日本三大奇襲のひとつと言われる厳島・宮島に行ってきました。他は桶狭間と川越夜戦とのことです。
ヨットで行く予定でしたが、おまけに係留地の近くにも拘わらず、事情ができて、今回は観光客と同じく広電とフェリ−で行くことになりました。
前年に折敷畑の合戦で毛利氏は陶氏に前哨戦で勝利した。毛利元就は厳島の合戦に陶晴賢を破り、これを契機に中国地方の大大名になる。陶晴賢の墓は廿日市の洞雲寺にあります

両軍の動き

毛利軍の厳島への行軍進路
さて、広電阿名東で下車して広島方向に戻ると2−3分で火立岩跡・毛利軍出発の地・乗船地の標識がある。天気が悪化している雨の夜にここから毛利軍は乗船して、陶軍の背後の地・包ヶ浦に向かった。

火立岩跡 それらしい岩は見当たらない 毛利軍乗船地
宮島口で広電を下車、すぐフェリ−に乗って厳島で下船。目の前に岡・要害山がある。そこに毛利が設けた宮尾城で籠城して陶軍を迎え撃った。

要害山は小高い丘のように見えるが崖が際立つ宮尾城跡
陶軍はすぐ近くの塔の丘に本陣を構えて大軍で対陣した。 宮尾城から塔の丘を望むと、今では五重塔が立っている。豊臣秀吉が建造して未完の千畳閣もあります。



塔の丘にある五重の塔 豊国神社

千畳閣 秀吉未完の建物・重要文化財

その内部 秀吉死去で未完ゆえ壁がない。
要害山を登り、すぐのフェリ−乗り場前広場からタクシ−で上陸地の包ヶ浦へ向かう。毛利元就は乗船してきた軍船を返した。もう後戻りはできない背水の陣です。
今はキャンプなどを楽しむ自然公園になっています。
帰りのバス便が少ないので、時間があり、予定外で、毛利軍の山越えのル−トを歩くことになった。遊歩道が出来ており、整備が今までに経験したものより比較的良い状態であったので、老人でも1時間半で登ることができた。

毛利軍上陸地・包ヶ浦

包ヶ浦自然遊歩道入り口 ロ−プウエイのある、もみじ谷に向かう

比較的整備されている遊歩道

頂上の博奕尾(ばくちお)案内板
毛利軍の急襲で油断していた陶軍は総崩れになった。陶晴賢は打ち取られる。
お約束どおりの雨天の日、散策することになった


厳島神社 干潮時
2017-6-4