した。

 

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 船長 茅原基治さん  日露米の架け橋

  1920年代では、米国は日本を仮想敵国として意識し始めた時期です。ましてソ連の子供たちとして意識される可能性があった。2つの仮想敵国民にかかわりを持つ微妙な時代であったが、彼は赤十字の精神による国際人道救助を成し遂げる。  また、彼はたたき上げの下級船員から成った船長です。船員の苦労もわかり人望のあった心優しい人ゆえに、今ごろになっても子孫の人からさがしてお礼をいいたいと依頼されるのであった。  

    2017-5-4



posted by 速魚 at 10:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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