2017年06月04日

厳島の合戦場 を訪ねて   


日本三大奇襲のひとつと言われる厳島・宮島に行ってきました。他は桶狭間と川越夜戦とのことです。

 ヨットで行く予定でしたが、おまけに係留地の近くにも拘わらず、事情ができて、今回は観光客と同じく広電とフェリ−で行くことになりました。


 前年に折敷畑の合戦で毛利氏は陶氏に前哨戦で勝利した。毛利元就は厳島の合戦に陶晴賢を破り、これを契機に中国地方の大大名になる。陶晴賢の墓は廿日市の洞雲寺にあります

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両軍の動き

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 毛利軍の厳島への行軍進路

  さて、広電阿名東で下車して広島方向に戻ると2−3分で火立岩跡・毛利軍出発の地・乗船地の標識がある。天気が悪化している雨の夜にここから毛利軍は乗船して、陶軍の背後の地・包ヶ浦に向かった。

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  火立岩跡  それらしい岩は見当たらない 毛利軍乗船地

 宮島口で広電を下車、すぐフェリ−に乗って厳島で下船。目の前に岡・要害山がある。そこに毛利が設けた宮尾城で籠城して陶軍を迎え撃った。

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 要害山は小高い丘のように見えるが崖が際立つ宮尾城跡

  陶軍はすぐ近くの塔の丘に本陣を構えて大軍で対陣した。 宮尾城から塔の丘を望むと、今では五重塔が立っている。豊臣秀吉が建造して未完の千畳閣もあります。

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 塔の丘にある五重の塔 豊国神社

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 千畳閣 秀吉未完の建物・重要文化財
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 その内部 秀吉死去で未完ゆえ壁がない。

 要害山を登り、すぐのフェリ−乗り場前広場からタクシ−で上陸地の包ヶ浦へ向かう。毛利元就は乗船してきた軍船を返した。もう後戻りはできない背水の陣です。
 今はキャンプなどを楽しむ自然公園になっています。

帰りのバス便が少ないので、時間があり、予定外で、毛利軍の山越えのル−トを歩くことになった。遊歩道が出来ており、整備が今までに経験したものより比較的良い状態であったので、老人でも1時間半で登ることができた。


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 毛利軍上陸地・包ヶ浦
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 包ヶ浦自然遊歩道入り口  ロ−プウエイのある、もみじ谷に向かう

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 比較的整備されている遊歩道

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 頂上の博奕尾(ばくちお)案内板

 毛利軍の急襲で油断していた陶軍は総崩れになった。陶晴賢は打ち取られる。

 お約束どおりの雨天の日、散策することになった

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 厳島神社  干潮時

  2017-6-4

  






 

posted by 速魚 at 07:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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