ギリシャ人の物語1 塩野七生さんによる

前524・520-前459・455
テミストクレスによる対ペルシャ戦争の戦略とその実現がなければ、その後の歴史は大きな変更をよぎなくされていたでしょう。
アテネに限らず他のポリスでも市民による重装歩兵による主な軍隊が編成されていました。彼はそれを海軍を主力とした編成に変えることにより、サラミスの海戦に勝利することになる。 大陸軍国のペルシャは制海権を失い、ギリシャへの侵攻ル−トと兵站を無くし攻めてくることを出来なくさせました。
明治の元勲が海軍を充実させ日本海海戦に勝利して、陸軍国のロシアの膨張を抑えたことと酷似しています。1500年の時間の後でしたが。
ペルシャとの方針には、外交で処理すればよいという富裕層の穏健派と下層の市民の支持を受けている急進派が対立していました。テミストクレスは陶片追放を利用して巧みに穏健派を排除してギリシャ一の海軍を造成しました。 いざペルシャとの戦争の際には、追放した反対派をアテネに戻すことを許して、戦闘に加える柔軟さを示しました。
ここが民主制のいやらしさ・嫉妬心ですが、成功に導いた彼を、今度は同じ陶片追放に処してしまいます。亡命生活が続き最後はペルシャの地方を任されることになり、そこで死亡しました。
テミストクレスは他人の思いつかないことばかりをやり、それでいて実績を挙げた人だったのである。

サラミスの海戦 前480年9月
年表
前490 第1次ペルシャ戦役・マラトンの会戦 ミリテイアデスの作戦奏功
前489 ミリテイアデス対立勢力に告発される。負傷で死亡
前487 テミストクレス、陶片追放でヒッパルコス追放
前486 同様にメガクレス追放
前485 穏健派に軍船の新造を阻まれる
前484 クサンテイッポスを陶片追放
前482 アリステイデスを陶片追放。200隻の軍船新造始める
前480 ストラテゴス・アウトクラテ−ルに就任。
第2次ペルシャ戦役始まる。
8月 テルモピュレ−の戦いでスパルタ兵300名玉砕。
テミストクレスがアテネの市民を強制疎開
9月 サラミスの海戦でギリシャ海軍勝利。
前479 プラタイアの会戦で勝利。スパルタのパウサニアスが指揮
サモス島奪還、セスト奪還、海峡の船橋を切断。
前478 テミストクレス、外港ピレウスとアテネを城壁で続ぐ。
前477 パウサニアス、ビザンテイオンを奪取するが戒告。
アテネを中心とするデロス同盟ができる
前471 キモンによりテミストクレスが今度は陶片追放される。
パウサニアスが冤罪で逮捕され死亡。
テミストクレスがアリステイデスに召喚されるも、無視して亡命生活。
前466 ペルシア新王からマグネしアの長官になる。
前459 テミストクレス死亡
2017-5-5